整理しましょう
公爵家の屋敷に戻ると、セラフィナは自室に直行した。
メイドに手伝ってもらってお風呂に入り、柔らかな夜着に着替えて一人になる。
これまで、お風呂や着替えを手伝ってもらうことに違和感を感じていたが、違う誰かによる違和感だったのだろう、とセラフィナは気がついた。
ゲーム、テレビ、ビール、つまみ、など、この世界に存在しないものばかりが浮かび、セラフィナはその世界を少しだけ知りたくなった。
しかし、今は知る術はない。そのうち、きっかけがあれば思い出すだろう、と楽しみにして、セラフィナは机に向かった。
引き出しを開けて、使っていないノートを取り出す。現状の整理と課題の抽出だ。
ゲームの元になるこの世界は、剣と魔法の世界。魔王率いる軍勢により、人間の居住区域も脅かされている。が、人間も負けていない。この千年、こう着状態が続いている。
次に、現状の把握。
「ヒロイン不在。もしくは全攻略失敗。断罪イベント未発生」
声に出して、確認した。
この後のセラフィナの人生は、まず第二王子アルベルトとの結婚。
感情のない政略婚。
彼の自尊心を刺激し続けるだけの関係。
浮気、子供、見せつけ、逆恨み。
「……全然アウトでしょ」
ため息がでた。
次。
「王子の性格」
セラフィナは、一つ一つ書き出していく。
プライドが高い。
支配欲が強い。
自分が“選ぶ側”でいたい。
好かれていないと察すると、拗ねるより先に攻撃する。
つまり。
「私が興味を持たない限り、悪化しかしない」
そして、セラフィナは、この条件の男に興味がない。
ノートに『無理』と書いておいた。
ただし、今、間違いなくアルベルトとセラフィナは婚約している。この婚約がある限り、結婚だけは避けられない未来だ。
しかも、王家と公爵家の婚約だ。個人の感情によって簡単に白紙に戻る物でもない。
なら、最適解は一つ。
「盤面から降りるしか、ないわよね」
セラフィナは、机に置いてあった地図を引き寄せた。
この世界は、剣と魔法の世界。魔物もいれば、ダンジョンもある。自由に世界を歩き回り、レベルを上げ、スキルを磨く。危険はあるし、怖いことだってあるかもしれない。それでも、決められた未来よりもずっといい。
「――うん、いいじゃない、冒険者」
セラフィナの世界は狭い。
王都から出たこともないし、移動も基本は馬車だ。王都のことすら知らないに等しい。
セラフィナは、胸の奥が高鳴るのを感じた。
「私の世界を、広げましょう!」
幸運なことに、セラフィナは悪役令嬢だ。基本のスペックが高い上に、伸び代がある。魔力量は人並み以上だし、訓練すればするほど上達する。成績も優秀で、王子を追い抜かないよう細心の注意を払っていた。
「問題は」
指を立てる。
「親。資金。身分。安全確保」
家出、ではない。
“戦略的撤退”だ。
「お父様もお母様も、私を溺愛している」
そこは強み。
「でも、これは話が別」
当たり前だが、両親は貴族だ。貴族には、貴族のルールがある。自分の夢を追って生きている人は、少ない。
「説得を含めて、準備期間が必要」
学園卒業直後に消えるのは悪手。
噂が立つ。恥をかかされた、と王子が動く。
「殿下が本気で探し始める前に、立場を確立する必要があるわね」
簡単には探し出せない場所。
冒険者としての実績。
見つかったとしても、連れ戻せない理由。
行方不明になるべきか、公爵家から離れるべきか、身分を隠すだけで良いのか。
その辺は、両親に相談してみよう。
そこまで考えて、セラフィナは背もたれに身を預けた。
「……やることが多いわね」
けれども、不思議と焦りはなかった。
むしろ――楽しい。
詰みだと思っていた盤面に、実は“隠しルート”があると気づいた瞬間の、あの感覚。
「よし」
立ち上がり、窓の外を見る。
夜空には、星が冴え冴えと輝いていた。
「時間を見つけて、王都に出てみましょう。ちゃんと、歩いて見て回らないと」
自分の常識のずれを修正し、情報を得る。
庶民の生活を知り、冒険者になる方法を確認する。
卒業から結婚までは、平均で一年。その期間で、男性は父親から実務を学び、女性は家内の取り仕切りを学ぶ。
セラフィナは女侯爵になる予定のため、さらに領地経営を学ぶ予定だ。
女公爵にならず、家を出るのなら、代替案も考えなければならない。
「その前に……寝ましょう」
セラフィナは、小さくあくびをした。
睡眠不足は判断力を鈍らせる。
これは基本中の基本だ。
ベッドに横になり、目を閉じる。
「ゲームは終わったようだけれど、私の人生は、これからね」
そう呟いて、セラフィナ・アーヴァインは静かに眠りについた。
――
王城の自室は、静かすぎるほど静かだった。
アルベルトは、上着を乱暴に椅子へ投げ、窓辺に立った。
カーテンの隙間から見える夜空は、パーティー会場で見たものと同じはずなのに、やけに遠く感じる。
「……気に入らない」
ぽつりと零れた声に、答える者はいない。
――セラフィナ・アーヴァイン。
アルベルトにとって、彼女は昔から気に食わない女だった。
いつも完璧で、隙がない。
こちらを見上げる視線は、他とは違い“王子”を見ていない。
それどころか、その他大勢を見る視線と、なんら変わらない。
形式的に王族への態度は取るが、中身がない。
女公爵になることへの自惚れか。
あの自信をへし折って、膝をつかせてやりたかった。
それなのに――今日のセラフィナは、違った。
王族への形式すら、なかった。
卒業記念パーティーで殊更に無視していたら、一人で表情を変え出した。いつもと違う行動に、ようやく“王子”の興味を惹こうと考えたか、と近づくと、アルベルトの方が無視された。
あの時の光景を思い出して、アルベルトは、眉間に皺を寄せた。
「……ふざけるな」
彼女は、自分の婚約者だ。
王家と公爵家が決めた、正当な関係。
嫌いでも構わない。
冷たいのも、傲慢なのも、承知している。
だが――
「俺を、無視する権利があると思っているのか」
思い出すのは、最後に見た彼女の表情。
扇子を畳み、柔らかく笑った、あの顔。
いつもと違う表情は、何を示していたのか。
アルベルトは、拳を握りしめる。
これまで、セラフィナは“思い通りにならない女”だった。
だがそれでも、彼女は常に視界の中にいた。
怒らせても、冷たくしても、最後にはアルベルトの世界の中にいた。
しかし――
様子がおかしくなってから、セラフィナが、まるで指の隙間からこぼれ落ちるように、掴みどころがまるでなくなった。
そう気付いた瞬間、アルベルトは背筋が冷えた。
「――許さない」
低く、押し殺した声が漏れた。
何もかもが気に食わない。
王族が掴めない人間など、いるものか。
「あの女は、俺のものだ」
――そうあるべきだ。
碧の瞳が、暗く翳った。




