公僕戦線 (3):古文書の真言と観光の悪魔
文化は守り、観光は破壊する。
戸隠市役所特命係。今回は、市の文化担当、鈴木啓介の戦いだ。
彼のデザインした広報ポスターは、皮肉にも古社の結界を弱め、「無関心の異形」を呼び込んでしまった。
文化財への敬意か、観光による利益か。公務員としての誇りを懸け、鈴木は古文書の真言を武器に、無責任な情報の嵐に立ち向かう。
1.冒頭:特命係の日常と鈴木の焦燥
戸隠市役所、地域振興課特命係。蛍光灯の切れた数が増え、その薄暗さが、まるで彼らの存在の「公的な影」を象徴しているかのようだった。
西田啓太は、特命係に配属されてから、公務員という職業の概念を根底から覆されていた。彼にとっての公務とは、「効率」「公平」「定時退庁」だった。しかし、ここでの公務は、「秘密裏」「命懸け」「際限なし」だ。今や、佐藤剛の無愛想な顔を見れば地盤の安定度がわかり、小林稔の電卓の音を聞けば市の財政危機を察する。彼らの異能は、すべて公務員としての専門知識と、公務に懸けた人生の総体なのだと、西田は理解し始めていた。
だが、最も謎が多いのが、鈴木啓介(42歳、文化担当)だった。
鈴木のデスクは、特命係の混沌を最もよく表している。最新のDTPソフトが起動されたPCの横には、ホコリを被り、虫食いだらけの和紙の古文書が広げられている。そのコントラストは、まるで現代と古代の文明が、一つのデスクの上で辛うじて均衡を保っているかのようだ。
西田は、そっと鈴木に声をかけた。「鈴木さん、その古文書、かなり古いものに見えますが……」
鈴木はメガネを上げ、疲労の滲む目で答えた。「ああ、これは戸隠古社に伝わる、『地脈鎮魂の儀』の写しだ。文化財の価値としては二級だが、地脈への影響力は市内で最も強い。だから、私は今、市の広報誌のデザインと、この古文書の『フォント(筆跡)』の解析を並行しているんだ」
鈴木の業務は、表向きは「観光客誘致と文化財の広報」だ。しかし、最近、彼が管理する重要文化財、戸隠古社周辺で、防犯カメラに「異様なノイズ」が多発していた。それは、ただの電気的ノイズではない。ノイズの波形が、特定のSNSのハッシュタグの文字列と酷似している。
「古社は、この街の地脈を守る結界システムの要だ。だが、この数年で観光客が急増しただろう?観光客誘致のための大規模な改修工事で、結界に使われていた古い石灯籠を撤去した。その時から、力が弱まっている」
鈴木は、自分の広報技術が、皮肉にも古社の結界を弱めているという事実に、深く苦しんでいた。彼がデザインした広報ポスターは、古社を「癒やしのパワースポット」「究極の映え空間」として喧伝し、結果的に人々を「無関心な消費」へと駆り立てていたのだ。
「観光客は、『見る』ことには熱心だが、『敬う』ことには無関心だ。その『無関心の集合意識』が、新たな怪異の温床になっている」
その時、田中課長(58歳)が、疲労を押し殺したような表情で、一枚の書類を持ってきた。
「鈴木くん。辞令だ。戸隠古社の『環境整備のための緊急立ち入り』。直ちに出動せよ」田中課長の目は、珍しく動揺していた。
「地脈の異変は、既に結界のコアに達している。鈴木、聞け。文化財保護は、過去と未来を繋ぐ公務だ。それは、この街の最強の防御システムなんだ。それを破壊する者は、公務員ではない」
2.予兆:広報の呪いと監査の影
特命係のワゴン車が古社に到着すると、その異様な熱気に西田はたじろいだ。平日の昼間だというのに、境内は若い観光客でごった返している。彼らは全員、スマホの画面に釘付けだ。
古社の鳥居には、「#至高の映え空間」「#無心になれるパワスポ」といったハッシュタグが書かれた手書きのプラカードが立てかけられている。これは、市の観光振興課が設置したものだ。
「無関心だ……彼らには、この石灯籠の一つ一つに込められた、何百年もの鎮魂の歴史が見えていない」渡辺が、静かに怒りを滲ませた。彼の『連鎖の鎖』が、観光客の薄っぺらな繋がりを読み取り、不快感を示している。
鈴木は、自分がデザインした広報ポスターを、引き裂きたい衝動に駆られた。彼の異能『広報の呪文』は、文化財を保護するための真言と、現代の広報技術を組み合わせたものだが、その力が、皮肉にも人々を「文化の消費者」に変えてしまった。
「怪異の核は、これです」
鈴木は、最新の計測器を使い、カメラノイズの記録を皆に見せた。それは、古社に奉納されていた「古来の広報文書(写し)」のデータに、現代の無責任なSNS投稿の文字列が、幽霊のように混ざり込んだものである。
「これは、『無関心の異形』の予兆。この異形は、無関心な消費行動というエネルギーで増幅する。最悪の地脈異形だ」
その時、一団のスーツ姿が、大声で規制線を越えてきた。市の観光振興課の、エリート職員たちだ。その中心にいるのは、若手職員の青山慎一。彼は、特命係を露骨に見下していた。
「特命係の皆さん。あなたの地味な調査は、観光振興の邪魔です。この古社は、地域活性化の資源であり、あなた方の不透明な『特殊備品費』を浪費する場所ではありません!」
青山は、田中課長の持つ無線機を指差し、「その古い備品一つ一つが、公金支出の不正の証拠だ」と断じた。彼の主張は、全てが合理的で、公務員倫理に則っているように聞こえる。
「我々が、最も合理的な観光計画を推進する。あなた方のような、非効率な窓際部署は、戸隠市には不要です」
田中課長は、冷徹な目で青山を見つめる。「青山くん。君の行動は、市の文化財保護法に違反している。公務員として、法を犯すのか?」
「法ですか?法は、効率のために存在します!この古社を、もっと『映える』形に改修すれば、財政難も解決する。これが最善の行政判断です!」
渡辺(戸籍)が、端末を操作しながら田中課長に耳打ちする。「課長、青山の『公的な身分』データに、GAIA-Pの活動記録とのリンクがあります。彼は、内部協力者です」
田中課長が静かに頷き、小林稔(税務)が前に出た。
「その判断は、合理的ではない」小林は、電卓を構え、メガネを押し上げた。「この古社の改修計画は、固定資産税の優遇措置が適用されない。観光客が増加しても、市に入る税収は微々たるものだ。にもかかわらず、改修に必要な『公的融資』の総額は、市の財政を破綻させるレベルに達する。これは、観光振興ではなく、公金を外部に流出させるための詐欺計画であると、ここに公的に証明する!」
小林の放った『予算の鉄槌』。論理と数字で武装した言葉が、青山の「合理的という名の虚構」を粉砕にかかる。しかし、その攻防が、結界の崩壊を加速させた。青山の怒りが、異形を呼び込んだのだ。
3.バトル開始:無関心の異形
「黙れ!この税金泥棒どもが!」
青山の怒声が、古社の結界を完全に崩壊させた。結界石が粉々に砕け散ると、境内に、巨大な怪異が具現化する。
ゴオオオオオ!
それは、観光客が撮った無数のスマホ写真の光と残像、そしてSNSの無責任な言葉が渦巻く、「無関心の異形」だ。その姿は実体がなく、光の粒子と情報の残像で構成されている。
異形は、触れた者に「周囲の全てへの無関心」を植え付ける精神攻撃を放つ。
「どうでもいい……どうせ給料は変わらない……」
小林と渡辺が、精神的な攻撃を受け、手元の書類を投げ捨てそうになる。渡辺は、「誰と誰が繋がろうが、戸籍上はただの数字だ」と、公務員としての冷徹な論理に逃げ込もうとしていた。
鈴木は、異形を構成する「SNSの無責任な言葉」に圧倒され、絶望に苛まれた。
「私が……広報の力で、人々を無関心に変えてしまった!私の『広報の呪文』は、この街を破壊している!」
彼の異能が異形に吸収され、「無関心な広報(どうでもいい情報)」として観光客や市職員に拡散されていく。古社は、無関心という混沌に飲み込まれ、建物の色さえ失っていく。
「公務を放棄するな!鈴木!」田中課長の声が響いた。田中課長は、無線機を強く握りしめ、彼の『危機管理の目』で異形の活動パターンを分析している。
「西田!マニュアル通りに動け!『緊急避難誘導広報』を発動しろ!公的な規範の正確性が、異形にわずかな実体を与える!」
西田は、恐怖を押し殺し、マイクを握る。
「こちらは戸隠市役所です!文化財保護法、第百条の五に基づき、境内を緊急閉鎖します!直ちに安全な場所へ避難してください!」
「公的な規範の正確さ」を伴う西田の放送が、異形にピシリと亀裂を入れた。
その隙に、佐藤(土木)が『地盤操作』を発動。
「文化財だろうが何だろうが、俺の管轄は『地盤』だ!」
佐藤は、境内の石畳の下にある古い基礎コンクリートを隆起させ、物理的な結界を一時的に再構築。異形の動きを封じた。
「鈴木くん!残る手段は、『真の公的情報』の開示だけだ!お前の文化への敬意を、フォントに込めろ!」田中課長が叫んだ。
鈴木は、DTPソフトに古文書の真言を打ち込み、異能を最大限に発動させた。彼は、古文書の「筆跡」に込められた「文化への敬意と継承の意志」を、最新技術で再現された『正確なフォント』としてデータ化し、古社の空に映し出す。
「文化財保護法第百一条、戸隠古社境内地、無許可立ち入り禁止!」
鈴木が放ったのは、単なる文字ではない。何世紀にもわたって受け継がれた「文化を守る公務の意志」そのものが、デジタル情報となって異形の核に突き刺さった。
文化への「強い関心」という公的情報の波が、異形の核である無責任なSNS投稿データを上書き。「無関心の異形」は、敬意を込めた『正確な文字の奔流』に飲まれ、静かに消滅した。
4.終幕:古社と観光の未来
戦闘は終結した。古社の境内には、元の静寂が戻った。観光客たちは、我に返り、「あれ、私、なんでこんなに写真を撮っていたんだろう」と困惑した表情で帰路につく。
事後処理は、特命係の得意分野だった。古社の被害は「改修工事に伴う機材の故障」として処理され、鈴木主導で、「文化財保護」を最優先とした新たな広報計画が策定された。
一方、青山は、完全に打ちのめされていた。
「なぜだ……私の計画は、合理性において完璧だったはずだ!」
小林が、彼に一枚の「採算性分析報告書」を突きつけた。
「青山さん。あなたは、観光客の増加率という主観的な数字に踊らされ、固定資産税の優遇措置を見落とした。これは、行政のプロとしては致命的なミスだ。あなたの『公的権限』は、この報告書をもって、公的に無効となります」
青山は、市の財政を破綻させるための『公金流出計画』を推し進めていたのだ。彼は、特命係の面々に一言も発することなく、市役所から静かに姿を消した。
鈴木は、西田に語りかける。彼の顔には、自らの仕事への誇りが戻っていた。
「西田くん。公務員は、嘘のない情報を届ける義務がある。広報の力は、文化の力を守るための、最も重要な武器なんだ」
田中課長は、無線機を静かにしまい、険しい表情でチームを見渡した。
「今回の事件で確信した。我々を追う別の人間組織(GAIA-P)は、公務員の身分を偽装して、市役所のシステムに侵入している。彼らは、我々の『公的権限』そのものを乗っ取ろうとしている」
田中課長は、チーム内で最も情報に強い渡辺に、新たな辞令を出した。
「渡辺くん。君の『連鎖の鎖』を使って、市役所内にいる『裏切りの協力者』を特定しろ。奴らは、我々の戸籍・住民データのサーバーを狙っている。戸籍とは、この街の住民一人ひとりの繋がり。それが断たれれば、この街は完全に崩壊する」
渡辺は、静かに頷いた。彼の次の戦いの舞台は、最も静かで、最も危険な場所――市役所内のサーバー室。彼の公務員としての、最も暗い過去が、今、暴かれようとしていた。
**第3巻完**
広報は武器となり、鎖は試される。
お読みいただきありがとうございます。
鈴木は、公務員としての知識と技術で、街を救いました。しかし、敵の正体は、依然として市役所に潜む「公務員を偽装した人間」である可能性が高まっています。
次なる戦いの焦点は、チームの情報源である戸籍担当・渡辺義雄。彼の『連鎖の鎖』が、裏切り者の影と、自身の最も暗い過去を暴き出します。
『公僕戦線第4巻:戸籍の絆と断たれた連鎖』にご期待ください。




