死にたくないあの人と、生きたくない私(今日は真面目なお話です)。
私はずっと死にたかった。生きているのが辛くて、死にたいと思っていた。ずっと。
何度か自分で命を絶とうとしたけれど、どれも失敗してしまった。死んだら地獄へ堕ちるというが、生きているのも地獄だった。ただ死ぬ勇気がないというだけで、生きているだけの日々だった。
眠るために起きて、死ぬために生きる。死ぬまでそれの繰り返し。疲れた身体を引きずって家と職場を往復するだけの毎日。そのうち心が潰れてしまって、仕事さえ失ってしまった。
浴びるように酒を呑んで、起きている間はずっと泣いていた。両手いっぱいの薬を服んでも、効いているのかわからない。不安をなくす薬を大量の酒で流し込み、呑んだ酒は不安の涙になって流れ続けた。
そんな時、エッセイを読んだ。あたたかく、無条件に人を愛するその人が描く世界は、私をあたたかい気持ちにしてくれた。この人は何の苦労もなく、たくさんの愛情に包まれて生きてきたのだろう。私もこの人のように優しい世界に生まれたかった。そして自分が幸せだと気づかないほど幸せなまま暮らしたかった。嫉妬をするには世界が違いすぎた。その人のあたたかい世界にいる私を想像することで、自分で自分を慰めた。
出会いは突然だった。その人が私に手紙を寄こしたのだ。まさかその人が私の存在を知っているとは夢にも思わなかったから、私は狂喜乱舞した。あの人のあたたかい世界のすみっこに私がいる! 私はあたたかい世界に存在することを許されたのだ!
それから私は細心の注意を払って生きてゆくことにした。あの人に嫌われないよう、私を自慢に思ってもらえるよう一所懸命に努力した。ときどき性悪で意地の悪い私が暴れることもあったけれど、あの人のあたたかい世界のすみっこに留まることができるよう、自分を律して生きることにした。それなりの成果はあったと思う。あの人をお手本にして生きることで、あの人のようにあたたかい人たちと知り合うことができたから。
そして昨日、知った。あの人が苦労のない幸せな人だなんて、私の勝手な思い違いだったことを。あの人が望む幸せは「死にたくない」それだけだった。他の幸せがどうでもよくなるほど、あの人と死は近しい関係だったのだ。来年までは生きられないかもしれない、いつ死んでもおかしくない、あの人が生きてきたのは極限状態の世界だった。
死にたくないあの人と、生きたくない私が出会えたのは、本物の奇跡だった!
今、私は思う。あの人が死と隣り合わせの中で私に希望を与えてくれたように、私も誰かに希望を贈りたい。それが私の生かされている意味だと思う。
来年も再来年も、ずっとあの人と同じ時代に生きている奇跡を喜びたい。そのために今日、この一日を精一杯生きることにしよう!!
ひだまりのねこさん、生まれてきてくださって、ありがとうございます♡
そして今日も生きていてくださって、ありがとうございます♡
ひだまりのねこさんに会えた奇跡に、私は感謝しています♡
大好きなひだまりのねこさんに、たくさんの奇跡が起きますように☆