7.不思議なしゃべる犬のハッピー
魔王の城での暮らしは驚きの連続だった。
私にあてがわれたのは、城の二階にある一室だ。
窓からはガルと出会った庭園が見える。
「ついさっきまで、あそこに居たのよね……」
庭園を見ていると自然に彼とのやりとりを思い出す。本当、魔王らしくない人だったなぁ。
今までに聞いた伝承によると魔王は血も涙もないような残酷で恐ろしい存在だったはずなんだけど。
あのガルトマーシュという魔王は残酷どころか、人情味のある親しみやすい人だった。
指輪に吸い込まれそうになりながら必死で耐える彼の姿を思い出して、クスッと笑い声が洩れてしまう。
それにしても私が聖女だなんて急に言い出されてびっくりしたなぁ。
正直、まったく実感がわかないし、あの時は何かの偶然でたまたま能力が使えただけなんじゃないかって思う。
今まで生きてきて聖女らしい出来事なんて一度も無かったし、何よりも王国には教会や王家が認める聖女のマリアンヌがいるんだから、私が本物であるはずがない。
……でも真実はどうであれ、今は聖女だと思われてる方が都合がいいのよね。でないとこの城を追い出されちゃうだろうし。
そんなことを思いながら窓の外を眺めていると、ドアに何かぶつかるような音がして私は振り向いた。
ドン、ドンッ……ドン、ドン……
「何かしら?」
不思議に思ってドアに近づくと、向こう側に誰かが居るような気配がして、カリカリカリカリと奇妙な音がする。
どうやら硬い何かでドアを引っかいているらしい。
好奇心に駆られた私がドアを開けてみると、目の前にはフワフワしたクリーム色の毛の犬がフサフサの尻尾を振って座っていた。
まるでたれ耳のウサギのような長い耳をしているが、顔は犬だからたぶん犬だろうなぁと思う。
「まぁ、可愛いワンちゃん! どこから来たの?」
犬は愛想よく尻尾を振って、期待に満ちた表情をしている。とても人懐っこい。
両手を広げて抱き込もうとすると、犬は喜んで飛びついて来た。
フワフワの毛が気持ちいい。
抱きかかえるには少し大きすぎるサイズだったので、背中を撫でてやるとクンクンと甘えた声を出した。やっぱり犬だ。
ひとしきり撫で終わると、犬は満足した様子だった。
「あなた、お名前はなんていうのかしらねぇ?」
もちろん独り言だ。返事が返ってくるわけが無い。
――はずだったんだけど。
「ハッピーよ!」
「えっ、しゃ、しゃべった? ……ハッピー?」
「ハッピー。私のお名前。ガル様がつけてくれたのよ、とってもキュートで素敵でしょ!」
ハッピーと名乗る犬は、幼い女の子のような声で話した。
「あのね、キールにね、夕食の用意ができたからシエラを呼んで来なさいって頼まれたの。だからハッピーがきたのよ!」
「夕食……」
そういえば酷くおなかが空いていることを思い出した。
森を彷徨っている時は気が張っていて、空腹なんて感じる余裕も無かったけど。
こうやって綺麗な部屋で落ち着いていると、いっきにおなかが空いてくる。
「ご飯食べないとおなかが空くよ。シエラ、ハッピーについてきて!」
私はハッピーに案内されて食堂へと足を運んだ。
城内はすばらしく豪華というわけではないが、廊下には等間隔で灯りも整備されているし、ちゃんと掃除も行き届いていて清潔感がある。
「ここが魔王の城だなんて、とても思えないわね」
「シエラは魔王ってどういうイメージなの?」
「そうねぇ。噂で聞いたり書物で読んだだけだったけど、邪悪でとても怖い存在だと思ってたわ」
少なくとも、あんな美形だなんて一言も書いてなかったわよ……と心の中で付け加える。
「ガル様は魔王だけど怖くないよ。いつもハッピーを撫でてくれるもん!」
「そうね、怖くなかったわ」
食堂に到着すると、そこには大きなテーブルに盛られた料理と、たくさんの異形の姿があった。
大きな角とコウモリのような翼を生やした者や、一つ目の大男だったり、半獣と思われる者、そして手足の多い者など……明らかに魔物として人々から恐れられるであろう存在が一堂に会してこっちを見ている。
「これはこれは。魔物の集うディナーへようこそ、聖女殿」
入り口でキールさんが、皮肉めいた調子で声をかけてきた。
私は自分に視線が集中しているのを感じながら食堂の奥へと進む。
「驚かれましたかな? 城の皆さんが、ぜひ聖女殿のお姿を見たいと集まって来たのですよ。……まさか、聖女ともあろうお方が異形の者たちを見て、怖気づいたなんてことはございませんよねぇ?」
「え、えぇ」
「おや、てっきり恐怖で気絶するか、もしくは即お部屋にお戻りになるかと思っておりましたが。なら結構です。どうぞご着席くださいませ」
キールさんが涼しい顔で嫌みったらしく言った。
もちろん、異形の姿をこの目で見て驚かなかったわけではない。
だが、私は庭園でガルと対峙した際に言われたことを思い出していたのだ。
『……いいぜ、俺を封印しても。だが、その代わりひとつだけ頼みがある』
『頼み?』
『この森や城に居る魔物たちのことは見逃してくれないか』
『あなた、さっき城主って言ってたけど、この城に家来たちと住んでいるの?』
『あぁ。皆、とても良い奴らだ。だから俺はどうなってもいいから、家来や周囲に住む魔物たちのことは助けてやってほしい』
そう言った時の彼の瞳は、真実を語っているように見えた。
魔王であるガルが、わざわざ彼らの助命を願うほどだ。家来たちのことを本当に大切にしているに違いない。
ならば、私も彼らに礼を尽くすべきだと思った。
「……いえ、その前に集まってくださった皆様にご挨拶を」
「なに⁉」
私は集まった魔物たちに、ニッコリと微笑みかけた。
「皆様、私はシエラ・ノイシュタールと申します。お目にかかれて大変うれしく思いますわ。今日よりこのお城でお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」
「……聖女が俺たちに挨拶しただと?」
「どういうことだ?」
「人間のくせに、我々のことを恐れないのか?」
「ガル様と和解した、というのは本当だったのか?」
魔物たちは完全に予想外だったようで、顔を見合わせている。