13.水の精霊アリステア
私たちが小屋の外に出ると、グラスは手綱を口に加えて一緒に付いて来る。
ガルが手綱をグラスに装着すると、グラスはゆっくりと手足を曲げて姿勢を低くした。
「背中に乗っていいってさ」
「えっ、乗っていいの……?」
そう言われても飛竜になんて乗ったことが無いし、どうしたらいいかしら。
「そういやシエラは初めてなんだよな。よし」
「きゃっ!」
ガルは私を抱きかかえてグラスの背に乗せると、自身もその背にまたがり、私を後ろから抱きかかえながら手綱を持った。
「あ、ありがとう」
彼の体温が背中越しに伝わって、胸が高鳴る。
「よし、しゅっぱーつ!」
「えぇっ、これ大丈夫なの……きゃぁぁぁぁぁ!!」
ばさりとグラスの翼が動くと風で髪とドレスが巻き上げられた。
ふわっと、体が浮き上がったような感覚がして、思わず下を見ると地面がどんどん遠ざかっていく。
あっという間にお城の屋根よりも高く、遥か上空に来ていた。
「どうだ? 飛竜に乗るのは楽しいか?」
「え、えぇ……」
正直に言うと、翼が動くたびに揺れるので少し怖い。
でもガルが後ろからしっかり抱きかかえてくれているおかげか、多少は周りを見る余裕はあった。
「すごい景色……」
「いい眺めだよな。ほら、あっちがシエラの居た王宮だ」
彼の指差した方向に小さく王宮が見えるような気もするが、私には遠すぎてよくわからない。
山も川もさっきまで自分たちが居たはずの魔王の城でさえも、何もかもが小さく精巧に作られた置物のように見える。
どこまでも青く晴れ渡った空が広がっていて素晴らしい開放感だ。
慣れてくると、グラスの翼が動くたびに風が頬に当たるのも心地よく感じる。
「グラス、このままアリスの泉に連れて行ってくれないか」
グラスは返事をするようにクォォォンと鳴くと、尻尾を振りながら曲線を描くようにしてゆるやかに方向を変えた。
「この城の周辺に魔物たちが集まって暮らしているのは、俺が居るからという理由もあるんだが、豊かな水源があるというのも大きな理由なんだ。生活に水は欠かせないからな」
「その豊かな水源っていうのが、さっきガルが言ってたアリスの泉なの?」
「あぁそうだ。その泉には昔から水の精霊が住んでいてな。その加護のおかげで俺たちの城やその周囲では清潔な水がいくらでも手に入るんだよ」
「すごいわね。水の精霊ってどんな姿なのかしら?」
この世界には火・水・風・土を司る精霊が存在する。
私も魔法に関する書物で精霊が存在するということは読んだことはあるが、その本には精霊がどんな姿なのかの記述は一切なかった。
そもそも、普通は人間の前に姿を現さないから見る機会なんてまず無いわけで。
やはり水の精霊は水みたいに透き通ってたり、そもそも形が無かったりするのかもしれない。
「泉に行けば会えるからすぐにわかるさ。まぁちょっとクセのあるやつだが……悪いやつじゃないから」
どうやら、ガルはその精霊のことをよく知っているらしい。
私たちが話をしている間にグラスはどんどん高度を下げていき、エメラルドブルーに美しく輝く泉のほとりに降り立った。
泉は透明度が高くて水の底がはっきり見える。
「とても綺麗ね」
こんこんと湧き出ている澄んだ水にそっと手を浸してみると、ひんやりと冷たい。
グラスも喜んで、顔を泉につけて美味しそうに水を飲んでいる。
「おやおや、誰かと思えばガルトマーシュ君じゃないか! ようこそ我が友よ!」
爽やかな透明感のある声がして顔を上げると、銀髪で白を基調とした派手な服装の男性が水面に立って両手を広げている。まるで舞踏会に出かける貴族のような格好だ。
「アリス、実は――」
「ほうほう、ついにガルトマーシュ君にも恋人ができたのかね。うんうん、大いに結構じゃないか! ならば特別にこの私が祝福してあげよう! さぁ、この美しい泉で存分に愛を語りたまえ。私がすべて見届けてあげよう!」
「バカ野郎! そんなんじゃねぇし。そもそもテメェが見てるのに愛なんか語れるわけねぇだろ!」
「なんだ、違うのかね。せっかく良い娯楽ができたと喜んだのに」
「人の恋愛を娯楽扱いするんじゃねぇよ!」
――なんというか……確かにクセのある人かもしれない。
「彼女はシエラだ。昨日からうちの城で暮らすことになったから、アリスのこと紹介しとかないとなぁと思ってさ」
「ほう。これはこれは美しいお嬢さん。私はアリステア。御覧の通り、この泉に住まう水の精霊だ。気軽にアリスと呼んでくれたまえ」
アリステアと名乗る精霊は水面を滑るように近寄ってくると、私の左手をとって、その甲にうやうやしく唇を落とした。