アケーシャの叶わぬ恋と時戻り -07-
「今日から学園がはじまるのね、憂鬱だわ……」
アケーシャの口から、深いため息が漏れる。
「赤点なんて取ったら、きっと私は人知れず処刑されるのよ」
「はは、姉様が赤点を取る試験って、どれだけ難しいんですか? 赤点どころか他のみんなは0点ですよ」
「エイデン、冗談ではないのよ。本気で言ってるんだから。もう私の頭は王妃教育だけで爆発しそうなのよ?」
「はい、はい」
軽く流すエイデンの顔は、いつも以上に笑顔だ。基本エイデンはアケーシャといる時だけは、笑顔を絶やさない。そのことに、アケーシャも気付いている。
「姉様、俺は今、すごく嬉しいです。姉様の制服姿を一番に見れたのだから。本当にとてもお似合いです」
「ありがとう。少し恥ずかしいけれど、とっても嬉しいわ」
優しい笑顔で真っ直ぐに見つめられたアケーシャの頬は、少しだけ赤く染まる。
「ただ、心配なのは、姉様に変な男が寄り付かないか、です」
「あら、私が王太子殿下の婚約者なのはもう有名な話よ? それに、そんな物好きな人いるわけないじゃない」
ふふっと微笑むアケーシャに、今度はエイデンがわざとらしくため息をつく。
「姉様は自分が分かってないんだから。まあ、残念なのは、俺が一緒に通えないこと。早く来年にならないかな。もちろん毎日一緒に通いましょうね」
「エイデンったら、私の入学式もまだ始まってないのに、もう来年の話? ふふ、もちろん楽しみに待っているわね」
約束の指切りをして、エイデンの絶賛の声に押されながら、学園へと向かった。
「来年はエイデンが入学か。エイデンの制服姿もきっと似合うわね」
来年のことを思い浮かべながら、ふふっと笑う。こうして自然と笑えるようになった理由を、アケーシャは気付かないふりをする。
「エイデンの笑顔は私が守らなきゃ。だって、私はお姉ちゃんなんだもの」
心がズキンと傷んでも、エイデンを失うかもしれない恐怖と比べたら、ほんの些細なこと。だから、絶対にそれ以上は求めようとはしなかった。
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入学式を終え、教室に戻ろうと中庭の横の通路を歩いていると、聞き覚えのある声が耳に届く。
「君の名前を教えてくれ。俺は、君にずっと会いたかったんだ」
突然聞こえてきたその声に、辺りが騒然とする。
「この声は、王太子殿下よね?」
声のする方におそるおそる目を向けると、目を疑うような光景を目の当たりにしてしまった。
「きゃあああっ!!」
同時に、悲鳴にも似た声が、周囲の女子生徒から漏れる。
ダニエルが女子生徒の手を取り、その手に口付けをしていた。
「もしかして、あの子が? でも、こんなに大勢の生徒が見ている前で、そんなことしてしまったら……」
アケーシャの嫌な予感は的中した。その噂は瞬く間に広まり、全校生徒の知るところとなる。
「スコット男爵家の御令嬢だって。ミモザって言うらしいわよ」
「えっ? だって、王太子殿下って婚約者がいらっしゃるわよね?」
「ええ、アケーシャ様よ。お可哀想に」
「あの男爵令嬢でもいいんだったら、私もアタックしてみようかしら?」
もちろん、アケーシャの耳にも、それらは届く。
ただ、肝心のアケーシャは、というと、ダニエルに対する想いはすでに冷めきっていたし、好いた女性がいることにも気付いていた。
だから、あの時の二人の姿を目の当たりにした瞬間、全てを理解していた。
「やっぱり彼女こそが、王太子殿下の想い人なのね。まるで私とは正反対のとても可愛いらしい子……」
ミモザは、ピンクブロンドのゆるくウェーブのかかった髪に、大きくぱっちりとした瞳、ほんのり赤く染まる頬。彼女を取り巻く全てが可愛らしくて、守ってあげたくなるような女の子だった。
アケーシャは、二人に文句を言ったり、忠告したりするなど、二人に関わろうとする気にもならなかった。それどころか、
(もっと上手くやればいいのに、そしたら、一時の火遊びだって、きっとみんなが笑って許してくれるのに……)
学園にいる時だけの一時的なもの、と笑って許される。男爵令嬢ごときに本気になるはずがない、と。
(本気だって気付くのは、私だけで済むのに……)
たとえ本気だとしても、学園の中だけではダニエルの気の済むように、黙っていようと決意していた。
ところが、周りはそうは思っていなかった。
「アケーシャ様がお可哀想」
「アケーシャ様の方がお綺麗なのに」
「すぐに飽きて、アケーシャ様に戻られるわ」
心底どうでもいい話だった。それなのに、いつしか、その御令嬢たちがミモザを虐め始めた。
「アケーシャ様のため」という大義名分の下、少しの忖度と男爵令嬢ごときが気に食わない、という思いから、始まったものだった。
ミモザがそのような状況下に置かれたことに、もちろんすぐに気が付きはした。だけど、見て見ぬふりをした。
「私には関係のないことだわ。それに、全て自分たちが巻いた種じゃない」
少しだけ、虐められるミモザのことを、いい気味だ、と思ってしまったが、それも一瞬のこと。
「だめね、こんな邪な気持ちでは、王妃失格だわ」
すぐに自分を律し、懺悔した。
「あーあ、早く来年にならないかしら」
来年、エイデンが入学してくることだけが、すでに学園生活の唯一の楽しみになっていた。