アケーシャの叶わぬ恋と時戻り -05-
「アケーシャ、そこにいますね?」
「……はい」
王妃の言葉で現実に引き戻され、涙を流していないことを確認し、すぐさま返事をする。できる限り、感情を押し殺して。
部屋に入るなり、王妃はアケーシャを試すように端的に告げた。
「服を脱いでください」
「はい、『印』があるかどうかですね。どうぞご確認ください」
毅然とした態度で王妃に接した。本当はすぐにでも大声で泣き叫びたかった。だけど、泣くことは決して許されないと分かっているから。
(婚約の儀の一環よ、王家の決まりごとなのだから。私には王妃になる資質がある、王妃にならなければいけないの。お父様もお母様も、みんながそれを望んでくれているのだから)
そう思い込ませることで、なんとか壊れそうな精神を保っていた。
「私の言いたいことがよく分かりましたね。それでは見させていただきます」
王妃は、自身の身体を確認することを快諾したアケーシャの頭の良さに感心しながら、穏やかな顔でアケーシャの身体にあるはずの印を探した。
次第にその表情は曇り、最後には血相を変え部屋を出て行ってしまった。
得体の知れない不安が、現実のものとなった。
「まさか、私の身体に『印』が見つからない? もしかして、私に王妃としての資格がないってこと? でも、これできっと、婚約の話は無かったことになるはずよ……」
それなのに、婚約が正式に結ばれてしまった。
******
「もう、いやだ……」
公爵邸に戻ったアケーシャは、両親が喜ぶ中、一人屋敷を飛び出して、あの祠の前に来ていた。
そして、泣いていた。大声を出して泣くのは、いつぶりか、アケーシャにも分からない。
「ううっ、初めてのキスだったのに、好きな人としたかったのに、好きでなくても、せめて、私のことを大切に思ってくれる人としたかった。それなのに……」
あんな風に、乱暴にキスをされた。自分のことを人とも思っていないような人に。
だけど、婚約が結ばれてしまった。
そのことを思い出しただけで、身体の震えが止まらなかった。涙が溢れ出して、もう止まらなかった。
「しかもね、私に『印』が見当たらないんですって。王太子妃としての資格もないのよ。それなのに、どうして? 私、今まで頑張ってきたのよ? ただ、みんなの期待に応えたかっただけなのに、幸せになりたかっただけなのに、ただ、愛されたかっただけなのに……」
ざわわ、とあたたかい風が吹いた。
アケーシャを包み込むように優しく。まるで、祠にいる誰かが、慰めてくれている気がした。
「慰めてくれるの? こんな私なのに? ふふ、ごめんなさい。こんなに愚痴ばっかり言ってしまって。いつもお話を聞いてくれてありがとう。私、もう少し頑張ってみるわ。きっと、今がだめでも、もう一度一からやり直せるはずよね? 諦めなければ幸せになれるはずよね? 私、幸せになるために、頑張るから……」
もう一度、ざわわ、と風が吹いた。
******
それから、未だ印を授かることのできないアケーシャは、授かるまで定期的にダニエルとキスをしなければならなくなった。
「これから王太子殿下を好きになればいい」
キスをしなければならないと聞いた時は、ダニエルとの幸せな未来を描いていた。
「王太子殿下とキスをすることが私の義務」
そう思い始めていた。もうすでに、心はなかった。
アケーシャは、二度目であっても一度目のキスの時と同様に、心臓が飛び出るのではないかというほど、鼓動の高鳴りを感じた。
同時に、恐怖が襲う。
あの乱暴なキスが、心のこもっていない冷たいキスが、脳裏に浮かぶ。
(嫌だ、怖い、ーー私に触れないで)
しかし、拒むことなんてできない。ただ、心を殺して、人形のようにその行為を受け入れた。
その度に、アケーシャは祠に行った。少しずつ涙も枯れ始めた。
そして、アケーシャの精神に追い討ちをかけるように王妃教育が始まった。毎日毎日、吐き気がするほど厳しい王妃教育を受けた。
未だ印を授からないことに嫌味を言われながら、暗に全てをアケーシャのせいにされた。
逃げるという選択肢は、ない。
いつしか、あの祠にも足が運べないほど、追い込まれていった。
もう何度目か分からないダニエルとのキスを終えた頃、アケーシャは“とある噂”を耳にしてしまった。
ダニエルには、アケーシャと婚約する前に好いた女性がいた、という噂を。
アケーシャの中で、全ての疑問が一本の線で繋がってしまった。
「やっぱり、王太子殿下はすでにその方とキスをしていて、それを言えないでいるのね……」
しかし、ダニエルがその事実を認め公表しない限り、どうすることもできない。
アケーシャ側からは、ダニエルを咎めることも、問い質すことさえも、不可能だっだ。
(きっと、王妃陛下も知っているのね。知っていて……)
怒りの矛先をアケーシャに向けた。ダニエルを思うばかりに。
もう、逃げ場も、味方もいなかった。