その二
ヘンリーは男の書いた衝撃的な内容の手記に戦慄するとともにひどく感銘を受けた。特に刑務所を糾弾する内容は正にその通りの仕組みがなされていたからである。
男とヘンリーの手紙によるやり取りが続いていたある日、男の懲役が確定する。最も過酷と言われる刑務所に移送されての懲役二十五年の刑だった。
容疑はラジオの窃盗だったにも関わらず懲役二十五年というのはあんまりな判決だった。男が司法取引に乗らず、口汚く裁判官や検事たちを罵り、この上なく心象を悪くしたためとも言われる。
だが、男はこれまでに二度に渡って司法取引の約束を反故にされていたのだから、その反応は当然だったのかもしれない。
男は自らが行ってきた殺人についても自供していたが、それについては証拠が見つからず男のハッタリ、もしくは裁判を長引かせる為の嘘と判断された。
移送される日が間近に迫ったある日のこと。ヘンリーは刑務所長に呼び出され、こう申し付けられた。
「お前はあのイカれた奴のお守りだ。何故かあいつはお前にだけは懐いているようだからな。移送も近いから脱獄には十分に注意しろ」
獰猛な獣を扱うかのような物言いにヘンリーは内心眉を顰めつつも、厳粛な態度で敬礼をする。
夕暮れ時。男の独房に点検の為足を運んだヘンリー。鍵を開けると、誰が来たのか窺っていた男が部屋の真ん中に立っていた。ヘンリーだと認めると、虎のように鋭い眼光が幾分緩んだ。
「あんたか」
穏やかな笑みを浮かべながら、ヘンリーは男の後ろにある小さな窓を指し示す。到底人が通れる大きさではないのに、外側には鉄格子が張り巡らされている。
「なあ、君はあんなに綺麗な夕陽を見た事があるかい?」
その瞬間、男の瞳が鋭さを増した。斜に身構えヘンリーが右手に持つ棒を注視しながら敵意を剥き出しにする男。
まるで臨戦態勢に入った虎のようだとヘンリーは思った。
「なぜ俺に後ろを振り向かせようとする?」
「ああ、これかい? あの窓を調べないといけないのさ。他意はないよ」
男は尚も警戒している様子だったが、ヘンリーの意図を汲み、ようやく緊張を解き。
「前に同じように後ろを向かせて、その隙に棒で打ち据えてきたやつがいた。あんたもそうするのかと思ってな」
「私はそんなことはしないよ。絶対に」
そう言って、ヘンリーは窓に歩み寄り点検を始めた。すぐ後ろには男が自分を見下ろし立っている気配を感じる。
「夕陽なんかに気を向かせようとしてすまなかった。君は今、そんな穏やかな気持ちでいられるはずないよな」
点検を終えたヘンリーが独房から出ていこうと、入り口の鉄格子の前で男に向き直る。
「……あんたは勇気がある」
静かに男が呟く。
「だがな、二度と俺に背中を向けるな。それは余りにも危険な行為だ」
語気を強めて吐き出すように言った男に対して、ヘンリーは微笑して首を振った。
「勇気があるんじゃない。君が私に何もしないのを知っているだけさ。友達じゃないか」
「……ああ。あんただけは殺したくないよ。だがな、俺は何をしちまうか自分でもわからないんだ。自分の怒りや感情を制御することができない人間なんだ。だから、気をつけろよ」
後日、男は服役する刑務所に移送された。
そして移送されてすぐに、男は不当な暴力を振るう洗濯場の作業監督を殺したのだった。
『どうか俺を殺してくれ』
時の大統領に対して男は死刑を望む直訴状を送った。男は自らの怒りや憎悪の感情すらコントロールできないことを心底嫌悪していたのだ。
死刑判決が下ると、男は抗告を拒み弁護人も断った。
折しも死刑制度反対の運動が高まる世論で、それに伴う活動家たちがこぞって面会を求めてきた。しかし、男はその人々を偽善者と罵り話をしようとはしなかった。
男の死刑判決を聞いたヘンリーは減刑を求め奔走しつつ、男に宛て手紙を書いた。
『君が根っからの悪人だとは私には思えない。君は知性があり、この国の刑務所の制度のどこがいけないのかをよく理解している。君の書いた手記を世の中に広めようと今手を尽しているんだ。刑務所内の実状を世間に知ってもらい、腐ったシステムを変えることに一役買うことができれば恩赦を受けることも可能だ。もし塀の外に出ることができれば、美味しいご飯を食べて温かいベッドで眠り、真っ当な仕事に就いて失った時間を取り戻すことができないだろうか?』
しかし、その行為を他ならぬその男自身に窘められたのだった。
『すっかり感傷的になっちまってやがる。いい加減に目を覚ませよ若えの。俺は善人になる気なんざこれっぽっちもないんだぜ。あんたは住む環境を変えるだけで人は改心できると思っているようだが、それは大きな間違いだ。確かにキリスト教徒以上に敬意なクリスチャンを演じることは簡単さ。だが今んとこ俺は自分やあんたや社会を騙してまで生きようって気はねえ』
男は自分が既に戻れないことを悟っていた。
『更に言うなら、俺は例え変わりたいと願ったとしても変わることはできねえんだ。俺は三十年以上を掛けて今の俺になったんだ、今更黒が白になることはあり得ねえ。もし変わることができるとしても、そのためには俺が生きてきた倍以上の時間が必要だろうよ。それなのにどうしてあんたは俺が善人になれると信じてるんだ? だけど不思議だなレッサー……。なんであんたみたいな人間が俺なんかをそんなに気にかけるのか。願ってるわけじゃないし望みも抱いちゃいないが、あんたの善意や好意を無下にするつもりもねえ。だからこれは独り言みたいなもんだが、もし自由を手にすることができたなら誰もいない静かな島で暮らしてみたいもんだ。或いはあんたみたいな大人がガキの頃の俺の側にいれば……な。あんたみたいな人間がこの国の狂った社会を変えられることを祈ってる。あばよ』
男は絞首台に登った。虎のように鋭い眼光には社会を、そして己を憎悪する炎が宿っているかのようだった。
最期に言い残す言葉はあるか? 執行人の言葉に男は鼻を鳴らし笑ってみせた。
「ああ、あるね。とっとと仕事しろよ、このノロマめ。お前みたいな田舎者がチンタラやってる間に俺はワンダース分の人間を括り殺せるぜ」
数秒後、絞首台の床が開き、男は刑場の露と消えた。
男と奇妙な友情で結ばれていた看守ヘンリー・レッサーは、男の刑死後も手記を広めようと尽力した。様々な方面から反対されながらも、男の死から四十年後、遂に出版へとこぎ着けそれはベストセラーの大ヒットとなったのだった。
男は生まれながらの異常性格者ではなかった。多くの少年を犯してきたが生まれながらの同性愛者でもなかった。多くの人間を殺してきたが快楽殺人者でもなかった。
男は自分が殺している人間が自分と同じ惨めな人間だと知っていた。男は自分がこの文明社会において生きていてはいけない人間だと知っていた。
決して許されぬ罪を犯してきた男だが、彼もまた当時の狂った社会の犠牲者だったのかもしれない。
参考文献
全米メディアが隠し続けた第一級殺人 (扶桑社)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
殺人博物館