一年目、夏 ③
「そうですか―良かった。どうにか長続きしてくれるといいですね。」
「まー、まー、なんとかやってみますよ。」
希乃店の従業員募集の件はひとまず落着しました。全部で6件の面接を行い、その内、高校生と大学生を1名ずつ採用したとのことでした。それを聞いて一安心すると共に、ここからが本番です。定着するか戦力となりうるか、オーナー不在でも店を任せられるか。その教育は経営者の仕事です。各店舗の従業員はオーナーさんに雇われているのであり、SVに従業員を指導したり命令する権利はありません。それではどうやってオーナーさんに協力するか。そこがSVの腕の見せ所です。
オーナーさんに資料をお渡ししました。間違っても他の人に見せないで下さい。店に置いておくのではなく持ち帰って頂くのが望ましい、というメッセージと共に。
「え、ん~~。ああ・・・なるほどね。了解しました。」
オーナーさんも簡単に目を通しただけで私の言わんとすることをご理解頂けたようです。『ゆとりとさとりの若者達』。別に書籍や雑誌の切り抜きなどではありません。私の作成した資料です、死神時代の記憶を基に。当人達からすれば腹立たしいことこの上ない内容ということだけは間違いありません。
「では、これで失礼します。お忙しい所すみませんでした。調理麺、くれぐれも無理しないで下さいね。」
30分も滞在しませんでした。
「本当にいいの?DMから何か言われない?」
「ん?DMさんは関係ないですよ。本番は梅雨明けからです。今、頑張ったってそんなに売れませんよ。売れたら発注するような形で構いません。欠品するくらいでOKと考えて下さい。廃棄予算を昨のは7月以降ですからね。梅雨時は客数が減ります。気持ちは分かりますが勝負する時ではありませんよ。」
3年以上経験を積んだオーナーさんであれば、コンビニ経営の1年間の流れというものが把握できてきます。SVがどんな話をしているのか、その意図は、要求は何かということがおおよそ理解できてしまいます。SVの評価に直結する商材は何で、どうなるとDMに詰められるか。『DMから言われない?』にはオーナーさんの親心みたいなものが込められていたのかもしれませんね。
さて、お次は吉森店。こちらは一言で言えば守備型店舗。希乃店が廃棄を必要経費と考えているとすれば、堅実すぎるお店はそれを絶対悪とみなします。進んで勝負を挑むようなことはしません。新規案内で次週、調理麺が4アイテム推奨されています。どんな反応を示しますことやら。
「おはようございます。お疲れ様です。オーナーさんか奥さん、いらっしゃいますか?」
入店前に一通り店内とバックルームの状況を透視しておいたので返答は予測できました。
「谷口さん、おはよう。店長はバックルームで、オーナーは一旦帰りましたよ。」
昼ピーク後、体制が安定していれば一時的に店を抜けたって何の問題もありません。むしろ、オーナーや店長がべったりくっついていないと回らない店舗の方が心配です。従業員トレーニングが進んでいないのかな、と。任せられる従業員がいないというのは次第に店を、経営者を追い詰めていきます。肉体的にも精神的にも。駐車場から店内の様子を伺った時点で出直すという選択肢もあったのですが、奥さんに話を聞いてみることにしました。あまり打合せにも参加されない奥さんなので、たまにはオーナーさん抜きで顔を合わせるのも良いでしょう。
意外にフェイスアップはできているんですよね、吉森店って。オーナーさんがフェイスアップしているのは見たことがないので、奥さんかパートさんが実施しているはずなのですが。昼ピーク後、3便納品前ということでオープンケースがスカスカなのは目を瞑るとして、菓子やソフトドリンク、雑誌など、昼ピーク中に動いたであろう売場がしセットされています。こういうのってSVからするととても気持ちいいのです。嬉しいのです。
「失礼しま~す。お疲れ様です。」
奥さんはバックルームで本点検をしていました。宜しくないですね。お金や伝票の勘定をしている時にお話はできません。
「ゴメンなさい、本点検中に。オーナーさんは帰っちゃいました?」
「お昼寝に帰ったわ。夕方まで戻ってこないかな~。」
どうも女性同士だと言葉が崩れますね。何かこのままお茶にでも行っちゃいそうな雰囲気です。
「アララ・・・分かりました。廃棄の金額だけメモを取らせて下さい。」
「はい、はい、どうぞ。」
ん、音を立てて雨が降ってきましたね。梅雨時ですから仕方ないとは言え、車まで傘なしで行かないと。
「店長、雨降ってきちゃったからマットと傘立て出しますね~。」
「あらま~、おねが~い。」
10分とかからず雑務を終えました。
「お~しまい。それじゃ、失礼しますね。」
「オーナーに何か伝えておこうか。」
「ロックアイスと板氷だけ、欠品させないよう気をつけて下さいとお伝え下さい。」
「了、解。」
鞄の中に折りたたみを入れておかないとダメですかね。でもポッコリ膨らんでしまうのは格好良くないですし。小走りで車まで急ぎます。SVが車を停める位置は入口から最も遠い所というのがルール。広い駐車場の端までは結構あるんですよね。
ワイパーが役に立たないレベルの雨脚。雨音でごまかせるだろうとエンジンをかけてクーラーをつけ、ハンドタオルで髪を吹きます。こんな天気では誰だって外に出たくはありません。大雨や40度近い酷暑では、屋内にいるのが一番安全なのです。外出してはいけません。殊に近年の日本の暑さは異常です。寝ても覚めても熱中症と隣り合わせ。衣服が汚れるとか面倒だとかいう心情を超えてしまいました。命に関わるから、外出を控えたいのです。
だいぶ小雨になりました。さっ、時間がありません。今日は定時で上がりますからね。。続いては葵店長に宿題を出しに行きます。雨上がり直後の日差しは大変に素敵なのですが、気温と湿度の上昇と共に不快指数の高まりが手に取るように分かってしまいます。嫌ですね。
「おはようございます。」
レジにて竹田さんが迎えてくれました。事前にアポイントはとっていません。けれども、当然のことではありますが、お客さんを迎える準備に抜かりはありませんでした。最近は目も当てられない直営店も多いですけどね。
「葵店長はいますか?」
「バックルームに。」
「どうもっ。」
「葵店長、お疲れ様です。」
「あれ、谷口さん、おはようございます。あ、机、使いますか?今、空けますよ。」
エライ、エライ。真面目に仕事をしていたみたいですね、パソコンに何やら打ち込んでいました。
「いえ、机は大丈夫ですけれど、ちょっとだけ時間ありますか。宿題を持ってきました。」
葵店長の隣の椅子に座り、鞄から資料を取り出そうとすると、
「調理麺ですかね?」
「話が早くて助かります。」
私の用意してきた資料は確かに前年(つまりは私が店長の時)の調理麺の販売実績、単品毎の販売データが記載されています。すっと、葵店長が先に引き出しから書類を出しました。内容は私の用意したものとほぼ同様。仕事が早いというか、勘が良いというか、一体何者なんでしょうね。ただし、私の宿題はちょっと違うんですけどね(笑)。
「うん、やることは分かっているみたいですね。さすがです。」
「ありがとうございます。とりあえず調理麺は山口さんにやってもらおうと思っています、今日はお休みなので明日、伝えておきますけど、とりあえず初回の発注で前年を超えておけばOKっすか?」
それでは宿題をお渡ししましょうかね。
「それは天候、気温にもよるので無理はしなくて大丈夫です。その代わり―」
直営店の役割のひとつ。それは実験の場。私は研究の場、研究室と称しています。本音をさらけ出せば音和の為、葵店長のアイデアにすがりたいのです。