一年目、夏 ⑩
我々のチェーンより10年近くも前にお店を構えていました。地域密着、地元に根付き、世間話の絶えないようなお店でした。賑やかな商店街の華やかな人気店とでも言いましょうか。競合店が存在しなければ独占状態。売上は右肩上がりだったことでしょう。売上好調、利益順調であれば生活に何の不安もなかったでしょう。将来の見通しも明るかったはずです。
環境が大きく変化したのはここ1、2年。そうです、我々のチェーンが集中出店を仕掛けたのです。集中出店とは、ウチの会社の出店戦略のひとつです。リクルートの調査で有望を判断された地域に対して1店舗ではなく、複数の店舗を出店していくのです。具体的に何店舗というのは、その地域の人口や立地条件にもよりますが、その目的はエリアの売上げを可能な限り独占すること。
『そんなの売上げが分散するだけだ。1店だけの方が儲かるに決まっている』という意見もあるでしょう。その通り。全くもって正しいのですが、儲かっているお店の周辺にはいずれ競合店が現れます。既存店が単体であれば後発は出店し易いですし、複数店舗であればある程慎重になるでしょう。ウチが先発であればバリアとなるし、後発であれば競合店を囲い込むことができます。逆に競合店からすれば堪りません。どう頑張ったって売上げは下がります。
江嶋さんを助手席に座らせて電話を掛けます。相手は柳SV。本日は土曜日ですが出勤日であることは確認済みです。ちなみにSVの休日についてですが、小売業に携わっているとはいえ基本的にはサラリーマン。日曜日は原則休日です。土曜日は月に1度、良くて2日休みが取れるかどうかというのが現状です。
コール4回、5回・・・アポイントなどに縛られず、フリーに動けていると有難いのですが―
「はい、柳です。」
「お疲れ様です、谷口です。今、お時間大丈夫でしょうか。」
もっとラフに喋っても良かったのですが、隣にお客さんがいらっしゃいますので。言葉を選びながら事情を説明した所、すぐに向かうとのこと。店名を知らせると15分程で到着するということでした。
「この店舗の担当の者が着くまで15分程お待ち下さい。」
「・・・はい。」
外で喚き散らす蝉の声に負けてしまう小声。15分は長いかな、沈黙が続くだろうと覚悟していましたが、意外と積極的に質問を受けました。
「警察に引き渡すおつもりですか?」
「う~ん、どうでしょうか。担当の者に聞いてみないと。」
「あなたがこちらのお店の担当ではないの?」
「私は違います。偶然立ち寄っただけです。」
「そう・・・ですか。この近くのお店を担当されているのですか?」
「いくつかは私の担当店です。」
エンジンが低音で嘶きます。駐車場ではエンジンを切らなくてはなりませんが、とても停止できる気温ではありません。車の側面には社名が入っていますが、まぁ、平気でしょう。お客さんも同情していますし、今回は見逃して頂きましょう。
江嶋さんはずっと自分の足元に視線を落とし、私のそれは窓の外。道路を走る車の数をカウントしていました。休日だからでしょうか、心なしか軽やかに走る自動車。炎天下の中アスファルトがキラキラ輝いて、車も汗をかいているかのように見えます。
「あの・・・」
「はい、何でしょうか。」
「その・・・・・・ですね。どこまでご存知なのでしょうか?」
少なからず覚悟を決めての発言でしょう。しかしながらタイミングが良いのか悪いのか、私の視界に柳SVの車が入ってきました。
「どうやら担当のものが到着しましたので、もう少しお待ち下さい。え~と・・・江嶋さん。担当者が来る前にひとつ提案というか、お願いがあるんですけれど―」
柳SVが近付いた頃合を見計らって窓を開けました。
「おはようございます、柳さん。どうぞ、後部座席にお座り下さい。」
私のお願いしたことは大したことではありません。私の把握している事を担当の者に説明するので、間違っていたり訂正が必要であればおっしゃって下さい。これだけです。
「こちらは江嶋 裕子さんです。先月閉店した2丁目のコンビニの、元店長さんです。有名なお店さんですから、お顔ぐらいは柳さんもご存知かもしれませんが。この1、2週間で私と柳さんの担当店に寄せられたクレームのほとんどは江嶋さんが送信したものでした。自宅のパソコンや漫画喫茶を利用して。私の知っている限り作成、送信した場所は3箇所です。もちろんお店として指摘を受けた項目を見直すことは必要ですが、クレーマーとして会社に報告しても差し支えありません。」
江嶋さん、柳SV共に黙ったまま。続けます。
「動機は・・・私達のチェーンとの競争です。江嶋さんご夫妻は10年前からお店をやられていて、我々が後発です。1店、また1店と新しい競合店ができる度に売上げが落ち、お客さんが減り、直近は利益捻出も厳しい状況だったはずです。結局、契約は更新されず閉店。その原因を我々のチェーンにあると逆恨みしたようですね。」
憎体な単語を吐き出してしまったかと隣を見るとやや俯き加減で江嶋さんが、ミラーで後部を確認するとノートを取りながら柳SVが耳を傾けています。進めます。
「元オーナー、江嶋さんの旦那さんは現在入院中、ということで宜しいですか?」
「はい。」
ここで、車に乗りこんでから頭の片隅で問い続けて、結局答えの出なかったことに道筋をつけなくてはなりません。自殺未遂について明かすべきかどうか。話す必要はないのではないか。けれども現場は柳SVの担当店。お店の人には伏せておいても担当SVは知っておくべきでしょうか。後々、どうして黙っていたということに巻き込まれても面倒ですし。時間にしてほんの数秒だったと思いますが、僅かな話の途切れを埋めるかのように柳SVから質問です。
「谷口さんはどうして今回の件が江嶋さんだと分かったのですか?」
突然呼び出された挙句、密室に3人きりにされた割にしっかりとした声でした。そうですね、私と同じ状況だった柳SV。どうして私だけが犯人に行き着いたか不思議ですよね。さすがに死神の能力について語るわけにはいきません。困りましたね。
「それは―」
用意していた言い訳は、競合店の閉店に伴って商圏調査をやり直していたら、偶然に店長さんを見かけ、この店に入っていくので違和感を覚えて・・・というもの。
「私が―」
意を決して
「こちらのお店のお手洗いで―」
江嶋さんが
「首を吊ろうとしていた所を―」
真実を語ってくれました。
「谷口さんに止められました。」
「そうでしたか、分かりました。ありがとうございます。」
「隠したり偽ったりするつもりはありません。これ以上ご迷惑をお掛けするわけにもいきません。大変お世話になりました。警察に引き渡して頂いて結構です。」
そう言った江嶋さんは少々笑を浮かべて頭を下げました。決して投げやりではなく、長い間頭を下げ続けました、柳SVが声を掛けるまで。観念したという思いか、生きていて良かったと感じてくれているか。ずっと真下を向いていました。
「江嶋さん・・・どうか頭をあげて下さい。」
優しい声でした。そこからちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、語調が強まりました。
「ひとつだけ、お願いがあります。もう首を吊るような馬鹿な真似はしないと約束して頂けないでしょうか。どうか宜しくお願い致します。」
こちらも深々とお辞儀します。
「ええ、こんなお恥ずかしい姿を見られてしまっては死ぬ気も起こりません。」
「そうですか。そうであれば警察に連絡する必要はありませんね。これで宜しいでしょうか、谷口さん。」
「はい、結構です。柳さんに従います。」
「ありがとうございます。ところで、江嶋さん―」
これ以上関わりを持たないように、というのが一般的な思考回路でしょう。わざわざ面倒なことに首を突っ込みたくない、長居したくない。ましてや今日は土曜日。1分でも早く上がって少しでも長く休みを満喫したい。誰だってそうでしょう。このまま江嶋さんを解放することに不手際はありません。けれども次の瞬間、私は耳を疑いました。
「もし宜しければ、私の担当店で働きませんか。」
まさかの提案でした。思わずミラー越しに柳SVの顔を覗き込んでしまいました。少なからず迷惑を被ったはずです。東DMに随分と詰められたことでしょう。お店側との信頼関係が揺らいだりはしていませんか。その原因、クレーマー張本人に対して、一緒に働きませんか、と。もしかしたらよっぽど人に困っているお店さんがあるのでしょうか。たとえそうだとしても、です。
「本気ですか・・・私がメールで苦情を送り続けたんですよ。」
「オーナーにシフト状況を聞いてみないと、私の独断では決められないので、どこのお店でとは今の段階では言えませんが―」
江嶋さんが顔を上げ、後ろを振り返り、初めて柳SVと目を合わせました。
「江嶋さんのお店。見習うべき点が多いと我々の間で評判だったんですよ。色々教えていただけると嬉しいのですが、いかがでしょうか。」
どんなに素晴らしい店舗でも、競合店に囲まれれば無事では済みません。売上げが落ち、利益が下がり、余儀なく閉店することも。「実は・・・その、この年齢になると新しい職場も見つからなくて。全く新しいことを、というのも不安が大きいですし。もしも働かせて頂けるのであれば、慣れた職場ですし、是非、宜しくお願い致します。」
予想だにしない展開になってしまいました。
その後、江嶋さんと柳SVは連絡先を交換し、江嶋さんは車を降りました。暑さを感じさせない位スタン、スタンとかかとを鳴らすように軽い足取りで歩いていきます。途中1度振り返ってお辞儀をして、しっかりとした足取りで帰って行きました。私が手を差し伸べられるのはここまで。あとは彼女自身、と、柳SVの問題です。
「谷口さん、どうもありがとうございました。」
「いえいえ、とんでもない、それより。本当に雇うおつもりですか?」
『どうして江嶋さんが首を吊ろうとしていたのが分かったんですか』という問いかけを嫌って、私の方から質問を投げかけました。
「ええ。人手不足のお店がありまして。それと―江島さんのお店、本当に評判が良かったんですよ。この辺りでは1番古くからあるコンビニで、ちょっとして有名店だったんです。フェイスアップは綺麗だし、挨拶も機械的ではなく心がこもっているというか。だからクレームの件も考えさせられる所がありました。」
ウチよりも汚いお店が何で。ウチより挨拶のできていないお店がどうして。トイレの設備だって最新のものでしょう。そんな僻みもあったはずです。
「江嶋さん自身も実家がすぐ傍なので知人も多いみたいですね。」
「江嶋さん目当てのお客さんが増える塔いいですね。」
「そうですね。」
「そうそう、もし良かったらポスティングや店配布に使って下さい。江嶋さんだと効果倍増だったりして。」
ちょっと早くはありませすが、『おでんセール』のチラシをお渡ししました。
「さすが早いですね。私も見習わないと。有難く頂戴します。」
【一年目、夏 終】