一年目、夏 ⑧
地区事務所にて。
「柳さん、調理麺どうするのさ?前年割れだよ、ず~っと。データ見てるよね。これから伸ばしていかなきゃならない商材で廃棄ばっか。本番はこれからなのに、これじゃあ発注入らんでしょう。増えんでしょう。」
「はい・・・すみません。」
「いや、はいじゃなくてさ。どうするんですかって聞いているの、俺は。これから気温がもっと上がるんでしょう。来客も増えるんでしょう、売っていくんでしょう、調理麺を!」
「・・・・・・・・・」
DOミーティングの見慣れた光景です。詰める東DMに押し黙る柳SV。黙るしかないですよね、こんな言い方されたら。柳さんの担当店で調理麺の販売が芳しくないのは事実です。だからこそ、苦労しているのだからアドバイスのひとつでもしてあげて下さいな。スーパーバイザーとして評価されたからディストリクトマネージャーに昇進したんですよね。
けれどもやっぱり難しいのです。店に直接関わっていない人間の一言、二言の助言で売上げが改善できる程、小売業は甘くありません。PCでデータを見るだけではやはり限界があるのです。ではDMとして優秀なのはどのような人物か。評価される人、仕事ができる人とは。残念ながら今の私には分かりません。ましてや今はコンビニ戦国時代。周りを見れば競合店だらけ。そこで生き残るのは並大抵のことではありません。そしてSVとして上司から評価されるには運と、幸運を引き寄せるだけの実力が必要なのです。
「んで・・・どうすんの、柳さんっ。」
「オーナーと一緒に発注して、売場を作って、店の経営に入り込みます。」
「頼むよ、ホント。前年必達。販売が立てば自然と発注が入るんだから。」
「はい。」
「あー、そうだ。それと柳さんの担当店でクレームが入ってたから、DOミーティングが終わり次第対応しておいて。」
「分かりました。」
やれやれ、重い雰囲気、気分も害されます。大したアドバイスもせず・・・否。できないんですよね。恨みはありませんが、東DMの過去、経歴については少々調べさせて頂きました。
「またクレーム・・・か。」
車の中で思わず呟いてしまいました。昨日のDOミーティングで柳SVのクレームが挙がっていましたが、全くもって他人事ではありません。今月に入って7件目です。はっきり言って内容は取るに足らないものばかり。例えば賞味期限切れの商品を売ってしまったとか、カウンター商品に虫が付いていたとかいう大問題、対応に時間のかかる苦情ではないのですが、数が多すぎます。今回はついに直営店にまで入ってきました。内容は―メールの中身を確認して眉間にしわが寄ってしまいました。『1Lの紙パックの紅茶を買ったんですが、ストローが入っていませんでした。女性の私にラッパ飲みしなさいということなのでしょうね。他のお店では必ず長いストローをつけてくれるのに。』
仰ることはごもっとも。でもですね、引っ掛かることがありまして、調べてみる必要がありそうですね。場合によっては手加減しませんよ。
「おはようございま~す、谷口さん。前年比絶好調の店舗にようこそっ。」
ホント、いつも元気に明るく迎えてくれる葵店長です。
「おはようございます、葵店長、山口副店長。」
「おはようございます、谷口さん。」
しっかりと頭を下げてお辞儀をする山口副店長。初々しい可愛らしさというのは、幼子をあやしている時みたいに心が癒されますね。あ~~~、カワイイ。
さて・・・と。そうなんです、葵店長の言う通り、前年比が好調なのです。最も大きな理由は外的要因。最寄りの競合店が閉店したのです。ただビジネスの世界、運も重要。結果が最重要。取組みが想定以上の成果をもたらしてくれるというラッキーは、本当に都合良く物事を運ぶことができますね。と言っても、前年比としては私の担当店で3番目なんですけれどね。まっ、それは内緒にしておきましょう。
まずは店舗チェックから。フェイスアップとか掃除については作業割当てに落とし込むことができているのでしょう。常に平均点以上を保つことができています。もしかしたら私が店長の時よりも整頓できているかもしれませんね。ちょっと複雑。
「山口副店長、頑張っていますね。調理麺の発注、よくできていると思いますよ。青い店長に教えてもらっているんですね。」
「はい。色々と教えて頂いています。見かけによらず丁寧に教えてくれるんです、店長。」
「あら、それは良かった。」
どうやら店長、副店長の関係は良好なようんですね。大切なことです。店舗体制が崩れる原因として社員同士の関係悪化というのは珍しいことではありません。
「あのぅ・・・売上は好調なんですけれど、クレームが入ってしまいまして・・・」
向こうから本題に入ってくれました。話を進め易くて助かります。レジフォローをしていた葵店長もタイミング良く合流しました。
「葵店長もクレームのメールは確認していますよね。」
「はい。とりあえずメールを開いて内容を確認しますか。少々お待ち下さいな、パソコン開きますね。」
直営店でクレームを貰うとは何事だ、というのが基本的なスタンスで間違いありません。ですから曇った表情の山口副店長が正解なのです。それとは対照的に腕組みをして、何故か余裕たっぷりの葵店長。2人の経験の差から来るものですね。
ひとまずメールを再読して。
「僕の方からもお客様相談室へ対応メールは送るんですけれども、谷口さん―幾つかお願いがあります。」
真面目な顔の葵店長は怖いですよ。こちらも覚悟しなくてはいけませんね。
「どうぞ。」
鞄から手帳を取り出してメモの取れる準備をしておきます。山口副店長もドギマギしながらノートを取り出しました。
「クレームのお客さんなんですが、もしもウチの常連さんであれば是非とも謝罪させてもらいたいので、買った日時などを教えてもらうことはできますか?」
葵店長にしては珍しく筋が通っていないというか、日時が分かったからといってお客様を特定するのは難しいでしょうに。ま、それは置いておいて。
「お客さんがクレーム報告のメールを出す際、『要返信』と『返信不要』があります。今回は後者。つまり返事は要りませんよということ。だからお客様相談室からお客さんへ連絡することはできないそうです。」
「う~ん、なるほど、分かりました。さすが谷口さん、早いっすね。」
「どうも。他には?」
「お客さんが購入したっていうリッターの紅茶。うちは未導入っすよ。」
「え!?」
ゴメンネ、山口副店長。そういうことなのです。だからこの件、片付くまで一悶着あるかもしれないな。
「俺なりに可能性を探ってみたんすけど―」
葵店長が右手で数字の3を、煙草を吸う時のように繰り出しました。
「ひとつ。単純に商品の名前を間違えた。ふたつ。他店のクレームをうちの店に言ってきた。みっつ。それ以外。」
口元に笑は浮かべているのですが、目が笑っていません。
「商品が未導入の可能性が高いこと、お客様の間違い、勘違いではないか、ということでお客様相談室には連絡してあります。」
「お返事は?」
「後日、私の方に連絡が来ることになっています。」
「楽しみですね。」
「葵店長、良からぬ事を考えてはダメですよ。」
「大丈夫っす。何もしませんよ―」
今の所はね。
声には出していませんでした。人間界で学びました。読唇術というそうですね。目を離さないようにお願いしておきましょうかね、竹田さんに。