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 抽象論ばかりしていても埒があかないので、具体的な場面を述べて考えてみよう。漫画「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」(「わたモテ」)の13巻、「喪130モテないし遠足が終わる」の一場面を取って考える。ここで、田村ゆりと主人公のもこっちが二人きりで話す短い場面を使う。漫画を持っている人は開いていただければわかりやすい。ない人は「わたモテ 喪130」でウェブ検索すればわかるだろう。


 さて、前置きとして言うべきは「田村ゆり」と「もこっち」(主人公)という二人のキャラクターだ。重要なのは田村ゆりはもこっちの事が好きで、これは同性愛とも、友情とも見える微妙なものだ。高校生女子同士がイチャイチャしている様を思い浮かべれば、大体そのとおりだ。

 

 「田村ゆり」はコミュ障的なキャラだが、根は悪い子ではない。田村ゆりと、もこっちは、仲間達と遊園地を巡っていたのだが、仲間が別の仲間と遊びに行ったので、二人きりになる。もこっちは田村ゆりの気持ちには気付いていないので、(ああ、二人になったな)とニュートラルに思っている。田村ゆりは、コミュ障的なので、何を考えているかわかりにくいが、二人切りになった事を喜んでいる節がある。二人は、塀に腰掛けて、こんな会話をする。



 もこっち「なんか疲れたな……」

 田村  「そうだね……」

 もこっち「あと二時間くらいか…なんか乗りたいのある?」

 田村  「別に」

 もこっち&田村 「……………」


 

 この時、もこっちは、気を使える子に成長したので(何か気まずい)と感じる。田村ゆりはナチュラルなコミュ障なので、沈黙になっても、(気まずい)とは思わない。ここに齟齬がある。もこっちは気を使って、おどけてみせる。



 もこっち「やっと二人きりになれたね? なんて……へへ……」

 田村  「!   ……う……うん」

 もこっち(いや、つっこめよ! そういうところだぞ!)

 


 ()内は心の声だ。さて、こうやって、読み返しただけでも、このほんの一コマに、それぞれの心情と言動とのズレが、何気ない会話として、丁寧に描き出されているのがよくわかる。


 まず「やっと二人きりになれたね?」というのは、気まずい沈黙をごまかすために、もこっちの言った『冗談』だ。活字ではわかりにくいが、おずおずとした弱いトーンで言われている。つまり、もこっちは勇気を出して場面を和ませる為の冗談を言ったわけだ。


 それを田村は「!」と一瞬嬉しそうに受け取っている。ここで「!」の一つだけで、田村がもこっちの言葉を冗談ではなく、真に受けたというのがわかる。田村はもこっちが好きだから、もこっちの冗談を一瞬だけ真に受けた。その後、「う……うん」となって、喜びは表面には表さない。

 

 すぐに、田村はもこっちの言っていたのが「冗談」だったと気づく。もこっちの発言はアニメなどでよくあるセリフで、ネタだと気づく。そこで、自分も冗談を返したほうがいいかと考える。



 田村  「……これでもう私達に邪魔は入らないね」

 もこっち「へ?」

 田村  「え?    ……いやなんでもない」

 もこっち(こいつなりの冗談か。テンポ悪いわ!!)



 田村ゆりは、もこっちの冗談に気付いて、自分も冗談で返す。しかし、田村ゆりは、コミュ障なので、間が悪い。それで、もこっちが「へ?」となって、田村は照れて「なんでもない」と返す。この後は…



 もこっち 「いや、なんかごめん…… 無理させて……」

 田村   〈「ガッ」という擬音と共に肘打ちを食らわせてから〉

      「無理してないよ」



 漫画読者なら説明は無用だろうが、この時、田村の「これでもう私達に邪魔は入らないね」というセリフは、表面的には冗談として言っているのだが、本音ではもこっちが好きなのだから、本気で言いたい部分もあるわけである。だからこそ、もこっちに「無理させてごめん」と言われると怒って「無理してないよ」と言う。ここは非常に微妙な心理のやり取りだが、読んでいる側は誰しもが(うん、この気持わかる)となるだろう。


 ここで、前半部で言った部分を再び取り上げると、田村ゆりは、言動として現れている部分と、本音で思っている部分が微妙にすれ違っている。それが、もこっちとのやり取りではっきり現れてくる。


 これは非常に自然な技術、読んでいてもごく普通に読めるのだが、よく考えてみれば、この何気ないやり取りを漫画家・映画監督・作家が描くのは結構な技術と、人間の心というものの捉え方がなければ無理だというのがわかるだろう。


 例えば「無理してないよ」という田村のセリフは、もこっちの側からは、単にもこっちに気を使ったセリフに見える。もこっちが「無理させてごめん」と言ったから「無理してないよ」という返し。これはごく普通の返しだが、同時に、田村の方からは本音の部分もある。本当に二人きりになれて嬉しいから、「無理はしていない」わけだが、それは表面的には、本音ではない意見として言わなければならない。


 この場面は、女子高生のごく普通の日常会話でしかないわけだが、二人の心情と言動がうまくすれ違う、特に、田村の外面的言動と内面とがズレていて、それが「読者ー製作者」のメタな観点からは見えるようになっているが為に、見ている側も色々な感情がこみ上げてくる。


 整理していくと、ここで描かれているのはごく普通の、女子高生的会話、やり取りである。友情とも言えるし、百合的要素とも言える。しかし、問題は「要素」や「出来事」ではなく、人間の内面とか複雑さを、フィクションとして表現していくという基本的な点にある。


 そこで、最初に言った、外面と内面とが矛盾しているという人間のあり方が関係してくる。もちろん、こういう在り方というのは、ただ表面的にその矛盾を描けばいいというのではない。人間というものがそういうものだという「洞察」がなければならない。


 更にその洞察をフィクションの中に移していくのは難しい。特に、一人称的視点から三人称視点への移り行きという問題がある。「わたモテ」は八巻あたりまではもこっちの一人称的漫画だったのだが、途中から変化して、三人称視点に変わった。


 三人称視点というのは、田村ゆりともこっちの上記のやり取りにも示されている。それぞれは、自分という存在を持ちながら、それぞれに関わっていく。そこに、リアルな人間のような複雑さがあるのだが、現実の我々は「私」という一人称にとらわれている。


 現実の人間は「自分」にとらわれ、更にそこにとらわれる事を「他者」が肯定してくれれば、それで満足するという流れがある。つまり、自己を対象化し、客観化する事なく、「そのままの自分でいいんだよ」的な方向に流れ、そこに集団的賞賛や熱狂が生まれ、ベストセラーとなれば、それを「客観性」と言いたい人が沢山いる。


 「わたモテ」のこの描写はごく普通の描写であるが、田村ゆりというキャラクターが実在の生き生きした対象として動いている。読者は田村ゆりが家に帰って何を思うか、何を考えるか、一人でいる時、どんな風に生きているか、想像を掻き立てられるようなキャラクターとなっている。それに比べると例えば「お兄ちゃん大好き」と言っている妹キャラクターが、一人でいる時、何かをしているという想像ができるだろうか。機械のように、一人でも「お兄ちゃん大好き」とお兄ちゃんの写真にキスしているような図しか浮かばない。


 「わたモテ」のこの場面では、それぞれのキャラクター、特に田村ゆりやネモといった重要なキャラクターは外面として言動に現れている以上の内面を持つ事が想定されて描かれている。その為に、ほんの些細なコマ、ほんのちょっとした仕草の中にも、「彼女」の存在が刻印されている。作者は、常に彼らの「存在」を念頭に置きながら描いているのであって、彼らの「役割」のみが問題となっているのではない。キャラクターは作者が話を進めるコマではなく、読者の欲望充足のためのコマでもなく、生き生きした自立した存在、意味ある存在として描かれている。


 三人称視点でそれらのキャラクターを描くとは、それらの存在が相対的であるという事が想定されている事を示すだろう。前半で言った、主体は自己自身に向かえば分裂し、他者との関わりにおいては、一元的に捉えられるという矛盾は、製作者ーー視聴者という、メタな観点においては、解消されていると自分は考えたい。つまり、個の独立性というものが、世界というものに一元的に決めつけられるのを拒否する時、その拒否すらも世界の一部として描くというのが、「フィクション」のみに可能な技であると考えたい。というのは、人間は常に自分の主観からしか、逃れられないからだ。



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