プロローグ
はじめまして、さんdsと言います。
初めて書いたものなので至らぬ点など多々あるかと思いますが、よろしくおねがいします。
アマリヤ共和国は、第一大陸の北部を本土とし、世界各地に植民地を持つ強大な国家だった。
人口は世界五大国といわれる国々の中でもずば抜けてトップであり、経済規模も非常に大きく、名実ともに世界最大の国だ。
さらに、数年前の産業革命によって、死蔵されていた国内の貴重な資源を活用できるようになり、国家誕生時の勢いを超える急速な成長を見せていた。
その革命と好況の波に乗っかり、莫大な富を手にするものもいれば。
当然、波に呑まれ、チャンスを逃し、失敗する者もいた。
☆
共和国第三中等住宅街。かつてそれなりの立場だった人間が、新時代での立ち回りに失敗して逃げてきた場所の一つだ。
今でこそ洒落た邸宅が立ち並ぶ住宅街の様相をなしているが、少し前まで道端には小汚い、酒に溺れた男たちや、まともな服も着れない一家が寝ていたような、そんな一画。
月がきれいな夜だった。街は仕事から帰ってきた人々で賑わい、夜とは思えないような活気を見せていた。
街灯が煌々と光る大通りから少し離れ、雑木林の近くを通るようにある細い道を歩く親子がいた。
子どもの方はまだ五歳にも満たないような身長だった。必死に母親の手を握り、早足で歩くのに懸命についていこうとしている。
母親の方は肉付きも悪く、不健康そうな眼差しをしていた。早足だが、その足取りはどこかふらついていた。
「ねぇ、お母さん。どこに行くの?」
無邪気に、娘は母に問う。不自然なほど静まり返った夜道に、その声はよく通った。
「静かに! ……お引っ越しするだけよ。フィーちゃんは気にしなくていいわ」
母親は言い聞かせるように言った。娘は不思議そうな顔をしたが、もう一度どこに、と聞くことはなかった。
母の背中から感じる圧に気圧されて、とてもそんなことは言えなかったのである。
しばらく無言が続いた。二人分の足音だけが、雑木林にこだまする。
ガサリ、と林の奥から物音が聞こえた。バキ、パキ、と小枝が折れる音が続く。母親は娘をかばうように前に踏み出した。
息を殺し、ゆっくりと後ずさる。心なしか、母子の元へとその物音は向かってきているようだった。
ガサ、ガサ、と言う音がはっきりと近づいてきていると分かるほどに大きくなる。娘は母の足にしがみついてぶるぶると震えてい
た。
「お母さん……」
「安心しなさい。大丈夫」
小声で言い聞かせる。しかし、母の顔には引きつった笑みしか浮かんでこなかった。
そして、木の葉のこすれる音が限界まで近づいてきたあと。
突然、音が止んだ。森からは、今夜ずっと聞いてきた虫の鳴き声しか聞こえてこない。張り詰めていた緊張が一気に解け、母親はそっと胸を撫で下ろした。
またあてもなく、夜道を歩き出そうとした瞬間。
「困るなぁ、ベルニーさん。お宅、まだ一千万くらいは借金が残ってましたよね? 返済してもらわないと……」
背後から、ねっとりとした男の声が聞こえた。
「……どちら様、でしょう? 私たちは夜道に散歩に来ているだけですが」
震える声で、母親は返した。娘の手をにぎる痩せこけた手のひらには、脂汗が滲んだ。
「こんな真夜中に、灯りも持たず、そんな小さな娘を連れて? おまけにその荷物……ごまかせるとはまさか思ってませんよねぇ。
そこまであなたはバカな人ではないはずだ。そうでしょう?」
男は母親の背負う、パンパンに膨らんだリュックサックを指して言った。
「知りません。これ以上親子の団欒に水を差すつもりなら人を呼びますよ」
「呼べるもんなら呼んでみなさい。借金の踏み倒しで逮捕されるのはそちらの方ですよ。いい加減諦めたらどうです? 僕だって乱暴な手はできるだけ使いたくないんです。美しい女性が傷つく様を見たくはない。素直についてきてくれませんか。ユヴィス=ベルニー技術官?」
「……どうして、私の職業を……?」
「顧客の情報ですよ?」
動揺する母親――ユヴィスに、男はケタケタと笑いながら距離を詰めた。強引に肩に手を回し、娘には聞こえないような声で言う。
「ねえ、ユヴィスさん。少し僕らのもとで働いてくれればそれでいいんですよ。仕事の選択肢はあります。鉱山、下町の工場、新薬の被験体……遊郭。悪いようにはしません。お好きな仕事を借金分してくれれば終わりです。何故、逃げる必要があるのですか? 他の金融に比べれば、僕らはだいぶ良心的だと思いますが?」
「……」
ユヴィスは押し黙る。娘の手を握る力が強まった。
「痛い、お母さん、痛いよ……」
見ず知らずの男に怯えているのか、娘はその場から動くことが出来ないでいた。
「……わかりました。でも、娘は……フィリィには手を出さないでください」
「ほぉ……身の程わきまえて物言ってほしいですねぇ。……ま、掛け合ってはみましょう。僕もこんないたいけな少女を奴隷にするのは心苦しい」
「じゃ、じゃあ……」
「ユヴィスさんの働き次第です。僕は知ったこっちゃありません。――おい、連れて行け」
男はニコリと笑ったあと、声音を変えて呼びかけた。途端に、森から、道の向こうから、黒服の人間たちが音もなく現れ、ユヴィスと娘――フィリィを、鮮やかな手つきで拘束した。
「行ってらっしゃい。恨むなら自分の夫を恨むことですね」
ユヴィスが何か言おうと口を開いたときには、もう男の姿はそこにはなかった。代わりに、頑丈な檻を引いた馬車がそこにあった。
「やだよお……こわいよぉ……!」
「……フィーちゃん。怖がっちゃだめよ。きっと平気だからね」
嗚咽を漏らす娘に、ユヴィスはそっと囁いた。黒服たちは、その様子を見てから、順番に馬車へふたりを積み込む。
幌が降ろされ、夜道より暗い場所に押し込められたまま、馬車はゆっくりと動き出した。
☆
目覚めの悪い日だ。
ハル=エリオンは土手に立てたオンボロの木の小屋の中で、小さく伸びをした。
「……曇りか。今日の運勢も悪そうだな」
どんよりと灰色に覆われた空を見て、ハルは舌打ちする。
川沿いまで行って、手を水に浸す。どろりとした脂っこい感触がまとわりついて、彼は手を引っ込めた。
「……きたねえ国だな。今まで行ったどの国よりもきたねえ国だ」
ため息をついて、彼は街へ向かう。旅の荷物を背負い、腰には愛用の銃を下げながら。
読んでいただきありがとうございました。