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天部電界戦線  作者: 焼肉びじ
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第二章 天部光臨 弐――情報開示権限

 次の日、オレたちとたえ姉は捕獲した顔無しを縄でぎちぎちに縛って、まぐろか何かのように肩に担いで凪奈の元へと向かっていた。

 つまりは、この一帯を治める最強の女が座す城――『凪奈城』だ。

 ……名前はどうにかならなかったのだろうか。なぜ自分の名前を城の名前にしたのだ。しかも直球にもほどがあるだろう。もう少し捻れよ。どれだけ自分が好きなんだ。


 とはいえ今さら言っていても始まらない。城の門番なのか、厳めしい面をした美人の女性にオレたちが凪奈の友人であることを伝えると、肩にどう見ても怪しげなものを担いでいるのにもかかわらず城内へ入れてもらった。おそらく街でよく戦っているところ目撃しているか、凪奈がオレたちのことを城で馬鹿みたいに話しているかのどちらかによるものだろう。


 それにしても、こんな雲一つない炎天下で、太陽の光を直に浴びながらも文句ひとつ口にしない彼女たちは本当に素晴らしい人間だと思う。ぜひ今度お話ししたいものだ。


 先日たえ姉と楽しそうに話していた少女に連れられて天守の廊下を歩いていき、通されたのは最上階の凪奈の自室だ。


「頭ぁー、客人っス。中入れていいっスか?」

「え、あ? 客人? 珍しいなこの私に。まあいい。では少し待て、今から支度を」

「じゃ、開けますね」

「はッ!? ちょ、ちょっ、ちょっとまっ――」


 凪奈の部下であるはずの少女は、なぜか大将であるはずの凪奈の言葉を無視して、襖を気持ち良いくらいの勢いでがらりと開け放った。

 そして――


「あ、ぁ、あぁ……ぬし、あまつ、あわしま、か……?」

「あー……」

「んじゃ、頑張ってくださいっス」


 案内してくれた少女が清々しい笑顔で肩を叩いて、開けた時と同じように勢いよく襖を閉めてこの『修羅場』から去ってしまった。阿修羅街だけに修羅場ってな。ははは。笑えるか。

 簡潔に言おう。現実逃避するオレの目の前には、着替えの途中の凪奈がいる。

 どうやら自室で誰も来ないからと高を括って、服を脱いだまま過ごしていたのだろう。慌てて服を着ようとしても遅い。オレはばっちりと彼女の着替えの場面を覗いてしまっていた。いや、もう完璧に見た。覗きなどではない。凝視だ。


 まず目を引くのはたわわに実った二つの禁断の果実が、下着もさらしもされないまま露出されている点だろう。何とかして服の中に隠そうとしたのは分かるのだが、それがまた哀愁と色香を漂わせている。ようは、零れ落ちているのだ。毬のように大きく、餅のように柔らかそうな乳房が、中途半端に隠されつつもしっかりとオレの目の前に晒されている。

 さらに、まともに着られていないせいで恐ろしく丈の短くなった黄色の着物から、肉付きのいい煽情的なふとももが大胆に露出されていた。程よい肉付きでありながら、しかし贅肉は存在しない、肉欲的なふとももが網膜にしっかりと刻み込まれる。ちなみに素足だ。

 長い黒髪もまた黄色い着物と凄まじく合っており、黒髪が着物の黄色の華やかさを、着物が黒髪の艶やかさを、それぞれ極上に料理している。


「あ、ぁわあ、ああわ、わ、あわわわわわわわわわわわ」

「――――――――」

「……………………」


 たえ姉が穴を空けんとする勢いでオレの足を踏みつけているが、知ったことではない。赤面したまま、露出している色んな所を隠そうとして、しかし実際は何も隠せていないその姿は、怪力女と呼ばれる彼女からは想像もできないくらい、普通に可愛い。特にそれ以外の感想が湧いてこない。確かこういうのを旧世界の日本では何と言ったのだったか……


「エロい」

「だ、黙ればかぁ! ばか! ばか! 見るなあアアアアアア!」

「ふんっ!」

「ごァァアアアアアアアア!」


 凪奈の悲痛な叫びがオレの耳を叩くと同時、たえ姉の拳がオレの鼻っ柱に突き刺さった。全開に回復した《魂命》が五ほど消し飛んだ。

そして、痛みと共に湯だった頭からようやく熱が引いていく。

ようやくオレが何をして何を言って何が何だこれ凄いぞ至高の天はここにありッ!

いや、そうではない。そうじゃないんだ。

 待て待て、おかしいだろうがあの部下女。どう考えてもこの状況を予期していたはずだ。わざとだ絶対、許さない。


 だが、それはそれとして、さすがに凪奈にまず謝らなければならない。どんな理由があろうと女性の体を無許可で覗いた……いや、凝視したのだから、まずは頭を下げて謝罪して、その上でその誠意を示すべきだろう。

 よって――


「凪奈、おまえの着替えや、色んなところを見て本当にすまない。反省の証として――去勢します」

「それ言ったら許されると思ってるだろう!」

「出ていけばかものぉ!」


 本日二度目の拳が炸裂した。《魂命》は合計一〇ほど削られてしまった。

 あまりにも情けない消耗だった。


☆ ☆ ☆


「それで? 私に何の用だ」


 じとりとオレを睨みながらも、凪奈はきちんと話を聞いてくれるらしかった。オレはそのやさしさに感謝しつつ、肩に背負っていた『それ』を凪奈の前に投げた。


「これは……?」

「顔無し。昨晩こいつの他にさらに五人に襲撃されたから撃退した。これはその一体だ」

「……さらっととんでもないことを言うな」


 まあ、一夜明けて冷静になれば、その意見も受け入れられる。

 男みたいに足を足を広げて座る彼女の前に腰かけて、オレはさらに話を続ける。……にしても、その座り方はなかなかに危ないぞ。着物の下が見えそうで見えない。


「で、どうだったのだ。戦った感想としては。それを言いに私のところへ来たのだろう?」

「ああ――」


 そうしてオレは、奴らの戦闘力や戦い方から始まって、たえ姉を殺そうとしたこと。そして、心の弱さからは想像も出来ぬほどの身体能力や、たえ姉を狙っていたことなどを説明した。


「心の弱さと、身体能力上昇の出力値の乖離、か……」

「ああ」


 不可解な点はまずそこだろう。脆く弱い心。その性根は凡俗以下のそれであるのに、それに反して奴の掌底突きは、凪奈の百花繚乱の通常攻撃の三倍の威力を誇るというものだった。

 だが、オレにとってはそんなことは二の次で。


「そんなことはどうでもいいんだ。重要なのは奴らがたえ姉を殺そうとしたこと。これはさすがに見過ごせない。すぐにでも奴らの目的を探り、対応策を練りたい」

「あ、あっくん……」


 強く言い切ったオレを、なぜかたえ姉がか細い声で呼んでいた。何だろうと思い視線で問うてみたが、目も合わさず顔を振るだけで応えてくれない。


「むぅー……面白くない」

「何がだよ」


 むくれている凪奈に問いかけてみても、頬を膨らませるだけで答えてはくれなかった。

 まあ、別に気にする必要もないだろうと思い、オレは他にも気になる点を適当に上げた。


「他には奴らの能力が同じだったというのも気になる」

「なるほどな。だとしたら、そういう非道な実験を行っている組織があるはずかもしれんな」


 使命を負わされた、と言っていた。そのせいで戦いたくもないのに戦っていると。

 そこに同情するつもりは微塵もないが、しかし何らかのやんごとなき理由によってこうなった可能性は高い。


「それで、こいつをどうするんだ? ここで預かっておくか?」

「それなんだが、まずはこいつの話を聞いてほしい。今から起こすから」


 そう言って太刀を抜き払うと、眠りこけているそいつへ峰を叩き付けて起こした。

 顔無しは痛みに喘ぎながらもゆっくりと意識の焦点を現実に合わせる気配があり、やがて自分が囲まれていることを知ると大声でこんなことを捲し立てた。


『はぁ……っ! 貴様、貴様ぁ! このクソガキィ! 劣等の分際で、我を縛るか! 貴様には、貴様には神の裁きが下るだろうっ! 天部の、インドラ様の(いかづち)がァア!』


「もういいぞ、眠っていろー」


 それ以上の戯言(たわごと)を聞くもないので、頭に当たる部分に峰を軽く叩き付けて気絶させた。一応たえ姉の前なので、残酷な絵面にはしていない。まろやかにした……つもりだ。


「うわぁあ……あっくん、さすがに可哀想じゃない?」

「いや、手加減はしたし……」


 駄目だったらしい……


「とにかくこんな調子だ。朝から起こしても神の裁きが落ちるの一点張りで、まるで会話になりはしない」

「ふむ、なるほどな。それにしても神、か。インドラと言えば帝釈天……密教では雷の天部。元となった神話でも雷神や軍神と知られる、神々の帝王とすら呼ばれる存在だったな」

「ああ、確かそのはずだ。だとしたらこいつらの直属の上司は神様か」

「宗教じみた話になって来たな」

「……? ……??? 何を言っているんだい二人は?」

「あー、たえ姉はいいよ。ていうか、せっかく権限が『四』まであるんだから、それくらいは調べておこうな」

「……あっくんに、説教された」


 何やら沈み込んでいるたたえ姉だったが、よく分からないので放っておくことにした。

依然として凪奈と顔を突き合わせて今後の方針を考えるも、いい案が思い浮かばない。

 だがそんな折、ふとたえ姉がこんなことを言い放った。


「あっくん、あっくんはこの人の中には侵入できないのかい?」

「え?」

「だからさ、いつも情報図書館に行ってなんかいろいろ読んで来たり盗んで来たりするみたいに、この人の中には入れないのかなって思ってさ」

「ああっ」


 それは盲点だった。確かに奴の中に入って情報を掠め取ることも可能だろう。


「ああ、でもあれだ。個人の中に入るのはこれまであっくんがやったことないだろうし、危険だからやめた方が良いとは思うけど……」

「いや、やるよ」


 彼女の言う通り、世界の裏側ではなく、個人に侵入するのは初めて故に、そこの危険性はあるのだが……まあ、何事も何の危険もなしに成功を収められるはずがない。

 まずは試してみることを伝えると、たえ姉も制止は無駄だと悟ってそれ以上は何も言ってこなかった。


「じゃ、行ってくる」

「うん。気を付けるんだよ」

「何かあればすぐに戻ってこい。こやつが起きても私が抑えるから、そちらの被害は気にするな」

「了解だ。恩に着る」


 二人の気遣いに感謝しつつ、オレはゆっくりと潜航を開始した。


☆ ☆ ☆


 中に入った瞬間、オレは数えきれない負の感情の奔流に押し流されつつ、底抜けた虚無感に包まれるという、矛盾した感覚に支配された。

 最初は、不正に侵入してきた異物への防衛機能が働いているのだと予測したのだが、どうもこれは毛色が異なる気がする。

 あるがままのような……これが顔無しの中身であるような、そんな気がするのだ。

 空っぽであった中身へ、無理やり人が押し込められているかのような、そんな感覚。


 嫌だ、嫌だ逃げたい避けたい、こんなところにいたくない。どうして俺がこんなこと。こんな残酷なことはないだろう。俺がやる理由ってなんだよ他の奴らがやればいいだろ。もう別に世界の筝なんてどうでもいいのに、助けて助けて、助けてよ。インドラ様インドラ様、俺はいつまでこうしているんです? 何で誰も助けてくれないんですかこんなの酷いこんな下等生物のためにどうして俺が俺は別にただ普通に生きたいだけなのに嫌だ堕して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して――――。


『うる、さいな……っ!』


 そんな(うろ)の絶叫を聞き流しつつ、オレはさらに潜航していく。深く、深く……意識領域を目指して……

 だが、一向に辿り着く気配がない。いくら虚無と絶望の海を掻き分けて底へ底へと沈めども、自我を構成する大切な要素たる意識の世界が見当たらない。

 気絶しているからか? 否だろう。気絶していようが何だろうが、意識領域が消えてなくなることなどありはしない。むしろ、睡眠中は夢という形で、己の本質が垣間見えることもあるため、末那識領域への扉が開いていることすらあるかもしれないという仮説すらあるのだ。

 ならば何故だ――? 疑問に答えは返ってこない。


『これ、あまり意味がなさそうだな』


 しばらく潜り続けていたが、やがてオレは自分の行動に意味がないと悟って潜航をやめた。体幹で一時間ほど潜り続けていたが、周囲に変化は見られないなら、おそらくいくら戻ってもこいつの格にはたどり着けないだろう。

 となると次は……


『持ち物でも漁ってみるとしよう』


 侵入の方向性を変えることにする。オレは奴の心理機能やら装備品やらを調べるため、個人情報の隠された場所を検索……特定、侵入完了。《窓》を開いて閲覧を開始する。


『何だよ、これ……ッ』


 そして、奴の個人情報を盗み見ることに成功したオレは、そこでありえないものを見ることとなった。

《魂命》、残量八〇〇〇/九〇〇〇。

 心理機能――無し。


『馬鹿な……こいつ、本当に人間じゃないのか? 怪異、妖怪……電子の世界に生まれ落ちた化け物だとでも言うのか?』


 さらに勲章の欄を開くと、そこには《顔無し》とだけ。


『記録の欄には――何だ、これ……』


 本来、《記録》という部分には己が成した偉業や、誰かとの思い出の一幕を初めとして、これまで歩んできた人生の全てが刻まれている。

 だが、こいつの《記録》は滅茶苦茶であった。

 記録開始は電界暦五百二年。そこでまず葦原電界に『降り立った』とある。そこから人を殺したという文字が散見するが、重要なところは黒く塗り潰されて何も分からない。

 だが、真に不可解なところはそこではない。

 記述の時系列が、ぶつ切り過ぎる。

 電界暦五百二年から一年間は余すことなく行動が記録されているというのに、ある出来事を境に、五十年ほど飛んで次の記録が始まっているのだ。記録の内容を理解できずとも分かる。これは明らかに異常だ。道理も法則も何もかもが無視されている。


《写真》の欄は特に異常は見当たらない。取っている者が個人であったり、どこか事務的なものを感じさせるものであるという点を除けば、特筆することはないだろう。


 次に《装備品》の項目を開く。

 野太刀やクナイに加え、あの時の戦いでは披露されなかった様々な武器が収められていたが、ふと、あるものが気になった。


『かーど、きー……?』


 カタカナ文字で書いてあることから、おそらく外来語だろう。

 気になってその欄に指で触れてみると、オレの手元に一枚の札が収まっていた。

 表面に回路のように金色の線が幾筋か走っている、白地の札だ。強度は高く、ある程度力を入れなければ折れないだろう。

 札をひっくり返し裏も検分する。

 そしてオレは、この日――否、人生最大の驚愕を味わうことになる。


『情報開示権限……六だとっッ?』


 ずっと求めていた情報域への鍵だった。だが、オレの総身を駆け抜けたのは、歓喜ではなく悪寒だ。毛穴一つ一つに氷の粒を埋め込まれたが如き寒気を感じる。

 これをこいつが持っている意味――それはつまり、こいつら『顔無し』が、阿修羅街六勢力の大将どもよりもさらに上位の存在として、葦原電界に認識されているということだ。

 あの小物ぶりからはにわかには信じられない事実だが、しかしこうして目の前に証拠を突き付けられてしまえば否定するにもできない。


 ――オレは、今何を相手にしているんだ?

 ――たえ姉はいったい、何に目を付け狙われているんだ……?


 ここに来て、ようやく事態の深刻さが浮き彫りになり始めた。


『戻ろう。凪奈たちと中を覗く……っ』


 焦燥する心を静めつつ、装備品の欄に権限『六』の領域へ入るための鍵を自分の装備品の欄へとしまった。

 これ以上ここに用はない、そう判断して意識を浮上させる。


☆ ☆ ☆


「くっ、はぁ……っ!」

「あっくん、大丈夫かい!?」

「おい、何があったッ?」


 水面から顔を出したかのように息を荒くするオレに、たえ姉と凪奈が駆け寄ってくる。その心遣いに感謝しつつも、それを片手で制止して、凪奈に大声で叫んだ。


「凪奈っ! この城には電界情報網が繋がっていたかッ!?」

「あ、ああ……。情報図書館とも回線が繋がっているから、その資料も閲覧可能だ」

「それはどこで出来るッッ!?」

「そんなに焦ってどうしたんだ。まあ良い。案内するからついてこい」

「急いでくれ」


 立ち上がった凪奈にたえ姉と共に着いて行き、やがてある部屋へ通された。二十から三十ほどの机が理路整然と並べられている部屋だ。机には手のひらよりも少し広いくらいの窪みがある。あれに手を置くことで意識を電界情報網に繋ぎ、情報図書館へ遠距離から入場することが可能なのだ。

 部屋には凪奈の部下が十人ほど、何やら調べ物をしているようで机を使っていた。

 オレは彼女たちから出来るだけ離れた場所へ腰かける。


「簡潔に言うぞ。『顔無し』は装備品に情報開示権限『六』の領域へ踏み込むための鍵を持っていた」

「なに? それは本当か、天津淡島!」

「ああ。これが証拠だ」


 そう言って、オレは装備品から先ほどくすめた白地に金の線が入った札を取り出し、その裏を見せてやる。


「……ばかな」

「嫌な予感がする。オレはすぐにこれでこいつらにしか閲覧できない情報ってのが何なのか調査してくる。そこにたえ姉が狙われる理由もあるかもしれない。凪奈、たえ姉を頼めるか?」

「ああ。任せてお、――なんだ?」


 凪奈が返事を返そうとしたところで、外から少女たちの悲鳴や怒号が響いてきた。

 まさか……


「顔無しが起きたかもしれん! すまんが後は頼むぞ天津淡島! 爆砕させて来る!」

「……ッ! すまない。頼む。たえ姉は――」

「わたしはここであっくんを守るよ。安心してくれ。君はわたしが守る。わたしは君から離れない」

「……あ、ああ」


 何故だろうか。その言葉には、何か異なる意味が秘められているような気がして……


「早く行け天津淡島! 七識たえに手出しはさせんッ!」

「――ッ」


 結局、思考を切り上げて、オレは電界情報網へ潜航を開始する。


☆ ☆ ☆


「――――ッ」


 瞬時にして現実が彼方へと吹き飛んで、オレは正規の方法で情報図書館へと入場した。もちろんオレの魂の全てが図書館へ向かったわけではない。魂の一部を切り離し、回線を通じて一時的にオレの魂の情報を自我と共にそちらへ転送しただけだ。簡単に言えば分身か。

 凪奈城から入場するための襖を開いて、中へ転がり込む。周囲の人たちの視線が痛いものの気にしてはいられない。

 すぐに黒髪おかっぱの司書の少女の元へと向かい、札を見せた。


「情報開示権限「六」だ。閲覧させてほしい。どこに行けばいい?」

「え、ええっ? 六、ですか? そんな……でも」


 情報図書館とは、何も物理的に本が置いてあるわけではない。葦原電界に登録されている電子書籍が収納されている、情報的な別領域へ入場するための入り口、あるいは窓口だ。

 つまり司書といえど資料の全てを把握しているわけではなく、当然ながら権限『六』を持つ人間が現れるなど、夢にも思わなかったはずだろう。


「早くッッ!」

「は、はいっ! あ、あちらへ……っ!」


 オレの剣幕に顔を引きつらせながらも、笑顔で教えてくれた。


「ありがとう!」

「へっ? ひゃっ、ひゃいっ!」


 謝罪の意も込めて笑顔で礼を告げ、権限『六』への入口となる部屋へ向かった。

 そして――――
































『情報アクセスレベル(シックス)を確認。ID:NoFace、パスワードは設定されていません。どうぞ、お入りください』




 電子的な音声が告げた単語の羅列を、オレには理解できなかった。


『ぁ……?』


 とにかく、訳も分からないままに第六領域へと足を踏み入れる。

 中の様相は、これまで侵入してきた第五層までとは全く異なり、ひどく閑散としていた。

 こじんまりとした部屋の中央に机が置かれ、そこに本が数冊置いてあるだけだ。

 オレはそのうちの一つを手に取り、頁をめくっていく。


『新地電界、聖欧電界、聖亜電界、絹道電界、葦原電界……これら五つの電脳世界(以下、五邦電界とする)は、VRMMOのような仮想現実を用いたゲームに見えるかもしれないが、それらは紛れもなく「現実」であり、「世界」である。神経パルス信号を、電脳世界に適合した電気信号へと変換しているため、電界人にとってはまさしく真実の世界なのだ』


 これまでずっとカタカナ文字の入った資料も読み漁っていたため、読むだけならば難しくもなかった。ただし意味を全て理解することは無理だ。

 ただ、開けてはならない匣の中身を覗いてしまった――そんな致命的な予感があった。

 とにかくオレは、この意味不明な資料をひたすら夢中で読み進めていく。


『このことから予想されることがいくつかある。電界人にとって、電界のシステムそのものへ侵入することは、こちら側からクラッキングを行うよりもはるかに簡単であるだろうことなどだ。ただし、たとえ電界人であろうとも、慣れていなければ防衛システムに引っ掛かり、また、間違った道を開いてしまえば、《ゴミ箱》に道が繋がることすらもありえる』


 得体の知れない感覚に襲われ体を震えさせながらも、オレの目は文章を追うことをやめてはくれなかった。


『人類存続システムを組み込まれているため、たとえ《ゴミ箱》への道を開いたとしても、強制的にその魂を現実へと弾き出すことで、そうした優良な魂が失われることはない』


 ただし――


『家庭用コンピュータでデータを削除した場合でも、一定期間は《ゴミ箱》内にデータは残され、それを復元することが可能であるように、この電界でもそうした事象は起こり得る。例えば、そう――死んだ魂が仮の形で復元される、などという風に』


 何かが。

 何かが、おかしい。


『五邦電界は人類の存続を目的とした電脳世界であるが、こうした未設定のバグは電界の維持にはマイナスであると懸念される。ただでさえ、未だ発見されていないバグが存在しているかもしれないのだ。さらにこれ以上問題や不確定要素を見逃すのは賢明とは言えない。よって、こうした存在は観測次第、即削除することとする』


 何故だろうか。


『こうした存在を、ユング心理学の用語を用いて「アニマ」と呼称することにする。「アニマの本来の意味を簡単に説明すると、一般に望ましいとされる外的な態度に締め出された面――それが女性像として夢の中で現れたものがアニマである。なぜこの用語を用いたかは、次のページを参照されたし』


 この先に、虚構(じごく)が待っているような気がするんだ。


『一つ、「アニマ」は全て女性である。

 二つ、「アニマ」は《ゴミ箱》に道を繋いだ者にとって、まさしく「アニマ」に相当する存在であり、道を開いた当人とアニマが離れることは絶対にない。これはもはや呪いのようでもあり、双方ともに相手へ何らかの形で依存していることも分かっている。

 三つ、「アニマ」は泡沫の存在、夢のように不確定な存在である。より詳しく説明すると、その魂の本体は《ゴミ箱》に存在しているが、意識だけが蘇生して現世にあるというような状態だ。ちょうど、電界人がクラッキングをする際に己の意識を完全投影した分身を用意するようなものだろう。

 四つ、「アニマ」を呼び出した当人ならば、そのアニマを己の魂に統合することが可能である。ただしこれは推測であり、未だこれが成功した例は確認されていない」


 まさか、違う。でも――


『我々が「アニマ」を削除するのは、統合した際に何が起こるか分からず、それが電界に何らかのバグを発生させる可能性があるためだ。もっとも、シミュレーションの結果ではそのようなことは起きていないため、過度な反応あることは事実。しかし、やはり事例がない以上何が起こるかは予想ができず、万が一システムに綻びが生じて電界が連鎖的に崩壊、人類存続が危ぶまれる事態になることだけは避けねばならない』


 ……やめろ。それ以上頁をめくるな。戻れなくなる。


『残念ながらアニマに容姿的な特徴はない。ただし、共通点が皆無なわけではない。確認されている事例としては、仮の蘇生を果たした「アニマ」は、生前と《ゴミ箱》にいた時の記憶がないことが共通している。過去存在した八つの事例の全てで、「アニマ」には蘇生以前の記憶がなかった』


 嘘だ、嘘だ。違う、考え過ぎだと――そう己に言い聞かせるのも、限界だった。

 もはや疑う余地もない。

 たえ姉の命が狙われていたその理由――それは、


「くそッ、たえ姉ェッ!」




 既に死んだ人間なのに、生者の世界にいるからだ。


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