第一章 顔無し 陸――其ハ優シキ信念ナレド、不完全ナリ
淡島を止めようと出した手は何も掴めず、中途半端に伸ばされて宙を所在なく彷徨っていた。
「ああ、もうーっ! ……あれは絶対、いつもの悪い癖が出ているよ」
普段の淡島はたえの言うことを聞き、いたずらに力を振り乱すような粗暴な人間ではない。しかし、ひとたび電源が入り何かの回路が切り替われば、彼は負傷すら厭わず前進する。敵を惨殺するために絶対に止まらない――そんな危険な性質を持つ。
事実、殺し合いから始まった井伊凪奈との出会いでは、圧倒的格上である凪奈に対して、淡島は際限なく湧き上がる想いの力と、自傷すら厭わぬ狂的な策で引き分けにまで持ち込んだ。
今回の敵は――おそらく彼女と同等かそれ以上の化け物だ。
そんな敵に、淡島がまともな方法を取るはずもない。
「まったく……っ!」
嫌な想像が頭をかすめる。
凪奈と出会いさらに強くなった淡島だが、それでも最悪の事態が起きる可能性はある。
凪奈から事前に『顔無し』について知らされていなければ、あるいは初撃で殺されていた可能性すらある。
「――――っ!」
ずっと一緒だった幼馴染が、今度こそ消えてしまうかもしれない。
そう思うといても経ってもいられず、彼女は己が無力であることを理解しながらも、彼の元へと走り出した。
☆ ☆ ☆
だが。
たえのそんな心情とは裏腹に、戦況は圧倒的であった。
☆ ☆ ☆
「どうした、顔無し! それでも生きた怪異かおまえは。その程度でよくも三百年間大きな顔ができたものだなあ!」
喉から溢れる叫び声は、常では絶対出さないような嗜虐と赫怒と憎悪の混じったものだった。
既に戦いの場は大きく変わり、明かりの無い近くの森の深奥となっている。
現在の武装はいつもの通り、脚部推進装置に両翼型推進装置、左手には竜爪を装備し、右手には小刀。ここまではたえ姉にも見せた武装形態だが――ああ、その程度では終わらない。
両翼の接合位置のちょうど中間にあたる背中からは十丁の変わった形態の火打銃が突き出していた。ただしこれは、大筒型の無反動砲と同様に、見た目通りの性能ではない。その正体は散弾銃。文字通り散弾を打ち出す旧世界において対人戦に用いられた歩兵兵器の一種だ。
右の上腕から手首にかける皮膚からは、百を超える穿孔機の細く鋭い刃が松の葉の如く生え出ている。高速回転する刃に触れれば、肉体のいずれかの部位が吹き飛んでもおかしくはないだろう。
左腕もまた形態が変化している。腕の外側が鎖鋸へと変じており、こちらも高速回転して敵の体を今にも食らわんと猛っている。
穿孔機と鎖鋸の暴力的な大合唱は、聞く者に心底からの恐怖を抱かせるには十分で、それは怪異そのものであるはずの顔無しですら例外ではなかった。
現在オレが創造しこの身にまとっている武装の数は五――たえ姉との戦いよりもさらに多い。
奴は機械の怪物のようになったオレに恐れをなしたかのように、遠方からちまちまとクナイを投げるだけであり、オレに勝とうという気が全く見えない。
それにオレは、いい加減に堪忍袋の緒が切れそうであった。
「何だ、そのザマは。あれほど大見得切って奇襲を仕掛けてきたというのに、いざ己が窮地に立たされれば足を竦ませ震えるだけか。下らない存在だな。生きる価値が欠片も見当たらないんだよ。今すぐ死ね」
脚部と翼の推進装置を駆動させ、木の上でこちらを観察する顔無しへ肉薄する。
『――っ』
「浅い、下らない。届くと思うか!」
黒衣の裏から取り出した野太刀を取り出す顔無しは、その凄まじいまでの身体能力で達人すらも超える速度の剣閃を放つが、ただ速いだけの斬撃がオレに届くはずもない。
技術が足りていない。達人ならば垣間見えるはずの眩しいほどの努力の片鱗や、一刀に込められた壮絶な思いが何一つ感じられない。はっきり言って塵そのもの。中に何も詰まっていない。木偶の剣よりなお酷い。こんなもの、機械であっても繰り出せるぞ。
竜爪を軽く這わして軌道をずらし、がら空きとなった胴へ短刀を突き刺した。
『ゲァッ! ギィ、イダイ。いた、いたいいたてて、痛イ!』
「黙れと言っている。その低俗な声をオレに聞かせるな」
耳障りだぞ、小物が。おまえのような下らん凡俗に不覚を取ったこと、この上ない恥だ。
せめてその恥辱をほんの少量拭うためにも、肩を付けるのに時間は取らない。
喚く匹夫を黙らせるべく、オレは右肘に撃発機構を創造。火薬を炸裂させ、その推進力で刃をさらに深く突き入れた。
それに留まらず、回転する穿孔機の刃が奴の胸をズタズタに引き裂いた。
『ひぇ、やだ。いだい、たずげじぇ、じゃだ、あばばびゃびゃびゃびゃ』
うるさい。
『ぼびゅっ?』
脚部の推進装置で爆発的に加速したオレの膝が、顔無しの股間に叩き込まれる。致命的な感触を膝に感じる。目の前では襤褸布の奥から泡が噴出していた。
「――――……」
崩れ落ちる顔無しを、落胆が多分に混じった瞳で注視して《魂命》を確認すると、
「二〇〇〇/九〇〇〇、か。莫大な《魂命》に、おそらくだが能力の底上げによる身体能力。その割には弱すぎる心か……。不可解な点が多すぎるが、それも最初から分かっていたこと。まずは捕獲するとしよう」
片腕と片足を切り落とすと魂命が一〇〇〇にまで落ちる。《魂命》の残量からしてみればまだまだ戦えるだろうが、あの小物ぶりでは心が折れている。屑箱に落ちていないことから生きる気力は失っていないようだが、もう戦えないだろう。この世界はそういうものだ。想いの強さが力に直結するというのは、弱体化すらもそのうちに含まれるということ。
能力次第では、欠損した体の再生すらもこの世界では不可能なことではない。が、こいつに無理なことは自明だ。
そろそろたえ姉も心配している頃だろうから戻ろう――そんな折だった。
五つの方向からクナイが投げつけられたのは。
「やっぱり来たか」
オレはそれら全てを難なく回避する。
奴らの襲撃は予想していたものだったため、驚きなど当然あるわけもない。
顔無しの話を凪奈から聞いて以降、オレは自ら作り出した糸を家中に張り巡らせて、結界のようなものを張っていた。家に入り込んで殴って来た奴も含めて六人の存在を把握していたオレは、奴らの注意がたえ姉ではなくオレ自身に向くようにより派手に、そして奴らの存在に気付いているように匂わせつつ戦っていた(おそらく先ほどたえ姉がオレの指先が光ったと言ったのは、それに奴らが引っ掛かったことで糸が動き反射したことによるものだろう)。
たえ姉を家に一人置いて戦う以上、この五人を引き付けることもまた必須であったのだ。
そして敵がそれに乗り、今こうして奴ら五人と対峙しているというわけだ。
周囲に五つの気配を感じる。それは木の枝に立っている者や、影に隠れている者など様々だ。
それら全てが、オレが今打ち倒した顔無しと同等の実力を持っている。纏う雰囲気や佇まい、そして風格など……それら全てが、この男と同格。
つまり――
「お前たちも塵か」
既にオレの我慢は限界に近かった。怒りは既に振り切れている。
別に奴らが弱いことに怒りを感じているわけではない。
たえ姉を殺そうとしたことは万死に値するし、彼女を守るために戦っているのは事実だ。
だが、憎悪にまで近い怒りを覚えているのはもっと別のところにある。
「聞かせろ」
低く、冷たい声が喉の奥から溢れ出す。
「なぜそんなに、おまえたちは不満そうな気配を滲み出しているんだ?」
そこだった。
奴らには奴らの目的があり、そのために戦っているのだと感じていた。
たえ姉をつけ狙うのにも理由があると、そう思い込んでいた。
しかし、実際には違う。
こいつらは、それらを嫌々やっている。
事ここに来て、奴らが怪異などとは俺はもう思っていない。こいつらは人間だ。確実に人間だ。あの襤褸布の奥には人間がいる。――そう、生きる価値のない、底辺の人間が。
「答えろよ、匹夫ども」
オレの侮蔑に、とうとう顔無したちが怒りをあらわにした。これまで一度として声を発さず不気味な気配を出そうと中途半端に努力していた奴らが、下らぬ自尊心を傷つけられて口を開く。
『貴様に……何がわかる』
「何がだ」
『俺たちは使命を背負わされた。やらなければならない。本当はこんなことやりたくないというのに。運命のせいで、おまえたちのために、オレたちはこうして戦いたくもない奴と戦って、死ぬしかないんだ! ふざけるな! 何をしたんだ! こんな呪いは嫌だ! 今すぐ逃げ出したい! だけど、俺はきちんとやっている! やりたくないが、仕方なくやっているんだぞ! 好き勝手生きている貴様らに何がわかる! やりたくないのは俺のせいじゃない! 世界が! こんな世界が悪いんだ! 社会が、俺にこれを強要したのに、なぜ誰も分かってくれな――』
「もういい、黙れ。聞くに堪えない」
必死に何かを捲し立てていたようだが、ああ――もうその汚い言葉をやめろ。排泄音と変わらぬ気持ち悪さだぞ。
もう少しまともな言葉が聞けると思ったのだが……実際は、最悪であった。
「結局は負け犬の戯言か。畜生以下だな、おまえらは。オレの目指す理想郷に、貴様らの如き卑賎な輩は必要ない。己を信じて道を切り開く気概もなく、全ての責任を他者に、周囲に、生れに、環境に、社会に、世界に、自分以外のものに押し付けるその醜態。糞にも劣る」
『……なん、だと……っ』
侮蔑――否、ただの事実を告げた瞬間、顔無しどもからこれまでとは桁の違う怒りが向けられる。それは殺意だ。明確で冷たい殺意が、奴ら顔無しから俺に向けられていたが――
「図星を突かれて怒り心頭か? やはり小物だな。まあ、おまえらのような甘えた奴らにはよくあることだ。珍しくもない。底辺の域を出ないよ」
『――――ッ、~~~~~~ッッ!』
「見当違いの怒りを向けてもいいが、それ以上の暴虐でもって殺してやる。掛かってこい」
『殺すぞあいつをッっ!』
ただただ憎悪にまみれただけの、下らぬ私情で満たされた絶叫を上げて五人同時に襲撃してくる。
対してオレは、推進装置で爆発的な加速を成して、まず正面から迫る顔無しの胸へ短刀を突き刺す。先と同じように肘の撃発機構で腕を深くぶち込むと、百にも及ぶ穿孔でもって胸を引き裂いた。一〇〇〇〇あった敵の《魂命》を二〇〇〇まで消し飛ばす。
何やら絶叫を上げるそいつの頭を右の竜爪で潰した。柘榴のような中身をまき散らし、《魂命》が〇まで落ちて絶命する。
『ひぎゃ。やだ、いやだ、やだだだやだだや、死にたくな――――』
「屑は、屑箱へ落ちていろ」
男の体が淡い光に包まれる。やがて全身にひびが入り、硝子が破砕するのにも似た小気味の良い音を伴って、その体が微塵に砕けた。光り輝く極小の粒子も、やがては虚空へ溶けて消えてなくなる。
一人目。
怯む気配を感じても、今さら容赦などするはずがない。むしろその逆――今なお心を入れ替えぬ雑魚どもに、オレは赫怒を滲ませて、こんな話をしてやった。
「おまえたちは阿修羅街は初めてか? この街にはいつやって来た。六勢力が台頭する前のこの街を、おまえたちは知っているか?」
内に秘めていた強固な信念を怒りと共に吐き散らす。もはや止まらない。奴らがどれだけ低俗か、その全てを分からせるために、オレの舌は機関銃めいて回り始めた。
「控えめに言って掃き溜めだった。低俗も低俗、下らなくて価値のない、暴力や詐欺、卑怯の悉くこそが力となった貧民窟だった。平等などどこにもない。善良な人間が粗暴な人間に搾取され、犯罪を行おうが誰も裁けない」
あの時を思い出すと、オレは今でも怒りで頭がおかしくなりそうになる。
治安は最悪で、人間らしい理性的な生活などできるはずもない。商業も産業も何もない。唯一の法は弱肉強食。
「掃き溜め以下の街なんだ。当然正の方向へ心を奮い立たせて歩くことなどできはしない。正しくあろうとすることが難しく、悪からの誘惑はいつだって人の隣にいたのだから、自然と心は弱くなる。よって強者は皆が皆、強固な悪だ。人をだまし、食らい、何より殺す――そんな輩が無数にいた」
地獄と呼ぶならあれがそうだろう。針の山や血の池など比ではない。生きていながら畜生にも劣る生活を強いられるということが、知性持つ人類にとってどれほど苦痛か。
「オレはそれが許せなくてな。屑どものせいで自分を信じて必死に生きる人たちが割を食い、悪が笑って正義が泥を舐める――そんな屑箱以下の街の中で、そうした奴らを潰すために必死だった。毎日街を駆けずり回り、屑どもを半殺しにしては、その理由を問うていた」
背後から迫る顔無しへ、散弾銃の一撃を見舞ってやる。胴と顔面をぐちゃぐちゃにされて気絶したところで、鎖鋸に変質させた左腕を裏拳気味にその首へ叩き付ける。血と肉と骨が辺り一帯へ飛び散った。致命傷。《魂命》を見れば、その残量が面白いほど簡単に減っていた。
『ぶびゅ、びょびょぼ、べばばばっびょっぼぅっ!?』
悲鳴ですらない何かを口から吐きながら恐怖と苦痛を訴えるも、そんなものは無視する。左腕を最後まで降り抜いて、首を刈り取った。切断面は当然ながらズタズタで、筋線維が糸くずのようにゆらゆら揺れている。
『――――ぁああ……』
襤褸布が濡れていく。おそらく黒い面の奥では汚らしい、一分の価値もない涙が流れていることだろう。興味がないので竜爪で潰しておいた。
「何と言ったと思う? なぜこんな悪事をするのかと、オレがそう問いを投げて、賊どもが何と言ったか分かるか?」
どくん……っ、と。
胸の中心が、怒りを受けてことさら強く脈打った。
「――『仕方ないだろう。こんな貧しい街なんだから。俺にだって理由はある』だと。……そうだ、つまりおまえたちと同じだな」
二人目。残り三人。
油断も慢心もする気はない。全身全霊、本気の本気で殺しにかかる。
「貧しい街で、無法と呼べる底辺の街だ。それはオレが生まれる前からそうだったのだろうさ。生きるためには悪に走る必要があり、過去に大切なものを失い外道に落ちたのかもしれない。理解はするし納得もしたよ。なるほど確かに、この街に生まれたということは、こうして悪に落ちるには十分すぎる理由だろうな。――――――――で?」
小刀を鞘へ戻して右手首から先を大筒へと変える。遠方から様子を観察していた者へ砲口を向けると、無反動砲の一撃を叩き込んだ。
「ああ、理解はした。納得もできるよ。でも、だから何だって言うんだ。貧しい街だから盗むしか飯を食う方法はない。――本当にそうか? 当時から真面目に働いている人はいたぞ。
過去に悲惨な経験をしたから人格が歪み、外道へ堕ちた。――嘘をつくなよ。己をしっかり律すれば、そうはならなかったはずだろう。失った大切な人たちに報いられるように、前を向いてもう一度歩いていれば、そうはならなかったはずなんだ」
大筒の変形を解除して、オレは太刀を抜き払う。
赫怒は際限なしに膨れ上がっていく。それに比するようにして、能力の出力・火力が狂っているほどに上昇していく。同時展開可能な被造物の数は、今やおそらく十というところか。創造可能な物体の精密性も上がっており、今なら『アレ』も作れるはずだ。
「だが……問題の本質はそこじゃない。大切な根幹をはき違えるな」
煙の向こうではまだ動く気配があったため。どうやら即死ではないようだ。しかしもう戦力にはならないだろう。確認するまでもなく、煙に映る影だけで五体満足ではないことが分かる。
「どうしてだ――ならばどうして、自分が――いいや、自分を変えようとはしなかったんだ」
左右から迫る二人の顔無しと剣を撃ち合いながら、オレはようやく己の真実を吐き出した。
「環境に負けたのなら、その環境を変える努力をどうしてしなかった? まともに飯を食える環境ではない。街は無法地帯で、働き口など見つからない……だったら街を変える努力をしろよ。分かりきったことに文句を言うなよ。世界を変えればいいだろうが。それをどうしてしないんだ? ――決まっている。自分には出来ないと、最初から決めつけているからだ。無意識のうちに、自分は街を変えられないと、環境を、社会を、世界を変えられないと、そんな風に諦めているからだろうが」
さすがに身体能力をはるかに凌駕した化け物二人に挟まれての近接戦は無謀であったのか、右方から迫る野太刀を捌ききれず、脇腹に激痛が走る。しかし負傷も構わず返す刀で一方の顔無しの右腕を切り落としてやった。
推進機で加速させた襲撃を絶叫するそいつの顔面にぶち込む。ぼきり、と固い何かが砕ける感触が足の裏に広がった。
「悲惨な経験をしたと言ったな。だったら次は、そんな経験をしないように街を変えるべきだった。正しい心を持ったまま強くなる。悪ではなく正の方向へ歩き出し、そうした悪を掃討していく道へ歩めば、いつか世界は優しくなったはずなのに」
草履の裏を襤褸布に接しさせたまま跳躍すると、両翼型の推進装置を爆発させて超加速――その速度のまま左方の敵の喉へと太刀を突き刺し、さらに前進。巨木の幹へと縫い付けて、刃を右へと薙ぎ払う。首が半分切り裂かれ、ぷらぷらと不規則に揺れている。ただし、未だ《魂命》は尽きていないので油断は禁物。今すぐとどめを刺さんとその脳髄へ刃を突き立てんとした、その刹那――視界の端に、野太刀を咥えて走ってくる黒い姿が映った。大筒で四肢が吹き飛んだはずの奴だ。
奇襲のつもりだろうが――残念だったな。振り返ることすら時間の無駄だと理解して背を向けると同時、ガカァンッ! と火薬が炸裂し、散弾の嵐が奇襲をもくろんでいた哀れな顔無しを襲った。
「実際、六勢力は正しき力で悪をくじき、優しき心で弱者を導いた。その結果、阿修羅街は今のような、どこか粗雑で粗暴でありつつも、当たり前に笑顔で満ちた街になった。商業も産業も栄え、子供は健やかに育つことができる。そうだ、できたんだよ」
ああ、だからこそオレは彼ら六人を尊敬している。
オレが奮闘してできなかったことを、彼らはたった六人でやってのけたのだから。
「あいつらは自分を信じていた。己の可能性を、己の真価を、己の未来を、全てを信じていた! だからこそ、阿修羅街は優しい街になった。出来るんだ、この世界では! 心の在り方たった一つで世界を変えられる。想いの力があれば自分を変えられる。それだけで努力を重ねられるはずなのにッ! 夢を向かって努力をすれば、絶対に望む幸せを手に入れられるはずなのにッ。それなのに、どうして――」
そして、ようやく、オレはこの怒りを世界に向かって叫びあげた。
「どうして――――この街に住んでいた全員、どうして誰もしなかったァアアアアアッッ!」
我慢ならない、耐えられない。
結局のところ、オレの怒りはこの世全ての人間に当てはまるものだった。
「できたはずだろう! オレがやっていたんだ、見てた人はいただろう! いいや、オレ以前にもいたはずだ。街を変えようと奔走していた人は絶対ッ! なのにどうして誰もそれに続いてあげなかったんだ? なぜ一緒に変えようとしなかった?」
その答えはただ一つ。
「できないと、諦めてたからだろう? 自分には世界を変えられない。出来る人間しかできなくて、自分には才能も資格も権利も運命も何もないから? やれる人間は選ばれた者だけ? 勇者や英雄だけが世界を変えていいとでも? 馬鹿かおまえら。だから搾取されるんだよ」
怒りに任せて竜爪を叩き下ろして、幹にだらりともたれかかる顔無しを潰す。
「理不尽に押し潰されるのは当たり前か? 不条理を前にすれば人間はただ奪われるしかないのか? 不幸は突然やってくるから、どうすることもできないか? 違うだろう。そうじゃない世を作るため、必死に努力すれば済む話だ。全員が変わればそんなことになりはしない! 世界は巨大で、運命には抗えない? 阿呆の理論にもほどがある。そんな負け犬の戯言を吐いているから奪われるんだ! 何もかもを世界のせいにして、自分の目に映るものを壊す暇があるなら! そうならないよう周囲を変える努力すればいいだけだろうッ!」
背後で蹲る哀れな顔無しの首を刈り取ったのち、オレは最後の敵へ太刀の切っ先を向け、撃発機構を用いて刃を飛ばした。
不意打ちに顔無しは対応が遅れるも、それは軽く腕を裂くにとどまる。刃が地面へ突き刺さり、折り重なる幾重のもの葉の間をすり抜けてきた月光が、血塗れの刃を反射した。
外した――わけではない。これは布石だ。
新たな武装を創造する。そのためにはあの位置に刃が必要なのだ。
「自分を信じろ、自分を信じろ、自分を信じろ。自分を信じて明日へと羽ばたけ! そうじゃないと自分が可哀想だろう! 自分が自分を信じてやらず、誰が自分を信じてやるんだ! 目覚めるんだよ全員で! 夢を持つでも、毎日を必死に生きるでも、誰かを本気で愛するでも、世界を変えるでも、本当に何でもいい。皆が皆、自分を信じて必死に努力し、見果てぬ光を目指せば、この世界は素晴らしいものになるはずなんだッ!」
何か意味の分からない言葉を吐き散らす顔無しへ、空になった右手を向けた。脳裏に叩き込んだとある兵器の図面を想起して、何一つズレの無いよう設計していく。
想像を創造する。糸を縫い合わせて服を作る裁縫のような感覚で、旧世界においても幻想とされた科学の夢を編み上げていく。
作り上げられたのは武骨な外見の白い大筒だ。しかし無反動砲のそれとは若干異なり、何より砲口からは光が瞬いている。
「できる、できないじゃない。やる、やらないでもない。自分を信じる、それだけだ」
バチンッ、バチンッ、と火花のような音を散らすこれは、熱電子と呼ばれるものだ。
砲口内には竹炭を主成分とした無数の繊条がありここに電流を通すことで自由電子が外へ飛び出してきたものだ。当然ながら高温で、触れればただで済みはしない。
そして――最後の仕上げだ。
オレは激情と理性を同時に昇華させ、兵器の域まで引き上げた。
「だからオレは作りたいッ! そういう世界を! だから、そのために――」
右手の白亜の大筒と『顔無し』、そして先ほど飛ばした太刀の刃が直線状に並んだことを認識すると、オレは大筒と刃の間に一万の電圧を掛けて――
瞬間。
「おまえたちは不要だ」
電圧という名の激流に呑み込まれ、鉄砲水めいた勢いで熱電子が放出された。
射線上にいた顔無しは全身を炭化させたのち、五〇〇〇以上残っていた《魂命》を全て削られて、あっけなくその体が微塵に砕けた。
「お前は……神の裁きを、受けるぞぉ、お……――」
最期に、そんな捨て台詞を残して。
☆ ☆ ☆
むかし。
本当にむかしの話だ。
たえ姉と出会うさらに二年前、オレは友人を失った。
『こんな世界だけどね、真面目に生きないとダメだよ』
顔も名前も、何も覚えていない。近所に住んでいた二つ上のお姉さん。そんなに年が変わらないくせに、なぜか偉そうで上から目線で説教をしてくる人だった。オレや近所の悪ガキたちに混じって馬鹿みたいに遊ぶわりには、時折そうして生きる道を示そうとしてくれた人。
『悪い人たちばかりだけど、流されたらダメだよ』
分かっている。
その人に言われるまでもなく、そんな分かりきったことは理解していた。
たとえ何があっても流されてはいけない。理不尽や不条理や不幸に襲われたからといって、外道に落ちてはいけないことなど、生れた時から知っていたのだ。
だから、彼女の言葉はオレにとっては無意味なものだった。釈迦に説法とまでは言わないが、別に聞くに値しないことに変わりはない。
他のガキたちはどうだったのかは知らないが。
『淡島くんはねえ、少し人の話を聞き入れてみよっか』
…………どちらかといえば嫌いだったし、当時から怠け者たちが嫌いだったオレにしてみれば、そんな風に様々な人間と接して導いていこうとする姿に呆れたものだ。
人の話を聞き入れる――確かに、成功を収めた人間や心、そうでなくとも心の底から尊敬できる誰かの話なら、オレは喜々として耳を傾ける。己の糧となるならば、たとえ分野が異なろうとも変わらない。
だが、既に分かりきっていることを何度も話す人間や、甘えたことを口走るだけの弱者の言葉に耳を傾ける意味が、昔からわからなかった。――ただ、その人の話を聞き入れるべきだという、意見そのものは真摯に受け止めた。
そして、そんなある日だ。
彼女は唐突に死んだ。
阿修羅街の圧巻に殺されたわけでも、屑どもの戦いに巻き込まれたのでもない。
ただ、あっけなく、物語も悲劇もないままに、唐突に死んだ。まるで電源が落ちたかのように命の灯が消えたのだ。後になってふと気になり調べてたが、特に原因は分からない。だが、おそらくこの葦原電界という箱庭に生じた不備か欠陥により、その割を食う形で彼女が死んだのだろう。
神が作った宇宙でさえ、人種差別に世界大戦、核爆弾や自然災害など、多くの欠陥があったのだ。神に及ぶはずもない人類が作った箱庭に、欠陥がないわけがない。
そして、みんなの姉のような存在であった彼女が死んで、近所の子供たちは消沈していた。丸でこの世の終わりでも経験したような有様。
ある者は生きる道しるべを失ったと嘆き、ある者は外道に落ちた。あるいは、この世界の理不尽さに打ちのめされて、無気力に生きるようになり――そして、阿修羅街の弱肉強食の法に食われて死んだ。結局、あの時一緒にいた子供たちの中で生き残ったのはオレだけだ。
誰もが世界に絶望して、何かを変える努力をしようとはしなかった。だから全員、その環境に食われて死んだ。彼女が消えて一年後のことだった。
自分を信じて何かを変えようと努力すれば、本当は新たな未来を掴めたかもしれないのに。
輝かしい光を迎えられたかもしれないのに。
オレはそれが心底不思議で、全く理解できなかったのだ。
どうして彼らは諦めたのだろう。
たった一人友人を失っただけで、どうして自分の可能性に見切りをつけたのだろう。
もっと必死に生きていれば死ななかったかもしれないのに。この街が悪いというのなら、変えようと努力すればよかったのに。それができなくとも、せめて自分だけは強くあろうと決意して、本気で変わろうとすれば、まだ生きられたかもしれないのに。
どうして、どうして――
だって、おかしいと思ったはずだろう?
みんな、世界を変えたいと思ったはずだ。こんな訳の分からない理由で死にたくないと思ったはずだ。彼女のことが好きだったなら、その彼女を奪った世界を許せなかったはずなのに。
結局、誰一人として動こうとはしなかった。
誰にでもできることなのに。
真面目に、必死に、本気で、命を振り絞って生きるだけのことを、できない。
そうだ。
この世界の人間の多くは、適当に生きて適当に死ぬ――そんな生き方しかできないのだ。
だから、オレはそれを変えたい。
怠惰に生きて死ぬ人間を無くしてみせると、そう決意した。
こんな救いのない世界よりは、絶対にいい世界になるはずだから。
ただ必死で生きてほしい。
オレの願いは、本当にただそれだけなんだ。