第一章 顔無し 肆――心ノ力
瞑想を解いて現実へと帰還した瞬間、目の前が鮮やかな色彩に染め上げられた。
物が少なく、寝るためと瞑想するためだけにあるような面白みのない部屋でも、さすがにあの色が反転した図書館よりはましだ。
「ふぅうー……」
少し大きめに息を吐いて呼吸を整えると、そのまま敷いた布団の上に寝転がった。
「疲れた……」
いつもそうなのだが、情報図書館へ不正侵入するのは本当に骨が折れるというか、疲労が半端ではない。
肉体を捨て魂だけとなったオレたちにとって、精神的疲労は直接的に行動や疲労感に繋がっているのだ。
もっとも、こうして休憩している暇も惜しいというもので。
図書館に情報がないのならば、次は足を使って調べるということになるのだが……
「止められているんだよな。そういえば……」
とはいえ別に、素直に言うことを聞く気はない。当たり前だがたえ姉や凪奈の忠告など無視して調査に乗り出すつもりしかない。
ただ、問題が二つある。
一つは、どうやってたえ姉に見つからずに外へ出るかというもの。
さすがに馬鹿正直に『顔無しを探してくる』とは言えない。また、嘘の用事をでっち上げたところで、生半可なことでは笑顔で「わたしも行くよ」と言いかねない。当然、危険極まりないことをしようとすれば止めるだろうから意味はないだろう。
そしてもう一つの問題は、たえ姉を独りにすることの危険性だ。
死人まで出ているこの状況で、たえ姉一人を置いて家を抜け出るというのは、さすがに気が引けるというか、単純に心配だった。
オレが黙っていなくなったとあれば、怒りながらも必ず心配してオレを探しに外に出るだろう。その先で何か事件に巻き込まれて大事に至る、という事態だけは避けなければならない。
というわけで、八方塞がりだ。
現状良い案は浮かんでこない。となれば、浮かぶまでは待つしかないだろう。
オレはやおら起き上がって体を伸ばし、部屋を出た。
居間へと続く廊下を歩いていると、庭の方から、風が草木を揺らすざわめきのような音が届いてきた。
「……まったく」
またいつものように『修行』でもしているのだろうか。
オレは居間へ向かっていた足を方向転換させて、庭の方へと向かうことにした。
剣の試合をすることができる程度には大きな庭。その真ん中で、炎や水を生み出して必死に舞うたえ姉の姿があった。
縁側からその美しい舞を見守る。
装いそのものは誰かに見せるためのような正装などではない。昨日とは異なる黄色の服を纏っているものの、それは街に出ていくための楽な格好だ。
しかし、それでいてなお、少し遠くで雅に踊る幼馴染の姿には目を奪われてしまう。
洗練されたその動きは彼女が毎日欠かさず舞っているからこそ。ただ愚直に、真っ直ぐ必死に休まず怠けず……
彼女の美しい舞は、そうした努力の結晶だ。
火の粉がたえ姉の周囲で散っている。それを風が巻き上げて、つむじ風のようにくるくると少女の周囲で数秒回って、やがてふとそれらが消えた。
けれどたえ姉はそこで舞を止めたりはしない。そのまま今度は水を己の周囲に展開して、そこへ雷を打ち込んだ。
バチンッ、と大気が千切れるような音が鳴り、たえ姉を中心にして旋回していた水の塊は数えきれない数の飛沫となって空へ弾ける。やがてそれらは雨となって彼女を濡らしていく。
しっとりと濡れ、わずかに透けた服がたえ姉の肌に張り付いて、息を呑むほど美しい肢体の形をくっきり浮かび上がらせる。
「――――っ」
頬が熱くなるのを自覚して、さっと顔を背けてしまった。
その後も少しだけ舞が続いて、そしてようやく彼女はオレの存在に気が付いたらしく、こちらに声をかけてきた。
「あら、あっくん。もしかしてわたしの踊りを見てくれてたのかな?」
「え、いやまあ。……そうだな」
「ふーん。で、どうだった?」
含みのある笑みで尋ねてくるたえ姉に、オレは一歩下がりつつもしっかり答えた。
「……ええと、なんだ。綺麗だったよ」
「そっか。わたしは綺麗だったか」
「いやだから――」
「はーい。文句は受け付けませーん」
庭の真ん中でお姉さんぶった笑みを浮かる彼女だったが、ふとその表情が陰った。
その変化にすぐに気が付いたオレは、気になって訪ねようとしたのだが――
「ねえ、あっくん」
その前に、たえ姉が先に言葉を発した。
こちらを見上げる瞳は不安に揺れていて、助けを求める捨て犬のようだ。
「わたしさ、弱い、よね……」
「なんで、そんなこと」
「だってあっくんは強いじゃないか。井伊凪奈なんていう大物と互角に張り合ったりするし、どんどん遠くへ行っているみたいだよ」
「別にそんなことはない。確かにたえ姉はオレや凪奈みたいに荒事には向いていないのかもしれない。でも別に、たえ姉が強くならなくたっていいんだ。オレが守るから」
「――――そうじゃ、なくて……」
オレは正直にたえ姉に想いを伝えたのだが、彼女はそれが不服らしい。
強くなりたくて、オレと並び立ちたいと思っているのかもしれない。
そんなことをしなくても、オレはたえ姉と離れようとは思っていないのに。
「それじゃあ、君の力になってあげられない。いざという時に、君の力に……」
ああ、そういうことか。
彼女は年上の幼馴染として、オレを守りたいのだ。
ずっと一緒に過ごしてきたから、隣にいるのが当たり前で。
それでも、いつかは突然の別離が来ることだってあるだろうから。
だから、彼女は失わないように自分の強くなってオレを守りたいというわけだ。
余計なお世話――だとは全く思わないし、たとえ思ったとしても口が裂けても言わないだろう。
これほどまでに真剣にオレを思ってくれる彼女を、無碍にすることなんてできるはずがない。
「だったら、組手でもしよう」
「組手?」
「ああ。たえ姉とオレで、能力を使って模擬戦をすればいい。今はまだまだたえ姉は弱いかもしれないけれど、これから毎日続けていけば必ず強くなれるから」
そう告げると、何が嬉しかったのか――先までの不安げな気配は微塵と消えて、その顔に安堵を滲ませて小さくはにかんだ。
「そっか。なら付き合ってもらおうか。さあこっちに来てくれ。さっそく始めよう」
すぐにいつもの余裕を取り戻し、オレを庭へと誘った。
☆ ☆ ☆
左手に竜爪を装備し、右手に撃発機構を含んだ太刀を持ったオレに対し、たえ姉に外見的な変化はない。
とはいえそれも当然だろう。
彼女の性質は主機能が『外向的感情型』で、補助機能が『外向的直観型』である。これら二つの組み合わせによる能力とは、往々にして自然現象や非人工的な『概念』を己の体の外に展開するうえ、その持続時間が極端に短いことが多い。
ただ、それを分かっていてなお、見た目に変化のないたえ姉に襲い掛かるというのは気が引けるわけで。
「やるよたえ姉。構えてくれ」
「うん。さあどこからでもおいで」
「強そうな雰囲気を出すのはいいけど、一応オレの方が強いし、たえ姉はオレに能力の使い方を教わる立場だからなっ?」
「形から入る種類の人間なんだ。大目に見てよ」
だが、彼女が大丈夫と言っている以上、心配や気遣いをすることはもはや無礼に近い行為だろう。ならばオレは、彼女が強くなれるよう、自分にできることを精一杯するだけだ。
「じゃあ、行くぞ――!」
軽く告げると同時、オレは脚部に推進装置を創造して、一気に加速した。
「はやっ――」
たえ姉が瞠目するも、オレは構わず懐へ潜り込む。
刃と峰が逆となるよう持った右手の太刀を、たえ姉の脇腹目がけて一気に振り抜く。手加減や容赦のない一撃だ。ここ最近でも特に冴えた一閃で、正直これで終わるかと思ったが――
「く、ぅうっ!」
バシンッ、と空気が弾けるような音が鳴ったかと思うと、太刀を握る手に電撃が走った。痛みなどは一切感じなかったが、手元が狂い剣筋が鈍る。
たえ姉はその一瞬を逃さず後方へ逃れて太刀の一線をやり過ごす。
太刀は見事なまでに空を切り、オレはたえ姉の前に間抜けな姿を晒すこととなった。
「やるな……」
舐めていたわけではないが、まさかあの一刀を回避されるとは思わなかったため、意図せずして感嘆の声が漏れ出ていた。
対してたえ姉は余裕たっぷりに笑って、
「確かにわたしの方があっくんより弱いけどね、こう見えても君を守るためだけに訓練してきたんだ。あまり舐めてもらっては困るね」
「ああ、そうみたいだ、……な!」
指を振って挑発してくる彼女へさらに果敢に攻め込んだ。
竜爪を振るい太刀を薙いで、蹴撃を放つ。
竜爪は瞬間的に展開された水の盾に阻まれて減速し、薙いだ太刀を先と同じように静電気のような小さな放電でやり過ごされた。推進装置によって爆発的に加速された蹴撃は、背後からの追い風によって照準を乱されてしまう。
「…………普通に強い」
「それはあっくんが相手だからさ。わたしはあっくんを知り尽くしてる。君の癖や視線の向け方、呼吸の仕方や体の動かし方まで。伊達に七年一緒にいてるわけじゃあない」
「まあ、それは確かにそうだな」
たえ姉の能力は『刹那之災』というものだ。
先の現象や名称からも分かる通り、己の周囲に局所的な自然災害を、一秒にも満たぬ極短小な間だけ発生させる能力。
直感型の心理機能を持っている人間は、自然現象や概念的なもの――つまりは形のないもの――を作り出すことを得意とする。
先のたえ姉で言えばオレの刀に流し込んだ電撃や、オレの竜爪を阻んだ水の盾、さらには局所的に巻き起こった強風。
他の例を挙げるなら、凪奈もこの『外向型感情型』である。彼女が周囲に召喚した無数の花弁がそれにあたる。さらに踏み込めば、彼女の場合は補助機能が『内向的感覚型』であり、あの花弁が何か物体に触れた瞬間に爆発するのはそこに起因しているのだが、今は割愛していいだろう。
重要なのは、目の前で爆炎を作り出してオレに差し向けてきているたえ姉の方だ。
彼女の場合は補助機能として働いているが、『外向的直観型』を主機能としている人間は、基本的に物事の可能性ばかりに目を向けて、一つのところに落ち着けない人間であることが多い。例えば仕事が長続きせず、次々と居所を変えてしまうような『飽き性』の人間など。
こうした特性から、『外向的直観型』の人間が作り出した被造物の持続時間は極めて短く、すぐに自壊してしまうことが多い反面、次に創造を行うまでの時間が極めて短い。
被造物を使い捨てながら無数に次々作り出す――
特にこれを主機能としている人間の手数は、もはや曲芸の域にまで達する。
その究極系が、阿修羅街六勢力の一角『服部忍術衆』の頭領――服部六徳である。
噂によればその手数の数は恒河沙に及び、それら無数の戦略戦術手管、何よりその創造速度は名の通り六徳にまで及ぶとまで言われている。
たえ姉の『刹那之災』はそこまで創造速度が速いわけではなくとも、オレとは異なり高速戦闘中に自然災害を発生させることが可能であり、それら一つ一つの効果もしっかりしている。
正直、能力『単体』で見れば強力な部類に入るだろう。
しかし、この世界の能力は何も、その効果だけで決まるものではない。
それを加味してしまえば――
「わたしは確かにあっくん相手なら互角以上に立ち回れるよ。だけどね、他の奴が相手ならそうはいかない。今のままのわたしじゃあ、いざという時に君を守れないのさ」
「だからもっと強くなって『力』が欲しい? オレを守れるだけの『力』が」
「そういうこと。そしてそのためには、今のままじゃダメなんだ。ただ能力を上手く使えるだけじゃあ――!」
その覚悟を、笑う者は確かにいるかもしれない。
今はこうして互角の戦いを演じてはいるが、結局どちらが強いかと言えばオレの方だ。しかも、おそらく圧倒的に。
初見の敵を前にしたとき、たえ姉は簡単に敗北してしまうだろう。
その理由は酷く単純だ。いくら能力が多彩であっても、出力が低すぎるから。
火力が壊滅的に低い。
確かにオレの手元を狂わせられるその技術や多彩性は認めよう。しかし、相手がオレでなければこんな戦術はすぐに瓦解してしまう。
極端な話、頭上に隕石でも創造されれば詰みだ。
だから、それを打開できるような力が欲しい。出力が、圧倒的な火力が欲しい。
それが彼女の胸を焦がしている渇望。オレを守るための力が足りないと嘆き、焦る要因そのものである。
そして、そのために必要なのが。
「教えてもらうよ、あっくん」
「――――」
「想いの力の限界突破ってやつを!」
いいだろう、だったらオレも全力全開、本気の本気で見せてやる。
たえ姉がそこまで本気で強くなりたいって願うならな――!
「ァァアアアアアッッ! 行くぞたえ姉ッッッ!」
腹の底から獣のような絶叫を吐き出した瞬間のことだ。
オレの全身から力が沸き上がり、全能感に包まれる。
「創造――両翼型推進装置ッ、大筒ッッ!」
そして、オレは背中に翼の形をした推進装置を装備した後、握っていた太刀を鞘に納めたのち、右手の手首から先を小さな大筒へと変形させた。旧世界で扱われていた歩兵兵器――無反動砲だ。
「え、ちょっ――」
被造物同時展開、四。
無反動砲が火を噴き、たえ姉の近くの地面を吹き飛ばした。
土埃が舞う中を、両翼型推進装置と脚部推進装置の二つを用いて一瞬の内に突破すると、竜爪の人差し指と中指で首を挟む。肌に触れる直前で固定して、オレは軽い調子で告げた。
「たえ姉、オレの勝ちだ」
「もうー。ずるいよ君」
不服そうに唇を尖らせるたえ姉の表情は、まさしく拗ねる子供のようで面白かった。