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天部電界戦線  作者: 焼肉びじ
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第一章 顔無し 弐――電子ノ怪異

 顔無し。


 その存在が認知されたのは電界暦三百年ごろであるとされており、文字通りその外見に『顔が無い』という以外に具体的な記述が存在しない何かである。

 とはいえ、顔無しという存在はこれまで話のタネ程度の存在でしかなく、都市伝説や伝承という程度のものでしかなかったのだ。

 見た、という人間は電子の海に無数に転がる情報を精査しても数えられる程度しか存在せず、実害を受けたという報告もなかった。


 そう――七年前までは。


 七年前のある日、『顔無し』が集団で目撃されたという情報が、葦原電界の情報網に落とされた。

 これまではおとぎ話のような概念でしかなかったものが、目撃された日時と座標、そしてその容姿と共に具体性と信頼性のある情報と共に葦原人に認知されたのだ。

 それから『顔無し』の目撃証言は徐々に増えていくことになる。

 年を経るごとにその数は増えていき、今ではこの阿修羅街でまでそんな声が上がる始末。


「この街は私たち井伊女傑衆を初めとした、阿修羅六勢力が武力と慈悲でもって統治して仮初の平和を守っている。火薬庫に近く些細な火種があれば爆発する可能性はあるが、だからこそ詳細不明の脅威や不穏因子にはより強い警戒をしている」


 そう語る凪奈の瞳には、己の包囲網を掻い潜り大切な民を殺されたことに対する怒りが見て取れた。


「それをまるで雲か煙のようにすり抜けおった。これから住民には十分気を付けるように警戒を促すが、それだけでは足りん。これより私たちは打って出ることにした」

「……何か策があるのか?」

「ない。が、もうやるしかないことも事実。民を守るためにも、今すぐふざけた道化どもを天の屑箱に叩き落としてやる」

「それで、オレにこれを見せたということは何か理由があるんだよな?」

「ああ。簡単な話。――お前はこの件に関わるな」

「なに?」

「へえ」


 予想外の答えに対しオレは間抜けな声を上げ、たえ姉は不思議そうに目を丸くした。


「意外だね、凪奈ちゃん。わたしはてっきりあっくんに協力を要請するものだと思っていたんだけど」

「まさか。忠告だよこれは。下らない小物を相手にしているわけではない。三百年の歴史を持つ、いわば怪異を敵にしているようなものだ。危険すぎる」

「……っ」


 凪奈の言葉は確かにもっともなものだが、だからと言って放っておけるはずもない。そもそもオレにこんな話をすれば聞いて放っておくはずがないだろう。

 ここで見て見ぬふりをすることはオレの主義に反するのだから。

 凪奈との付き合いはたえ姉ほど長くはないものの、だからといってお互いのことを全く知らないということもない。

 凪奈はオレが馬鹿正直に真っ直ぐ進むしかできないことは知っているはずだし、オレも凪奈のことはある程度ならわかっているつもりだ。

 だから、それが疑問だった。

 オレにそんなことを教えればオレが動かないわけがないのだが。


「別に難しい話ではないさ。私がこうしてぬしに話をせずとも、いつかぬしはこの件に自力で辿り着いていただろう。そうなった場合、ぬしは何の事前情報もない状態で勝手に首を突っ込みかねん。いくら最善の行動でもって勝利をもぎ取ることを信念としているぬしであろうと、必要に迫られれば何も知らないまま突っ込むだろうが」

「それは確かに――」


 否定できない。

 行動を起こすにあたって成功を得るためには、情報をまとめ、策を練り、そして行動することが重要だ。想いの力はこの世界においては絶対的で、能力の源ですらある。しかし、それを言い訳にして最善の勝利を手にする努力を怠ることは間違っている。怠惰以外の何物でもないのだ。

 オレは何事にも真剣に取り組む人間でありたいし、この電脳世界で生きる人々が正しい思いを抱きながら真っ直ぐ正道を歩めるようになればいいと本気で思う。


 だが、オレたち人間は常に最大の準備と最高の装備を持っているわけではない。

 これだけは旧世界と変わらない。

 世界はきっと理不尽で、不条理に回っている。不幸は当たり前のように頭上に降りてくるだろう。

 分かっているとも、そんなこと。だが、だからと言ってそれを否定してどうなるというのか。

 オレたちは確かにこの世界で生きていて、いつだって現実は突然選択を強いるものだ。


 だったら、そのたった一つの事実に対して文句を言うのではなく、その時できる最善を選び、最上の勝利を手にできるように、いま手元にあるものだけで努力するしかない。

 そんなことは当たり前で、だからこそオレは凪奈の言葉を否定できない。

 彼女の言う通り、もしもオレが『顔無し』に関係する事件なりに巻き込まれた場合、たとえ情報や策がなかったとしても、オレは目の前の事態に対処しなければならなくなる。


「まあそういうことだ。たださっきも言った通り、私たちも『顔無し』について何か重要な情報を握っているわけではない。ただ、敵は正体の分からない妖魔、怪異に化生の一族だということだけは忘れるな。半端な認識で挑めば確実に命を落とす。人間を相手にしていると思うなよ」

「……ああ、恩に着る」

「で、どうするんだい? あっくん、わたしは断固反対だよ。行かせない。危険な目には合わせないし、下らない事をするというのなら全身の骨を折ってでも止めるけど」

「……いや、やり過ぎでは?」

「それくらい君のことが心配というだけだよ。相手は怪異だって話じゃないか。こんな電子の世界で怪異だなんて少し気味が悪いし、何よりそこの妖怪怪力人獣女ですら勝てるかどうか分からないだなんて、そんなの危険だ」

「ちょっと待て。今酷い暴言が聞こえたぞ。おい、聞いているのか絶壁」


 たえ姉の余計な一言でまたも喧嘩が勃発したが、もう見慣れているので放っておいた。

 オレは凪奈から渡された紙を広げ、『顔無し』の特徴についてさらっと目を通す。

 黒い頭巾を被った集団。文字通り顔を隠しており、頭巾には釘が刺さっている。身なりは襤褸布を纏ったような汚く貧相な格好で、かつ両腕は蛸や烏賊のような触手となっている。

 ざっと読む限り妖怪以外の何物でもないなこれは。

 電脳世界で妖怪が現れるなどどういうことなのか。おそらくはこの世界における何らかの不具合なのだろうが、まあ不気味だな。


 この不具合が何なのか突き止める必要がある。

 オレは紙を折りたたんで着物の内側に入れたのち、そろそろ女同士の掴み合いに発展しそうなたえ姉と凪奈の仲裁に入ろうとしたところで、ふと視界の端に気になるものが映った。


「――?」


 だが、違和感に気付いて視線を向けても何もいない。

 気のせいだったのか……まあ、いない者のことを考えても仕方がないだろう。

 オレは意識をたえ姉と凪奈に映し、いい加減取っ組み合いの喧嘩になりそうな二人を止めに入る。

 肩で息をする十八歳の幼馴染と阿修羅街の最強格。こんな街の真ん中で喧嘩するなよ。どっちもいい年なんだから。


「はい、もう終わり。いい加減やめような。さすがに恥ずかしいぞ二人とも」

「うっ」

「ぐぬぬぅ」


 年下相手にむきになっていたたえ姉も、市井の民に突っかかっていた凪奈も、互いに自分の行為が恥ずかしいものだったことを思い出し、顔を赤くしていた。


「ともかく凪奈、情報ありがとう。ひとまずは帰宅してから調べてみることにする」

「私は首を突っ込むなと、言ったつもりなんだがな」

「そんなの聞くわけないって、おまえだって分かっているだろう?」


 こともなげなオレの返事に凪奈が呆れたように息を吐いた。たえ姉もやれやれと言わんばかりに肩をすくめている。


「まあわたしはもう止めないよ。とりあえず調べるくらいは好きにしたらいい。まあ、これからしばらくは束縛を強くするとしよう」

「束縛?」


 またもピクリと反応する凪奈。いや、話し進まないからもういいって。二人で仲良く芝居をするな。

「まあたえ姉の軟禁は放っておいて」

「待って。ぬしらいったいどんな生活をしておるんだ? 同棲しているのは知っているが、何か危険な香りが」

「大丈夫だよ、気にしなくても」

「…………」


 疑惑の目を向けられているが、別にやましいことは……今朝あったが、まあそんなに多いことではないのだ気にしなくても大丈夫だろう。


「今日一日でぬしらに聞きたいことは増えたが、まあ今は良い。とにかく私はこれから巡回に出向くから、これでさらばだ」

「いや、おまえさっき抜け出てきたって」

「さらばだー!」


 オレの追及から逃れるように走り去る凪奈の背中を、たえ姉と二人並びながら見送った。


「あ、凪奈の頭がいたっスよ!」


 それと時を同じくして、後ろから焦りに満ちた複数の少女の声が聞こえてきた。皆が皆着物を着崩していて目のやり場に困るのだが、どこかこう、男勝りな印象を受けるせいで色気が半減されてしまっているような少女たちだ。

 彼女らは井伊女傑陣の戦闘少女たちだ。凪奈を頭として立てて着き従っている反面、彼女の自由気ままな行動に手を焼かされている苦労人たちだった。


「げっ、見つかった」


 凪奈が遠くで声を上げて走る速度を上げている。

 それを見た少女たちが歯噛みしつつも、オレたちの横を通り過ぎて彼女を必死で追いかけている。どうやら今日も街を舞台にした鬼ごっこが始まるようだ。

 次々とオレたちの横を通り過ぎていく少女たちだったが、立ち止まる影が一つだけあった。


「おや、これは頭の友人の淡島さんとたえさんじゃないっスか」

「どもっす」

「やあ。今日も今日とて世話を焼かされているようじゃないかい」


 交流の少ないオレは簡単な挨拶を、どうやら面識があるらしいたえ姉はにこやかに話しかけていた。

 赤い髪を頭の横で団子に結った少女は、他の少女たちと違い、服に関してはどうやら色気が消えない程度の注意はしているらしい。まあ、口調が男っぽいので何もかもおしまいなのだが。


「そうなんスよー。今日こそ頭に文字の勉強してもらおうと思って、色々資料とか作ったんスけど、今日は今から淡島さんに勝つんだって言って城を飛び出ちゃったんスよ」

「逃げたのかー」

「はい。今日の担当の子に春画を賄賂として渡して、罠やら仕掛けやら、割と命の危険がある城の裏道まで使って」


 何をやってるんだ、あの馬鹿は。

 部下の子がせっかく資料まで作ってくれたというのに。

 まあ、城を抜け出るために賄賂を用意していたり、命を懸けてでも見つからない道を選んだその本気度には称賛を送りたいが。


「あー、あっくん? いま全く見当外れなことを考えてるでしょ。城を抜け出るのに命を懸けるのは、別に偉くもなんともないからね」

「何を言ってるんだよたえ姉。そりゃ勉強をさぼるのは良くないことだし、用意されたものや彼女たちの努力を考えずに逃げたことは駄目なことだが、城を抜け出るためにそこまで本気で実践することは褒められてしかるべきだろ」

「……何言ってんスかこの人?」

「ああー無視していいよ。大丈夫。いつもの病気だから」

「病気は言い過ぎだろ」


 オレの抗議を無視して、たえ姉はそれからしばらくその少女と談笑していた。

 様子を見るに、別に特段深い関係というわけではないように見える。だが、たえ姉はとても楽しそうに話をしているし、対する赤髪の少女も笑顔を浮かべていて、自然に笑顔を浮かべ合っている。


 たえ姉のこういうところは素直に凄いと思う。

 誰とでも仲良くなる、というのが本当に上手い。表面だけを取り繕った、上辺だけの笑顔を浮かべるのではない。気の利いた言葉や自分の想いをきちんと口にして、その上で相手に交換を抱いてもらえる。

 それはきっと、人を認めることが得意だからだろう。誰かを肯定することに長けている。

人はみんな違っていて、その多様性を認めることができるから、彼女は人に笑顔を向けるし向けてもらえる。

 たえ姉の持つこの魅力は、オレにはないものだから、素直に尊敬できるのだ。

 彼女のような人間こそが正しくて、報われるべき人間なのだと本気で思う。


「それじゃ、ウチはこれで失礼するっス。ここ最近物騒なんで、姐さんも気を付けて!」

「姐さんはやめるんだ。特にあっくんの前ではね。わたしはそんな物騒な人間じゃない」


 たえ姉の言葉に笑顔を浮かべる少女を見送る。


「さて! ようやく二人に戻れたわけだけど、どうする? どこに寄ろうか」

「あー……」


 そういえば買い物の最中だったのだったか。

 正直、凪奈との戦いで相当消耗しているし――


「ひとまず家に帰って寝るのが良いと思う」

「そ・ん・な・わ・け・ないだろう!」


 まあ当然怒るよな。頬をつねるたえ姉にされるがままで、オレは特に抵抗しない。


「せっかくの二人の逢い引きなんだ。存分に楽しもうじゃないか」

「逢い引きって……大げさだなあ」


 とまあ、オレは基本的にたえ姉には敵わないし、逆らおうとも思わないため、手を引かれるままに着いて行くことにした。


☆ ☆ ☆


 電脳世界には旧世界の時代と同じように、昼があって夜がある。

 研究者たちによって設定された季節、太陽や月の動きなど、全てが旧世界の頃と同一となるよう設定されている。

 もっとも、宇宙や太陽系を作るなどという所業が不可能であったため、電界における地上と星々の関係は、地動説よりも天動説に近いのだが。

 ともかく、ここ葦原電界にも夜は存在する。


 そして。

 日が沈み夜の(とばり)が降りたのならば、そこは既に人ではなく妖魔怪異に化生の世界。

 草木も眠りようやく脈動するは、人ならざる者の息遣いである。

 他の領内よりも幾分か治安がましな井伊女傑陣が統べるこの領内は、夜になれば明かりも消えて相応の闇によって支配される。


『キキッ』

『■イ■が出ているぞ。意識を強く保て』

『■ー■■トは割れているのか?』

『ああ。もう既に素性も分かっているし居場所も突き止めた』

『ならばあとは、我らが神の思し召しに従って』

『実行は明日の夜だ』


 闇から漏れ出る六つの声音は、しかしその全てが同じ声を有している。異なっているのは言葉を切る節の位置や息遣いのみで、それすら危うく均等化されそうだった。

 薄雲に隠されていた月が顔を出し、淡い銀の光が六つの影の姿を映し出す。



『『『『『『オン・インドラヤ・ソワカ――――世界の平和を守るため』



 映し出された六つの影は、皆が皆、頭に当たる部分に黒い襤褸布を被っていた。


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