第四章 倶生・潜行 2.魂と魂
崖から飛び降りると共に、オレは太刀と竜爪を機関銃めいた速度で叩き込み続ける。後のことなど頭の中から弾き出す。時間的な制約がある以上、短期決戦で決めるしかないのだから。
刃を、爪を、穿孔機を、鋸を叩き付けるたびに種々様々な自然災害が付加される。攻撃が奴に届くと共に刃と化した爆炎が神を燃やし切らんと唸りを上げ、竜爪を振るえば純水の壁や砂塵の嵐が巻き起こる。
オレとたえ姉が完全なる同調を果たし、魂を融合させたことで互いの考えが完全に共有されることとなったが故の芸当。オレの攻撃に合わせてたえ姉が『刹那之災』を発動することで、間合いの伸長と威力の上昇を果たし、一撃一撃に自然属性が付与されたことで雷撃の回避すらも可能とした。
『砂塵のカーテン。先行放電を意図的に発生させて稲妻を逸らせているわけか』
元来、落雷とは雷雲から地上へと延びる先駆放電と、地上から空へと延びる先行放電が結合し、その先駆放電路を大量の電荷が通過することで発生する。
避雷針とはこの理論を応用したもので、先行放電を放ち続けることで落雷の軌道を意図的に捜査しているのだ。
帝釈天の雷撃を逸らしているのも同じ原理を用いており、暴風で砂を大量に巻き上げ、静電気を発生させて紫電がオレを避けるように誘導しているのだ。
とはいえ戦況は拮抗状態。連撃の回転率を天井無しに跳ね上げようともオレの刃は奴の雷に弾かれる。
魂命に関しては帝釈天が有利か。二人で末那識へと至ったことで、オレとたえ姉は《魂命》を共有することとなり、その数値は二万にまで上昇――かつてのオレの十倍だ。
対して帝釈天の《魂命》は九万/一〇万。跳ね上がったオレの《魂命》のさらに五倍である。
『ひとつ聞かせろ。どうしてそうまでして抗うんだ?』
「どういうことだ」
一撃一撃が必殺のつもりでいるというのに、神にはまだ問いを発する余裕があった。
『負けることは分かっているだろう。末那識へ至り全心理機能を掌握したとはいえ、所詮は人間の範疇だ。人では神には勝てない。考えなくても分かることだ』
「やってみなきゃ分からないだろ。それにどうしてそうやって可能性を狭めるんだよ。自分で勝手に結論付けて、他人の可能性を否定して、それで開ける道なんてないだろうが!」
『無駄だよ。この世界はそんなに甘くない。このアカウントはお前たち電界人を虐殺することを目的としたものだ。電界では全てがデータで構成されている以上、数値上不可能と断定された以上のことは絶対に起きない。無意味なんだよ、意思の力も想いの多寡も』
《あっくん……》
ああ、たえ姉ようやく分かったよ。かつてオレがこいつと対峙して、その目を見て存在の次元から認められないと感じた理由を。
つまるところ、こいつは想いの力を信じていない。
強大過ぎる力を手に入れ、圧倒的な力で弱者を轢殺してきたからこその諦観。
かつてのオレでは認められるはずがないわけだ。想いの力を信じなければ生きていけぬ弱者の前に、そんなものは塵だと断言する絶対的強者が現れれば拒否反応が起きるに決まっている。
『分かったなら諦めるんだな。お前では俺には勝てない』
「だったら」
《わたしたちに――勝ってみろっ!》
『――――ッ!?』
瞬間、たえ姉が脚部の推進装置を爆発させて敵の視界から外れ、死角から刃を突き出す。
『舐めるな……ッ』
「――――」
弾かれるも、既にオレはそこにいない。
翼から炎を噴出して頭上へ跳び、数多の穿孔機が突き出した右腕をその脳天に叩き込む。竜巻を発生させて体を磨り潰すつもりで放ったが、これも雷槍により迎撃され、さらに落下の勢いが僅かに緩んだ隙に紫電の矢を打ち込まれた。
体を捻るも脇腹を掠め《魂命》が千ほど削られる――が、それを無視して太刀を振るった。袈裟を掛けると共に爆炎纏う斬撃が爆発。それと共に体を捻って上手く着地すると、動きが止まったその隙に太刀と竜爪を怒涛の如く叩き込み、凄まじい勢いで《魂命》を削っていった。
「《ハァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!》」
『グガ……ァッ、こい、つ……ッッ!』
槍を突き出すその前に砂塵を展開して雷撃を逸らし、それを隠れ蓑にさらに移動。そこで斬撃を見舞い、振り返ったときには違う位置へ。
ここに来て天秤がこちら側に傾き始めた。もっとも雷撃を全て逸らし続けた上でこちらの攻撃は全て通るのだから当たり前と言えば当たり前。人の身で神を討つ下克上が夢物語ではなく現実になろうとしているのだ。
稲妻を落とそうとも先行放電を用いて逸らすことができる上、至近の地面に落ちようとも、オレの周囲の水溜りは全て純水へと置換されているため感電の恐れも皆無。
爆炎の斬撃に貫通力を持った竜巻、砂塵や純水を巻き起こす竜爪と、地震から派生させ空気を『振動』をさせて間合いを伸ばす鎖鋸。
もはやこの時点で奴の《魂命》は五万にまで落ちていた。最もオレの《魂命》も一万を下回っており、予断を許さに状況ではあるが――しかし、オレたちの優位に変わりはない。
だが、唐突に――己の優位を捨ててまで、オレは奴を追い詰める手を止めた。
『何を、している……?』
帝釈天が訳の分からないものでも見るかのように疑問の声を上げた。
『貴様……このまま行けばオレを殺せたはずだろうが。何故やめた? バテたか?』
失笑するように訪ねてくる帝釈天に、オレはゆっくりと首を振る。
「違う……もう、分かってくれたかと思ってな」
『なに……?』
《……はあ》
心底意味が分からなさそうに顔をしかめる帝釈天に対し、たえ姉は諦めたようにため息をついていた。
ごめん、たえ姉。変なことに付き合わせて。でも、こうしないとダメなんだ。一人でも多く、前を向いていけるように、全ての人と真正面から向き合いたいから。
――別にいいよ。
彼女の暖かい微笑みを背中に感じて、オレは一歩前に出て帝釈天を睨みあげて言い放った。
「オレは強い。お前と張り合える。――だから本気を出して、おまえの全部を曝け出せよ」
☆ ☆ ☆
告げられた言葉の意味を、男はしばらく理解できなかった。
「おまえ、まだ隠してる力あるだろ。本当はその力を出したいのに、どうせ人を諦めているから出さないんだろうが」
神の器のその奥で、誰でもない男の魂が静かに震え始める。
「今までは戦ってきたのは弱い奴らばかりだったもんな。みんな弱くて、小指を動かしただけで折れるような人たちばかりで、だからおまえは諦めた」
真っ直ぐにこちらを睨んでくる少年の瞳はどこまでも真摯であり、帝釈天を――否、その奥にいる誰かと対話しようと必死だ。
「吐き出せよ、おまえの全部を。もう分かっただろ。ちょっとやそっとじゃオレたちは壊れない。器の力に頼っているだけのおまえに、俺たちが負ける道理はないっ!」
この男は馬鹿なのだろうか。頭がおかしいとしか思えない。
こいつは後ろの幽霊みたいな女を救いたいのではなかったのか? 道を分かたれようとも、相手が幸せに生きていて欲しい――そのために、邪魔な俺を殺しに来たのではないのか?
救う相手が間違っている。
言葉を交わす必要などないはずなのに。
その力は敵を排除するためにあるものだろうが。何を悠長に対話なんかしようとしてやがる。
『黙れ――――っ』
言葉とは裏腹に、何かが俺の中で芽生えようとしていた。
空いた胴に一閃貰う。業火が腹を焼き、激痛が全身を襲う。
痛い――
砂礫が視界を塞ぎ、その向こうから風のドリルが飛来して砂塵を纏い胴を貫く。
痛い――
さらに、さらにさらにさらに――
痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――ッッ!
『ははっ、はははは……』
変なものが、喉の奥から漏れ始めた。
『ははははは! くははははははははははっ! はははははははははッッ――――!』
やり方はこれであっていただろうか。〝笑う〟という行為が久しぶりなせいで、上手くできている気がしない。これではまるで泣いているように聞こえてしまうかもしれない。
こんなにも痛いのは初めてだ。ここまで真剣に向き合ってくれた人間は、目の前の男以外にいないだろう。心が伝わってくる。俺と殴り合いたいと体の全部で教えてきやがる。
そうか、これが絆か。これが人を想う気持ちか。誰かを好きになるということか。
『そこまでだァ!』
これまで浮かべたこともないような笑顔で叫び、オレを切り刻まんとする奴の腕を掴んだ。
『名前を教えろ。お前の口から、この俺に』
意味の分からない命令に、しかしこいつは頷いてくれた。
「天津淡島。後ろの子は七識たえだ。――おまえは?」
『俺か? 俺は雷道闘夜。天津淡島――お前を殺す男の名前だ。覚えておけ』
そして――
『これが俺の――魂の結晶だァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
ありがとう、天津淡島。本気で向き合ってくれたことに礼を言う。
これまで満たされてこなかった。二十年以上生きてきて、一度として楽しいと思える瞬間がなかった。
だけど、今は違う。
お前となら――
天津淡島、お前とならとても楽しい時間を過ごせそうなんだ。
だから頼む、俺の我がままに付き合ってくれ。
たった一度だけでいい。この一瞬だけでいい。
お前の時間を、俺のために使ってくれ。
『――「自相・執業」――』
これなるは唯一無二の我が奥義なり。
器も力も借り受けしものであり、心も想いも魂も、何一つとして意味はなく価値は皆無であると断じてきたが、しかし――これだけは違う。
其は我が全てをもってこの器に書き込んだ固有情報。
あらゆる『個我』を排斥された神の器だが、ただ一つ例外が存在するのだ。
それこそが『自相・執業』――プログラミング技術の全てを注ぎ込み編み上げた絶技である。
感情の発露や想いの強さによって出力が変わるわけではない。自分の心象が世界を染め上げるわけでもない。
ただ、魂を込めて作り上げた――それだけで、これは己の唯一無二の業なのだ。
これは――この力だけは、借り物だとは絶対に言わせるものか。
『――――「雷霆土俵・拳戦領域」――――』
己が心を叫び上げた直後のことだった。
天空より六つの雷柱が落下、大量の土砂を巻き上げて大地に突き刺さる。天から見れば六角形を描くようなそれら六つの柱が、さらに雷を発して両隣と結合した。
結果それは旧世界に存在したボクシングリングの如き様相を呈し、天津淡島と七識たえ、そして帝釈天――否、雷道拳夜の三人を外界から隔離した。
だが、変化はそれに留まらない。どういう理屈か、雷道の《魂命》が凄まじい勢いで減少し、淡島と全く同じ値まで落ち、また、拳戦領域が展開し終えたその瞬間、淡島と雷道の武装の九割が解除される。
「これは……」
《武装解除……? ううん、違う》
竜爪も、穿孔機も、鎖鋸も何もかもが消え去った。
雷道の武装もまた同じで、改変した気象や地下からの雷の打ち上げは依然続いているものの、拳戦領域内では一切発生していない。雷槍は当然、甲冑すらも消え去り――
『そうだ、分かるか? この拳戦領域では拳にしか武装は許されない』
ただし、その両の拳だけは紫電の籠手を纏っていた。
『お前も拳に何か付けな。殴り合うぞ』
喜々とした少年のような笑顔を浮かべて、神が人へと全く同じ目線で語り掛けた。
語り合う――その言葉を受けて、天津淡島はその頬に笑みを浮かべた。
なるほど、そういうことか。こいつはそういう方法でしか、誰かと向き合えないのか。
だったらそれに合わせるしかないだろう。
彼が少しでも前を向いて生きていけるように。
その心を苛む諦観の鎖を引き千切り、魂を縛る倦怠の檻をこじ開けるために。
「いいぜ――」
己を包むたえに心の中でもう一度だけ謝って、少年は拳を構えた。拳に纏うは炎――魂と魂をぶつけるのだから、これが最も適していると彼は確信している。
「来いよ、雷道闘夜。おまえの魂をオレにぶつけて来い。きちんと応えてみせるから――っ!」
『あァッ、頼むぞァッ! 激しく愉しく踊ろうやァッッ!』
漢二人、その顔に凄絶な笑みを浮かべて拳を交差する。
ゴッギィィイ……ッ! と原始的な暴力の音が共鳴し、両者の頬に拳が突き刺さる。一方は雷撃を付加された一撃に頬を痙攣させ、もう一方は業火を纏った一撃に頬を焦がされた。
『クヒっ、ひははは。いたい、痛い、痛い、痛い! 痛い痛い痛い痛いッ! 最っ高だぁ! お前の拳はよく効くぞォッ、俺の運命ッ! こんなろくでなしにここまで真摯に向き合ってくれるなんざ、お前ほんと頭がどうかしてるぜオイッ!』
「うるさいなあ……ッ! こっちの都合だし気にしてるんじゃねえよ! オレはおまえが満足するまでぶん殴ってやるって言ってるんだから、黙って殴られておけ!」
『そいつァちょっと無理な話だな……何つったって――』
さらに一発、淡島が雷道の腹に拳を叩き込むも、まるで効いていないように笑いながら、
『誰かと関わり合うことなんざ、これが初めてなもんでな! 語りたいことが山ほどあるッ!』
激痛にえずきながらもそれすら己の喜びでしかないと吼えながら、お返しとばかりに淡島の腹へ拳を突き刺した。
電光が瞬き《魂命》を一気に減らされるも、やはり淡島は止まらない。
目の前の男が今、二十年の停滞から動き出そうとしているのだ。ならばそれに応えねばならない。身を守っている暇も、拳を止めている暇もない。
『ずっと、ずっと飢えてたんだ。暴力でしか絆や繋がりを感じられなかったから、いつだって孤独でつまんなかった』
一秒ごとに激痛が増す極限の状況であるというのに、男の舌は止まらなかった。
『人類がやべえことになって、人間のほとんどが電脳世界に行った後も同じだ。笑えるくらいのオーバースペックで弱い奴を薙ぎ払ってきた。自分で手に入れたわけでもない、借り物の器の力でな』
本当に下らないと思った。馬鹿にしているのかと絶叫しそうになった。
だが、理屈では分かっているつもりだったから。
自分たちが電脳世界を管理する以上、万に一つも負けるという事態があってはならない。淡島とたえは特例であるものの、本来は互角に渡り合われることなく一方的な虐殺で終わらなければならない。
何故ならば、これは戦闘ではなく調整――つまりメンテナンスのようなものなのだから。人類存続のためには失敗は許されない。
よって、適合者に与えられたアカウントは全てチート性能を誇り、任務において戦いを楽しんだり対話をしたりという余分は存在しなかった。
『だがよォ――そんなもんに楽しみを感じられるはずなんてなかった。俺じゃなくてもそのはずだぜ? 人から貰った力で無双して、人の想いを己が事情で踏み躙る……クソかよ、なァ!』
本当に退屈だった。苦痛とすら言えた。何もない虚無そのもの。少なくともあれは戦いでも語り合いでも断じてなかった。
『だから諦めた、下らねえと切り捨てた。想いの力なんてものは、無意味で塵のようなものだと悟ったんだ。だけど――そこにお前が現れた』
そうだ、雷道闘夜を捨てて天部・帝釈天として倦怠の海に沈んでいた時に、天津淡島が現れたのだ。
『むかつくんだよテメエ。全部諦めた俺の前で、諦めずに自分を信じて突っ込んできやがる。……ああそうだ、認めてやるよ。俺はお前が羨ましかった。お前に嫉妬した。俺はこんなにつまんねえのに、何でおまえはそんなに楽しそうなんだってなァ!』
「それは――オレも同じだったよ。そんなに下らなさそうに生きてるのに、あれだけ欲していた力を持ってやがる。生きるために心を奮い立たせる必要もないのに、絶対に殺されないような強さを誇るおまえのことを、オレはきっと大嫌いだった」
結局、どちらもないものねだりをしていて、だからこそそれを持っている相手が憎かった。
だけど、こうして一歩歩み寄ってぶつかってみれば、憎悪も形を変えていく。
殴り合いは続いていく。型どころか防御も回避も何もない、剥き出しの魂をぶつけ合うだけの喧嘩のような拳の応酬は、見ている側からすれば悲惨で衝撃的に過ぎる光景だった。
《あ、あっくん……っ、……ッッ》
実際、彼の背中を見守り、拳が敵を叩く瞬間に業火を爆発させることでしか彼の援護をすることができないたえは、血霧吹き荒ぶ彼らの戦いに悍ましさすら感じていた。
獣のように吠えながら己が身を敵の拳の前に晒し、骨を断たれる覚悟で魂を殴り付けるその様は、生物として根本的に異なる女のたえでは、頭がおかしいのではと疑ってしまうほど。
否、実際彼らは頭の螺子が数本外れている。
雷道闘夜は殴り合いでしか人との繋がりを感じられない異常者であるし、天津淡島は誰かが少しでも前を向けるようになるためならば、こうして喜んで敵の土俵へ上り、真っ向から語り合うために己の身を差し出せるのだから。
だが、たえはそれでも止めようとだけは思えなかった。
彼を守りたい、傷つく姿なんて見たくないし、死んでしまうなどもってのほかだ。
これは二人が生き残るための戦いであるというのに、どうして危険を冒してまで敵の望みを叶えようとするのだろうか。
……そんな疑問は、いくらでも溢れ出してくる。
だが、天津淡島は信念としてそれを掲げたのだ。誰かと真摯に向き合い、前を向くことができない人がいるのならば、少しでも勇気を振り絞れるように手を貸してあげたいと。
生きるために必要だった、自己暗示のような偽物ではない。他者を排斥するような大切なものの欠けた継ぎ接ぎだらけの張りぼてでもない。
彼が今までの道を振り返り、自らの罪や信じてきたものの中にある確かな光を肯定した上で、彼自身が自らの意志と責任をもって定めた道なのだ。
だったらそれを応援し、己の全てを懸けてその背を押すことこそが――
《あっくん頑張れ! 君が望むのなら、わたしは――君に全てを捧げようッ!》
――いい女というものだと思うから。
「ォォォォオオオオッッ! まだかッ? まだ足りないかッッ!」
『ああ、足りねえ足りねえッ。全然足りねえよッ! もっとお前を感じさせてくれエェッッ!』
「ならまだまだボッコボコにしてやるァア!」
言葉と共に魂が、拳と共に矜持と渇望が、削り合いながら紫電の土俵で血花を咲かせる。
既に拳の数は百の大台を超えはじめ、両者の《魂命》も三千を切った。
このままただ殴り合っているわけにもいかないだろう。
何せ淡島の本来の目的は二人で生き延びること。雷道と語り合うことばかりに固執して死亡しては元も子もない。
もっとも――だからと言って彼との殴り合いを途中で止める気もないのだが。
巻き込んで申し訳ないとは思っている。本当は彼女だけは解放すべきなのだろうが――
《あまり馬鹿なことを言わないでくれ。わたしと君は一心同体。こんなところで離れるもんか》
なら、最後までついてきてもらうしかないだろう。
淡島だって、こんな形で別れたくはないから。
「なあ雷道、一つ聞かせてもらうけどさ。おまえ、まさか殴り合って引き分けで満足なのか?」
『あ?』
淡島の問いに、神の器の向こうで笑顔を浮かべていた男が怪訝そうに声を上げる。
『そんなわけがないだろうが。決着がつくまでだ。白黒はっきりしねえと気持ち悪いし、引き分けなんて概念は妥協以外の何物でもない。そんなもんは望んでねえ。俺が求めているのは、対話であり殴り合いだ。勝った負けたは男の花だろう、それを無くして殴り合いは成立しねえ!』
「よかった。なら――オレはお前に勝っていいんだよな」
『カハッ、やれるもんならなァッ!』
雷道の拳がさらに重く、そして速くなった。鼻頭にきつい一撃をもらい、視界が一瞬暗転したところで頬に引っ掛けるような一撃を見舞われる。
淡島の体が横へ傾き、意識も一瞬飛びかけた。それを何とか手繰り寄せたが、雷道の怒涛の攻めは終わらない。右足で鳩尾を強打され、息が詰まったところで顔面へさらにもう一発――それを頭突きで迎え打ち、骨を折ってやった。代わりにこちらの額が切れ、血が視界を侵食するも、感覚だけで拳を振るえば顎に入った。
雷道の体幹が崩れ足元がぐらつく。朦朧とした意識の中、まるで反射のような感覚で一歩踏み出し、体重を乗せた一撃を頬に打ち込む。顔が横を向き、晒されたこめかみへもう一発。
「ガァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッッ!」
『らァァああああああああああああああああああああああああああ――――ッッ!』
言葉にならない咆哮だけが木霊する。
ただ殴り続けるだけの戦い。駆け引きなど皆無。ともすれば子供の喧嘩のような原始的なぶつかり合いは、時間を経るごとに過激化していき両者の命を砕いていく。
骨が折れる。血が噴き出す。意識が飛んで声も聞こえなくなってきた。
それでも拳だけは握っている。殴るという行為が止まることはない。
交わされた拳の数が二百を超え、《魂命》は二千……一五〇〇を切った。
このままどちらも死ぬまで殴り続けているかもしれない――そうたえが危惧した直後、
「ぐ、ぅあ……っ」
《あっくん――》
淡島の足がぐらつき、敵に無防備を晒した。たとえ《魂命》がまだ残存していようとも、蓄積された痛みや疲労、精神的苦痛は確かに淡島の魂を苛み、戦いに影響を及ぼしたのだ。
自身でも決定的な隙を晒したことは自覚しているのか、歯を食いしばり大地を踏みつけ根を張るつもりで復帰を試みる。
しかし、防御無しの殴り合いの最中に体勢を崩し隙を見せればどうなるか――そんなものは火を見るよりも明らかだった。
『クヒッ、ようやく見せたな、隙をよォッ! これで沈めや。俺の勝ちだァァアアアッッ!』
狂乱した笑みを浮かべて拳を握り、これまでとは比較にならぬほど強く地を踏んだ。
拳に纏った紫電もその勢いを増し――いいや、否。もはや雷道の拳そのものが紫電と化していた。自身の体が炭化する激痛を喜々として受け入れて、雷そのものへと変じた右の拳を淡島の顔面目がけて矢の如く射出する。
淡島が両腕を交差させて顔を守ろうとするが、今さら無意味。その腕ごと頭を吹き飛ばそう。
『楽しかったぜ、天津淡島。こんなクズと真剣に向き合ってくれて本当にありがとよ』
そして、己が魂を燃焼させた拳を叩き込んで――――、
「《ようやく止まったな――神様もどきの苦痛主義者》」
全体重を乗せて顔面へと叩き込んだはずの右の拳が、何故か天津淡島の左手にすっぽりと収まっていた。最大火力の雷と化した拳を受けた淡島の左手は炭化し、まるで使い物にならないだろうが――しかし、淡島の顔は吹き飛んでおらず、未だ命は健在のまま、右手に業火纏う拳を力強く握り締めていた。
(なんだ……今、何が起きた? 拳が、あの左手に引き寄せられて――?)
今しがた発生したその事態に、雷道闘夜は困惑を隠せなかった。
叩き付ける拳。紫電を爆発させて直進する絶死の一撃は、まるで磁石と磁石が引き合うように、顔を守るために掲げられた左手に吸い寄せられた。
絶対に入るはずだった。殺ったという確信もあったし、外れるはずがなかったのだ。
しかし、男の拳が交差した淡島の両手の射線上に入るや否や、有無を言わさぬ強制力でもって拳を曲げられたのだ。
原因不明の意味不明、不可解に過ぎる現象の結果、筋書きは雷道闘夜の描いたものから大きく外れた。幕を下ろすはずだった拳は獲物を逃し、勝利を手にする一歩手前で、男は何故か絶体絶命の危機に瀕していた。
『なにが――、ッ』
――起きた? そう疑問を発しそうになったところで小さな違和に気が付いた。
眼前で不敵に笑う少年を見つめていれば、不意にその両手の間に一条の静電気が走ったのだ。
まるで右手から左手へと電気が流れているかのように。電子が右手から左手へと落ちているかのように。
『まさ、か――』
「《そのまさか、さ》」
握り締めた拳を腰まで引いて力を溜め、矢の如く引き絞る。
『両手の間に電圧を掛けて、電荷を全部左手に流しやがったのかッ!?』
「《ご名答、よくできました》」
電圧を掛けると、電荷はその方向へと流れ込んでいく。
例えば淡島が先日開発した熱電子粒子砲では、砲口と金属の間に電圧を掛けることで、砲口内で発生した熱電子が急流に掻っ攫われるように放出されるという理屈が根底にあった。これはその原理を応用し、たえが淡島の考えを全て理解した上で成した芸当。
二人で一つ――一心同魂と化し、互いの全てを曝け出していたからこそ。
「さあ、それじゃあ幕を引くとしよう」
《文句は言わせないよ。これで、わたしたちの――》
たえが淡島の拳に手を添え業火をより一層燃え上がらせた。淡島はそのぬくもりを感じながら、引き絞った拳を弾丸の如く撃ち出した。
「《勝ちだァァァアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ――――――――ッ!》」
魂魄燃やし、二人分の重みを注ぎ込んだ至高の一撃が雷道闘夜の顔面に突き刺さった。
見上げるほどの巨躯が木っ端の如く吹き飛び、地面を転がっていく。その勢いも止まり制止したところで、男は身じろぎ一つすることはなかった。
今この瞬間――天津淡島と七識たえは、前人未到の神落としを成してみせたのだった。