第三章 対決と統合 2.きっと単純だった、最初の想い
天津淡島と七識たえ。両者の戦闘力には雲泥の差がある――はずだった。
しかし現在、繰り広げられている淡島とたえの戦い――否、殺し合いは、ほぼ互角の域にまで達している。……それも、七識たえが優勢という形で。
「どうしたんだいあっくん! 意志の力がどうとか言っていたようだけど、どうやら君のそれは大したことがないみたいだねッ!」
「――ッ、うるさい。一時的な感情の爆発のみで、オレを超えられるかっ!」
右腕に水を纏い渦と成し、そこへ創造した少量の砂を巻き込み刃へと昇華する。高速回転する不定形の刃、触れるだけでどれほどの《魂命》が削られるか分からない。
それを両腕に纏った少女は、絶叫と共に淡島へ猛攻を続けていた。
型も何もない攻撃だが――そもそもこれは、陽動だ。
淡島がそれらを右腕の穿孔機と左腕の鎖鋸で防ぎ続けるそのさなか、たえは既に動いている。
「鎌鼬」
「――ッ」
まるで心臓に直接刃を当てられたかのような冷たい声を聞くと共に、淡島の足元で異変が発生したことを知覚する。
ひゅるり、と雨の中つむじ風が発生し――直後、風の刃が淡島の右腕目がけて打ち上がった。
「ァァアアッ!」
左手の竜爪で辛くも弾くが、衝撃を逃がすことかなわず砕けてしまう。飛び散る破片を気にもせず、少年は腰に佩いた小刀を抜き払った。
だが、その僅かな時間もたえの手中にある。彼女は暴風を前方へと叩き付けると、宙に浮いた竜爪の破片を散弾に変えて淡島へ差し向けた。
たまらず回避行動を取るも二発被弾。肩と脇腹を掠めて《魂命》を僅かに削られる。
竜爪が破壊された現在、淡島の武装は右腕の穿孔機と左腕の鎖鋸、そして左右に握る小刀と太刀という常よりも軽い兵装だ。
もっともそれが、手加減をしているという意味ではないが。
「たえ姉ッ! いい加減にしろよ本当にッ! 自分の命を投げ打ってまでオレを守ろうとする意味は何なんだよッ! それはオレの魂に執着しているだけだッ! 愛なんかじゃないッ!」
「うるさい! これが愛かどうかなんて関係ない! それに何度も言っているけど、上辺を塗り固めただけの信念をべらべら喋る君なんかに、何かを説かれる筋合いなんてないんだよッ!」
「だから――ッ、オレの信念は、本物だァ!」
「嘘をつくなよ」
冷たく言い放つと共に、彼女は迫る太刀の刃へ渦の刃を解除した左腕を曝け出した。
「――ッ」
「ほら、今だって――」
剣筋が僅かに鈍ったことを見逃さず、たえは刃の腹を叩きつけ、電流を流す。電光が瞬き、刃を通して淡島の右腕へと電気が流れ込んだ。腕が軽く麻痺し、刃が手のひらから零れ落ちる。
「――本気でわたしを殺そうとしていないじゃないか。矛盾に気付いてないのはどっちだよ」
僅かに止まったその隙に、右腕の渦の刃を腹に叩き込む。
その寸前に、淡島は腹から十丁の火打銃の形をした散弾銃を創造すると、迫る拳目がけて銃弾を見舞う。火薬の炸裂音が鳴り響き、たえの拳をほんの刹那だけ押し留めた。
その僅かな間隙に後方へ飛んで回避を行うが――しかし、その先にもまたたえの罠があった。
鎌鼬。
淡島を左右に分かつかのように、風の刃が下方から打ち上がる。
「ぐ、ォォオオオオオオオオオッッ!」
迫る刃へ今度は双剣を叩き付けた。
十字を切って風を断つ。集約されていた風が霧散し、服や髪を煽った。
しかしまだ終わらない。たえの鬼神めいた策術の前に、淡島は終始後手に回っていた。
神算鬼謀どころの話ではない。完全に淡島の行動を読み切っている。
しかしそれも当然だろう――彼女は言っていたではないか。
『わたしはあっくんを知り尽くしてる』
彼女は淡島の癖や視線の向け方、呼吸の仕方や体の動かし方まで全てを熟知している。
天津淡島を相手にしたとき、たえは無類の強さを発揮するのだ。
加えて――
「ほら見ろ……本物じゃないから、今の君は力を出せないッ! 自分のことを分かっていないから、あっくんはこうしてわたしに圧倒されているッッッ!」
電界には想いの力に比例して、能力の出力や火力を底上げするという機能がある。
そのあおりを受け、強力な効果に反して、たえの能力『刹那之災』には彼女の穏やかな気性もあり、火力が低いという欠点があった。
強力な効果であっても、敵の攻撃を逸らす程度にしか使えないようでは話にならない。それは淡島とたえの共通認識であり、だからこそたえは悩んでいた。
しかし今、その定説は覆されている。
現在、たえと戦っている淡島の心は揺れに揺れ、惑いに惑っているためその出力も低い。
対してたえの魂は、かつてないほど絶叫を上げていた。
守る、止める、必ず勝つ。目の前の大ばか者の目を覚まさせてやると。――その思いは、これまで何をすればいいか分からなかった彼女では、絶対に不可能だった力を引き出していた。
「ハァァァァァアアアアアッッ!」
淡島の迷い、たえの心の爆発、そしてたえの淡島への深い理解――こうした様々な要因が重なったことで、現在のようなたえ優勢の戦いが繰り広げられていた。
「思えば昔から君はわたしの言葉を無視し続けてたよね。やめろと言っても、似合っていないと言っても、君は馬鹿の一つ覚えみたいに理想だ夢だ何だって、念仏みたいに唱えてさあ!」
「うるさいなァ! それがオレの目指してる世界なんだから良いだろうが別にッ!」
「違うから言ってるんだろうッ! 自分の原点も顧みたこともないくせに! 何でそんな思いを抱いたのかも覚えてないくせにッ! 前ばかり見て、後ろを振り返らない。自分のやったことが正しいのか、今やっていることが、最初に胸に抱いたことから外れていないか……そんな風に振り返ったことはあるのかッ!? 言葉があるなら言ってみろッ!」
「振り返る必要なんてないだろう! 夢は歩いた先にあるものだ。理想は高みにあるものだ。自分の道が正しかったかどうかなんて振り返る余裕はないッ!」
「じゃあそれは、そんなの理想でもなんでもない。ただの逃げだッ! それはな、努力とは言わないよ。ただの甘え。自分のやってきたことが正しいと信じて、軌道修正をしないのは、正しくなかったことを恐れているだけだ! 妄信なんて努力から一番遠い行為なんだよッ!」
「――――ッ、違うッ!」
「違わない。君のそれは努力じゃない。ただの逃げだ。そもそも目的もないのに夢なんか追えるはずがないんだよッ!」
戦況は未だたえ有利のまま変わらない。ただしその規模が天井知らずに上がっていく。絶叫と怒号をぶつけ合う二人の喧嘩は、今や殺し合いの域に達している。
淡島が本格的に銃火器の力を借りはじめ、たえも腕や脚ではなく急所を狙うようになった。
豪雨の中、二人は怒りを声に乗せて相手へぶつけながら、本気の殺し合いを演じていく。
守ろうとしていたことなどもはや忘れてしまったかのように。
天部も神も関係ない場所で、運命が終わりの奈落へと転がり落ちていく。
「どうしたいんだっ! なあ、あっくんは何がしたいの? 何をしたかったの? 何で、何でそういう風になったんだ! 言ってみろよッ!」
「どうしても何もない! みんなが必死に生きればそれだけで――」
「それで人を殺してたら意味ないだろう! 何でそんなことも分からないんだよッ! みんなって……そんな人たちのこと、一度だって考えたことないくせにッ!」
「な――、ぁ――――」
その言葉を聞いた瞬間、何かがオレの中で崩れ始めた。
それと共に、たえ姉の手のひらがオレの頬を張った。雷雨の中にあってなお、その音は鮮烈で、オレの耳に綺麗に届いてきたのだ。
「あ……。オレ、は――」
「あっくん。もう一度だけでいい……君が、昔どう思っていたか。何でそんな夢を持ったのか……何でそんな風に、想いの力っていうのに憑りつかれたのか……思い出してみるんだ」
胸ぐらを乱暴に掴まれて……泣きそうな顔をしたたえ姉に地面に押し倒された。
「幼いころ、あっくんは街を見てどう思った? 君は、本当はどうして欲しかったんだよ!」
「オレは――」
「あっくん。わたしはね、知ってるんだよ。君が誰より優しいこと。本当は、本当の本音は、未来とか、夢とか、理想とか……そういうのばかりを見てるんじゃないって」
「…………っ」
「だってね。もしもあっくんが、本気で『必死じゃない人間以外はいらない』って思っていたなら、わたし、そばに置いてもらえなかったはずだから」
「――――ッ、……。――――」
たえの一言で息が詰まった。
だって、彼女の言う通りだったから。
彼はずっと、全ての人が必死に生きる世界を作ろうとし続けていた。そして、そこにそぐわないと思った人間を殺し続けた。
命を、奪い続けた。
でも、だけど――七識たえは……彼がたえ姉と慕い、大切にしてきた少女だけは、切り捨てることなく、そばで守り続けた。守ると誓いを立てていた。
神様に反逆するほどに、彼女を深く愛していた。
つまり……
「ね、あっくん。きちんと向き合うんだ。自分の弱さと……今は、今のあっくんはもう、ひとりじゃないんだから」
「オレは――」
この街は、地獄だった。
生きるためには強くなる必要があった。
そうじゃないと、少しでも強くならないと、すぐに死んでしまうから。
それは子供ながらに最初から分かっていて。
友達がみんな死んで、確信に変わって。
そして、その果てに……
こんな風に、成り果てて……
でも、本当にそれが始まりだったのだろうか。誰もが必死で生きる世界を作りたいと、心の底から思ったのだろうか。
思ったとしたなら、どうしてそんな思いを抱いたのだろうか。
「……………………………………………………………………………………………………っ」
数秒黙考し、かつての日々(じごく)に思いを馳せたが、なぜか明確な答えは出なかった。
幼いながらに現実を知った彼は、必死に生きなければならないと最初から分かっていて。
もう顔も名前も思い出せないあの女の子が死んで、他の友達たちも街の闇に食われたときに、より強くその世界を作らなければならないと思って。
でも……それは本当に自分の理想なのだろうか。
上辺だけ取り繕った信念ではないだろうか?
だって……たえの言う通り、彼の行動には矛盾が多すぎるではないか。
誰もが明日を目指せるように、必死に生きる世界を作りたいと言ってやってきたことは、それにそぐわない人間を殺すという愚行。
だがそれでいて、彼は身近にいる七識たえという少女だけは見逃してきた。彼女こそ、最も近い場所にいる必死に生きていない人間だったはずなのに。
理想を目指すな、そばにいろ、甘えさせてあげる。
幸せになるために、わたしに依存しろと言い続けてきた彼女は、本来ならば淡島が最も忌避する人種であるはずなのに。
彼女と道を分とうなどとは、一度として思わなかった。
失いたくない、守りたい――自分の命を懸けてでも、七識たえのために戦った。
「ねえ、あっくん……この街でいろんな人が死んでいくのを見て、あっくんはどう思ったんだい? 本当は……どうしてほしかったの?」
「オレは。オレ、は――」
ああ――そうだ。
あの弱肉強食の世界を見て……弱ければ殺されるかもしれないと知って、オレは――
「こわかった……」
ようやく、少年の口から本音が溢れだした。
「怖かったよ。弱ければ殺されるんだ! 頭のおかしい悪人が、力にものを言わせて人を殺してるのを見て、怖くないわけなかっただろッ! だから強くなるしかなかった! だから、想いの力しか縋るものがなかったんだよ……ッ」
一度溢れだした言葉は堰を切って吐き出されていく。
「理想なんかどうでもよかったんだ! ただ、ただ笑って明日を迎えたかった」
でも、そんな当たり前の幸せを願えるような世界じゃなくて。
何かひとつ、目的地を定めて、身をすり減らしながらそこへ真っ直ぐ走るしかできなかった。夢のようなものを掲げ、馬鹿みたいに突き進むしか生きる道を見つけられなかった。
最初から幸せに生きられる道などなく、生き残るためには己を偽ってでも心を奮い立たせる必要があったのだ。
でも、本当の願いは――ただ、生きたかっただけだった。
幸せに、健やかに……当たり前に生きたかった。
だからこそ――
「オレを守ってくれるたえ姉が好きだった」
彼女はいつだって天津淡島の味方であってくれて。
「オレを甘やかしくれるたえ姉が好きだった」
ご飯や身だしなみなど、身の回りのことをほとんど世話してくれて。
「ずっと一緒に、当たり前のように笑顔を浮かべてくれるたえ姉が好きだった」
一緒に生きてくれて。
「たえ姉はオレが欲しかったものを全部くれたんだ! だから、だから失いたくないだよぉ! 分かってくれよ。オレにとってはたえ姉が一番大切なんだ! この世の何よりもッ! 理想よりも、夢よりも、想いの力なんかよりも遥かに! 君のことが好きなんだッ! 大好きなんだよッ! 世界が壊れようといいくらい、神様だって敵に回していいくらい、オレはたえ姉のことを心の底から愛しているんだよ……! だから、だから――分かって、くれよぉ……!」
自分の気持ちに気が付いて。
彼女がどれだけ大切かを言葉にして。
しゃくりあげる喉も、流れる涙も抑えられなかった。
「そうか……」
冷たい雨が二人を濡らす。雷雨の音も街の景色も遠くへ行って、世界に二人だけになったような感覚がある。
「あっくんも、わたしと同じなんだね」
「え……?」
「わたしもね、怖かったから。起きた時には記憶が無くて、生きるためにはあっくんに縋るしかなかった。名前も命も愛する気持ちも教えてくれた君に、わたしは依存するしかできなくて。……だから、君を失うなんて絶対に嫌で。それだったら、自分が死んだ方が良いだとか思って」
でもね、と彼女は付け加えて。
「わたしだって、本当は死にたくないよ! 生きたいよ。あっくんと生きたい!」
死んでもいいと思えるはずなんてなかった。
愛のために死ぬなんて、冗談じゃない。
本当に好きなのだから、この先も一緒に、同じ道を歩みたいと思っているに決まっていた。
だから、少女もまた虚飾や強がりを取っ払った。
口にするのはとても怖い。
だけど――彼女もまた、前に進まないといけないと思ったから。
もう、守っているだけではだめだと思ったから、だから――
「それにこの気持ちが偽物だっていうのも嫌だ! きちんと、本当の意味であっくんに会いたいっ! だから、お願いだ――」
ずっと言いたかった――その魔法の言葉を口にした。
「あっくん――わたしを、助けて」
その言葉を聞いた瞬間に、彼の中で何かが切り替わった。
大切な人の助けを聞いた。
守りたいと思っていた少女の弱音を受け止めた。
何より、これを言われて男が応えないわけにはいかない。
だったら――
「任せてくれ。……必ず、助ける。君を屑箱から、引っ張り上げよう」