第二章 天部光臨 参――天部・帝釈天
「たえ姉ッ!」
「あっくんッ!」
現実に帰還してまず最初にしたことは、たえ姉を抱きしめることだった。
だが――その行為を、オレの声と重ねるように叫ばれた、焦燥と困惑、恐怖――そして絶望が入り混じった声によって遮られてしまう。
立ち上がったオレは、硬直してたえ姉の揺れる瞳を眺めた。
いったい何があった? まさかオレがあの事実を口にしていたのか……?
だが、そのいずれも杞憂でありそうだ。己の存在の根底を崩された人間の表情にしては、まだましなように見えたからだ。
では何故、そんな泣きそうな顔でオレを眺めているのだろう。
まさか……
「凪奈が顔無しに負けたのか?」
「う、ううんっ。違うよ。ただ、その……凪奈ちゃんが顔無しを倒してすぐ後のことなんだけど……とにかく来てくれ!」
こんなに焦燥したたえ姉を見るのは初めてだった。
いつもの余裕を隠さない、大人びた雰囲気も今は霧散している。
手を引かれて廊下を歩き、やがて外を――厳密には空――を見られる位置にまで移動した。
異常はすぐに見当たった。
今日の天気は――晴れだったはずだ。それも雲一つない快晴だったはず。
それが――――
「なんだ、これは……」
暗雲がとぐろを巻いて蒼穹を犯していた。
煮詰めた重油をぶちまけたような毒々しい黒雲が、ゆっくりと渦を巻いて阿修羅街を覆い尽くす。
不気味に蠕動するそれは無数の龍が絡み合っているようで、内に秘める暴力性を隠そうともしていない。
やがて電脳の空は、葦原電界の北から南、西から東の全てを黒龍の群れによって支配された。
日の光は届かない。そもそもこれは、電脳世界の環境を改変しているのだ。太陽は神の手によって抹消された。
変化は続く。
まるで怒りを叫ぶかのように黒雲が低き唸り声を上げたのだ。
光の全てを吸い尽くす暗黒の闇の中で、鮮やかな光が明滅した。己の激情を地上へ向けて吼えるが如く、その光が唐突に暗雲を突き破った。
落雷だ。
紫電が世界を切り裂いて、阿修羅街の一角に落ちた。
気が付けば城下は地獄と化していた。燃え上がる業火を止めるすべは誰何人たりとも持ちはしない。
紫電が落ちた周辺は巨大な窪みと化しており、隕石でも落ちたのかと錯覚した。
空を覆う禍々しい黒き天蓋は、先の落雷では懲りぬとばかりに怪しく光る。紫電が愉悦を隠そうともせず歯を鳴らし、せせら笑いながら地上を蹂躙するその時を待っていた。
「こんな……こと……っ」
喉から漏れ出る言葉には、当然ながら意味や意思などこもっていない。
こんな規格外があってたまるものか。
こんなもの、意思の力や心の強さなどという言葉を超越している。
この神威を前にすれば、そんなものは木っ端に過ぎない。
地上を襲うその時を今か今かと待ち焦がれていた紫電の内、さらに七条、歓喜を上げて地上を穿つ。
悲鳴も怒号も掻き消されていく。
燃え上がる阿修羅街。積み上げられてきた人の歴史が、紙くずが如く引き裂かれていく。
呵々大笑する黒龍と紫電の群れ。歌い上げるは絶望賛歌。舞い上がる夥しい血飛沫は墨絵のようにまき散らされる。
落雷により死から腐敗まで、それら八つの工程を八度全て飛ばして、人を隅へと変えていく。
そうして地獄が顕現されて、そして――
『電界人ども、聞け』
人を極限まで見下した、どこまでも冷めた声が阿修羅街全域を覆い尽くした瞬間。
つい先ほど目にした本に書かれていた『表現』と照らし合わせて――オレは悟った。
『我が神名、帝釈天。雷霆司る軍神である』
「そういうことか……ああ、つまりそういうことかよ!」
なぜ今まで気づかなかった?
違和感も抱かなかった。
ありえないだろうそんなこと。
自分の不甲斐なさと浅慮に怒りが募り、思わず奥歯を噛み砕いていた。
「顔無しの心の強さと乖離した火力……」
例えば、そう――象徴的な違和感ならば、これだろう。
「顔無しだの、神だの、天部だの……そいつらの正体――」
この葦原電界は、いったいどこからその電力を供給されていた?
八百年間も、どのようにしてこの電脳世界は稼働し続けていたのだろうか。
誰が、それらを調整し続けてきたのだろうか。
「地上にはまだ人類が残っていたッ! 神ってのは、天部ってのは、この世界を外から見てる奴らのことだったんだ……ッッッ!」
人類が消えたならば、たとえ電脳世界へ逃げたところで数年後には供給される電力が消失していただろう。そうなれば当然、この電脳世界の『電源』が落ちる。
後は子供でも分かることだ。電源が落ちればこんな箱庭は虚無と化し、ここで生きる者たちの命の灯も消える。
『俺がわざわざこんな世界に降り立った理由は簡単だ』
故に神。
故に天部。
故に管理者。
『アニマを殺すためだ』
そして、残酷なまでに冷たい事実を突きつけられた瞬間――
地上を食らい尽くすそれらとは、遥かに一線を画す紫電の牙が、この『凪奈城』を食い散らかした。喜び勇んで城を頭から丸呑みせんと貫いていく。
栄華を誇る井伊女傑陣の力の象徴が、たかが自然現象によって――否、否、否である。
神威を帯びているかと錯覚するほどに、禍々しくも神々しい光を放つ雷霆は、紛れもなく天部の槍のそれであり、人の驕りを打ち砕くにこれほど適したものもなかろう。
天守を上から下まで貫かれ、凪奈城は燃え上がりながらゆっくりと傾いていた。
『おまえが、天津淡島か。……象徴的というか、大仰な名前だな』
阿修羅街全域へと放たれていたどこまでも人を舐め腐った温度の無い声が、確かな質量を伴って真後ろから聞こえてきた。
振り返り、そこにいた者を神と呼ぶ以外に何と形容すれば良いのか。
青白い髪と、髪と同じく色素の薄い肌。その巨大な体躯に纏う鎧は紫電で構成されている。全身から青白い雷が静電気のように弾け、見る者全てを威圧している。
少なくとも外見は人を超越している。
さらに、その気配も――
「――……ッッ?」
諦観にまみれたその瞳を気怠そうに眇めた瞬間、オレの魂が根底から粟立った。心底から震えせしめるは己よりも強大かつ徳の高い者を前にしたときの畏怖である。
「逃げろたえ姉ッッ!」
「ちょっ、あっくんっ!?」
瞬間、オレの全身が駆動を始める。まずはたえ姉を突き飛ばし、近くに立っていた井伊女傑陣の少女に無理やり預けた。
「たえ姉を頼むッ! 凪奈には今度借りを返すと言っておいてくれッ!」
『今度? 今度と来たか。……お前、まさか逃げられる気でいるのか』
「駄目だっ、駄目だあっくんッ! 今度こそ絶対に殺されるッッ!」
「――――ッ」
その可能性が頭をよぎらなかったわけではない。だが、ここを凌がなければ、オレもたえ姉も、それどころか街の人たちもどうなるか分からない。
「行けッ!」
「いやだ!」
聞き分けの無いたえ姉にどうやって逃げてもらおうかと考えている時、
「おい、何事だッ! 私の城が燃えておるが、何があったッッ?」
ちょうど良いところで凪奈がやってきてくれた。
「凪奈ッ! 詳しい事情は後でする。仮も必ず返す! 頼む、たえ姉を連れて逃げてくれ! 天部が来たッ!」
「はっ――?」
一瞬、オレに訝しげな視線を向けていた凪奈だったが、やがて事態の深刻さを把握して、さらに最善の行動を的確に取る。
「――っ。来いッ、七識たえ」
「待ってくれ! 嫌だ、嫌だぁ! 嫌だ駄目だ、駄目だ! 彼を置いてはいけないッッ! わたしのたった一人の幼馴染で家族なんだ! 頼む、頼むよぉ! ここにいるんだ! わたしが守らないと、わたしが……っ。嫌だぁ……やだよぉ。あっくん、あっくん……わたしを、ひとりにしないでぇえ……ああ、あああああああああ……うわあああああああああああああっ!」
「すまん、少し眠れ」
「あ――――っ」
聞き分けの無い子供のように泣き叫ぶたえ姉を黙らせるため、凪奈が彼女の腹を殴って気絶させた。
「ありがとう、凪奈」
「……必ず、生き残れ……ッッ」
己がこの場にはいられないことに悔しそうに歯噛みして、凪奈はたえ姉を抱えて逃げてくれた。
これで安心して戦える。
『ぅああ……下らん茶番は終わったか?』
「ああ――」
欠伸をしながら、まるで興味がないというように問いかけてくる。
殺意を込めた瞳で睨み返しながら、オレはゆっくりと能力を解放する。
『どうせアニマも殺すから意味はないぞ。面倒だから二人纏めて殺させろよ』
「黙れ――。たとえ神だろうと、たえ姉には指一本触れさせはしないッ!」
『……ちッ。うざい――貴様、目障りなんだよ。死ねよ』
そしてオレは、勝てるはずのない戦いへと身を投じた。
☆ ☆ ☆
右腕に穿孔機を纏い、その手には小刀を。左腕は鎖鋸へと変じたうえで、手首から先には中爪を装備する。背中には推進装置と散弾銃の群れを。脚部にも推進機を取り付けて、オレは爆発するように天部・帝釈天の顔面へ刃を突き刺さんと吼えた。
「ぁァァアアアアアッ!」
『遅い。亀か貴様は』
決死の先制攻撃は、腕に軽く手を添えられただけでその標的を失った。こめかみのさらに外側の空気をむなしく貫く刃が、行き場を無くし揺れている。
『軽く撫でてやろう』
男が呟くと共に、手のひらの周囲に紫電が収束する。それらのたうち回る不気味な紫電の蛇の群れは、主の命令と共に暴発する時を今か今かと待ち焦がれている。
「チィィイッ!」
咄嗟に腕を引き戻し――直後、オレの腕があった場所が極光に染め上げられた。
電脳の大気がその電圧と熱に耐えきれず白化していた。見るからに危険な色だ。一手遅ければ腕は消し炭、《魂命》もどれだけ削られたか分からない。
『良い勘だが――落第だ。次がない』
「ぐおっ――ァアッ!」
放たれる型も何もない粗雑な蹴りを、後方へ跳躍することでその衝撃を軽減、《魂命》の消費を押さえた。しかし、その代償としてオレの体は紙切れの如く吹き飛び、城から投げ出されてしまった。
快晴だったはずの天気はもはや嵐としか形容できないほどに荒れていた。豪雨が地上を沈めんとする勢いで降りしきり、走る稲妻が街を穿つ。
視線を下へ向けると地獄となった阿修羅街が見える。どうやら被害は井伊女傑陣の領内にとどまっているらしいが、それもいつどこへ飛び火するか分からない。
『よそ見をしている暇はないぞ』
「――ッ!」
冷徹な声へと意識を戻し、視線を城へと向ける。帝釈天は何やら腕を地上へ向けており、
『――「覆地雷霆」――』
冷淡に、下らなさそうに、つまらなさそうにそう唱えた直後、大地から龍が生み出されるが如く雷が打ち上がった。
「いくらなんでもでたらめ過ぎる……っ!」
両翼型の推進装置を用いて空を飛行することで、それら全てを避けていくが――
『上もあるぞ』
忘れてはならない、雷霆は依然として空から雨の如く無造作に落ちている。
それら全てを回避することにも成功したが――
『まだだ。――「塵芥焼却・金剛杵」――』
幾筋もの紫電を束なり。渦のように集約して一本の槍を形成した。
『終われよ』
「――――ッ」
投擲された金剛杵の速度はおそらく音速を超えていた。勘で横へ超速移動を行っていなければ回避は不可能だっただろう。だが、それでも槍の穂先がオレの脇腹を僅かに掠めていった。
瞬間、傷口から体内に雷霆が侵入し、全身を蹂躙した。背後ではオレの避けた金剛杵が街に落ち、破滅的な爆音を伴って、一帯を焼け野原に変えた。
「おまえ――ッ」
制動を失って地面へと突き進む中、帝釈天の冷めた瞳とオレの瞳がかち合う。
何故だろうか、その目を見ているだけで無性に腹が立つ。こちらを虫同然にしか見ていないことだとか、声に感情が乗っていないことだとか、そんな次元の話ではなかった。
ただ、生理的に。
理屈も理由も何もない。――とにかく、こいつだけは、もはや存在の次元からして認められなかった。
地面に激突する直前に推進装置を地面へ向かって噴射し、受け身を取ることで落下による《魂命》の消費を抑えたものの、しかしこれが何になるというのだろう。
地に這いつくばるオレのすぐ近くに降り立った天部へ、推進装置を用いた特攻を仕掛けるも、軽くいなされ、すれ違いざまに腹へ重い拳を受けることになる。
「ぎィ、ッ……!」
『破れかぶれの特攻か、下らない』
「くッ……」
激痛と焦燥から息が荒くなる。意味が分からない戦力差に、心が――――
「――――ッ!」
馬鹿かオレは……ッ。今何を考えようとした? そんな想像をするな。余計なことに思考を裂く暇があれば、少しでも奴との戦力差を縮められるように心を奮い立たせろ――!
『哀れだなあ、可哀想だ。見ていて同情するよ、貴様。そして、腹が立つんだよ』
「……黙れ、よ。オレからしてみれば、おまえの方がうざいんだよ……!」
『好きに言っていろ。どれだけ吼えたところで、心を奮い立たせたところで、魂を燃焼させたところで――貴様らは、絶対に負けるんだ。逆転などありえない。予定調和だ。下らないと思わないのか? こっちは管理者権限使ってログインしてるんだ。神ってのはそういうこと。お前も気付いているだろう? マスターアカウント・天部。まあ、俺たちはチートアカウントとも呼んでるがな。このチート使ってオーバースペックの火力出してんだ』
そうだ、オレも気付いていたことだ。
もっとも、アカウントだのスペックだのという細かい単語の意味は分からない。だが、奴が一人で修羅街を相手取り、完勝することができる強さであることは、容易に想像できる。この電界を管理している以上、そうしない理由がない。
『貴様ら電界人が、俺たち人間に、絶対に勝てないよう設定してある。ようは、ニューゲームで俺TUEEEEってやつだよ。ああ、貴様らの世界じゃあ、こんな娯楽は消え去ってんだったか。八百年ねえ……』
含みのある言葉に、オレは違和感を――いいや、違う。
何故だ。なぜ――オレは本当にどこまで愚かなのだ。
八百年だぞ。人類がウイルスで絶滅したということまでは嘘ではないはずだ。ならば、たとえ人類が地上で生きていたとしても、八百年間も生きながらえることができるであろうか?
ありえない。ならばおそらく――
『こっちでは、まだ八か月なんだがな』
時間が、加速されているのだ。この世界の時間は、地上のそれよりも遥かに速い。
『まあ、そんなことはいい。重要なのは貴様のことだ。お前とアニマ――七識たえとかいう、あの女……貴様ら二人を殺す。それが嫌ならせいぜい抵抗しろ。ちなみに、しらばっくれても無駄だぞ。既に解析も特定も終わっている。その上で『顔無し』の無能どもを差し向けたし、それが今回は失敗したから神(俺)が出張ってるんだ。もう、貴様らの運命は閉じてるんだよ』
「――だまれッ」
『聞かせてくれよ、なあ。なぜそこまで抗うんだ。もう死んでいるのに。あんなもの、どこかの誰かの影のようなものでしかないんだぞ。救う価値があるか? これ以上戦っても無駄だと分かっているのに、まだ抗う意味があるのか?』
「うるさいんだよッ!」
奴は聞いてもいないことを次から次へと口にする。別にオレにそれを伝える必要はないはずだ。殺すだけなのだから、こうしてオレに優しく事実を口にする意味が分からない。
『なぜ諦めない。勝てる見込みはないだろう? 俺とお前の差は圧倒的という言葉すら生ぬるい。文字通り次元が違う。格も違えば、種族も違う』
何を悠長に話しかけているのか――
ならば、その慢心を突くまでだ。
オレは昨日の『顔無し』との戦闘の際に編み上げた熱電子砲を創造した。金属ならそこら中に転がっているため、条件は揃っている。
「――黙れ、死ねッ」
オレはそれを、帝釈天へと叩き付けた。
しかし――まるで虫を払うかのように叩いただけで、莫大な熱量を誇る光線は霧散した。
『俺の属性を考えろよ』
「ぐっ――、ガァッ!」
蹲るオレの腹に雷神のつま先が突き刺さる。
例えでも何でもなく、下等生物へ向けるような侮蔑的な視線がオレに刺さる。
客観的に見れば、完全なる敗北だった。
勝てる見込みなどどこにもない。
両者の差は歴然。人が神に届くはずがない。阿修羅街を単騎で制圧できるような化け物だ。たかだか下らぬ餓鬼一人にどうにかできるはずもなかったのだ。
『想いの力で現実を――情報を書き換えたところで、想像の範疇を超えた力を前にすればこの程度か』
下らなさそうに、つまらなさそうに――どこか拗ねたように、男がそうつぶやいた。
終わるのか。オレはこのまま死ぬのか。
夢を叶えられず、理想を掴めず。
結局、下らないガラクタのように消えるのか……
たえ姉も、守れず――――
――お願いだから……捨てないでよぉ……
「――――――――」
いいや、違う。
それは。
それだけは、絶対に――絶対に認められない。
「カハッ……が、ァぁ、……が、まだ、……っ」
爪が剥がれる激痛すら無視して、力の限り拳を握る。
激痛を上げる魂を燃焼させて。
オレを見下ろしていた諦観と倦怠で満たされた瞳が細められる。
奴の右手には、掠っただけでオレの魂命を半分ほど削った神威の槍が握られていた。
「くッ……まだ、だ……ッッ」
だが、その程度の脅威で勝利を諦めるほどオレは賢くない。
ここでオレが倒れれば、今度こそたえ姉は殺される。
失うわけにはいかない。
それが天津淡島の真実だから。
たった一人の家族であり、幼馴染であり、隣にいることが当たり前な二つ年上の女の子。
七識たえ。
紫電に引き裂かれて彼女が無残に殺される――そんな想像をするだけで、頭がおかしくなりそうだった。
《魂命》にはまだ余裕がある。槍が掠っただけで命が半分削られるというのも不条理な話だが、相手は神だ、仕方がない。
『貴様……見ていて腹が立つな。気合? 想いの力? 情熱、希望、信念、覚悟……それらの力を信じている』
「――それを信じられない……おまえが……腑抜けなだけだッ!」
何故だろう――
どれだけ絶望的で、勝てるはずがないと分かっていても、どうしてオレは彼女のためならば立ち上がれるのだろうか。
彼女が俺の『アニマ』だからか? 絶対に引き離せない存在だから、そういう法則に従ってオレの心も彼女に引っ張られているだけなのだろうか?
分からない。……でも、きっと、そういう理由なのだろう。
でも、そんなことは関係ない。
とにかく、オレは――
「さっきも言ったはずだ。――たとえ神だろうと、たえ姉には指一本触れさせはしないッ!」
七識たえが大切なんだ。
そのためならば、命を懸けられるんだ。
「おまえを倒して、オレはたえ姉のもとに帰って見せる」
心の中は滅茶苦茶だ。たえ姉への想いや奴への怒り。信念のことや夢のこと。様々な感情が一緒くたにかき混ぜられていて、どれが本物なのかなんて分からなかった。
だから今は、せめて――せめて、今この胸を燃やす理由のために戦うんだ。
たえ姉の笑顔のために。
だからそのためには――
「邪魔なんだよ神様気取りッ」
こいつを、オレの全てでもって――ッ
「オレが神を討ってやる。邪神の分際でしゃしゃり出てくるなッッ!」
そして、勝利を手にするために、駆け出そうとしたその刹那――
「舞うぞ――『百花繚乱』ッ!」
そんな聞き慣れた声が足元から聞こえて――直後、地面が爆発し、足場が崩れた。
大量の花弁に全方を守られるように覆われると同時、生み出された真下の穴に吸い込まれ、オレの視界は暗転した。