序章 人類淘汰
西暦、2017年――――――――――――――――――
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2025年――
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西暦2150年。
人類は地上から淘汰された。
突如として全世界に広まった未知のウイルスによって、地球はヒトが住むには不適切な環境と化した。
東南アジアを始点として放射状に広まったそのウイルスは、様々な気象的要因によって最初にアジア地域を覆い尽くし、そのまま東は日本、そして太平洋へ。西はヨーロッパからアメリカへ広がっていった。見ることも掴むこともできぬ極小の猛威を前に、人類は成すすべなく倒れていく。
ウイルスは次々に人間の意識を刈り取っていった。
幸いだったのは、命までは奪わなかったことだろう。
病に罹った者は皆、心臓も動いていたし呼吸もしていた。脳死ということもありえない。
ただ、起きなかった。
誰も、何も、目を覚ますことはなかった。
感染した者から順に永遠の夢へと転がり落ちていく。決して途切れることのない桃源郷へと誘われた。
だが――
理性を手に入れ、知性を磨き続けた人類の生き汚さは、種の滅亡を前にしても決して諦めるという選択を取らなかった。
このパンデミックを予期していた各国政府は、国土の地下に隠していた大規模シェルターに国民を移送し、そこに安置されていたコールドスリープマシンのようなカプセルの中に詰めた。
年若い者から順にカプセルに入れられた人間は、脳をスキャンされ記憶や人格を電気信号に変換されたのち、先んじて用意されていた電脳世界へと魂――すなわち個人固有のあらゆる電気的情報――を移された。
種族にむらがあるものの、電脳世界に移住することのできた人間の数は約十億人。当時の世界人口は二十一世紀初頭からさらに増え七十七億人になっており、生き残ることができた人間は全体の13%とかなり限定されてしまった。だがそれでも、十億もの人間が生き延びた。
……残りの六十億人以上の人間は眠っているうちに肉体が限界を迎え――そして死んだ。
生命情報の全てを巨大な電脳空間へと移され、それらあらゆる生体情報を直接的に接続された人々は、電脳世界そのものからエネルギーを供給されるようになる。
この時点で、人類は肉体と魂を完全に切り離すことに成功し、これによりカプセルに入っていた人間の体は器ですらなくなり、ただの空っぽの肉の袋へと堕した。脳という機関から脳の持つ機能が根こそぎ抜け落ちたため、肉体そのものはその時点で死を迎えたのだ。
電脳空間への魂の移行工程が終了した者のカプセルから順に、肉体を生かすためのあらゆる延命措置や治療の類が打ち切られ、やがて腐食し始める。
この時点で、生物学的には人類は絶滅した。
人類と地球は袂を分かった。
人の歴史は地球から舞台を移し電脳世界へ。
地域ごと五つの電脳世界に分けられて、それぞれの世界はそれぞれの歩みを始める。
南北アメリカ大陸の人々が生きる『新地電界』。
欧州諸国やロシア、アフリカおよびオーストラリアの人々が生きる『聖欧電界』。
西アジアと中東アジアの人々が生きる『聖亜電界』。
東アジアを初めとして、聖亜電界に含まれていないアジア地域の人々が生きる『絹道電界』。
日本人だけが生きる『葦原電界』。
そして、そして、そして――――
人類の魂の電気情報化から、約八百年の月日が流れた。
☆ ☆ ☆
電界暦八〇七年。
葦原電界、大和の国――――阿修羅街。井伊女傑陣の領内。
オレは神に負けた。
「カハッ……が、ァぁ、……が、まだ、……っ」
天部の雷はどうしようもなく破滅的な光をまき散らしながら、街に立ち並ぶ住居や人間、それら阿修羅街の全てを呑み込み食らっていく。
降り注ぐ雷霆を前にすれば、人類は旧世界に生きていた頃と変わらず、ただ己の頭の上にだけは落ちてこないで下さいと天に向かって祈るしかない。
その祈った先に住まう者こそが、雷をまき散らしているのにもかかわらず。
快晴だったはずの電脳の空は神の業により書き換えられて、暗雲が空を染め上げ雷雨が降り注ぐ。雨と同じように降り注ぐ雷によって無作為に破壊されていくのは、人が創造した想像の街だ。
『想いの力で現実を――情報を書き換えたところで、想像の範疇を超えた力を前にすればこの程度か』
そして、地に伏すオレを見下げる男神の出で立ちは、誰がどう見ても異質であった。
青白い髪と、髪と同じく色素の薄い肌。巨大な体躯はその身に紫電で構成された鎧を纏っている。
ここ葦原の電界ではその古めかしい格好そのものは珍しくもないが、服の材質や男の肌の色などはどう考えてもおかしいだろう。
諦観と倦怠で満たされた瞳が細められる。
直後、軽く開いた右手に紫電が収束していった。
大気が悲鳴を上げながら、電気の弾ける音と共にその手の中に雷で構成された槍が形成される。
全てが――人の心さえも数式によって表現される世界にありながら、その槍には神威が宿っているように思えた。
「くッ……まだ、だ……ッッ」
だが、その程度の脅威で勝利を諦めるほどオレは賢くない。
ここでオレが倒れれば、今度こそたえ姉は殺される。
失うわけにはいかない。
それが天津淡島の真実だから。
たった一人の家族であり、幼馴染であり、隣にいることが当たり前な二つ年上の女の子。
七識たえ。
紫電に引き裂かれて彼女が無残に殺される――そんな想像をするだけで、頭がおかしくなりそうだった。
《魂命》にはまだ余裕がある。槍が掠っただけで命が半分削られるというのも不条理な話だが、相手は神だ、仕方がない。
『貴様……見ていて腹が立つな。気合? 想いの力? 情熱、希望、覚悟……それらの力を信じている』
「――それを信じられない……おまえが……腑抜けなだけだッ」
死ぬつもりなど全くない。勝つ、必ず勝利する。
神だろうが天部だろうが関係ない。
彼女を守るためならば、オレはあらゆる卑怯を犯してでもそれを本気で達成してみせる。
決意と共に走り出し。
次の瞬間、文字通り桁違いの出力の紫電が電脳世界を塗り潰した。