酔い止め霊薬
――薄暗い取調室に、レクサク・ジーディンは手足を拘束された状態で座っていた。
周囲を、国家魔法師団の団員に取り囲まれている。
なぜ犯罪者のような扱いを受けなければならぬのかと、内心舌打ちをしたい気分であったが、リンゼイの兄ゼルがいる手前、ぐっと我慢する。
「さて、君はなぜ、街中で高位魔法を展開したのかな?」
「……」
何もかもが想定外だったのだ。
高位魔法『箱庭』を使ったらリンゼイを確実に捕獲できたのに、邪魔が入った。
板金鎧の男。
幻獣最強の竜をも屈服させる、高濃度の魔力の集合体である鎖を絶ち切ったことはありえないことだった。
術式は完璧だったのだ。レクサク側に不備があるわけがない。化け物かと思う。
ここでふと、思いついた。自分の行動を正当化する言い訳を。
瞬時に気分を入れ替える。そして、絶望の縁に立たされたような表情で話しだす。
「リンゼイは……誘拐されたんですよ、化け物に!」
「化け物?」
「はい」
どういう化け物なのかと聞かれ、首を横に振るレクサク。
「全身鎧姿で、何者かわからないんです!」
空間系の魔法最強の『箱庭』に生身で対抗したと言ったら、化け物に間違いないと周囲も頷く。
「嘘だと思うならば、現場で話を聞いてみてください! 目撃者はたくさんいます!」
「ふむ」
ここで、外から団員がやって来る。ゼルに数枚の書類が手渡された。
「……なるほど」
それは、解析術師が現場検証をした結果であった。
「君の言うことに、間違いはないようだね」
港の船着き場で地面に焼き付いた魔法陣と、魔力痕からの記録を解析した結果、レクサクの供述と合致したのだ。
「箱庭の装置、鎖を絶ち切る板金鎧の男。確かに、化け物と言っても過言ではない」
「はい」
「わかった。今回の件は不問とは言えないが、どうにかしよう」
「あ、ありがとうございます!!」
簡単に騙されてくれたと、誰もいなくなった部屋でほくそ笑むレクサク。
板金鎧の男が化け物であることは、紛いない事実。
まともにやりあえば、大きな被害を受けてしまうことは容易く想定できる。
リンゼイを取り戻すことは国家魔法師団に任せて、レクサスは高みの見物を決め込むことにした。
いまだ、取締室にいながら、レクサスはそんなことを考えていたのだ。
◇◇◇
霊薬とは、魔法使いの作る特別な効果のある薬。
一般的な薬は主に腸で吸収され、その後血液に溶けて、患っている部位まで運ばれる。
一方で、霊薬は口に含んだ瞬間に効果を発揮するのだ。
リンゼイと霊薬の出会いは、魔法学校一年目の春。
必須科目である回復魔法学科で、適正等級甲乙丙のうちの一番下である『丙』を得たことがきっかけとなる。
現代に生きる魔法使いの基礎となっている回復魔法は、魔導戦争が終結した以降の年に大いなる発展を遂げたのである。
外傷を始め、病気や精神的な疾患まで治す魔法は、一気に広まった。
医者いらずの魔法大国メセトニアでは、回復魔法を使えることは当たり前。魔法使いにとって、基礎中の基礎なのだ。
そんな回復魔法との相性が悪かったリンゼイは、首席合格にもかかわらず、あっという間に劣等生となった。
何度補習をしても効果は上がらず、教師、両親、本人と、揃って途方に暮れた。
驚いたことに、魔法学校始まって以来の、回復魔法の適正なしの生徒だったのだ。
しかし、教師が霊薬を作って合格点に達していたら、『乙』の等級を与えると提案する。
リンゼイは一心不乱に霊薬について勉強し、結果、学年一位の回復量を誇る霊薬を作ってのけたのだ。
以降、リンゼイは魔法を使って作る霊薬の虜となった。
それから、魔法使いとしてのリンゼイは、華々しい経歴を築いていく。
霊薬が実績となることはなかったが、研究の一環として、ずっと続けていた。
飛び級をし、首席を守ったまま卒業して、未来有望な魔法使いレクサク・ジーディンと婚約を結んだまではよかったが――薬馬鹿故に、魔法使いとしての選良街道から外れてしまった。
『ねえ、リンゼイ』
「何?」
いまだ、リンゼイは薬草を前に、考えごとをしていた。
今のところ、自らの思い切った行動に、後悔の色はまったく見えない。
『今からだったら、間に合うと思うんだよねえ』
「だから、何が?」
『家に帰るの』
ルクスはやんわりと指摘する。
今回の婚約破棄を始めとする逃走は、父親の顔どころか、他の家族にまで泥を塗るような行為であると。
「家族? そんなの関係ないわ。これは、私個人の問題。私の生きがいを奪って、馬鹿にした奴なんかと結婚なんてありえないんだから」
『うん、まあ、そうだよね』
そんなリンゼイを前にしたクレメンテは、感嘆の声を上げている。
なぜか床に正座の姿で、うんうんと頷いていたのだ。
『クレメンテ、感心しないほうがいいよ。これは、だめ人間の例だから。きつく言えば、自分勝手』
「しかし、大切な物を守るためには、取捨選択も必要です。それじゃなくても、家族というしがらみは、なかなか断ち切れる物ではありませんから、その決断は大変勇気のあるものだっただろうなと」
クレメンテもいろいろあったよね、という言葉をルクスは寸前で呑み込んだ。
大英雄であるクレメンテは、一人の人である前に、国の兵器扱いであった。
戦場では恐れられ、国でも内部の者からは畏怖の対象となる。
心休まる時などなかったのだろうと、ルクスは心情を慮る。
ここでルクスは、リンゼイに視線を戻す。
すると、何かを思いついたのか、ハッとなった様子で立ち上がった。
「ねえ、クレメンテ。あなたの兜、貸してくれない?」
「私の兜、ですか」
「ええ。耐魔特製のある乳鉢が必要なんだけど」
クレメンテの鎧の各所には、耐魔呪文が刻まれていたのだ。
「それ、新品だけど、ミノル族の作った品ね」
「はい、先日、いただきまして」
ミノル族とは、地中に住む小人で、手先が器用な半妖精である。
彼らが作る製品は、高値で取引されるのだ。
ルクスはドキドキしながら二人のやりとりを見守っていた。
ここでクレメンテの顔がバレて、ロマンスでも始まったら面白いのにと、他人事のように観察している。
「だめだったら、別にいいけれど」
「あの、替えの兜がございまして……」
ごそごそと、腰のベルトから道具箱を手に取り、中から漆黒の兜を取り出す。
二人の恋は始まらなかったので、ルクスはがっくりとなった。
「ありがとう」
「いえ」
ここでも、ルクスはぎょっとした。それは、大英雄クレメンテ・スタン・ペギリスタインの板金鎧の兜であったから。
兜の内部には、ぎっしりと古代の文字が刻まれている。
これは、セレディンティア国を守護する大精霊の祝福の祝詞であった。
リンゼイは気にも留めずに、薬草を兜に入れた。
『ちょっ、ちょ~い、リンゼイさん。兜の内部を気にしようか』
「ただの祝福でしょう? 創薬には関係ないわ」
『そうだけどさ~』
こういった品は、王族に近しい者しか手にすることができない。
クレメンテの正体をもうちょっと気にしてほしいと、ルクスは思った。
リンゼイは薬草に加えて、魔力の活性効果がある魔石紛を入れた。
「混ぜる物は……」
リンゼイの視線は、クレメンテの隣に置かれた剣に注がれた。
何も言わずとも、クレメンテはそっと剣を差し出す。
それは、伝説の魔剣オスクロ。所有者を呪い、絶大な力を発揮する。
しかし、クレメンテは呪いの影響を受けていない。その理由をルクスは探ろうとしたが、リンゼイが魔剣で兜の中の薬草と魔石粉を、柄を先にして混ぜ始めたので、思考が停止した。
『ちょい、ちょ~~い、リンゼイさん!』
「ちょっと黙ってて。今、忙しいから」
『それ魔剣、魔剣だから! 魔剣!』
「……」
薬作りに集中し始めたので、ルクスの言葉も耳に届かなくなった。
途中で精製水を加え、魔剣で練る。
最後に製薬魔法をかけ、一口大に丸めて乾燥させた。
酔い止め霊薬の完成である。
『結構大きいね』
「本当だったら、丸薬器で加熱圧縮するんだけど」
『そっか』
リンゼイは仕上がった酔い止めを、クレメンテに差し出した。
「噛んだら苦いから、そのまま呑み込んで」
「あ、はい」
あの大きさを丸呑みしたら、喉に詰まるんじゃないかと、ルクスは心配になる。
ここで、ありえない展開になった。
クレメンテが薬に手を伸ばすと、触れると形が崩れるからと、リンゼイは注意する。
「あ、あの、どのようにすれば?」
「私の手の平に乗せたままで、どうにかして呑んで」
一応、ルクスは『失礼でしょ!』とツッコミを入れたが、リンゼイは聞く耳を持たない。
一方で、クレメンテは「わかりました」と従順な返事をする。
そして、餌を貰う犬のようにリンゼイの手の平から薬を口にした。ためらいもせずに薬を呑んでいる。
ごくりと、喉が動く。
カタリと、鎧の音が鳴った。
クレメンテは、感嘆の声を漏らす。
「す、すごい……」
どうやら、船酔いは一瞬にしてなくなったようだ。
「ありがとうございます。リンゼイさん!」
「別に、大したことはしていないけれど」
普通の船酔い緩和効果に加え、船酔いの耐性も付く。
「だから、この先二度と、船酔いすることはないわ」
『いや、大したことじゃんか』
霊薬の効果は絶大であった。