鎖を絶ち切る刃
元婚約者である、レクサク・ジーディン。二十一歳。
リンゼイと同学年になったことが、運の尽きだったのかもしれない。
今まで主席を守り、学年一優秀な魔法使いとして、周囲の羨望を一身に浴びていた。
しかし、リンゼイ・アイスコレッタという傍若無人な天才魔法使いが飛び級をしてやって来たことにより、状況は激変したのだ。
テストも実技も周囲の人気も、教師の支持すら、万年二位となってしまったレクサク。
突然現れ、すべてを奪ったリンゼイを許すことができなかった。
そんな彼も、一時期は実力を認め、敬意を示していた時期があった。
しかし、その気持ちも無下にされる。トップ同士、仲良くしようと差し伸べた手を、リンゼイは「慣れ合うつもりはない」と払ったのだ。
その日を境に、二人の関係は泥沼状態となった。
憎しみを抱いたまま卒業し、そして、婚約を結んだ。
目的は、結婚後のリンゼイの人生を好きにするためであった。
自分の研究所に引き入れ、部下として使い、手柄はすべてレクサクの物。
そのようにして、鬱憤を晴らそうとしていた。
けれど、レクサクの歪みきった計画は、リンゼイの暴走によって破綻してしまった。
さらに、最悪なことに、レクサクの暴言を耳にしていた者がいたのだ。リンゼイの研究を盗用したことも。
周囲から糾弾され、結婚によって約束された出世の道も失い、居場所すら危うくなる。
状況を変えるには、リンゼイを連れて帰るしかなかった。
自慢の銀縁眼鏡は煤で汚れ、いつもはきっちりと撫で上げている前髪を乱れている。正装は汗びっしょりで、まったく余裕もない。そんならしくない姿で、やっと見つけたリンゼイを指差して叫んだ。
「この、馬鹿女が!!」
その様子に、リンゼイは「はあ」と溜息を吐く。
「お前、自分のしたことがわかっているのか?」
「同じ言葉をお返しするわ」
「なんだと!?」
人の多く行き交う港で、言い合いを始める二人。
ルクスはハラハラしながら、リンゼイに『どうどう』と声をかけていた。
「まあいい。早く帰って謝りに行くぞ」
「お断りするわ。私、家に帰るつもりはないから」
「はあ!?」
もうこれ以上話をするつもりはないようで、リンゼイは踵を返す。
「おい、お前――!!」
レクサクは慌ててあとを追い、リンゼイの肩に手を伸ばしたが、掴む寸前で腕を取られた。
「ぐっ、痛っ、だ、誰だ!!」
掴まれた腕は鉄色。腕、肩、胸、首元、顔と、相手を確認する。
頭のてっぺんから足先まで、鎧に覆われた姿にぎょっとする。
しかし、その人物は街中でリンゼイを抱えて逃げた全身鎧男だと気付いたので、怒りで体がカッと熱くなった。
「お前は、あの時、リンゼイを連れ去った奴!!」
手を振り払おうと思いっきり腕を引いたが、ビクともしない。
それもそうだろう。相手はいくつもの死闘をくぐり抜けた、セレディンティア国の大英雄なのだ。レクサクは知りえない事情である。
レクサクは腕を取られたまま、負け犬の遠吠えの如く吠えた。
「はっ、なるほどな。リンゼイ・アイスコレッタ、わかったぞ!! お前は、この男と駆け落ちの約束をしていたのだな!!」
レクサクの暴言を聞き、ピタリと歩みを止めるリンゼイ。
「顔を隠しているのは、身分が低いからだな。こんな真新しい鎧を着込んで、堂々と身一つで勝負できない奴なのだろう。馬鹿だな、お前も。どうせ、お前の研究は素晴らしいとか、耳触りの良いことを言われて、舞い上がったのだろう」
リンゼイはそのままツカツカとレクサクに近付き――ジロリと睨むと、なんの前触れもなく、頬を打った。
「がっふ!!」
歯を食いしばる余裕がなかったので、口の端から血を流すレクサク。
リンゼイは冷え切った目線を向け、低い声で言った。
「最低」
「なっ、最低なのは、お、お前だろうが!! いきなり暴力を振るったりして!!」
その件に関しては悪かったとすぐに謝罪をしたが、眉間に皺は寄り、目は細められ、口元が歪んだ表情で、誠意の欠片もない。
余計に、レクサクの怒りを煽る結果となる。
「お前な~~!!」
「叩いたことは謝るけれど、あなたの暴言は許さないから」
「はあ!?」
「私だけならまだしも、知らない人の悪口まで言っているのが最低って意味」
「だって、本当のことだろうが!」
ぐっと、リンゼイに接近しようとしたレクサクであったが、クレメンテが腕を握ったままなので動けなかった。その様子は、まるで紐に繋がれた犬そのものである。
「もう、ついてこないで!」
はっきりと言い切り、リンゼイは再度踵を返す。早足でツカツカと進んだ。
「こいつ!!」
レクサクは早口で捲し立てるように詠唱した。
『やばっ、クレメンテ、離れて!!』
ルクスが叫ぶと同時に、クレメンテはレクサクから離れ後退する。
魔法陣が浮かび上がり、その中心部から出て来たのは、太い鎖であった。
『リンゼイ!!』
振り返ったリンゼイに、鎖が襲いかかる。
「なっ!!」
急だったので、結界を張る余裕すらなかった。
リンゼイの全身を拘束するために伸びた鎖であったが、想定外の者を巻きつける。
それは、クレメンテの腕だった。
「なっ――お前!!」
それはレクサクも想定外だったようで、驚きの声をあげていた。
魔法で作られた鎖はクレメンテの腕に幾重にも巻きつき、ぐいぐいと引いている。
「クレメンテ、あなた」
「リンゼイさん、逃げてください。私は、ここで、彼を引き留めておきますので」
気が付いたら、船の出向時間が迫っていた。
ボー、ボー、ボーと、出港前を知らせる汽笛が鳴っている。
時計を確認すると、出発まで五分と迫っていた。
「そんな!」
「腰のベルトに、前金があります。不要ですので、どうか、それを持って……」
ずるずると、引きずられていくクレメンテ。
リンゼイは魔法陣に視線を移す。
「あ、あれは!」
『猛獣を捕獲する箱庭だね』
「ばっかじゃないの、あいつ!!」
箱庭は本来、手が付けられない獰猛な生き物に対して使う空間魔法であった。
高位魔法で使える者はひと握り。
魔力の消費も多く、使用に魔法省の許可も必要であった。
レクサクは許可を取っているようには見えない。
小娘一人の捕獲に、申請が通るわけがないのだ。
『なんていうか、才能の無駄遣い……』
「あんな大馬鹿、見たことないわ」
リンゼイは身の丈ほどもある、先端に水晶の付いた長い杖を、異空間より取り出す。
『リンゼイ、街中での魔法は――!』
「わかっているわよ!」
杖を手にしたリンゼイは、レクサクのもとへと全力疾走し――力の限り殴りかかった。
「ぐ、ぐっは!!」
脳天に衝撃を受けたレクサクはふらりとよろめく。
術者の集中力が途切れたので、鎖の力が弱まったのだ。
そこで、クレメンテは剣を引き、腕に巻きつけられた鎖を断ち切る。
「なっ……魔法製の鎖を絶つなど――!!」
レクサクが衝撃を受けている隙に、リンゼイはクレメンテのもとへ走る。
そして、腕を掴んで叫んだ。
「行くわよ!!」
「え?」
「早く、船に遅れちゃうわ!!」
クレメンテは頷き、「失礼」と一声かける。
「え、何――ひゃっ!」
リンゼイを横抱きにして、ルクスに背中に跳び乗るよう指示を出し、船まで全力疾走した。
乗船用の階段が落とされようとする寸前に、滑り込みで間に合ったのだ。
我に返ったレクサクもあとを追ったが、船が出たあとだった。
何か言葉にならない言葉を叫び、その場で地団駄を踏む。
リンゼイ一人ならば、鎖に繋いで連れ帰ることもできたのに、邪魔が入った。
板金鎧男。
奥歯を噛みしめ、悔しい気持ちを抑える。
このままでは済ませないと叫んだが、背後より、ポンと背中を叩かれた。
一回目は手で払ったが、二回目は痛いほど叩いてきたので、怒りの形相で振り返る。
「お前、力加減を知らないようだな。家名を名乗れ、愚か者!!」
しかし、振り返った途端、レクサクの顔面は凍る。
背後に立っていたのは、国家魔法師団の白い制服の男だった。
さらに、相手は見知った者――長い紫色の髪を一つに纏め、切れ長の目に、整った顔立ちをした、若い男。
背が高く、レクサクは見下ろされる形となる。
「家名はアイスコレッタだが、はてさて、名乗る必要はあったかな?」
「あ……、お、お義兄様……」
それは、十歳上のリンゼイの兄、ゼル・アイスコレッタであった。
「君は、愚妹を連れ帰るためとはいえ、街中で魔法をつかったね」
「あ、は、いや、その、これには、理由が、ありまして」
「別室で、詳しく話を聞かせていただこうか」
「……ひゃい」
今すぐにでもあとを追おうと思っていたレクサクであったが、ゼルに拘束されてしまった。