最終決戦
地獄の番犬――全長は七メトルくらいか。ピンと立った耳に、白銀の毛並み、知性を帯びた青い目と、魔物のそれとは異なる雰囲気を持っている。
これは、マリアが作りだした、人工魔物である。彼女の魔力が込められた魔石と三頭の犬の亡骸から作ったそれは、魔物というよりは精霊に近い存在だ。
地獄の番犬は咆哮をあげ、クレメンテに襲いかかる。
大きく開けられた口より、鋭い牙が覗く。ぽたりと落ちた唾液は、ジュッと音をたてて大理石を溶かした。
丸呑みしようと飛びかかってきたが、クレメンテはギリギリまで引き寄せて回避。
隙だらけになった腹部に振り上げた剣を斜めに振り下ろし、深い傷を与えた。
吹きだす青い血。
地獄の番犬は「キャン!」と鳴く。大量に出血したからか、動きが鈍くなった。
止めを刺す大いなる機会が訪れたが、クレメンテが斬りかかろうとしたその時、間を遮るように魔法陣が空中に浮かび上がった。
なんの魔法かわからず、クレメンテは後退する。
それは、聖なる慈愛の光――回復魔法だ。腹部の傷は、綺麗に塞がれてしまった。
マリアの支援魔法に、ウィオレケが文句を言う。
「母上、ずるい!!」
「ウィオレケも、その男が傷ついたら回復させるだろう?」
「それは……」
「二対二で、正々堂々と戦おうではないか」
母親の言葉を聞いたウィオレケは、これでもかと、クレメンテに祝福や加護の魔法をかけまくる。しかし――。
『あ、あれ?』
「どうしたんだ?」
『クレメンテに、ウィオレケの祝福や加護の力が作用していないなって』
「なぜなんだ?」
ルクスは魔眼を発動させ、目を凝らす。
クレメンテの属性は闇から、世界に存在する多くの人と同じ無属性となった。
闇の力が強いと、聖なる属性の魔法である回復魔法や加護、祝福の類が効きにくくなることもあるが、今のクレメンテは闇属性ではない。
だったらなぜ?
ルクスは魔眼の精度を高める。
『――え、これって?』
「ルクス、どうしたんだ?」
『クレメンテの無って、無敵……?』
「はあ!? そんな属性、聞いたことないぞ」
『うん、でも、無敵って示してある』
ルクスとウィオレケが話をしている間にも、地獄の番犬との戦闘は続いている。
クレメンテの一太刀が肉を裂き、マリアがすぐに傷を塞ぐ。その繰り返しであったが。
魔剣オスクロの名を、クレメンテが叫ぶ。
すると、刃は周囲の魔力を吸収し、鋭さを増した。
地獄の番犬が咬みつこうと姿勢を低くした刹那、クレメンテは魔剣から波動を放つ。
鎌のような形で迫る刃は、三つあるうちの中の一つの首を跳ねた。
クレメンテは自身のもとへ飛んできた地獄の番犬の生首を掴むと、マリアに投げた。
「きゃあ!」
さすがのマリアも、悲鳴をあげていた。
飛んできた生首を、しゃがみ込んで避ける。
『ウィオレケのお母さん、可愛い悲鳴をあげたね』
「言わないでくれ、ルクス……聞きたくなかった」
地獄の番犬の生首は窓に衝突し、ガラスが割れて飛び散る。外の露台へ転がって行った。
マリアは防御魔法を展開させて、身に破片が突き刺さるのを防いでいた。
クレメンテは一つの首を失い、バランスを崩している地獄の番犬を猛烈に斬りつける。
マリアを攻撃すればいいのかと気付いたウィオレケは、氷の礫を飛ばして詠唱の邪魔をしていた。
もう一つ、首を刈り落とし、頭を掴んだクレメンテは、天井のシャンデリアに投げつけた。
鋭く尖ったシャンデリアの水晶が、雨のように降り注ぎ地獄の番犬の体に突き刺さる。
隙ができたので尻尾部分の毒蛇を斬り落とし、頸動脈を裂いた。
大量に出血し、二つの首を失った地獄の番犬は、ついに倒れ姿を消した。
戦闘時間は十分もなかった。
その事実に、マリアは呆然とする。
「なんていうことだ。まさか、私の最強の魔獣を倒してしまうなんて」
ちなみに、死んだわけではないらしい。魔石を使い、修復しなければならないので、しばらく具現化はできないが。
「信じられないな。あれには、私の十年分の魔力を費やしていた。なのに、こうも簡単に倒してしまうとは。さすが、セレディンティア国の大英雄――見事だ」
マリアは素直に称賛する。大袈裟に手を叩いて褒めたたえた。
「さてと、最終戦といこうではないか」
マリアは異空間より、柄の長い杖を取り出す。
「クレメンテ・スタン・ペギリスタイン。リンゼイと結婚したいのならば――私を殺せ。母の屍を乗り越えて、娘を手にしろ!」
「それは――」
マリアの発言に狼狽を見せるクレメンテに、水から作られた球を銃弾のように飛ばす。
ハッとなったクレメンテは、すべて回避させた。
着弾したそれは破裂し、白亜の壁面を破壊する。
「な、なんだ、あの魔法は!?」
『当たったら爆発する仕様みたいだね』
「え、えげつない……」
マリアは水球を放ち、クレメンテは回避するか斬り落としていく。
ちなみに、魔剣オスクロは魔力を分解するので、水球が破裂することはない。ただの水となり、床に滴っていくばかりであった。
クレメンテはマリアと一定の距離を取って、近付こうとしない。
「どうした、大英雄? 避けてばかりで、攻撃しないのか?」
クレメンテは思う。
もしもマリアが死んだら、リンゼイやウィオレケは悲しむだろう。
アイスコレッタ家の家族仲は悪いようには見えない。
それに、母親を手にかけたとリンゼイが知ったら、伸ばした手を拒絶されてしまうだろう。
それは彼女だけでなく、ウィオレケも同じだ。
誰かを悲しませてまでも、幸せのためにマリアを殺さなければならないのか?
クレメンテは疑問に思う。
戦時中であれば、マリアを殺していただろう。
自身を攻撃する者は、全員逃さなかった。
たくさんの人を、手にかけた。それが、戦争なのだ。
しかし、今は――このメセトニア国は平和そのものである。
クレメンテも、人を、敵を殺す生業から足を洗っていた。
一番、幸せだと思うことは、リンゼイが楽しく暮らすことである。
そのために、必要だと言われて嬉しかった。
自分の幸せは、最優先すべきことでない。
クレメンテは魔剣を手から落とす。
それから、まっすぐにマリアを見ながら言った。
「――私は、あなたを殺せません」
◇◇◇
そこはカーテンが閉ざされた薄暗い部屋。
ハッと、意識が覚醒する。
「……頭、痛った」
波打った紫色の髪をかき上げ、リンゼイは眉間に皺を寄せる。
「――ん?」
頭痛の理由を探り、あることに気付く。
そこは、天蓋が下ろされた寝台であった。枕元にあるのは、手のひら大の澄んだ青い水晶。
「なんで、竜玉がここに?」
起きたばかりで、働かない頭の中で考える。
竜玉とは、竜の心臓部分であり、高位魔力の結晶体でもある。
こんな物が近くにあるから、魔力を大量に吸収して、頭痛を覚えていたのだと、リンゼイは舌打ちをする。
「でも、なんで……? これは、水竜の……」
ここで、リンゼイは気付く。これは母親の竜の『竜玉』であると。それから、ここは実家で、いつの間にか連れて来られていることにも。
周囲には、逃亡防止のためか、結界が張られていた。それから、リンゼイが魔法を使えないような呪いも。
視えない壁があって、リンゼイはドンドンと叩いたが、ビクともしない。
「母上……余計なことを!」
魔力を使い過ぎたリンゼイを見て、実家に連れて帰って来たのだろうと推測する。
どうしようか。
このまま、大人しく閉じ込められたままなのも、癪に障る。
しかし、魔法は展開できない。視えない壁も腕力だけで破壊できそうになかった。
布団の上に胡坐をかき、腕を組んで考える。
「ルクス!! ローゼ!!」
妖精達の名を叫んでみた。しかし、それらの声も届かないようになっているのか、姿を現さない。
リンゼイの赤竜、レンゲも呼びかけに反応しなかった。
リンゼイは舌打ちして、枕に拳を沈ませる。すると、コロリと転がって来る、マリアの水竜の竜玉。
「――あ」
リンゼイは竜玉を掴むと、視えない壁に向かって何度も猛烈に打ち付けた。
すると、壁が消失する。
リンゼイは軟禁状態から力技で脱出に成功した。




