幻覚魔法
ゼルは階段の上から見下ろし、クレメンテは見上げる。
戦いにおいて、下にいるほうが圧倒的に不利である。
空中に魔法陣が浮かんだのと同時に、クレメンテは階段をゼルに上って接近する。
しかし、間に合わなかった。術式は発動され、矢のような雷撃に襲われる。
「クレメンテ!!」
ウィオレケは叫ぶ。
杖を取り出そうとしたら、父モンドにぴしゃりと怒られる。
「これは一騎打ちです。邪魔してはいけません」
「そ、そんな!」
一直線に飛んできた雷撃であったが、クレメンテは魔剣で両断した。
魔剣で経たれた魔法は、瞬く間に消失する。
「なるほど。これが噂の魔剣オスクロですか」
ゼルの攻撃魔法は、クレメンテの魔剣の性能を知るためのものであった。
あっという間に階段を上り切って接近したが、剣を振り上げた瞬間に周囲に霧がかかる。
目の前の気配は消え、霧が晴れたころには、想定外の人物の姿があった。
浮かんだ人影は、女性だ。
波打った紫色の艶やかな髪、勝気な目元に、自信が現れている口元。それから、豊かな胸元に、きゅっと細い腰。すらりとのびた長い脚。
黒いドレスに身を包んだその姿は、誰もが振り返るほどの美人である。
「――あら、クレメンテ」
「リンゼイ、さん」
リンゼイの姿を見た瞬間、クレメンテは魔剣を手から落とす。
カランと、大理石に落ちる音が、玄関ホールの中で響き渡った。
「リンゼイさん、リンゼイさん……」
クレメンテは膝から崩れ落ち、ブルブルと震え、感極まった様子でいた。
その様子を見たウィオレケは叫ぶ。
「義兄上、それは姉上ではない!!」
それは、ゼルが作りだした幻覚魔法である。
ウィオレケは一生懸命違うと叫ぶが、クレメンテの耳には届かない。
『ウィオレケ、無理だよ。幻覚魔法は神経に作用するものだから』
クレメンテの記憶の中にあるリンゼイを引きだして再現したものなので、術にかかった者は魔法であると気付かない。
「兄上、最低だ! 術を解け! 父上が、どうなってもいいのか!」
さっそく、人質であるモンドを有効活用しようとしたが、ゼルは応じない。
ウィオレケは肩を落としながら、ポツリと呟く。「父上、すまない」と。
「ウィオレケ、すまないとはいったい、どういうこ――」
「皆、頼む」
モンドを取り囲んでいた筋肉妖精は、じりじりと近付く。
「や、やめなさい! 今以上に近づいたら、あ、あ~~!!」
筋肉妖精達はモンドに手をかけて――全力でくすぐった。
「あは、あははは、ふっ、くふふ、やめ、あははっはは!」
くすぐられる父親の様子を、ウィオレケは冷静に眺めていた。
『リンゼイのお父さん、可哀想』
「僕も……辛い」
悲しそうにするウィオレケを、メルヴがヒシっと抱きしめる。
「ははっ、ゼル、こら、やめ、あははは、あは、助けに、はははは!」
『なんか、楽しそうだよね』
「もしかして、僕は父を楽しませているのだろうか」
「ば、馬鹿なことを、あはははっ、ウィオレケ、妖精を、止めなさい!!」
ゼルが出てくる気配はなかった。なので、モンドを気の毒に思って、くすぐりを止めた。
再度、筋肉妖精が取り囲む檻に囚われた状態になる。
「はあ、はあ、はあ、私の、息子は、二人共、どう、なって……」
『ごめんね。代わりに謝るよ』
人質作戦は大失敗に終わった。
床に膝を突いたクレメンテは女神を崇める信者のように、リンゼイを見上げていた。
それを見たリンゼイは、目を細め、優しく話しかける。
「あなた、何をしに来たの?」
「リンゼイさんに、お会いするために」
もう一度、直接会って聞きたかったことがあった。
最後かもしれない。そう思って、ありったけの勇気を振り絞って伝えることにした。
「リンゼイさん、その、私を――殺してください」
「……は?」
誰もが、偽のリンゼイと同じ言葉を口にする。
「殺してって、あなた、頭わいているんじゃないの?」
「はい、もうずっと、リンゼイさんのことでいっぱいいっぱいです」
リンゼイがクレメンテを必要とするのならば、殺さないだろう。
しかし、必要ないのならば、生きている価値などないと言う。
「リンゼイさんに殺されるのならば、本望です。なんだったら、検体にでも、ご利用ください。ひと思いに、刺してもいいのですが」
床に落ちていた魔剣を広い、両手でリンゼイに差し出した。
それはまるで、姫君に忠誠を誓う騎士の姿のようである。
「さあ、どうぞ」
剣を前に差し出した瞬間、偽物のリンゼイの姿はぐらりと歪んだ。
入れ替わりになるように、ゼルが姿を現す。
「あの、リ、リンゼイさんは、どちらに?」
「さきほどのリンゼイは、幻覚魔法なんだよ」
クレメンテは目を見張り、再度、魔剣オスクロをカランと、床の上に落とした。
「いやはや、驚いた。リンゼイの姿で国に帰るよう、あなたを説得しようと思っていたのに、自分から殺すように懇願するとは」
ゼルはヤレヤレと言い、両手を挙げて肩を竦める。
「大英雄であるあなたを手にかけたら、国際問題になる。それは、遠慮したい」
ゼルは負けを認めた。あとは、直接母マリアにかけ合うようにとも。
「言っておくけれど、母は私のように甘くない。国際問題とかも、気にしないだろうね」
マリアが何よりも一番大切にしているのは、家族である。
それを奪おうとするならば、何が起きてもおかしくはないと話していた。
「いいんです。リンゼイさんのために命を失うのならば、それは本望です」
「なるほど」
ゼルはクレメンテに道を譲った。
笑顔で見送る。
「まさか、妹をここまで熱烈に愛する人が現れるなんて。いやはや、何が起こるかわからないものだ」
「お義兄様……」
リンゼイの部屋は二階にある、廊下を突きあたって左にあると教えてくれた。
「ありがとうございます」
「いえいえ。どうか、死なないで。こうなったら、何があっても幸せになってもらいたいものだよ」
「リンゼイさんが、そう望むのならば」
その返答に、ゼルは首を横に振る。
「一つ、教えてあげるよ。幸せは、自ら掴みに行くものなんだ。自分の手に、飛び込んでくるものではない」
「え……?」
「君は、もっと望んでも良い」
「……」
ゼルは問う。ウィオレケがこれだけ慕っているのであれば、相思相愛の状態だったのだろうと。
「それは――」
「言葉にするのは野暮ってものだね」
ゼルは手を振る。
ウィオレケも階段を駆け上がって来た。
「義兄上!!」
メルヴと共に、抱きつく。
ルクスもあとに続いた。
ウィオレケは涙ながらによかったと言ったあと、ジロリとゼルを睨んで悪態を吐いた。
「兄上の、ばか、ばか、ばか、ばか!!」
「心外だな。リンゼイが酷い目に遭ったっていうから、守るために頑張ったのに」
続いて、筋肉妖精に囚われたモンドもやって来た。
「あ、父上」
「あなたは大馬鹿者です!! 父親を見捨て入る息子がどこにいるのですか!!」
「ここに、二人も」
「~~~~!!」
モンドは一人、悔しそうにしていた。
「早く行ったほうがいい。母上はきっと待っている」
「ゼル、あなたはどうするのですか?」
「別に、何も。いえ、高みの見物をさせていただきます」
「そうですか……。いや、そんなことよりも、私を助けなさい」
「父上、人にものを頼む態度ではないですね」
ゼルの物言いに、モンドは地団駄を踏んで悔しがっていた。
◇◇◇
一行は二階に上がる。
依然として、屋敷内に人の気配はない。
「ゼル、使用人達はどうしたのですか?」
「母上が、巻き込んだらいけないと思って全員帰したんだよ」
マリアは本気だった。迎え撃つ準備は万端なのだろう。
長い長い廊下を歩いていると、途中にあった大広間の扉が開く。
マリアからの、無言の招待であった。