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クレメンテの愛――重い

 リンゼイは母親に連れて行かれてしまった。

 目の前で大切な存在ものを失ったクレメンテは打ちひしがれる。


 初めてだった。

 楽しいとか、嬉しいとか、そういう気持ちで心が満たされることが。


 リンゼイは英雄ではなく、王族でもなく、はたまた、貴族としてではなく、ただのクレメンテを信用し、必要だからと手を差し伸べてくれた。


 利用されていてもよかった。都合が良い存在でも。

 もちろん、想いが同じであったらこれ以上のことはないが、それは望み過ぎだと思っている。

 毎日楽しかったし、近くにいるだけで十分幸せだった。


 これからも、リンゼイとの暮らしは続くと思っていたのに、叶わなかった。


 突然、奪われてしまった。


 母親といえども、このようなことなど、許されるのだろうか?


 リンゼイは、あんなにも、自立したがっていたのに。

 霊薬の事業だって、まだ始めたばかり。

 発表の場だって、作ればいい。いろいろと考えていたのに、すべてが無駄になる。


 相手は勝手に表れて、リンゼイを連れ去った。

 ならば、同じことをしても、怒る権利はないだろう。


 考え事をするたびに、じわり、じわりと黒い靄が手に握った魔剣から溢れ、自身の中へと取り込んでいく。


 力が溢れ、何も怖くなくなった。


 この感覚は、戦争の際にも表れた。

 どれだけ戦っても疲れないし、傷つくこともなかった。

 クレメンテ自身、この力についてはよく考えないようにしている。

 周囲は化け物だと陰口を叩いていた。

 自分がなんなのか。どういう存在なのか。追及したら、きっともとには戻れなくなる。

 だから、都合の良い力として、揮っていた。


 今回も、リンゼイの奪還に使わせてもらう。


 魔剣から生じた黒い靄はクレメンテの体に溶け込み、全身を染め上げた。まるで黒い炎の包まれているようになる。

 今までは手先や足先が、僅かに靄をまとわせているだけだったのに、このような状態は初めてだった。


 国や兄妹、部下にはそこまで執着していなかった。

 けれど、今、クレメンテが奪われたのは、何よりも大切に想っているリンゼイだった。


 早く、連れ戻しに行かなければ。


 窓を開けて、木枠に足をかけた瞬間、扉がトントントンと叩かれる。

 いったい誰なのか。クレメンテは振り返る。


「義兄上、義兄上、そこに姉上は――……」


 ウィオレケだった。

 信じられないことに、リンゼイの母、マリアは娘だけを連れて帰っていた。


 ウィオレケの声を聞いて我に返り、じわじわと黒い支配から解放されていく。

 兜を被っていることが息苦しく感じて、外した。

 手から離れた兜は、ころころと床の上を転がっていく。

 そして、扉を開く。


「義兄上!」


 ウィオレケはメルヴの鉢を握りしめた姿で、扉の前に立っていた。顔色が悪い。どうかしたのかとクレメンテは訊ねる。


「いや、僕のことはいい。姉上はここにいるかと思って」


 魔力の濃度の揺れを感じて、目が覚めたと話す。


「義兄上のところにいるんだったらいいんだけど、なんか、胸騒ぎがして」


 どうしようか迷った。けれど、嘘を吐くわけにはいかない。

 奥歯を噛みしめ、首を横に振る。


「いない……? だったら、姉上はどこに」

「ルクスさんを呼んで、お話をしましょう」


 ウィオレケは呑気にリンゼイの部屋で寝ていたルクスを、叩き起こしに行った。


 ◇◇◇


 クレメンテの部屋に、ウィオレケ、ルクス、メルヴが集合する。

 雲が多く、月のない暗い夜であった。

 皆が皆、神妙な顔付きで長椅子に腰かけている。

 ただ唯一、メルヴだけはテーブルの上で拳を突き出すように、前後にしゅっしゅと動かしていた。これから起こることを想定し、戦闘態勢でいるのだろう。


 ルクスはリンゼイが連れられるという一大事にまったく気付いていなかった。

 というのも、今宵は新月。月のない夜は、光属性のルクスの力も連動して弱まる。


『というわけだったから、ぐっすり爆睡していたんだよね。本当だよ!』

「ルクス、わかったから」


 互いの状況説明を語り合い、しゅんと暗い雰囲気になる。

 リンゼイがいなくなっただけで、家の中がどんよりとしていた。


 話を切り出したのは、ウィオレケであった。


「たぶん、今度の母上は、本気を出すと、思う」


 それは、リンゼイを連れ戻す際の話である。


「きっと、この前の呪いみたいな汚い魔法も使うだろうし、従えている魔獣だって、放って来るはずだ」

『リ、リンゼイのお母さん、魔獣飼っているんだ……。知らなかった』


 魔獣数体にマリア自身、加えて、リンゼイの兄や父親も加わったら、勝てる確率はぐっと低くなる。


「父はそうでもないが、兄は確実に義兄上を手にかけるだろう。そういう、冷酷な人なんだ」


 リンゼイの兄、ゼル・アイスコレッタ。国家魔術師団に所属しており、マリアの次にメセトニア国内で敵に回したくない人物だと言われていた。


「義兄上……」


 ウィオレケは膝にあった手をぎゅっと握って意を決し、胸の中にあったことを告げる。


「姉上のことは、諦めてくれないか?」


 クレメンテの表情は変わらない。彫刻のように、表情筋をピクリとも動かさなかった。


「勝手なことだと思っている。姉上が強引にクレメンテの国に押しかけて、結婚しろって迫って、挙句、別れてほしいだなんて……。でも、今の状況が続くようだったら、いじっぱりな姉上も、すべてを背負い込む義兄上も、どこかで壊れてしまう」


 そうなる前に、マリアが連れ戻しにきたのだろうと、ウィオレケは推測していた。

 クレメンテはどうしたいのか。問いかけてみる。


「私は――別れません」


 毅然とした答えだった。

 いつもリンゼイの陰に隠れて、肯定しかしない男とは思えない返しである。


「でも、上手く行くわけ――」

「上手く行くように、二人で考えます。それが、夫婦だと思うのです」


 だが、下手したら死んでしまう。

 ウィオレケは囁くように言った。声が震えていた。

 セレディンティア国の大英雄たるクレメンテが、リンゼイのために死ぬなんて、あってはならないこと。だから、止めているのだと、言葉を続ける。


「私は三年前、リンゼイさんに命を助けていただきました。その日から、彼女は私の生きる希望だったのです」


 クレメンテはこの先の人生にリンゼイがいなかったら意味がないと、はっきり断言する。


『クレンメンテ、でも、女性はリンゼイだけではないんだよ』

「今までどんな女性と話をしても、心が揺れ動くことなんて、なかったんです。あの人だけだったんです。手を差し伸べてくれたのは。私はリンゼイさんをただ一人、愛しています。彼女を助けに行って死ねるならば、本望です」


 クレメンテはリンゼイのために生き、また死ぬのだと迷いない口調で宣言した。


『あ……うん』


 ルクスはどういう反応をしていいかわからず、顔を逸らしながら相槌を打った。

 熱い、熱い、愛の告白であった。

 ただし、本人不在の。


『で、でもね、生きていたら、いろんな出会いだってあるし。そりゃ、私もリンゼイとクレメンテは一緒にいたほうがいいと思うよ? でも……』


 霊薬を作ることは、魔力を消費する。回復すると言っても、毎日毎日消費し続けたら、体の生命機能に支障をきたす。

 薬屋はリンゼイ一人で続けていける事業ではない。


「無理なんだ。いくら、義兄上が変わり者で我儘な姉上を愛していても……」


 リンゼイと霊薬は切って離せない。


『はっきりしておけばよかったね……』


 クレメンテと霊薬、どっちが大事か。

 聞くまでもない。

 しかし、リンゼイが選んだら、クレメンテは身を引いただろう。


『クレメンテ、悪いけれど――』


 リンゼイに関する記憶をすべて奪おう。

 ルクスはそう思った。でないと、先ほどから影の中で暴れている靄が暴走しかねない。


『ごめん、クレメンテ……』

『――愛ですわ!!』

『ん?』


 突然、部屋の墨に艶やかな薔薇の大輪が出現する。

 光の粒に照らされた薔薇の蕾は開花し、中から筋肉妖精のローゼが現われた。


『お話はすべて聞かせていただきました。是非とも、わたくし達に力を貸していただきたいのです』

『私達?』

『はい。お薬を作る事業も、お手伝いさせていただきたいなと。ね、みなさん!』


 次の瞬間、さまざまな巨大な花の蕾が部屋に出てきて、ふわりと花開く。

 中から次々と、筋肉妖精が飛び出してきた。

 あっという間に、クレメンテのあまり広くない私室は、筋肉妖精でいっぱいになる。

 全部で、二十体ほどだろうか。


 異様な光景を前に、ルクスはポツリと呟いた。


『あ、これ、勝てるわ』

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