クレメンテの秘密
平伏するクレメンテのつむじを、リンゼイは眺めていた。
左巻きで珍しいな、と思いつつ。
『リンゼイ、今、しようもないこと考えていたでしょう?』
「別に」
表情から、面倒くさいことになったということが、ありありとわかっていた。
ルクスは溜息交じりで質問する。
『で、リンゼイ、どうしたいの?』
「どうって、この人、大英雄なんでしょう? 私が独り占めするわけにはいかないし、王族の務めだってあるから、私みたいな性格破綻者が妻だって、周囲も納得しないと思うし」
『性格破綻者って』
「だって、あの元婚約者がそう言っていたから」
その話を聞いたクレメンテは、ぼそりと呟く。
「あの男、リンゼイさんになんてことを……!」
『うおっ!』
クレメンテの魔剣から、黒い靄みたいな物が噴き出る。
「ルクス、どうしたの?」
『やっ、どうもこうも、ひえっ!』
これは、人の負の感情が具現化した物。ただし、このように噴き出るほど発生しない。ぼんやりと、見えるか見えないかくらいの、薄いものである。
尚、これはルクスみたいな妖精や精霊にしか視覚できないものなのだ。
この靄は、悪いものを引きつける。
魔剣保持者であるクレメンテは、多くの魔物と同じ混沌の属性にあった。
今まで、靄が発生したことはなかったが、レクサクと戦ったあとだからだろうか。自身の感情を抑えきれなくなっている。
ルクスはどうにかして、靄を打ち消そうとした。しかし――発生した靄は、するするとクレメンテの体に吸収されていく。
普通、これらの靄は霧散し、空気に溶け込む。だが、クレメンテは違った。
負の感情を自身に取り込み、力として揮う能力があったようだ。
しかし靄の力は良い方向に働くものではない。
こういう風に負の力を得る唯一の存在を、ルクスは知っていた。しかし、それは声に出すのも恐ろしい存在である。
取り込んだ靄は、クレメンテの影をゆらり、ゆらりと歪めていく。
どうにかしなくては。
慌ててリンゼイに助けを求めた。
『うわっ、これ、やばいやつだ! リ、リンゼイ、いいからクレメンテ独占しちゃいなよ! なんかいろいろ言っていたけれど、す、好きなんでしょう?』
「好き?」
『そ、そう!』
リンゼイはじっとクレメンテを見る。
ルクスは心の中で叫んだ。嘘でもいいから好きだと言ってくれ! と。
「私、そういうの、よくわかんない」
『ですよねーー!』
やはり、リンゼイではどうにもできなかった。ルクスはがっくりと、落ち込んでしまう。
ルクスは光属性である。一応、クレメンテの暴走は抑えきれる。でも、限度があるのだ。
契約もない状態でリンゼイのもとに現界しているので、力も十分ではない。
『私、消えちゃうかも』
「何よ、それ」
『リンゼイがクレメンテを選ばないのなら、消えちゃうってこと』
「はあ?」
『いいから選んで。答えは一つでしょう?』
クレメンテを選ぶか選ばないか。
もしかしたら、この国――否、世界の存亡もかかっているかもしれない。
『なんていったって、クレメンテは魔王の器だから~~!!』
ということは、叫ぶことができるわけもなく、ルクスは緊張しつつリンゼイの選択を待つ。
「ねえ、クレメンテ」
「はい」
「あなた、今まで国のために、十分頑張ったわよね?」
「え、あ……はい。個人的には、頑張った、かなと」
「じゃあ、王族の役割とか、どうでもいいわよね?」
「はい。リンゼイさんに会う旅に出る前に、継承権は返上しましたし、いろいろと、やるべきことは済ませましたので……。その、爵位と資産の返上は受け付けてくれませんでしたが」
爵位に関する言葉は、早口で誰も聞き取れなかった。
「そう。だったら――」
リンゼイはクレメンテに手を差し伸べる。
そっと、遠慮がちに出された手を、ぐっと掴んで一緒に立ち上がった。
「クレメンテ、今度は私のために、頑張ってくれる?」
「リンゼイさん!」
感極まったクレメンテは涙目になっていた。
暗くなっていた表情はパッと晴れて、笑顔を見せている。
靄に憑りつかれていた影は、一瞬にして元通りになった。
『うわ、すごっ……』
あっという間に、クレメンテの混沌の気は散り散りになってなくなった。
リンゼイの一言が、黒い負の感情を浄化したのだ。
『でも、リンゼイったら、私のために頑張ってって……』
リンゼイらしいといえば、らしい。それに、言われたクレメンテは嬉しそうだった。満面の笑みを浮かべている。
根っからの忠犬なのだろう。そう思うしかない。
互いに見つめ合う状態で、リンゼイはルクスすら想像していなかったことを言う。
「私は、あなたのために頑張るから」
これが夫婦なのだと、笑顔で話す。
ルクスも涙目になっていた。あの自分勝手なリンゼイが、他人を慮ることを覚えたと。
『よかった、よかった……!』
しかし、最後の最後で、リンゼイは余計なことを言う。
「でも、素顔だとなんかしっくりこないから、明日からは鎧姿でお願いね」
『リンゼイ……やっぱり酷い』
リンゼイにとって、クレメンテは全身鎧姿が基本のようだった。
しかし、その要望にもクレメンテはもちろんと言って、笑顔で頷いたのだった。
◇◇◇
翌日。
「ふんふんふん~うふふ~」
歌いながら台所に立つのは、猫獣人のスメラルド。
上機嫌で、今日も朝から料理をする。
リンゼイは堅焼きの目玉焼き。
クレメンテはリンゼイと同じもの。
ウィオレケはふわふわのオムレツ。
ルクスは甘い味付けの炒り卵。
それそれの卵料理を作っていく。
『おっはよ~ん』
「おはようございます、ルクス様」
『様は付けなくてもいいのに~~』
朝食の匂いにつられたルクスは、台所に顔を出す。
スメラルドの食事は世界一おいしい。リンゼイの引きの強さを、感謝することになる。
『いや~~、平和だね~~』
「ええ、そうですねえ~~」
スメラルドがのんびりとした口調で返した刹那、ドンドンドンと、扉を叩く音が聞こえた。
「あら?」
『ええ、こんな朝から、誰?』
まだ、リンゼイの店は開店していない。
住所も誰にも教えていなかったはずだ。
もう一度、ドンドントンと扉が叩かれた。
『いや、なんか、この叩き方に既視感が……』
「お知り合いですか?」
『私の知り合いじゃなくて……』
その覚えは、リンゼイとクレメンテのとんでもない結婚式にまで遡る。
途中に現れた、謎の鎧男。
「ちょっと覗いてきますね」
『あ、私も行く!』
このまま扉を叩かれたら、壊れそうだった。それくらい、大きな物音だったのだ。
スメラルドは長い尻尾を揺らしながら、玄関まで向かって行く。
三度目の扉を叩く音に、おっとりと返事をした。
「は~い。少々お待ちくださいませ~」
『あ、出ちゃうんだ……』
覗くだけと言ったが、スメラルドは訪問者を迎え入れてしまった。
『まあ、扉が壊れて侵入されるよりはいいけれど』
扉を開くと、そこにいたのは、クレメンテの纏う鎧に似た物を纏った騎士だった。
カタカタと、不審なほどに震えている。
『あ、やっぱり、この前結婚式に来た、クレメンテが分裂したみたいな鎧の人』
「!」
玄関に立ちつくしていた鎧の男は、ばっと床に這いつくばり、ルクスの視線と同じ状態になる。
『ヒエッ!』
「あ、あの!」
『な、何?』
「で、でで、殿下、クレメンテ殿下は、こ、こ、こちらにおわすのでしょうか?」
『あ、うん。いるっちゃいるけれど』
「!!」
這いつくばった姿勢のまま、鎧の男はさらに震え出す。
紛うことなき、不審者の姿であった。
そんな男に、スメラルドは優しく話しかける。
「どうぞ、中へ。温かい紅茶を飲んで、落ち着いてくださいな~」
『あ、その人、中に入れちゃう?』
スメラルドは、謎の鎧男を家の中へと招き入れてしまった。
ルクスはもういいやと諦める。
きっと、クレメンテがどうにかするだろうと、そんなことを考えながら。




