黒の騎士
黒い剣が、怪しくキラリと輝く。
黒い甲冑にベロアのマントをはためかせる男の雰囲気は異常で、剣呑な空気がまとわりついていた。
恐ろしく顔が整っているのも、迫力が増している理由の一つだろう。
剣を構えずにぶらりと携え、ゆらり、ゆらりと近付いて来る様子は不気味の一言。
青い目と視線が交わったら、ぞわりと、全身鳥肌が立つ。
恐れを隠すように、レクサクは叫んだ。
「有無も言わずに剣を抜くとは、狼藉者め! 誰ぞ、暴漢がおる!」
すると、暗がりより騒ぎを聞きつけた巡回の騎士が現われる。
「どうかしたのか?」
「なんの騒ぎだ?」
セレディンティア国の屈強な騎士が二名、やって来る。
レクサクは不気味な雰囲気の男を指差し、騎士達に助けを求めた。
「不気味な男だと?」
「どれ」
ぞろぞろと、騎士が集まって来た。拘束されているリンゼイを見てぎょっとしているが、悪行を働いたので捕えているとレクサクは説明する。
結婚式をすっぽかし、港で恥を掻かせたことは、悪事に違いないので、嘘は言っていない。
十名ほどやって来たので、レクサクはほくそ笑んだ。
これで邪魔者は拘束され、あとはリンゼイをメセトニア国に連れて帰ればいい。これで、何もかも元通りだ。
帰ったらリンゼイには、きついおしおきが必要だろう。
魔力を奪い、食事を抜いて、地下に閉じ込めておいたら、躾をしなくとも従順になる。
そんなことを考えていたが――。
「で、殿下!?」
「どうして、このような場所に?」
敵対するような位置に回り込む騎士達。そして、不気味な男は事情を語る。
「私の妻をあのように捕えて……」
「ああ、あちらの女性は、殿下の奥方でしたか」
「なんとも、嘆かわしい」
「では、狼藉者はこの男――?」
先ほどから、不可解な状況となっている。
騎士達は男を「殿下」と呼んでいた。
そして、助けを求めたレクサクに剣を向けている。
「い、いや、おかしいだろ? いきなり現れて、剣を抜いて!」
「おかしい? 何を言っているのですか?」
暗く、冷たい声に問いかけられる。
ただ見られ、言葉をかけられているだけなのに、レクサクは寒気が止まらなかった。
「――ねえ、誰か、こいつをぎったぎったにして!」
リンゼイが叫んだ瞬間、ついに黒騎士が動く。
剣を振り翳し、レクサクに襲いかかった。
慌てて結界の呪文を展開させる――が、紙のようにサックリと魔法の結界は斬り裂かれた。
「な、なんだと!?」
簡易呪文による魔法は、魔力の消費が激しい。一日一回が限度であった。
もう、次はない。
目の前に男が猛追する。
黒い剣の刃が目の前に迫り、レクサクは成す術もなく叫んだ。
「こ、この馬鹿女はお前にくれてやる!!」
最低最悪の命乞いであった。
当然ながら、男の攻撃は止まらない。
くるりと剣を回し――柄の先端で顎を突いた。
「ぐっは!!」
レクサクはあまりの衝撃に、意識を手放した。
◇◇◇
レクサクが意識を失ったことにより、術式は解かれる。
リンゼイの手元を縛り付けていた鎖は消えた。
「えっ、きゃっ!」
拘束の力がなくなり、宙に浮いていたリンゼイは地面に落下――しなかった。
落ちる前に、黒の甲冑の男が来て、抱きしめたのだ。
「リンゼイさん、大丈夫ですか!?」
「あなた――誰?」
リンゼイは真顔で問いかける。男の表情はピシリと石化したように固まった。
「助けてくれて、ありがとう。それと、ごめんなさい。ちょっと、下ろして」
「……はい」
従順な男は申し出に従う。
リンゼイは地面に下ろされると同時に、その場にぺたんと腰を下ろした。
具合が悪そうに、額を押さえている。
「あ、あの!」
「平気よ。ちょっと魔力酔いしているだけだから」
高位魔法が続けて展開され、空気中の魔力濃度が薄くなっていた。
その影響で、リンゼイは眩暈を起こしていたのだ。
しかし、目には強い光が宿っている。
訝しげな表情を浮かべるリンゼイ。一方で、男は冷や汗を額に浮かべている。
しかし、リンゼイはハッとする。
「あら、あなた、もしかして、クレメンテ?」
リンゼイにしては、勘が働いた。
目の前にいる金髪碧眼の男は、素顔を晒したクレメンテである。
「驚いたわ。そんな顔をしていたのね」
「……はい」
「へえ、ふうん」
クレメンテの素顔を見た反応は以上であった。
それとなく、気まずい空気が流れている。
リンゼイはドレスの皺を伸ばしたあと、きょろきょろと辺りを見渡す。
「ルクス?」
『あ、ここにいま~す』
花の苗の間からルクスは顔を出す。騒ぎに巻き込まれないよう、隠れていたらしい。
ルクスが出てきても、雰囲気は気まずいまま。
騎士達も周囲にいる。
『えっと、部屋を移動して、ゆっくり話をしたら?』
「そうね」
助言を採用し、リンゼイとクレメンテは個室に移動した。
◇◇◇
雲間から覗く三日月がぼんやりと浮かんでいた。
必要最低限の灯りが点けられた部屋で、リンゼイとクレメンテは向かい合って座っていた。
「あなた、王族だったの?」
「はい」
クレメンテはセレディンティア国の大英雄だった。
それをリンゼイに黙ったまま、旅を続けていた。
クレメンテがレクサクに向けていた迫力は、欠片もなくなっていた。
今はぶるぶると震える小型犬のように、大人しく背中を丸めている。
「どうして、言わなかったわけ?」
「あの、お恥ずかしい話、周囲の英雄扱いにほとほと疲れていまして……」
クレメンテには絶大な期待が寄せられていた。
それは、戦争が終わっても同じ。
周囲は国の発展のために、尽力してくれると思い込んでいた。
「王族の務めとか、英雄としてのふるまいとか、もう、どうでもよくなって、身辺整理をして国を飛びだしたんです」
この世には楽しいことがあると、かつて命を助けてくれた少女が言っていたが、戦争が終わって平和な世の中になってもわからないままだった。
だったら、教えてくれると言った張本人に聞けばいい。
「と、この辺は以前にお話しましたね」
「ええ」
クレメンテは運が良かった。
偶然、リンゼイに出会えた。
けれど、大英雄をして知り合い、がっかりされるのが怖かった。
大きな期待を寄せられても、のちのち辛くなる。
だから、ただのクレメンテとして、名乗ったのだと白状した。
「あなた、いろいろこじらせているわね」
「すみません」
『こじらせているのは、リンゼイもね!』
ルクスが口を挟む。
リンゼイはジロリと睨んだが、長い付き合いの猫妖精はペロリと舌先を出すばかり。気にする素振りは見せない。
話はクレメンテのほうに戻す。
「あの、こうして騒ぎになった以上、正式に報告をしたいと思っているのですが」
セレディンティア国の妃殿下として公表したら、今日みたいにメセトニア国の者が介入できなくなる。
なので、結婚式とはではいかないが、夜会を開き、リンゼイのお披露目をしたいと言った。
「でも、それをしたら、私の薬屋はどうなるの?」
「そ、それは――」
王族の妻たる者が、街中で商売をする。
ありえないことだった。
『リンゼイ、薬の研究ができたらよかったんじゃなかったの?』
「欲が出てきたのよ」
『承認欲求?』
「というよりは、商人欲求かしら」
一から店を作り、薬の在庫も作った。
試食用の飴も用意して、商売の準備は整いつつあったのに、クレメンテの妻だと公表されたら、大変なことになる。
商売が許されたとしても、リンゼイの作った霊薬ではなく、大英雄の妻が作った薬として広がる可能性があった。
『リンゼイ、それは立派な承認欲求ってやつだよ』
「そうなのね」
自分の霊薬の効果が知れ渡ってほしい。正当に評価されたい。
リンゼイの薬への思いは変わりつつあった。
「我儘なのかしら?」
リンゼイはポツリと呟く。
『リンゼイ、何が?』
「私、奥さんとして公表されるのは嫌なんだけど、クレメンテとは一緒にいたいの。今まで通り……」
クレメンテと薬屋を開くために力を合わせて頑張りたい。
そう、リンゼイは望んだ。
「でも、残念だわ。私の事情に、大英雄を巻き込むわけにもいかないものね。あなたが、ただの人だったらよかったのに」
財産も、地位も、身分すらいらない。
必要なのは、クレメンテだけ。
力だって、揮わせるつもりはなかった。
喧嘩は勝てる相手にしかふらない。クレメンテの力など、当てにしていなかった。
望みはただ、霊薬を売るという、二人だけでできる小さなことをやり遂げたかっただけ。
「本当に、残念だけど、私達は、別れるしかないようね」
その言葉を聞いたクレメンテはガタリと立ち上がり、リンゼイのもとへ回り込んできた。
何をするのかと思っていたら床にしゃがみ込み、あろうことか平伏した。
それから、とんでもないことを口にする。
「どうか、捨てないでください!!」
「……」
『……』
リンゼイはルクスのほうを見て、問いかけた。
「ねえ、これ、どうする?」
それに対し、ルクスは冷静な一言を返した。
『いや、私に聞かれても』




