あれこれ頑張る
帰宅後、リンゼイはさっそく霊薬作りに取りかかる。
ウィオレケも勉強のため、立ち合った。
メルヴは、手の先にある葉を旗のように揺らし、『ガンバレ~』と応援している。
「メルヴ、あまり実験台に近づくと、姉上は薬草と勘違いするから、離れて」
『ウン、ワカッタ』
そんなある意味失礼なことを言うウィオレケにも気付かないほど、リンゼイは集中していた。
まずは鍋の中に井戸水を張って白紅花の根を煮詰めることから始めた。
竈の中に火の魔石を入れて、発火呪文を唱えればボッと音をたてて点火する。
もう一つ鍋を置いて、湯を沸かす。同じように火を点けた。
沸騰したら調合で使う道具を入れて、煮沸消毒を行う。
次に精製水作りに取りかかった。
精製水とは不純物を取り除き、殺菌をした純粋な水のことである。
それに加え、妖精や精霊が棲んでいた川や湖という条件を満たしたものが霊薬作りに使われるのだ。
使う道具は蒸留器。
金属の器の下に加熱装置があり、沸かした湯を蒸発させて、浮かんだ蒸気を冷やして液体にするものである。
その後、何度かろ過を繰り返し、物質変化の魔術をかけたら精製水は完成をする。
湖の水を蒸留させている間にシシル草を乳鉢ですり潰す。
粘り気が出てくるまで練り、色が黒っぽくなるまで混ぜた。
練ったシシル草は密封できる瓶の中に入れる。薬草箱に収納すると完成品でなくても長期保存も可能となるのだ。
果実汁は猫獣人の使用人、スメラルドに市場で買ってくるよう頼んでいた物を使う。
材料は揃ったので、試作品を作ってみることにした。
天秤で慎重に重さを量ってから、素材を混ぜ合わせる。
その後、何度かろ過をして、蒸留器にかけて残ったものが緑の霊薬となる。
煮沸消毒をした瓶の中に透明度の高い緑色に染まった液体を注ぐ。
ぎゅっと瓶の蓋を閉めて、リンゼイはむふふと満足げな笑い声を上げてしまった。
「姉上、顔が怖い」
「だって、久々なんですもの」
ここ最近、結婚式の準備や、研究書の提出などで、製薬する暇がなかったのだ。
自然と出る笑いも、仕方がないことなのである。
薬を入れる瓶もスメラルドが買ってきたのだが、香水用のもので細長い造形は美しい。これならば、貴族も目につきやすいだろう。
続けて、青の霊薬、赤の霊薬と作っていった。
緑、青、赤は霊薬の中でも基本的なので、材料を多く有していたのだ。
リンゼイは、暇さえあれば霊薬の素材集めをしていた。それがこんなところで役立つとは、想像もしていなかった。
作った霊薬を籠に入れて、劣化防止の魔法をかけてある棚に並べる。
「ふふふ……」
『ヨカッタネ~~』
リンゼイの様子が怖いので、誰も声をかけなかったが、唯一、メルヴだけが優しい言葉をかける。
「夢が叶ったわ」
「姉上、それは薬が売れてから言ってくれ」
「そうだけど、嬉しいの」
好きなことを商売にできる喜びは、言葉にできない。
売れるか、売れないかの問題ではなかった。
「あとは、貴族との縁故なんだけど……」
運よく縁が築けても、その後の交渉も重要だ。
それがリンゼイとクレメンテにできるのか。怪しいところである。
「そういえば、ルクスは?」
「スメラルドのところだと思う」
ルクスはスメラルドに仕事を教える係を担っていたのだが――。
「よ~しよしよし」
『うふふふふ……』
ルクスはスメラルドに顎を撫でられ、恍惚の表情でいた。
撫でる猫獣人に、撫でられる猫妖精。不思議な光景である。
スメラルドの作る食事やお菓子は美味しく、すっかり胃袋を掴まれていたのだ。
さらに、撫で上手ともなれば、離れることができない存在となっていた。
「なんかもう、普通の猫みたい」
「姉上がどうでもこうでも扱うから、ルクスも疲れているんだろう」
「……」
一方で、クレメンテはバタバタと忙しそうにしていた。家を空けることが多く、朝出て夜に帰って来るという毎日を過ごしている。何をしているかは、謎のまま。
リンゼイは霊薬作りで忙しかったので、放っていた。
ただ、五日に一回の素材集めだけは付き合ってくれる。
森を馬で一気に駆け、途中休憩のために湖でぼんやり過ごすのが、リンゼイとクレメンテの夫婦の時間であった。
「すみません、なんか、最近忙しくて」
「別にいいけれど」
クレメンテの事情など、興味がないとばかりの返しをする。が、今日のリンゼイは違った。
「体とか、大丈夫?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
「そう。良かった」
リンゼイは夫たるクレメンテの体調を気にかける。
基本的に、自分さえ良ければいいという考えだったので、以前と比べたら大いなる成長であった。
リンゼイとクレメンテは並んで座り、静かな湖を眺めていた。
サラサラと、心地よい風が吹き抜ける。
いろいろ忙しくしているうちに、季節は春となり、温かな季節を迎えていた。
「この前、差し入れていただいた、霊薬もいただきまして……ありがとうございました。疲れた体によく効きました」
クレメンテがフラフラしていたとスメラルドより報告を受けたので、リンゼイは疲労回復効果のある緑の霊薬を届けるよう頼んでいた。
「おかげさまで、元気です」
「そう良かったわ」
「はい。その、早く、この国でも霊薬の良さが広まるといいのですが」
「そうね」
ここで会話が途切れる。
風が吹き、木々の葉が舞って湖に落ち、水面に波紋を広げた。その様子を、リンゼイは目を細めながら眺めている。
そして、クレメンテに話しかけた。
「そういえば、あなたってどんな顔をしているの?」
「わ、私の顔、ですか?」
「ちょっと気になって」
戦場で見た時は、腫れあがった顔だった。実際はどんな容貌をしているのか、なんとなく気になったのだとリンゼイは話す。
クレメンテはしどろもどろになりながら、自らについて語った。
「どんな顔……そうですね。目は細くて、よく、目付きが悪いと言われます」
一度、見合いの席で相手の令嬢と目が合った時、失神されたことがあるという話を聞いて、リンゼイは思わず笑ってしまった。
「どんな怖い顔なのよ」
「すみません」
以来、自分の顔に自信がなくなり、全身鎧をまとうようになった。そんな話を悲壮感たっぷりに語った。
「じゃあ、見せてくれるのを、楽しみにしているわ」
「リンゼイさん……」
リンゼイの見せてくれるまで待つという心遣いに、クレメンテの胸が熱くなる。
「ありがとうございます。でしたら、その、近いうちに」
「どうせ、大したことでもないんでしょうけれど」
「きっと、そうだと思います」
そう言って、微笑み合う。
ツッコミ役不在の、穏やかな夫婦のひと時であった。
◇◇◇
店の準備が整う中で、クレメンテがあるものを持って帰って来る。
それは、夜会の招待状であった。
『わ、ついにだね!』
クレメンテは奔走し、ついに夜会の招待状を手に入れた。
しかも、社交界で影響力の高い人物のサロンへ参加できることにもなっていた。
ここで霊薬の紹介をしたら、認知も広がるだろう。それが、商売へと繋がったら、万々歳である。
『でも、どうやって紹介するの?』
なかなか、言葉で説明するのは難しい。
リンゼイとクレメンテは口が上手いほうではなかった。
『熟練の商人じゃないと、なかなか口で説明して、効果を理解してもらうのは難しいと思うよ』
「それは、そうよね」
「どうやって、効果を実感してもらえばいいのか……」
リンゼイとルクス、ウィオレケの三人は、首を傾げて考える。
ここで、スメラルドが挙手した。
「あの、意見を言ってもいいでしょうか~?」
「ええ、どうぞ?」
「ありがとうございます」
スメラルドの提案は、実に庶民らしいものであった。
「あの、市場とかに行くと、試食ができるのですが、やっぱり美味しいと、買っちゃうんですよね」
一つの果物を、一口大にして客に配る。すると、一気に美味しさが伝わり、購入に繋がるのだ。
それを、霊薬でも試してみたらどうだと提案される。
『試食か、なるほどね』
「ってことは、霊薬を少しずつ試飲してもらえばいいってこと?」
「はい~、そうですね」
なんだったら、飴玉なんかに入れて、口当たりを良くするのもいいのではと、スメラルドは提案する。
「飴ねえ」
『リンゼイ、試してみようよ』
ルクスは目を輝かせながら言う。
「ルクスが食べたいだけなんじゃ……?」
ウィオレケの指摘に、てへへと舌を出すルクスであった。




