新しい暮らしを始めるために
まず、店舗兼住居兼実験室がある物件を探さなければならない。
「地下は絶対必要ね。店舗は――なくてもいいけれど」
『そうだね。貴族相手ならば、訪問販売とかになりそうだし』
「店番も必要になるしな」
ウィオレケはリンゼイとクレメンテを交互に見て、二人共接客などできそうにないなと、こっそり溜息を吐く。
「あと、家政婦も雇ったほうがいい」
『あ、そうだね。たぶん、この夫婦、生活力皆無だわ』
他に家具や服など、日常生活を送るにつれて、必要な物も買い揃えなければならない。
『ねえ、リンゼイ。残金はいくらくらい?』
「百万オールくらい」
『う~ん、店舗兼住居が賃貸だとしても、ちょっと足りないかもね』
ウィオレケが融資をしてくれる人がいればいいと呟いたら、クレメンテが反応を示す。
「あ、でしたら、知り合いに頼んでみます」
「ねえ、知り合いって?」
クレメンテはリンゼイに訊ねられ、ギッギッギッと、油が切れかけたゼンマイ仕掛けの人形のような動きで視線を逸らす。
「それで、誰なの?」
リンゼイの容赦ない追及に、クレメンテは消え入りそうな声で答えた。
「ジ、ジルーオル子爵という、小金持ちの、おじさんで……」
ジルーオル子爵。
クレメンテが持つ爵位の中で、一番身分の低い貴族の名前である。
その事実を知るのはルクスだけ。
ニヤニヤしする口元に気付いて、咄嗟に尻尾で隠した。
「じゃあ、その人に挨拶にいかなきゃいけないわね」
「い、いえ! 大丈夫です。あの、ジルーオル子爵は、その、人嫌いで、誰にも会わないと思います」
「人嫌いなのに、融資なんかしてくれるの?」
「えっと、はい。大丈夫、です。その、彼は、未来ある若者に融資したいと、言っていたので」
リンゼイが「変な人」と呟いたら、ウィオレケに「失礼だ」と怒られる。
「いいじゃない。別に、ジルーオル子爵がここにいるわけじゃないし」
『ぶふっ!!』
リンゼイの発言を聞いたルクスは、耐えきれなくなってついに噴き出した。
ジルーオル子爵は、目の前にいる!!
クレメンテが居心地悪そうにしているのが、またさらに面白い。
くつくつと肩を震わせて笑うルクスは、姉弟の訝しげな視線を浴びたが『ワタシのことは気にせずに、説教の続きをドウゾ』と注目から逸らす。
「とにかく、自分が言われて嫌なことは、他人に言ってはいけない」
「わかった。悪かったわね」
「僕にじゃなく、ジルーオル子爵に謝るんだ」
「はいはい。ジルーオル子爵、ごめんなさいね」
「いえ、私は別に……」
「ん?」
「え?」
リンゼイの謝罪に対し、クレメンテが返事をする。
今度は、クレメンテに訝しげな視線を向ける姉弟。
「なんであんたが返事をするのよ」
「す、すみません、ぼ~っとしていて。あ、ジルーオル子爵の件は、私がすべて担当しますので」
「そう。だったら、交渉とか、あなたに任せてもいいの?」
「はい!」
クレメンテは頑張って話をまとめた。
この辺はルクスも知らない振りをしているので、助け船を出すわけにもいかず、傍観していたが、どうにかなったようだ。
「その、ジルーオル子爵に融資してもらって、二人で頑張って借金を返しましょう」
「は、はい!」
一緒に頑張ろうと声をかけられ、クレメンテは嬉しそうに声を弾ませる。
事情を知らない人にとっては、微笑ましい光景であった。
◇◇◇
翌日。クレメンテは午前中出かけていた。融資の件で、いろいろと話をしに行くらしい。
リンゼイとウィオレケは、店で販売する霊薬について話し合っていた。
「まず、基本の赤、青、緑の霊薬は絶対必要ね」
赤の霊薬は精神的な疲れを回復するもの。
青の霊薬は外傷を治すもの。
緑の霊薬は疲労回復と解熱作用があるもの。
霊薬といえば、この三つを示すと言っていいくらいの、基本的なものである。
まずはこの三つをメインに作って販売をすることに決めた。
「作成については問題ないわ。問題は――客なんだけど」
「夜会とかに行ったら、販売もできるだろうが」
現在、社交期でもある。
なんとかして夜会に行き、貴族と顔見知りにならなければならない。
「しかし、夜会に行ったとして、姉上達に貴族と縁故を繋げる力があるものか」
『無理だよね、きっと』
その発言にムッとしていたようだが、商人のように媚びるリンゼイはルクスには想像できない。
とりあえず、できることからしようと言うことで、セレディンティア国周辺で霊薬の素材を集めることができる範囲を、地図をもとに探す作業を行った。
ウィオレケは、霊薬を入れる瓶などの材料費を算出する。
なんだかんだとしている間に、クレメンテが戻ってきた。
「お帰りなさい」
「!」
リンゼイに出迎えられ、クレメンテは体を硬直させる。
「クレメンテ、あなた、どうかしたの? いつもだけど」
『リンゼイ、最後の一言は余計』
「いいじゃない。本人に直接言っているのだから」
悪口ではないと主張する。けれど、なんでも本人の前で言ったら許されるのではないと、ウィオレケに怒られていた。
その間も、クレメンテは体を微動だにしていない。
『クレメンテ、大丈夫?』
「はっ!」
ここでやっと、我に返ったようだった。
ルクスがどうかしたのかと質問をすると、想定外の答えが返ってきた。
「あの、お帰りなさいとか、言われたのが初めてでして」
『あ、そうなんだ。っていうか、今までどんな暮らしをしていたんだか』
いつものクレメンテはこそこそと、勝手口から帰ってきていたのだと語る。
「なんだか、大勢に出迎えられるのが苦手で……」
『わからなくもないけどね』
リンゼイの屋敷でも、正面玄関から入ったら、ずらりと並んだ使用人が出迎える。
『そういえば、リンゼイは窓から帰宅派だったね』
「ええ。いろいろと、面倒見られるのが嫌で」
クレメンテとリンゼイは、似た者同士なのだ。
「でも、今日はリンゼイさんに出迎えてもらったのが嬉しくて」
「別に、今日はたまたま用事があったから」
『リンゼイ、そこは嘘でも、毎日出迎えますって言わなきゃ』
リンゼイは結婚をしても、相変わらずである。
居間に移動し、休憩時間とする。
宿の給仕係がお茶とお菓子を持って来た。
三段になったお菓子皿には、一段目にキュウリのサンドイッチ、二段目にスコーン、三段目に果物とタルトと、豪華な内容だ。
ルクスはどれから食べようかと、目を輝かせている。
ひとまず、温かい紅茶を飲んでひと息入れた。
「それで、どうだったの?」
「はい。融資は問題ありません。物件も、一件、探してきました」
クレメンテが道具箱に収納していた王都の地図を広げる。
「こちらの、貴族御用達の商店街の、路地裏なんですが」
三階建てで地下もあり、人通りの少ない静かな場所である。
「築三十年と古い物件ではあるのですが、ほとんど使っていないようで、使用劣化感はほぼないと」
「ふうん」
『三十年、ほぼ使っていないねえ~』
ウィオレケ眉間に皺を寄せつつ、怪しいなと一言漏らす。
「家賃は一ヶ月十万オール」
「安過ぎるわ」
『怪しさ大爆発だね』
「普通に問題物件なのだろう」
ウィオレケの読みは当たっていた。
クレメンテは「そうなんです」と言って頷く。
「そこの物件は、出るんです」
『や、やっぱり』
「そうだと思った」
しかし、なかなか地下付きの物件というものがなく、貴族街の中ではその建物だけだったらしい。
「物件の所有者曰く、精霊か妖精の仕業だろうと」
なんでも、人が住もうとしたら、驚かせたり、家を揺らしたりなどの嫌がらせをするのだ。
借り手も付かず、かといって壊すにも邪魔が入り、どうにもならない状態らしい。
「だったら、私が焼き払うわ」
その物騒な一言に、ルクスは慌てて突っ込みを入れる。
『待って、待って! 穏便に、話し合いとかしようよ!』
「姉上、それがいい。燃やすより、話し合いが先だ」
「まあ、いい方法があるのならば、任せるけれど」
とりあえず、現場を見るしかない。
昼食を終えたら、調査に向かうことに決めた。