ありえないの連続
リンゼイのとんでもない発言により、場の空気が凍り付いてしまう。
ウィオレケはあんぐりと口を開け、ルクスは耳と尻尾をピンと伸ばし、クレメンテは置物のように動かなくなる。
商売をしたいから結婚をしろ。リンゼイは尊大な態度で、クレメンテに言ったのだ。
まだ、二人は出会って二日目。
しかも、リンゼイがクレメンテを好きなわけではなく、動機はセレディンティア国で薬屋を開きたいから。
常識的にありえない申し出だった。
依然として、固まる一同。
「ま、別に嫌ならいいけれど」
リンゼイは髪をかき上げながら、平然と言う。
『い、いやいや! いきなりなんの前触れもなく結婚してとか、普通は嫌だよ!』
「そ、そうだ! 姉上は何を言っているんだ! 愚かなのか?」
ルクスはウィオレケの言った「愚かなのか?」が的確過ぎて、笑いのツボに入ってしまったが、なんとか力を入れて、噴き出すのを我慢した。
一方、クレメンテは――膝の上でぎゅっと拳を握りしめて答える。
「嫌ではありません。あの、私でよろしければ」
まさかの、リンゼイの突然の求婚をあっさりと受け入れたのだ。
「え、いいの?」
「はい」
「ありがとう」
「いえ、その、光栄です。ふつつかものですが、よろしくお願いします」
クレメンテはペコリと、頭を下げる。
自らの霊薬に、絶対的な自信があるリンゼイは、苦労はかけさせないと言った。
『いやいや、ご立派――じゃなくて!! クレメンテ、早まらないで!!』
「そうだ。クレメンテには、もっとお似合いのいい人がいると思う!!」
「失礼ね、二人共」
リンゼイとクレメンテの結婚に、全力で待ったをかけるルクスとウィオレケである。
霊薬馬鹿であること、薬学意外に関してはさほど興味を持たず、雑な性格であること、暴力的であることなどを伝えた。
「あなた達ね……!」
そんな悪口にも、クレメンテはまったく動じない。
「リンゼイさんのお薬は素晴らしいものですし、一つのことに情熱を燃やすことは素敵なことです。それに、物騒な世の中なので、揮う拳の力を知っていたほうが、私も安心します」
クレメンテはリンゼイの悪いところを、すべて良いところとして捉えたのだ。
それを聞いたルクスは、考えを改める。
『いや、むしろお似合いなんじゃ……!』
「ルクス、そうじゃない。姉上にクレメンテはもったいないんだ」
真面目で、礼儀正しく、物腰も柔らか。そんなクレメンテには、育ちの良い深窓のご令嬢がお似合いだと、ウィオレケは主張する。
『ウィオレケ、リンゼイも一応、伯爵家のお嬢様だからね』
「けれど、令嬢の美徳を何一つも知らない」
ルクスはヒュウと口笛を吹く。
八歳にしてこの観察眼は大したものだと思ったのだ。
実際、クレメンテはセレディンティア国の王子であり、結婚相手としては引く手数多な存在だ。
それだけでも、リンゼイとはつり合わないのだ。
「クレメンテ、本当に冗談ではなく、姉上との結婚については考えたほうがいいと思う。 家のこととか、事情もあるだろう?」
「いえ、結婚に関しては、今まで断り続けていたからか、両親は好きにするようにと言っています」
「そう、なのか」
『なるほどなあ』
国王はクレメンテを政治の駒として使うことはしないようだ。
しかし、戦後なので王族である彼は積極的に和平に取り組まなければならないのに、リンゼイとの結婚を承諾してしまった。
否、戦後だからこそ、クレメンテは自由に結婚ができるのだ。
今まで十分に頑張った。
けれど、気になることがあったので、ルクスは聞いてみた。
『クレメンテは、どうしてリンゼイと結婚してくれるの?』
「それは――初めてだったんです。一緒に頑張ろうって声をかけてくださったり、私にできる、小さな力を必要としてくれたりとか。そういう、今まで知らなかったささやかな喜びを、結婚生活の中で見つけ出せるのではと、思いまして」
『なるほどね。夫婦の小さな力を合わせて、ささやかに暮らしていく。それが、結婚』
いや、リンゼイとクレメンテの力はささやかか?
疑問であったが、ルクスは指摘を呑み込んだ。
「姉上、結婚はもう少し考えてからが――」
『ちょいちょい。ウィオレケ、認めようではないか。祝福しようではないか』
「は!?」
『クレメンテがいいって言っているんだから、私達には何も言う資格はないと思う』
「けど……」
ウィオレケはリンゼイに問いかけた。
「姉上は、セレディンティア人ならば、誰でも求婚したの?」
その質問に対し、リンゼイはあっけらかんと答える。
「いいえ、クレメンテだから、結婚しないか持ちかけたのよ」
共に過ごし、困難を乗り越えて、この人ならばとリンゼイは思ったのだ。
商売のためだけに、都合のいい存在として選んだわけではないと弁解する。
「私、こういう直感は信じているの。誰でも言うわけじゃないわ」
「リンゼイさん……!」
クレメンテは鎧をカチャカチャと震わせながら、感極まっていた。
「でもまあ、結果的に、利用するような形になるから、商売のためとはっきり言ったの」
「けれど、商売のために結婚って……姉上……」
「ウィオレケ、言っておくけれど、家と家の縁を結ぶ貴族の結婚と、なんら変わらないと思うけどね。むしろ、愛のための結婚のほうが、ぷつんと縁が切れる割合が高いんじゃないの?」
リンゼイの祖国、メセトニアでは、貴族以外は自由に結婚していいことになっている。
愛し合い、手を取り合って結婚したはずなのに、離婚率は結構高かった。
「確かに、姉上の言うことも一理ある」
『そうだよ、ウィオレケ』
「……」
リンゼイばかり責めていたが、クレメンテも結構な変わり者である。
地位と権力があるにもかかわらず、所持金はたった十オール。(※飴玉一粒しか買えない)
常に全身鎧で身を包んだ、挙動不振な男だ。気弱で、言動もはっきりしない。
それをまったく気にせずに付き合うことなど、普通の女性には難しい。
やはり、この二人はお似合いなのだと、ルクスは確信している。
ウィオレケはちらりとクレメンテの様子を窺う。
「あの……」
クレメンテは、まっすぐウィオレケを見ながら言った。
「ウィオレケさん、リンゼイさんのことは、守りますので」
「……うん、わかった」
ウィオレケは居住まいを正し、頭を下げる。
「姉上のことを、よろしくお願いいたします」
こうしてリンゼイとクレメンテは、結婚することになったのだが。
「セレディンティア国に着いたら、クレメンテのご家族にも、挨拶にいかなきゃいけないわね」
リンゼイの言葉に、クレメンテはギクリと明らかに怪しい反応を示す。
事情を知るルクスは『そうなるよね~』と理解していたが、実家についてまったく知らないリンゼイとクレメンテは、揃って首を傾げている。
「クレメンテ、どうしたの?」
「あ、いや、私は、その、現在、天涯孤独の身でして」
「そうだったの」
やはり、クレメンテは王族であることを、隠そうとしていた。
ここで、ウィオレケがうるうると目を潤ませる。
「クレメンテ、そうだったんだ……」
思いっきり、同情していた。
クレメンテは嘘を吐き、良心が傷んだのか、かすかに震えている。
「姉上、クレメンテのこと、雑に扱わないで、大切にして」
「わかっているわよ、そんなの」
「ルクスも、きちんと姉上が暴走しないか、監視していて」
『あ、うん、そうだね』
最後に、クレメンテにリンゼイとの付き合いについて、助言する。
「クレメンテ、姉上は、雑な性格で、一点に集中したら周りが見えなくなるから、その時は根気強く見守って、それから、使用人を雇ったほうがいいと思う。家事とか、何もできないから」
「えっと、はい」
とりあえず、セレディンティア国に言ったら、入籍をして、住居の確保をしなければならない。
それから、店の場所などの検討も必要だ。
「問題はセレディンティア国の薬事情だけど」
「何それ」
「は?」
「どういうこと?」
ポカンとするリンゼイにウィオレケは呆れるのと同時に、震える声で質問をする。
「霊薬のない国に、突然市場参入したら、本来の薬屋がどうなるか、考えなかったのか?」
「そういえばそうね」
リンゼイはたった今、気付いたようは反応を示す。
ウィオレケは瞠目してハッと我に返ると、頭を抱えて叫んだ。
「姉上って、どうしてこうなんだ!!」
ザワザワと騒がしい店内では、その声もかき消されてしまう。
ウィオレケは助けを求めるように、クレメンテを見た。
すると、カチャリと鎧の音を鳴らしつつ、小首を傾げる。
「……似た者同士か」
『みたいだね』
ウィオレケは隣で大人しく座っていた、メルヴの鉢を膝の上に置き、ぎゅっと抱きしめる。
植物から癒しをもらっていたのだ。
完全なる、現実逃避である。




