VS大海蛸
廊下はざわざわと騒がしかった。船員達はまだ部屋で待機しているようにと叫んでいる。
その間にも船は右に揺れ、左に揺れと、状況に変わりはない。揺れるたびに、男女関わらず、悲鳴が響き渡る。
廊下の様子を見たリンゼイは、すぐに部屋へと戻った。
『リンゼイ、どうしたの?』
「廊下、すごい人なの」
「すまない、ルクス。甲板まで転移魔法で連れて行ってくれないか?」
ウィオレケが丁寧にお願いしたので、ルクスはすぐさま了承する。
人混みを避けるために、転移魔法で甲板へ向かった。
子ども達が走り回り、家族連れがのんびりと過ごしていた甲板であったが、状況は一辺して悲惨な雰囲気となっている。
出入り口は人が殺到して内部で詰まっているのか入れず、混乱状態となっていた。
迷子の子どもが泣き、船員達の怒声が響き渡る。
船は依然として、大きく左右に揺れていた。
しかし、大海蛸の姿は見えない。
「――きゃっ!」
リンゼイはバランスを崩し、舷縁にぶつかりそうになったが、クレメンテが寸前で助けてくれた。
「ありがとう」
「いえ」
ルクスも『あ~~れ~~』を看板の上を滑って行きそうになったが、ウィオレケが抱き上げてくれた。
「それでルクス、魔物は?」
『船底に張り付いているみたい』
「なんですって!?」
そこを攻撃されたら、船はあっという間に沈む。
さすがのリンゼイも、焦りの表情を浮かべていた。
「あいつ、なんで船の底に張り付いているのよ」
「たぶん、船に積んである燃料を狙っているんだろう」
ウィオレケ曰く、船庫には魔石燃料がある。
魔物は魔力のあるものを襲う習性があり、自らに取り込んで、力を得るのだ。
人を襲う理由も同じである。
「ってことは、魔力を使って、海上におびき寄せる必要があるわね」
リンゼイはじっと、ルクスを見た。目が合った瞬間、その理由を察したのか、ぶんぶんと首を横に振る。
『いやいやいや、無理無理無理!』
「まだ何も言っていないじゃない」
『だって、あれでしょう? 魚釣りみたいに、私を海に垂らして大海蛸を釣ろうとか、そんな作戦でしょう?』
「あら、わかっているじゃない」
『やっぱり!!』
ルクスは泳げないし、怖いので絶対に無理だと言った。
「だったら私が行くわ。クレメンテ、あなたが縄を持っているのよ」
「そんな、リンゼイさん、危険です」
「そうでもしないと、もれなく全員死ぬんだってば。何もしないで、海の藻屑になるなんて、ごめんよ」
クレメンテはぶんぶんと首を横に振る。
ならば自分がと言うが、魔力がないことを指摘され、シュンとしていた。
そんな言い合いをするうちにも、だんだんと揺れが激しくなる。立っていられなくなるほどであった。
舷縁にかけてあった縄をリンゼイは掴む――が、その刹那、甲板に淡い光と魔法陣が浮かび上がった。
『お待ちになってください』
魔法陣より花の蕾が出現し、光の粒に照らされて開花する。
薔薇の花の中から出てきたのは、触覚の生えた毛髪のない頭部に逞しい体、背中から羽根を生やしたヒラヒラドレス姿の変態のおっさん――ではなくて、筋肉妖精のローゼ。
その姿を見た、乗客から「魔物だ!!」という叫び声が上がりそうになったので、ルクスは慌てて消音と記憶消去の魔法を施した。
『わたくしが海に飛び込んで、魔物を挽き寄せますので、皆様は、どうか戦闘の準備を』
「ローゼ、あなた、本当にいいの?」
『はい。泳ぎは得意ですので、お任せください』
「わかったわ。お願いね」
ローゼはすぐさま、ためらうことなく海に飛び込んだ。
「ウィオレケ、あなたはルクスと一緒に後方待機。二人共、できたら、結界をお願い」
『了解!』
「わかった」
ウィオレケはルクスを甲板へ下ろし、ゆらゆらと揺れる中で、慎重な足取りで進んで行った。
「クレメンテ。あなたもお願いね」
「はい、精一杯頑張ります。任せてください」
そんなことを言うクレメンテの肩を、リンゼイは拳で軽く叩く。
「一緒に頑張るの」
「あ、はい。わかりました」
しばらくすると、船の揺れが収まった。
リンゼイはゴクリと、生唾を呑み込んで海面を眺める。
杖を握りしめ、いつでも魔法が放てるように、準備をしていた。
クレメンテは鞘より魔剣を抜き、構えた状態にある。そして――。
静かな海原であったが、ザバリと白波が立ち、中からローゼと、その体に絡み付いた大海蛸の姿が見えた。
全身真っ赤で、三つの大きな目が禍々しい姿である。
大きさはルクスの魔眼で調べてあった通り、五メトル。
その体に巻きつかれてなお、ローゼは空を飛んでいたのだ。
大海蛸の黒い目は、ぎょろりと甲板のほうへと向いた。
中でも、魔力の多いリンゼイに視線を向け、触手のような長い足を伸ばす。
だが、それは届かなかった。
すぐさまクレメンテが反応し、頭上から振り下ろした剣からの一撃。
大海蛸の足は両断される。
孤を描き、甲板のほうへと飛んだ足をリンゼイは杖で弾き返す。
大海蛸の足は、海へドボンと落ちていった。
その息の合った戦いをするクレメンテとリンゼイを見たルクスは、ぼそりとコメントする。
『本当、あの二人、息ぴったりで、なんだかお似合だよね』
「ある意味が付くけれど」
揺れが収まり、船員も誘導しやすくなったのか、乗客のほとんどは甲板から避難していたようだ。
甲板にはリンゼイとクレメンテ、後方にはウィオレケとルクスという陣形にある。
次々と大海蛸は足先をリンゼイのもとへと伸ばすが、いとも簡単に両断していくクレメンテ。その度に、リンゼイは杖で飛んできた足を跳ね返していた。
そして、八本すべての足を斬り払い、とうとう頭部のみとなった。
ローゼとリンゼイは目配せをして、息を合わせる。
大海蛸の頭部を、ローゼが遠くへと投げた。
それを追うように、リンゼイの大魔法が放たれる。
――大爆発!!
海上に大きな魔法陣が浮かび上がり、大海蛸の頭部を中心として爆発が起こった。凄まじい炎が弾けてその身は一瞬にして炭と化し、散り散りになって海の藻屑となる。
ルクスとウィオレケの結界があるので、爆風などは船に当たらなかった。
煙などが風で流れたあとは、何事もなかったかのようになる。
静かな海であった。
ひと仕事終えたローゼが、甲板に降り立った。リンゼイはお礼を言い、それから労いの言葉をかける。
「ありがとう、ご苦労さま。大丈夫だった?」
『ええ、平気ですわ』
自身に結界を張っていたのか、その体は海水に濡れていない。
もう一度、お礼を言うと、晴れやかな笑顔を浮かべ、消えていった。
なんとも心優しい、救世主であった。
その後、リンゼイはくるりと振り返り、ウィオレケのもとへ走る。
「姉上?」
「ウィオレケ、怪我はない?」
「いや、魔物とは接触しなかったし」
「でも、船は揺れていたでしょう?」
ここで、ウィオレケはハッとなる。
リンゼイは心配して、走ってまで確認に来たのだと。
「大丈夫。姉上は?」
「平気」
「そっか、よかった」
『リンゼイ、クレメンテは?』
「大丈夫なんじゃない? 聞いていないけれど」
『うわ、酷い……』
遠く離れたクレメンテに、ウィオレケは大きく手を振る。
すると、しばらくぼんやりと眺めていたが、自らに振っていると気付いたのかビクリと反応を示し、そのあと恥ずかしそうに小さく手を振っていた。
『大丈夫そうだね』
「だから言ったでしょう?」




