全員、もれなく沼へ
手と手を取り合うリンゼイとクレメンテ。
信頼関係が築かれる美しい場面であったが、少し離れていた場所で眺めていたルクスはぼそりと呟いた。
『クレメンテが、リンゼイ沼にはまってしまった』
「ルクス、姉上の沼ってなんだ?」
『ハマったら、抜け出せない世にも恐ろしい沼だよ』
リンゼイとルクスの出会いは十数年前まで遡る。
『私もね、願いを叶えたらさっさと帰るつもりだったんだけど……』
出会った初日にクレメンテ同様、ルクスもリンゼイ沼にハマってしまったのだ。
『リンゼイってさ、ほら、見た目だけはいいでしょう? だから、その辺をほっつき歩いていると、変態に絡まれることもあって』
十数年前のある日、リンゼイはルクスを連れて森に行こうとしていた。
もちろん、屋敷の使用人の目を掻い潜って。
『何歳だったかな。八歳とか、九歳とか、それくらいだったと思う』
人でごった返す検疫所付近で、リンゼイは変態に出会ったのだ。
『息遣い荒くおっさんが近付いてきて、攫われそうになったんだけど――』
リンゼイは変態の股間に一撃、拳を沈ませたのだ。
「姉上っていったい……」
とんでもない武勇伝に、白目を剥きそうになるウィオレケ。
『お母さん……マリアに、そうするよう習っていたんだって。まさか、本当に実行するなんて』
しかし、その教えのおかげで、ことなきを得た。
『この先もこの子は一人で出かけちゃうのかと思ったら――』
森の中で、小さなスライムに出会い、持っていた杖で殴って倒してしまった瞬間、この先も見守ることを決めたのだ。
「姉上、なんで魔法を使わないんだ」
『リンゼイの属性は炎なんだけど、これは火魔法の最高位で、一番低位の術でも基本爆発なんだよね』
そんな魔法を森で使えば大変なことになる。なので、リンゼイは使わないのだ。
「なるほど、そうだったのか」
『面白いよね。でも、その日一日でリンゼイにハマってしまって……』
ズルズルと、契約もないのにルクスは一緒にいる。
「ルクスは姉上の一番の理解者で、友達なんだな」
『どうかな? リンゼイってば、私のことを便利な猫だと思っている可能性も』
「そんなことないと思う」
『ありがとう、ウィオレケ』
「いや、僕は別に――」
と、ここでウィオレケは怪植物と目が合った。
「姉上、あれをどうするんだろう?」
『森に帰すのならば、早いほうがいいかもね』
ウィオレケは怪植物をどうするのか、封印鉢を持ってリンゼイに聞きに行った。
「姉上、怪植物はどうする?」
「ウィオレケ、あなたがお世話をしてくれる?」
「は!?」
「だって、なんか懐いているし」
「懐いてなんて」
視線を、手にしていた怪植物の鉢に移す。
葉をウィオレケにぴったりと寄せて、安心しきった顔でいたのだ。
しかし、リンゼイと目が合ったら、震え出す。
「ほら、見た? 私は怖いみたい」
「いや、まあ、気持ちはわからなくも……」
「え?」
「なんでもない」
怪植物の葉は薬の素材になる。抜いた葉は三日ほどで生え変わるのだ。
なので、森に返さずに、栽培したいと言い出す。
「夏休みの課題だと思って」
「……」
怪植物のつぶらな瞳に見つめられる。ウィオレケはウッ、となった。
「それにこの子、群れから離れて栄養不足だったし、保護しないと死んじゃうわ」
「死ぬ……?」
「ええ、そう」
再度、怪植物を見下ろす。
目が合ったら、ひしっと抱きつかれた。まるで、ウィオレケに捨てないでと訴えているかのようで――。
「わかった。わかったから」
『ヤッタ~~』
『え、喋った?』
「そうなんだ。こいつ、魔物の癖に喋る」
『うっそだ~~。高位の魔物でも、喋るのは一握りなのに』
発見時、ルクスが魔眼で見た時は普通の怪植物であった。
いったいなぜ?
原因を探る。
『あ、リンゼイだわ』
「どういうこと?」
『植物魔力活性剤、あれが原因で、意思の主張ができるようになったっぽい』
「そうだったの」
植物魔力活性剤はリンゼイオリジナルの霊薬で、本来の使用目的は種からすさまじい速さで発芽、成長させる物である。
「姉上、なんて物を作っていたのか」
リンゼイの霊薬で急成長した怪植物。幸い、悪い個体には見えなかった。
ウィオレケは契約を結ぶことにする。
床に怪植物の封印鉢を置き、前に片膝を突く。
魔物との契約は簡単。見返りを言って『名付け』を行い、魔物側が受け入れたら完了。
「僕は、お前に蜂蜜を与える」
『ワ~イ』
「……」
見返りは気に入ったようだ。手を挙げて喜んでいる。
「名前を与える。メルヴ・メディシナル」
『ハ~イ』
怪植物――メルヴ・メディシナルは、契約を受け入れた。
その刹那、ウォオレケの手の甲の上に魔法陣が浮かび上がり、パチンと弾ける。
蔓模様の契約印が刻まれたのだ。
『ヨロシクネ』
「……ああ」
魔物なのに友好的過ぎるメルヴにためらいを覚えつつも、ウィオレケは差し出された手を握った。
こうして、夏休みの課題――メルヴのお世話が始まったのだった。
◇◇◇
ローゼはクレメンテの看病で忙しそうだった。
リンゼイは、創薬器具の確認をしている。
メルヴは花台の上に置かれ、葉を揺らしながら観葉植物のようにしている。
まだ、衰弱状態から万全になっていないようなので、鉢の中で過ごすことになっていた。
ルクスは先ほどウィオレケにもらった飴を舐めていた。残りはいくつあるか、楽しそうに数えている。
そして、特に何もしていなかったウィオレケは、大変なことに気付く。
「――って、僕、不法乗船じゃないか!!」
リンゼイはごくごく冷静な様子で、「そうね」と呟いた。
「ど、どうすればいいんだ? 降りる時も、乗車券の確認をするだろう?」
「姿消しの魔法をつかったら?」
「道理に反している!!」
許されないことだと主張するウィオレケ。
「姉上、船の責任者に、謝りに行こう。お金――あ、持っていないけれど、あとで返すから!」
「え~~……」
「姉上!」
で、結局、乗車賃を払うことにした。部屋はリンゼイと一緒。子ども料金なので、七千オール。
乗る時は、道具箱に忍び込んでいたということにしておいた。子どものしたことなのでと、特別に許してもらった。
『偉いね、ウィオレケは。自分が泥を被ってまで、代金を払うなんて』
「当たり前だろう」
『真面目だ~~』
もちろん、比べる対象はリンゼイである。
姉弟でこうも違うのかと、まじまじと眺めていた。
いろいろしていたら、あっという間に陽は沈んでいた。
夜は部屋に料理を運んでもらう。
クレメンテは呪いの後遺症で、体が食べ物を受け付けないらしい。
継続して、ローゼの看病を受けている。一晩経ったら、体調も戻るだろうとのこと。
なので、頼んだ料理はリンゼイ、ウィオレケ、ルクスの三名分。
『うわ~、おいしそうだね!』
給仕は不要だと言ったので、部屋のテーブルには料理がずらりと並べられる。
ジビエのテリーヌ、白身魚のスープに、鳩肉のロースト、窯焼き魚の香草風味などなど。
リンゼイはハードな食感のパンに、鴨肉のリエットを塗りながらぼやいた。
「なんか、疲れた」
『そりゃそうだよ』
今日一日で、結婚式から逃走し、港で騒ぎを起こし、実家で母親と揉めて弟共々家出となり、魔法薬の素材集めにも行ったのだ。疲れていないほうが、おかしいのである。
「姉上、これから何か計画とかあるのか?」
「とりあえず、セレディンティア国で研究――と言いたいけれど、お金も必要だから、霊薬を売る店を構えようかなって」
『おお、いいね!』
しかし、その計画にウィオレケから指摘が入る。
「たぶん、すぐには無理だと思う」
「なんで?」
「セレディンティア国で異国人は、簡単に店なんか開けないと思うよ」
「嘘!」
「嘘なもんか」
数年前まで、戦火の中にあったセレディンティア国。
現在、復興を第一として行政が動いている。
そんな中なので、申請は通りにくくなっているだろうと、ウィオレケは言った。
「どうすれば――」
「方法はないことはないけれど」
「何?」
「無理だと思う」
言う前に断言するなと、リンゼイは憤った。
「だって、セレディンティア人と結婚しなきゃいけないんだ。姉上には、できないだろう?」
本日、結婚式をすっぽかしたばかりのリンゼイ。
前科:一の状態であった。
返す言葉が見つからず、リンゼイは手にしていたパンを、カリッと噛んだ。




