妖精魔法――召喚
ここで、リンゼイがクレメンテの異変に気付く。
「あら、あなた、腕を怪我しているじゃない」
『あ、本当だ!』
「なんで言わないのよ」
「ほんの、かすり傷ですので」
マリアの攻撃魔法は鎧を裂き、傷を作っていた。血はほんの滲む程度だったが……。
リンゼイは嫌な予感がしたので、弟に治療を頼む。
「ウィオレケ、回復魔法をお願い」
「わかった」
ウィオレケは背丈よりも長い杖を、異空間より取り出す。
両手で掲げるように構え、回復魔法の呪文を詠唱した。
――かように骨の折れたるも、打ち身の傷も治れかし、四肢の捻挫も癒えよかし
骨子は骨に付けられよ、血汁は血へと戻されよ
肢体は四肢に付けられよ、しかと膠で付くが如し
長い詠唱が終わると、クレメンテを囲むように魔法陣が浮かび上がる。
淡い光が傷口を優しく包み込んだが――バチンと大きな音を立てて、霧散していった。
「え!?」
「やっぱり」
リンゼイはクレメンテの傷口を睨みつけた。
そして、忌々しいと呟く。
『もしかして、呪い?』
「そうよ」
「そんな!」
クレメンテの受けた傷は、マリアの呪いを含むものであった。
ルクスの魔眼で呪いの解析をする。
『ヤドリギの呪いだ!!』
「最悪」
「母上は、なんてことを」
ヤドリギとは、樹木に寄生して育つ植物である。その名のついた呪いとは、傷付けた相手の魔力を奪い、死へと至らしめる高位魔法なのだ。
『解呪はマリアにしかできないよ』
「酷い……」
リンゼイが実家に戻らざるをえない状況を、仕込んでいたのだ。
「私は大丈夫ですので」
クレメンテは、「ぜんぜん、なんてことないです」と重ねて言いながら立ち上がった。
しかし――ガッチャンと大きな音をたてて、倒れ込む。
『うわ、クレメンテ~~』
「なんてことだ」
慌てるルクスとウィオレケ。リンゼイは舌打ちした。
「まずは、この人を寝台に運ばなきゃいけないわ」
『え、うん』
「大丈夫かな」
リンゼイはしゃがみ込み、クレメンテの腕を肩に回す。そして、持ち上げようとしたが――びくともしない。
「なんなの、こいつ!!」
リンゼイはクレメンテの腕をビタン! と地面に叩きつけるように置いた。
『いやいや、乱暴しないで!』
「姉上、なんて酷いことをするんだ!」
「だって、死ぬほど重いのよ!?」
わかりやすい八つ当たりだった。
三人で持ち上げようとしても、結果は同じ。
『っていうか、私、意味ないよね』
猫妖精のルクスは指先を銜え、ぐいぐいと引くばかり。当然、クレメンテは動かない。
『猫の手も借りたいってやつ~?』
「……」
「……」
『あ、うん、ごめん』
姉弟の冷ややかな視線を受けて、ルクスは真面目に対策を考えることにした。
「一刻の猶予もないわ。ここで治療を――」
『いやいや、気の毒。解呪って、すぐに終わるものじゃないでしょう? 体がバッキバキになるよ』
「そうだ。クレメンテが可哀想だろう」
「だったらどうするのよ。物質変換の魔法なんて使えないし」
物質変換。
建築系の場で主に使われる魔法である。重たい物を軽く、軽い物を重たくと、元々の物質の容量を一時的に変える魔法であった。
数ある中でも、マイナーな魔法なので、使える魔法使いは全体を見たらごくわずか。
『ど、どうしよう』
「物質変換、呪文は知っているけれど……」
魔法とは、ただ呪文を唱えただけで使えるわけではない。
術者と魔法の相性、理を理解する力、精霊への許可。さまざまな因果関係を掴んで、初めて使えるようになる。
床に寝転がるクレメンテの体がビクリと跳ねた。鎧の音がガシャンと鳴る。
ううと、苦悶に満ちた声をあげている。
呪いは広がりつつあった。
迷っている時間が惜しいと、リンゼイは花台の上にあった赤い薔薇の花を掴んだ。
「姉上、何を……?」
「物質変換魔法と、呪いに詳しい妖精を呼ぶわ」
「えっ姉上、妖精魔法って禁術じゃ……」
「魔法大国メセトニアではね」
ここの海域は、隣国イルマールであった。
メセトニアの法律のもとではない。
『さっすがリンゼイ!』
「そもそも、妖精の召喚術って現代には一部の家以外に伝わっていなかったような」
『目の前におわすのは、史上最年少十五歳で、賢者の階位を賜ったリンゼイ様だからね』
「まさか、研究して見つけたって――あ、ありえない!」
リンゼイは杖を取り出し、集中を始める。ルクスやウィオレケの話すことなど、耳に入っていなかった。
妖精召喚は、詠唱は歌うように奏で、妖精が好む媒介を用意し、呪文の印を踏む舞踏が必要となる。
「じゃ、今から召喚するから、あっち向いてて」
「姉上、心配しなくても、盗用しない――」
ここで、ルクスがウィオレケに耳打ちする。
『リンゼイ、妖精魔法見られるの恥ずかしいみたい』
「あ、そうなんだ……わかった」
ウィオレケはリンゼイに背中を向けた。
こうして、万全の状態となったので、術式を展開させる。
リンゼイは息を大きく吸い込み、呪文を奏でる。
――求めよ、求めよ、求めよ、さすれば、汝は求めるものを、受け取るだろう。叩け、叩け、叩け、さすれば、叩いた門が、汝が汝の為に開かれるだろう
初期呪文が完成すれば、先ほど組んだ魔法陣が光でなぞられるように出現する。
リンゼイはその周囲をくるくると踊るような足取りで回った。
ただ、踊っているだけに見えて、地面に着いた足先で呪文を刻んでいる。
軽やかなステップを踏みながら体を捻るたびに、ドレスのスカートがふわりと膨らみ、舞踏を華やかなものに演出しているように見えた。
呪文の一節が終われば手を叩いて区切り、また次の術式へと移る。
手拍子しつつ踊りながら、歌を謳う、これが妖精魔法であった。
召喚の儀式が終わったら、薔薇の花を魔法陣の中心に置いた。すると、発光して術式が発動する。
『おっ、成功かな?』
「姉上、すごい。いったい、どんな妖精が来るのか――」
ドキドキしながら、魔法陣の中を覗き込む。
光はだんだんと強くなり、部屋全体を包み込むほど発光する。
皆、耐えきれなくなって瞼を閉じる。
光が治まり、チカチカする視界がやっと確保されるようになった。
魔法陣の上にあったのは、薔薇の蕾。
どこからともなく小さな光球が現れ、蕾を照らしだした。すると、しだいに綻びだす。
ふんわりと開いた巨大な花の中から、人影が浮かんだ。
再度強い光を放ち、何かは見えない。
しだいに光が弱まっていく。
開いた薔薇の花弁の上にいる妖精の姿が、明らかになる。
「え?」
「ん?」
『おっ?』
瞠目するリンゼイとウィオレケに、意外そうな声をあげるルクス。
妖精は召喚に応じてくれた。だが、大きかったのだ。
背の高いクレメンテよりも大きい。恐らく、二メトル以上ある巨体であった。
顔付きは、とても厳つい。筋肉が盛り上がった腕に、厚い胸板、太い腿。
よくよく見てみると、つるりとした髪のない頭部より、触覚のような物が二本生えていた。先端には、ほわほわの毛玉のような物がついており、楽しげに揺れていた。
背には、蝶のような美しい翅を持っている。
衣服も、ふんわりとした薄い絹織物の腿丈ドレスを纏っていた。胸には真っ赤な薔薇の花が咲き乱れていた。
妖精要素はあるにはあるが、見た目は完璧に、女装をした筋肉質な中年親父である。
「あれは――」
『筋肉妖精だね』
「まっす、え?」
『高位の花妖精だよ。引きが強いね、リンゼイ』
歴史の中にも、高位妖精を召喚した例はほとんどない。
ルクスも高位妖精なので、同時に二体も召喚したことになる。
『歴史に残る偉業じゃん!』
「いや、妖精魔法は禁術だから、歴史に残したら、姉上は大変なことになる」
『あ、そっか』
リンゼイは引き攣った顔で、筋肉妖精に話しかけた。
「あの、私はリンゼイ・アイスコレッタ。真名をもって、あなたを歓迎するわ」
声かけすると、筋肉妖精はスカートの裾を摘まみ、優雅な礼をする。
『お会いできて光栄です、ご主人様。わたくしは、ローゼと申します』
筋肉妖精のローゼは、リンゼイとの契約に応じてくれるようだった。
「それで、対価なんだけど」
『いただきました』
「え?」
『対価は、真心です』
リンゼイはクレメンテを助けたいと思った。その美しい心こそ、筋肉妖精の求める対価だったのだ。すでにいただいているからと、願いを叶えてくれると言う。
『なんなりと、ご命令を』
「だったら、物質魔法で、あの鎧の人を寝台に運んでほしいのだけれど」
『かしこまりました』
いったいどんな魔法を使うのか、注目が集まる――が。
『ふんぬ!!』
筋肉妖精はクレメンテを肩に担ぎ、寝室へと連れて行った。
「……」
「……」
『ねえ、あれ、物質魔法?』
リンゼイとウィオレケは揃って、「さあ?」と答えた。
一部抜粋
高橋輝和『古期ドイツ語の呪文における異教の共生と融合』




