大ピンチ!
「一緒に連れて行ってって、ウィオレケ、何を言っているの?」
「だって、暇なんだ」
「どういうこと?」
ウィオレケは魔法学校三年目である。春休みでもなければ、冬休みでもない。
「今、六学年のクラスにいるんだけど、これ以上飛び級できないって言うんだ」
低学年の飛び級は、同学年となった生徒の自尊心を傷つける可能性がある。なので、しばし待機しているようにと、ウィオレケは言われている。
「三年目で六学年って、私でもそんなに飛び級しなかったわ」
「得意科目だったからね」
出されていた課題なども済ませ、教師に研究でもしておくようにと言われていたのだ。
「姉上と同じ、薬の研究でもしようかなと思って。前から、興味があったんだ」
「薬学に?」
「そう。姉上の論文を読んで、ますますしてみたいなって。でも、霊薬の研究をしている人なんていないし、だったら、国内の薬学の権威である、姉上に習ったほうがいいと思ったんだ」
珍しく、本当に珍しく、リンゼイは微笑んだ。そして、弟の体をぎゅっと抱きしめる。
「ウィオレケ、ありがとう」
「うん」
「一緒に行きましょう」
「いいの?」
「ええ」
姉弟の美しい家族愛に、クレメンテは感動したのか涙を拭うような仕草をするが、兜を被っているので、拭えなかった。カチャンと、金属音が鳴るばかりである。
ほっこりする雰囲気の中で、ルクスが質問した。
『ちょい、ちょい、ウィオレケさん。お父さんと、お母さんには、許可を取るんだよね?』
「なんで?」
『え?』
「父上と母上に言ったら、姉上の居場所がバレてしまうだろう」
『で、でもでも、家出はよくないんじゃないかな~』
「手紙書くし、母上は好きに過ごせって言っていたから」
『いや、その好きの範囲は家の中でできることだと思うけれど』
「父上も、男なら冒険しろって言ってたから」
『その冒険も、お父さんから定義を詳しく聞いたほうがいいかと……』
八歳の少年に相応しい冒険を望んでいることは、聞かずともわかる。
無計画なリンゼイについて行くような大冒険は、ありえないことだろう。
「この子のことは、私が責任を持って守るわ」
『う~ん、あまりオススメしないな~』
「ルクス、姉上といるのは、少しだけだから。気が済んだら帰るし」
『でもねえ~~』
もっとしっかり考えたほうがいいと、ルクスは勧めた。
「大丈夫だって」
『でもでも~~』
とりあえず、リンゼイの製薬道具を取りに行くと言う。
「待って、ウィオレケ。実験室、誰も入れないように、呪文をかけているから」
リンゼイの実験室は、アイスコレッタ家の地下を占領している。
中には、大量の魔法書に、薬、素材などが収められている。
唯一無二の本や、材料があるので、使用人すら入れないように、魔法をかけているのだ。
「できたら、薬草箱も全部持って来てほしいんだけど」
「わかった」
リンゼイは魔法の解呪法と自らの道具箱を、ウィオレケに託す。
「気を付けてね」
「うん、任せて」
リンゼイとクレメンテ、ルクスの三人は、ウィオレケが戻って来るのをじっと待つ。
各々、落ち着かずにそわそわとしていた。
◇◇◇
三十分後。
トントントンと、扉が叩かれる。
ガタリと、クレメンテは立ち上がった。
「ウィオレケ?」
声をかけるが、反応はない。
もう一度、トントントンと叩かれた。
リンゼイは立ち上がったが、クレメンテが制する。
「開けないほうがいいかもしれません」
「なんで?」
「あれは――」
バン! と音がして、鍵をかけていた扉は開かれた。
「なっ!」
「え?」
『ひええええ!!!』
扉の向こうに立っていたのは、綺麗な蹴りを決めたリンゼイの母、マリア・アイスコレッタである。
右肩にはウィオレケを抱え、左手には白銀の杖を持っていた。
髪は短く切り揃えられ、すらりと背が高く、リンゼイと似た美しい面差しは姉妹に間違われるほど若々しい。
魔法師団の白い制服姿で、ジロリと睨みつけていた。
「結婚式を放棄するだけならばまだしも、ウィオレケを利用するとは、許さぬ、リンゼイ!」
「母上……」
リンゼイは顔面蒼白となる。
もっとも最悪な展開が、目の前で繰り広げられていた。
『だから言わんこっちゃない!』
ルクスも焦っていた。どう切り抜けようかと、必死になって考える。
「おしおきだ。リンゼイ。ちょいと痛むが我慢しろ」
罪の痛みだと言い、術式を高速展開させる。
結界を作る暇もない。
リンゼイは歯を食いしばり、ぎゅっと目を瞑った。
光に包まれる室内。
マリアの魔法が発動されたのだ。
しかし、衝撃は襲って来ない。
そっと瞼を開けると、目の前に板金鎧の背中が見えた。
クレメンテが黒い剣で、魔法を跳ね返したのだ。
「なんだと!?」
マリアはまさかの展開に、瞠目する。
自らの魔法が跳ね返され、剣に吸収されたのだ。こんなことは、今まで一度もなかったと呟く。
「リンゼイさん、私がここで引き留めておきます。どうか、戻ってください!」
「クレメンテ……!」
クレメンテはマリアを引き留めると言う。
どうやら、魔剣には魔法吸収の能力があるようだった。
この場を任せても問題はない。
『リンゼイ、ごめん、ちょっと術の完成まで時間かかるかも』
マリアの結界が貼られ、自由に魔法を使えないようになっていたのだ。
クレメンテの時間稼ぎが鍵となる。
「――この男、何者なんだ!?」
「……」
驚きながらも、新たに魔法を発動するマリア。
クレメンテは次々と、魔法を斬っては吸収していった。
しかしすべての魔法を跳ね返すことはできすに、一撃喰らう。
魔防があるはずの鎧は裂け、腕から血が滲んだ。
しかし、クレメンテは止まらない。
「くそ……、化け物のようではないか……!」
その呟きを聞いたウィオレケは、母親の首元をガブリと噛んだ。
「痛っ! な、何をするのだ、ウィオレケよ」
「あの人を悪く言うな! 姉上の我儘に付き合って、ここまで来てくれた良い人なんだ!」
ウィオレケは拘束が緩んだ隙に、体を捻って地面に着地する。
しかし、運動音痴故に、着地を失敗しそうになったが――クレメンテが受け止めた。
それを見たリンゼイは、詠唱中のルクスを右手に抱き、クレメンテのもとに走る。空いている手で、ぎゅっと背中から抱きついた。
「ルクス、今よ!!」
「リンゼイさん、私はここに――」
「だめ、あなたも一緒に行くの! 必要だから!」
「!」
そう叫んだ瞬間、ルクスの転移魔法が発動した。
「待て、リンゼイ!!」
「母上、ごめんなさい。私、やりたいことがあるの!」
「許さぬ!!」
「ウィオレケは守るし、すぐに返すから! 私のことは、死んだと思って! ごめんなさい!」
その言葉を最後に、姿は消える。
一人部屋に残されたマリアは、まさかの展開に呆然としていた。
◇◇◇
リンゼイ、ウィオレケ、クレメンテ、ルクスは、仲良く地面に落下する。
しかし、船には絨毯が敷かれていたので、問題はない。
「…………嘘だろう?」
ウィオレケは寝そべったまま、呟く。
「まさか、母上の猛攻を掻い潜って、脱出までしちゃうなんて」
目を見開き、信じられないと呟いていたが、次第に肩を震わせる。
『だ、大丈夫、ウィオレケ?』
「本当に、信じられな……ふはっ!」
ウィオレケは突然、腹を抱えて笑い出す。
「こ、こんなにドキドキして、無茶苦茶で、驚いたの、初めてだ! やっぱり、姉上はすごいし、クレメンテはありえないし、付き合っちゃうルクスだっておかしい!」
『ええ、私は仲間に入れないでよ~~』
正論と正論を重ねて止めるように説いていただろうと、主張するルクス。
「だって、毎日つまらなかったんだ」
『そりゃまあ、リンゼイと一緒にいたら、愉快だけどね』
のろのろと起き上がったリンゼイは、倒れたままのクレメンテに手を貸す。
差し出された手を取って起き上がったクレメンテの前に座り、顔を覗き込んだ。
「あの、リンゼイさん」
「ありがとう」
「え?」
「私達を、守ってくれて、ありがとう」
しおらしい態度で、頭を下げるリンゼイ。
我に返ったウィオレケも、クレメンテにお礼を言った。
「まさか、あの場から脱出できるとは思わなかった。本当に、すごい人だ」
クレメンテは謙遜するように、ふるふると首を横に振っていた。
『いやはや、よかった』
ルクスの一言に、皆で頷く。
「ウィオレケも……」
リンゼイはウィオレケに近付き、肩を抱く。
「私、あなたを連れてきてしまって、よかったのかしら?」
「姉上も後悔するんだね」
「だって、私個人のことじゃないもの」
「これは、自分で決めたことだから、姉上は関係ないよ」
それに、「こんなに楽しい気分は初めて」だと、興奮したように語るウィオレケ。
いつもの大人びた様子は欠片もなく、年相応の少年そのものだった。
『ウィオレケ、リンゼイといると、苦労するよ~~』
「クレメンテとルクス。みんなでわけ合えば、いいだろう?」
『あ、なるほど!』
「ちょっと、どういう意味よ」
『自分の胸に、聞いてごらんなさ~い』
「……」
ここで、ウィオレケはポケットに入れていた小箱を差し出す。
それは、リンゼイの道具箱だった。
「これ、姉上に頼まれていた物、入っているから」
「え、嘘、取に行けたの?」
「うん。回収して帰る途中に、母上に捕まったんだ」
「なんてことなの……」
リンゼイはぎゅっと、道具箱を抱きしめる。
それから、再度ウィオレケの体を引き寄せ、耳元で「ありがとう」と言った。




