病室の窓から見える空は
病室の狭い窓から見える空だけが、俺の全てだった。
俺の名前は、榛葉 一馬。
生まれつきの、心臓の病気らしい。
幼い頃から入退院を繰り返してきた俺は、知らず学校とか保育園とかのコミュニティに通うことがなかった。
知り合うのは看護師と主治医だけ。
そんな俺も小学校に上がった時、院内学校に通うことになった。
初めてのコミュニティ。
緊張した、正直わくわくした。友達とはどんなものだろう。学校とはどんなところだろう。
本でしか知ることがなかった世界が待っていた。
でも、俺の希望は脆くも打ち砕かれる。
院内学校で、隣の席に座った女が最悪だった。きーきーやかましく、先生の話が聞こえない。
イライラした俺は、女の髪を思い切り引っぱった。
「いたい!」
「うるさい」
すぐに離す、女は目に涙を浮かべて俺を睨みつけてきた。
「なにするのよ!」
「せんせいのはなしがきこえないだろ」
「いたいことするなんてサイテー!」
「なんだよ、やかましおんな」
「なによ、このサイテーおとこ!」
同級生でクラスメイトで、のちに腐れ縁にまでなる女、御子柴 咲結葉との出会いは、人生最低最悪だったと言えるだろう。
●2
その後、さゆはは退院していく。一時的な長期入院だったらしい。
看護師の話では、さゆはは普通に学校に通い、俺は院内学校に通った。具合が悪い時は休んだ。
時は流れ、小学生一年の冬、バレンタインの日。
さゆはが突然俺の病室に訪れた。赤いマフラーをして、同じように鼻が真っ赤だったのを覚えている。ピンクのランドセルを背負っていた。
さゆはは病室に入ってくると、俺の顔をちらちらと見る。
「なんかよう?」
「……これ!」
ぶっきら棒に突き出されたのは、小袋にクッキーが入ったものだった。
「なにこれ」
「ば、」
「ば?」
「バレンタイン、だから!」
さゆはは俺にクッキーが入った小袋を押し付けると、病室を走ってでていった。
後に残された俺は意味がわからない。
袋に入ったクッキーを見下ろした。クマとかウサギとかが描かれた、女の子っぽいデザインの袋だった。
その後、クッキーを食べているのを担当の看護師、舞さんに見つかる。
俺以上に楽しそうに喜んだ舞さんに、俺は照れ隠しでクッキーを一つあげた。
クッキーは3日かけて食べた。なぜかもったいなくて、少しずつ食べた。
袋の底のほうに、手紙が折りたたまれて入っていた。
『はやくよくなって』
汚い覚えたての字だった。
少しして、血をとりにきた舞さんが、そういえばと言う。
「バレンタインのお返し、考えてるの?」
「バレンタインはおかえしするの?」
「そうよ!女の子の気持ちに応えなくちゃ!」
でもどこに住んでるかも、わからない。
ずうずうしいからもしかすると、お返しをもらいにくるかもしれない。
俺はそう考えて、来たる3月14日に向けてお返しを準備した。
さゆはは来なかった。
それから毎年、さゆははバレンタインに病室を訪れた。
俺も運良く転院することもなかったから、さゆはは毎年迷わず来た。
俺はお返しを返すことができなかった。
さゆははバレンタインに渡していくくせに、お返しを望んだことは一度もなかった。
お返しは毎年溜まる。
さゆはが持ってくるのは、クッキーとか物持ちするものだった。手紙が必ず入っていた。
『早く良くなりますように』
綺麗な漢字になったのはいつ頃からだったろう。
院内学校も、中学三年になっていた。院内学校は義務教育まで、来年になれば俺はただの無職になる。
心臓の病気は相変わらずよくならなかった。
海外に行って高い金を払って治療というのは、両親は拒んだ。
俺も別に、治らず死んでもいいかと思って来てた。
中学三年のバレンタイン。
さゆはいつも通り訪れた。黒髪を真っ赤なリボンでツインテールにして、赤いマフラーをしている。
制服はセーラー服だった。似合っていた。
「はい、バレンタイン」
さゆははいつも通り差し出してくる。クッキーの入った小袋。受け取る俺。
「ね、ねぇ!」
「ん?」
さゆははもじもじしていた。
待つことだけは得意な俺は、じっと待った。
やがて、意を決したらしいさゆはが詰め寄ってくる。
「いつも、きていい?!」
「は?」
「だから、毎日来てもいいかって聞いてるの!」
さゆはの顔は着けているリボンやマフラーと同じくらい真っ赤になっていた。
「なんで?」
「だ、だめ?」
「質問に質問で返すのは好きじゃない」
さゆはは、マフラーを握っていた。何か堪えているような顔で、もう一度詰め寄ってくる。
「一馬のこと、もっと知りたいの!」
「なんで」
また真っ赤になるさゆはの顔。
そういえば、バレンタインのお返しが溜まってるのを思い出した。
「と、友達になりたいのよ!!!!」
病室の外にまで響く声で、さゆはは叫んだ。
言ってしまえばさゆはのもの。
「ずっと友達になりたかったの、一年生の時から」
「だからバレンタイン来てたんだ」
「……うん」
俺は病室のベッドの傍に置いてある、スポーツバッグにぱんぱんに入るくらいに溜まったのを、ベッドの上に置く。さゆはは目を丸くして、バッグと俺の顔を見比べた。
「なに、これ?」
「今までのバレンタインのお返し。……遅くなったけど」
「私に?」
「他に誰がいるんだよ」
ぶっきら棒に言う。照れ隠しになってしまっただろうか。
「みていい?」
「どうぞ」
さゆはが近づいてくる。ふわりと甘い香りがした。女の子になったさゆはは、本の中で知る『女性』に近かった。
少しドキドキした。
ごそごそとスポーツバッグの中を漁るさゆはの様子を見れるようになる。
小さな本を取り出す。
「それは中二のお返し」
どんどんベッドに広げていくさゆは。
「それは小6、その三角のは中一。それは小5」
一つずつ。汚く包装されたものを出していく。最後に残ったのは、包装紙が破れかけていた。
「それは、小1の」
さゆはは、ぼろぼろになった包装紙を丁寧になぞる。そこに光る、光の粒。
泣いている、さゆはが。
俺はびっくりして、思わずさゆはの顔をみた。さゆははぽろぽろと涙を流して、拭いもせずに返しそびれたホワイトデーたちをみていた。
「ずっと残しててくれたの」
さゆはの声は震えていた。
動揺しきっていた俺は、頷くことしかできなかった。
やっと涙を拭ったさゆはは、お返しをバッグに詰めなおしていく。
「ありがとう、一馬」
「一応、本だから消費期限はないはず」
「あはは、本に消費期限はないよ!……大切に読むね!」
さゆはは今までみた中で一番綺麗な笑顔を俺に向けた。
胸がぎゅっとした。
スポーツバッグを手にしたさゆはは、重そうに持っている。
「また来るね」
「ああ」
「バイバイ!」
さゆはは病室を出て言った。
残された俺は、まだちくちく痛む胸を、パジャマの上から握りしめた。
病室の狭い窓から見える空だけが全てだった俺に、さゆはが彩りを与えてくれた。
いつか礼を言おう。
俺の気持ちと一緒に。




