失ってから大切だと気がつくもの
「ねぇ、あなたの大切なものってなに?」
隣にいる彼女が真剣な顔をして僕に問いかけた。
「僕のかい?今、僕は君が大切だね。」
「そう、嬉しいわ。」
彼女はそう言いながら微笑んだ。そして次のように続けた。
「よく歌や物語の中で『本当に大切なものは失ってから気がつく』ってあるじゃない?」
「よく相手が亡くなったり、フラれたりした時に言われる台詞だね。それがどうかしたのかい?」
「私はそうは思わないの。少なくとも『本当に』の部分はいらないわね。」
私も彼女も文学部出身で、よく一緒に小説を読んだり歌を聞いたりする仲であるが、その内容に対して否定的な意見を口にすることは今まで無かった。普段と違う行動をするものだからどうしようもなく私は彼女が何故に否定したのか気になってしまった。彼女の言い分はこうだ。
「あなたはいつどんなときに、失ったものが大切だったと思うかかしら?」
「道具だとしたら、その失ったものが必要になったとき。習慣に関係するものだったら、無意識に行動してしまったとき。相手があるものであれば、その人がいる前提で行動してしまったときかな。他にもあるだろうけど。」
「まあ、そんなところかしら。」
ここで彼女の顔がより一層真剣になる。
「でも考えてみて。それらのものは全て他のもので代用できるでしょう?道具であればまた他のものを手に入れればいい。習慣であれば、その時間に他のことをするように心掛ければいい。相手は…悪い言い方かもしれないけれど、その相手一人ではなくても他の人でもいい。人は何かを失ってもすぐに他のもので代用してしまうから、失ってしまったものなんてすぐに忘れてしまうわ。そんなものがその人にとって『本当に大切なもの』だなんて言えるかしら?」
そう言われると何とも言えない。たしかに失ったものはすぐに補ってしまっている。僕は混乱してしまった。
「じゃあ、『本当に大切なもの』の正体はなんだろう」
彼女は至って冷静に答えた。
「本当に大切なものは基本的には失わないと思うわ。だって大切なものは失いたく無いでしょう?」
当たり前のような答えが帰って来て困ってしまった。僕はそんな答えを聞きたいわけではない。
「ごめんなさい、冗談よ。…本題だけど私は、『本当に大切なもの』の正体は『失う前から大切だと思っているもの』だと思うわ。大切なものとして、考えやすく恋人だとしましょう。恋人を失ったらどう思うかしら?」
「きっとどんなに自分に尽くしてくれたか、自分が愛されていたか気がつくだろうね。」
「そうね。でもさっき言ったようにそんな恋人は代用できてしまうわ。恋人でなくても友人や親が尽くし、愛してくれるでしょうね。」
「なるほど、たしかに代用できているね。」
「でも、もし『本当に大切なもの』であれば失う前に、愛おしく、守ってあげたい、大切だと思うでしょうね。どんなことでそう思うかは分からないわ。その人の行動かもしれない、はたまた性格かもしれない。その相手によって違うものであろうけど、それはその人であるからの特徴で、他の人では代用はできないわ。つまり『本当に大切なもの』は代用できないものであり、失う前に大切だと気がつくのよ」
「そう言われるとそのとおりだね。大切なものは大事に扱うし、きっと全てがそのようなものなのだろうね。」
彼女は僕が納得した事を確認すると、また微笑み、前を向いた。
そして、最後に一番僕が気になっていたことを彼女に尋ねた。
「それにしても、君がそんなことを言うだなんて珍しいじゃないか。今日はどうしたんだい?」
「私は…あなたの『本当に大切なもの』になれるかしら?」
なんだ、彼女は最初から彼女らしかった。
本当に大切なものって何でしょうね。自分にはまだわかりません。きっと大切なものは誰にでもあるものではあるんでしょうけれど、それが当たり前になってしまっているんでしょうね。