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薄暗い森を抜けると、トンネルを抜けたかのような解放感が五人の意識を支配した。
真紀はまるで、別世界に来てしまったかのようだと、にわかに思う。事実、彼女が目の当たりにした光景は日常からかけ離れていて、まるで幻想的な絵画の中に入り込んでしまったかのような感覚に陥っていた。
館の外壁は苔に覆われ、まるで悠久の時に閉じ込められてしまっているかのように、閉鎖的だった。
真紀は館の様子から、牢獄を連想しかけた自身の思考を咄嗟に振り払う。
目前の館と牢獄とを結び付けてしまうことが、この上なく恐ろしかった。単純な恐怖ではない。畏怖だ。それは純粋な畏れだった。そして、畏れることが、何よりも恐ろしかったのだ。
真紀の前に立つ剛也は館を前に、一瞬だけ蛇に睨まれた蛙のように立ちすくむ。が、すぐに調子を取り戻して、「よし、着いたぞ!」と威勢よく言った。
「……ねぇ、本当に行くの? 剛也?」
と、真紀が問いかけた。聞かずにはいられなかった。
真紀はそのとき、自分の声が震えていないかどうかを気にしている自分に気が付いた。恐怖しながらも、体面を保とうとする自分の人間らしさに、多少なりとも安堵を覚える。
剛也が「はぁ? 今更何言ってんだよ……ほら、さっさと入るぞ」と、真紀に目線の一つもくれずに返すことにもまた、どこか安心感を覚えた。
真紀は知っている。剛也が人の顔を見ないで何かを言うときは、何かを隠すときだ。
そして、今隠しているのは感情――それは、恐怖に違いないのだった。
そう思うと、自然と笑みがこぼれる。
剛也は一度だけ真紀の顔を窺い見ると、再び顔を逸らして「……変な奴」とだけ零した。そして、ズカズカ館の方向へ足を進めるのだった。
真紀はその様子から、思わず小学生の時の学芸会で行った演劇を思い出し、くすりと笑う。
思い出したのは桃太郎の演劇だった。何を隠そう、剛也の調子はそのときの桃太郎役の男の子にそっくりだったのだ。
勿論、その男の子とは剛也のことである。
「あはは……剛也は引き返す気なんて無いみただね」
真紀の隣にいる一弥は柔らかく微笑みながら言って、剛也の後に続く。
一弥は同い年の真紀から見ても、幾分か大人に見えた。
成績優秀、品行方正。
一弥は普段からそう呼ばれることを拒むが、彼はまさしくその言葉を体現するかのような人だった。
それだけではない。何より一弥は、高校生相応に、遊べる。真紀は今回の肝試しを提案してきたのが一弥だったことを思い出しながら、背後にいる女子二人の方へ振り返った。
「うっわぁー、好きだねぇ……男子って。こういうの、さ」
真紀と最初に目が合ったのは美紀だった。美紀は先を行く男子の背中を目線で追うと、手のかかる子供を持った母親のように苦笑いを浮かべる。
その隣にいる亜紀は「そう言う美紀こそ、満更でもなさそう」と、美紀とコントラストを描くかのような無表情で呟いた。
「あー……わかる? 亜紀の方も、あまり嫌って感じじゃないね?」
「私は好きだから」
亜紀は表情を変えないまま、散歩にでも赴くような足取りで、男子二人の後に続いていった。
「おー、さっすが亜紀」
美紀は、館の不気味な様子を全く意に介さない亜紀に、感嘆したような吐息を漏らす。
真紀もまた、亜紀の様子に感心していた。
亜紀は五人の中では一番背丈が小さい。その反面、実は亜紀が一番大きな度胸を持っているのかもしれない。
そのとき、真紀は一寸法師を連想している自分に気が付く。
先程、剛也の挙動について桃太郎の演劇を連想したからだろうか。
連想してから、常に無表情である亜紀と童話があまりに不釣り合いであったことから、黒色から白色を連想したみたいだ、と思う。それから、またもや笑みを零すのだった。
「おやおや。真紀も余裕だねぇ」
そんな真紀の様子を見て、美紀は愉快そうに笑う。美紀は続けざまに「さ、私達も行こ? こんなところに、一人で置いていかれたくはないでしょ?」と、悪戯っ子を思わせるような笑みを浮かべて言うのだった。
言われて見渡して見ると、「一人」という言葉がさも恐ろしい言葉であるかのように背筋を伝う。
年老いた木々の皺が蠢いているかのように見えた。
木々も、洋館も、高くから見下ろして、鴉の群れが餌を見定めるように、此方を見ている。
その場の雰囲気が、まるで自分を喰らおうとしているかのような、そんな気すら覚えたのだ。
真紀にとって、今の美紀は小悪魔だった。折角落ち着きかけていた心を、絵本に出て来る悪い魔女のように、ぐるぐるにかき混ぜる。
真紀は理不尽に叱られた時のような苛立ちの視線を美紀の背中に送ると、溜め息を吐いてから、命綱のように思える美紀の背中を注意深く追いかけるのだった。