中洲で一人受験生
テーマは受験です。
出落ち小説を目指してみました。
少年は一人、中洲をさまよっていた。うっかり者の母にホテル予約を頼んだばっかりにその日の寝床がなかったためである。その母は福岡の友人に頼んだそうなのだが、どうやらその友人はそのまた友人にその仕事を放り出し、いつかその重大な任務は博多湾に藻屑となって消えてしまったらしい。それは少年にとっては一生を左右する重大な事案である。なにしろ翌日は本命の国立大学の入学試験当日なのだ。
幸い日はまだ高い。高いとは言ってももう夕方だ。少年は気がせいて、とにかく当てもなく歩いていた。ホテルはいくつかあるのだが、受験シーズンでどこもいっぱいなのだ。いかにも高そうなホテルはあるが、そんな所に泊まれる様な予算はありそうもない。少年の頭からは翌日の試験に対する不安など当の昔に吹き飛んでしまって、今日の寝床を確保する事でいっぱいいいっぱいだった。
無論両親に電話はしたが、現状を打開できる様な策がありそうもない。とにかく探せ、その一言だった。少年は愕然として公衆電話の受話器を置いたが、具体的に誰が悪いのでもないので腹を立てる気すら起こらなかった。そして、その時はなんとか探せるだろう、そんな気楽さが残っていないのでもなかった。
ところが夕方になって、なんだかちょっと派手目のお姉さん達が蠢き始めているのを見かけると、一気に不安は高まった。とにかく動き回るのだが、今までのところ少年の泊まれる余地はなさそうだった。少年の腹はグウと鳴り、同時にきりきりと痛み出した。目はしばしばして頭もちょっと明晰でない気がしてきた。少年は長年花粉症を患っている。
少年は思い余り、中洲の宿泊案内所へと駆け込んだ。「そげな予算じゃあビジネスホテルしかなかろうもん、今何軒かきいてみたばってんが、もうどこもいっぱいやちゅうこっちゃけん」と言う親切なんだか投げやりなんだかよく分からない返事がもらえるだけだった。「やけんが、最悪、レジャーホテルば泊まればよかったい」
そんなわけで少年は案内されたレジャーホテルとやらに向かった。が、少年の胸には猛烈な不安が去来していた。もはやまともなホテルであるはずがないと。果たしてたどり着いたのはちょっとラブめなホテルだった。案内係が親切にも予約を入れてくれたので、少年は断ることも無視することもできずにここに入るしかなかった。
少年はカーテンによって全く向こう側のうかがい知れない受付に声をかけた。受付は言葉少なにレシートと鍵を出してくれた。先に払うのか、と妙に思わないのでもなかったが、黙って指定の金額(安い)をカーテンの向こうに差し出した。その後、少年は一人で鍵に示された番号のふられた部屋に向かった。
彼は受験会場の下見に行かねばならぬと思った。幸い、日は落ちたもののまだ真っ暗闇ではない。一人で地下鉄に乗るのは初体験で、しかも会場は地下鉄駅から少々離れた場所だ。下見は必須である。が、その仕事はあっけなく完遂した。その日少年はコンビニでパンやらなにやらを購入し、日が落ちても明るい川端のベンチに座ってぼそぼそとそれを貪った。あのちょっとラブい部屋に帰るのは気が滅入るからだ。もっとも、遅くまで中洲を歩くことの恐怖をちょっと感じはじめてきたので仕方なく彼はホテルに帰り、もはや最後の足掻きなどと考えることなくクイーンサイズのベッドにもぐりこんだ。
翌朝、猛烈な頭痛が彼の目を覚ました。額に手を当てると、少し熱いかもしれない。花粉症の時期なので彼にはこういうことがたまにあった。彼はいちかばちか受付に風邪薬をもらいにいったら、親切にも水の入ったコップと風邪薬をカーテンの向こうから差し出してくれた。謝辞を告げてそれを飲み、少年はふらふらとホテルを出た。
会場で少年はひとりぼっちだった。来るのが早すぎたのである。そんな彼を新聞の記者は目ざとく捕まえて、ひとこと受験の意気込みを聞こうと近寄った。「花粉症でちょっと体調が悪いけど、ばっちりです」少年はそう答えた。本当は心身ともに最悪のコンディションである。ホテルでもらった薬のおかげで頭痛は収まっていた。
試験が始まった。彼のペンは思いの外すらすらと動いている。隣に座る受験生を観察する余裕さえあったほどだ。それはいかにもお嬢様然とした風情の女の子だった。制服を着ているのが彼には衝撃だった。しかもその制服はスカート丈が長く、どう考えても時代遅れの代物だったが、それが逆にお嬢様感をかもし出しているのかもしれない。彼は最初の六十分で数学の問題を全て解いてしまい、見直しも十分ほどで終わって退屈していた。試験中は忘れていた花粉症の症状も自覚しだしたくらいだ。隣の女子はまだ必死に解答している。もちろん答案の中身を見る気はなかったが、彼の目にはどう見ても正解に近づいている様子には見えなかった。
試験会場を出たころには彼は虫の息であった。もはや何を解いていたかすら覚えていない。目の前に蚊がぶんぶん飛んでいる錯覚さえしだした。彼はそのまま理学部の試験会場に向かった。友人が受験中のはずである。そしてその友人は彼が会場に到着するのとほぼ同時に外に出てきたところであった。
「どうだった?」友人は彼に聞いた。
「よく分からんし、覚えてもいないけど、多分数学は完璧に解けた」彼はそう答えた。
「ふーん」
彼と友人は中洲で豪遊するぞと言いながら地下鉄駅を目指した。
正真正銘フィクション自伝です。
あと、実際の地名とかが仮に出てきてもそれは現実の場所とは関係ありません。