十二話
一階部分はすっかり水が抜けて歩けるようになった。
様々な海藻や苔などが繁殖し、ちょっとした海底を歩いている気分になってくる。
一階部分の最奥に、サイハテが待っている。普段は表情を偽っているのか、今のサイハテは随分とらしい表情になっていた。
顎を引き、見覚えのない猟銃を一丁携え、直立不動の姿はまるで一流の兵隊のようだった。
「……無事に来たようだな」
への字に結んだ唇が開かれ、安否を確認するような言葉が出てくる。
「あんたこそ無事なの?」
陽子からすれば、戦っていないのに無事も糞もないのだ。
「無論だ、俺が怪物如きに負けるか」
崩落に負けそうになったのは内緒だ。
陽子は目でサイハテの無事を確かめると鼻を鳴らし、彼の胸に拳槌を振り下ろした。
「私だって戦えるんだから、無茶すんじゃないわよ」
そう言うなり、陽子は一階部分の奥、海中に没していた扉へと歩いて行く。その背中から頼りなさは大分抜けているように思える。
「ああ、無茶はしていないさ。あれ位ならな」
その背に続いてサイハテは扉の前に立つ。
頑強な金属の扉、嘗ては一般客の来訪を拒み続けてきたものだろう。スタッフオンリーの文字がどこかに書いてあったのだろうが、今は見る影もない。
「俺を先頭にレア、陽子、ハルカの順で突入する。レアは道案内、背後から指示してくれ。陽子はレアの護衛を頼む。ハルカは殿だ、背後からの奇襲を警戒しろ。一列縦隊、ダラダラ歩くなよ。さっさと武器弾薬を回収して帰るぞ」
「りょーかい」
「解ったわ」
「お任せくだサイ」
三者の反応を見て、サイハテは扉を蹴り開け、クリアリングをする。この先の通路は完全な闇、ライト無くしては進む事が出来ないだろう。
耳を澄ます、気配を探る。目を凝らし、鼻を生かし、微弱な空気の動きでさえ触覚で感じ取り進む。
「そこをみぎー」
レアのナビゲーションも、冴え渡っている。とは言っても、彼女にしてみれば一度来た場所を案内するだけなのだが……。
しばらく進むと警備システムを統括する部屋が見えてきた、文明があった頃には警備員が常駐していたであろう部屋だ。
「ここか?」
他に道はない。
部屋の中は薄暗く、並べられた電算機が小さな灯りを放っている。
「ここー、けーびしすてむをかいじょして、と」
レアはコントロールパネルに向かっていき、容易くシステムを無効化してしまう。
その後、突如部屋が揺れ、床の一部が陥没していき螺旋階段を作り出して行く。
ドヤ顔のレアを撫でる陽子と、傍に控えるハルカを尻目に、サイハテは階段の先を見通し、鋼鉄製の扉がある事を視認する。
「……ボスとか居そうな雰囲気だな」
ビデオゲームなら間違いなく居るだろう。
デカイ蜘蛛とか、はたまたミミズとか。いや、海中に没していたのだから居るならウツボや蟹だろう。
「そんなの居ないわよ、ちゃちゃっと行ってちゃちゃっと帰りましょ」
サイハテの独り言に、きっちりと陽子がツッコミを入れてくれる。
「……そうだな、俺も腹が減った」
先程の陣形を解いて鋼鉄の扉を開ける。
すっかり錆びついてはいるが、サイハテの力なら問題なく開きそうだ。
隙間に指を突っ込んで、力任せに引くと、扉は大きな音を立てた。まるで館内全体に響くかのような音に、背後の少女達は耳を塞ぐ。
「お、重ぉ……」
あまりの重さに、サイハテも音を上げる。
それでもと、力任せに引き続けた結果、人一人がなんとか通れる程度の隙間が出来て、扉は動かなくなってしまった。恐らく、力任せに開けたせいで扉が歪んでしまったのだろう。
とっぷりとしたシチューのような闇をライトで照らすと、どこまでも続いているかのような直線の通路が見えた。
「……ここ、行くの?」
通路は暗さも相まって、非常に恐ろしい物に見える。だから、陽子が怯えているのだろう。
「ああ、行くしかないだろう。ここで引き返したら無駄足だぞ」
そう言い切ると、サイハテは隙間から体を滑りこませて、通路内へと入ってしまう。レアは恐怖など全く感じていないのか。その背に続き、その姿を見て、陽子は諦めたように後に続いた。
手持ちのライトのお陰で、何とか薄暗いで済んでいる通路は浸水や海生植物の影響で随分と老朽化が激しいようだった。
「しかし、これはなんの通路なんだ」
先行するサイハテがそう漏らす。
「搬出用の通路デショウ。何度も人が通った形跡が存在シマス、メイビー」
メイビーか、とサイハテは後頭部を掻く。
「弾薬、銃器を堂々と警備室から運び込みか。こりゃ警備会社だけじゃなく、このショッピングモールもグルだな」
一体いくら貰っていたのか知らないが密輸はハイリスクハイリターン過ぎる。
よほど切羽詰まっていたのだろうなとサイハテは考えた。
チラリと背後を見ると、顔面蒼白な陽子と、彼女に抱きしめられて苦しそうにもがいているレアが見える。
「……な、なによ。早く進みなさいよ」
どうやら急いだ方が良さそうだ。
「ああ、あまり怖がるな。幽霊なんか出やしない」
「もしかしたら居るかも知れないじゃない……」
慰めても無駄なようだ。
いくら無念の死を遂げようが、人間は死んでしまったら終わりだと言う事を知らないらしい。
「死人が化けて出るようなら、俺は何人幽霊を見ればいい」
サイハテが冗談を言うと、陽子は申し訳無さそうに表情を歪める。そんな彼女の面先に手を伸ばし、軽く鼻を弾く。
「いたっ」
どうやら強かったようで、鼻頭を抑えられながら睨まれてしまった。
「そんな顔をするな、ただの冗談だ」
そう言うと、サイハテは優しく微笑んで前へと進んでしまう。
鼻を摩りながら、陽子は渋々と彼の背後に続く。
「恐れる事は悪い事じゃない、恐怖に飲まれる事が悪い事なんだ。陽子、お前はその感情を支配しろ。恐怖に飲まれて行動するなんざ、これほどバカバカしい事もないぞ」
恐怖を支配出来なかった男が、そんな事を言った。
怖いから殺した、怖いから食った、だから戦った。恐怖に負けてしまえば、サイハテのような人生が待っている。
「……うん、努力する」
こうなると陽子は肯定しか出来ない。
「そうか」
対するサイハテの反応は淡白だ。
何しろ、努力するしないは個人の自由だからだ。努力には見合った成果が着いてくる、そこに才覚と言う自分では解らない要素が加わるが……誰よりも努力したのなら、必ず結果は着いてくる。
だから、少しだけ応援してやろうと思う。
「頑張れよ」
背後で俯いていた陽子が顔を上げるのが分かった。
そして、
「うんっ!」
と元気いっぱいの返事を貰い、サイハテは機嫌よさそうに鼻を鳴らした。
陽子単純可愛いと思った人は、手を挙げて下さい。先生怒りませんから。




