五話
病院の地下室と繋がっている資材倉庫、そこに掘られた人工の穴から二人の男女が這い出した。
サイハテと陽子だ、少女はチアノーゼを起こしたかのような顔色で、四肢に力はなくだらりと垂れさがり、抱えるサイハテに完全に身を任せている。
溺れて、肺に水が溜まり、呼吸が止まった危険な状態だ。
「よっと」
しかしサイハテは焦る事はない。
何しろここで出来る蘇生方法など心肺蘇生法位のものなのだ、病院に戻っても医療器具があるとも限らないし、蘇生出来る医療器具は全て通常病棟にあるのだから、この資材倉庫を抜け出して、グールだらけであろう病院に駆け込むのは考えられなかった。
サイハテは、陽子を仰向けにすると呼吸と脈を確認する。
脈は弱々しく、呼吸は完全に停止、とにかく、肺を再起動させなくてはならないとサイハテは気道を確保すると、容赦なく彼女の唇に自分のそれを押し当てる。
肺に溜まった空気を強くもなく、弱くもないスピードで陽子の肺に入れてやる。
それを三回繰り返した後、サイハテは陽子の体を横向きに直し、彼女の背中を腿で支え、腹部を押しつつ、陽子の口を開かせる。
「……ゲホッ! ゲホゲホッ! オェー……」
先ほど肺に入れた酸素を起爆材にして、陽子は激しく咳き込む。
その度に肺に入っていた水は押し出されて、代わりに新鮮な空気が陽子の肺を満たすのだ。サイハテは落ち着くまで彼女の背を摩ってやることにする。
「……ここは?」
水を吐き出し切ったが、衰弱した陽子は横になったままこちらに視線を向けては、そう質問してくる。
「水路を抜けた倉庫だ、病院からは出られたよ」
サイハテは陽子の質問に答えながら、裸の彼女に布を一枚かけてやる。
この倉庫にあったシーツだが、ないよりはマシであろう。
「……私は、どうなってた?」
倉庫と教えられると焦点の定まらない視線で、辺りを見渡し、もう一度サイハテに視線を向け直す。
「溺れてた。すまん、危うく君を殺す所だった」
嘘を吐いても仕方がないと、サイハテは素直に頭を下げる。
「……ううん、私も迂闊だった。お互い様ね」
「そう言ってくれると、ありがたい」
陽子の衰弱は結構激しい、ここは無理をせずにここで休憩して彼女の体力を回復させるべきであろうとサイハテは判断する。
「君は少し休んでいるといい、俺はこの倉庫から使えそうなものを見繕ってくる」
「うん、頑張ってね……」
陽子の声援に片手をひらひらと振って返事をしたサイハテは、改めて倉庫の中を見渡す事にする。
様々なコンテナがあちこちに積まれている、もしかしたら運送会社の倉庫だったのかも知れないな、と思いつつ空きそうなコンテナを物色する。
コンテナの中にはガスが詰まっており、これが数百年もの間、物資を保護してきたのだろうとサイハテは仮説を立てた。
建物に使われているコンクリートも、この倉庫に使われている塗炭も信じられない強度だ。数百年もの間に建物が倒壊しない理由は恐らく、未来の建築技術や素材処理能力のお陰でもあるだろう。
コンテナの中身を物色して、布や薬品をバックパックに詰めながら移動していると、ある壁の一角に異常を発見する。
「……ん? 兵員輸送車?」
近づいてみるとそれは装甲板に覆われた兵員輸送車である事が理解できる、車の側面に第22普通科連隊と書かれている事から、自衛隊の官給品である事が窺える。
サイハテは徐に輸送車の運転席を開けてみる。
「……仏さんか」
運転席には脳挫傷で死んだであろう自衛官の白骨が横たわっており、軽く手を合わせてから、その遺体を退かし、運転席に飛び乗ってはキーを回してみた。
セルすら回らない、完全に壊れてしまっているようだ。
残念そうに唸り声を上げると、そこから降りて、輸送車の後ろ側へと回り込んでみる。
何もない可能性が大きいが、自衛隊の装備品ならサイハテにも扱える可能性が高いし、何より、陽子の射撃技術を生かすにはアサルトライフルの一丁は必要であるからだ。
兵員輸送車は倉庫の壁を突き破って入ってきたようで、中のコンテナに突っ込んで完全に停止していた。運転手は頭に弾痕があったことから狙撃を受けた事を窺える。
(……戦闘の後は見受けられなかった。もしかしたら爆撃は感染防止の為じゃない? 隊員を狙撃した狙撃手を爆撃で処理したのか? いや、もしかしたら)
サイハテは頭に浮かんだ考えを一旦振り払うと、輸送車のハッチを開く。
想像した通り、銃器の類も、死体の類も存在しなかった、どうやら輸送車がここに突っ込んだ後、隊員達は各々に連携を取ってここから出て行ったのだろう。
だが、医療品位は残っているかもしれないと、サイハテは中へと入り込む。
輸送車にあったのは手榴弾が三つと、持ち出せなかったであろう長いアタッシュケースが一つだけだ。
「……56式高周波刀? こんなの官品にあったか?」
アタッシュケースに書かれているのはそんな文字だ。
まさか、現代の軍が刀を装備する事なんてありえまい。
ケースを開けてみると、そこにあったのは現代チョイスな刀であった。鞘は黒い強化樹脂とジュラルミンで作られており、グリップはステンレスと同じく黒い強化樹脂。引き抜いてみると青みがかった刀身が見える。
「刀身はチタン合金かよ」
グリップに、赤いボタンが付いている。これが高周波のスイッチだろう、恐らくバッテリー式の高周波装置をグリップに内臓している方であると予想出来る。
電池を無駄遣いする訳にはいかないので、サイハテは高周波刀を腰のベルトに結わえる。
「なんか碌な物なかったな……」
コンテナに詰まっているのは大概衣服であり、いくつか薬品のコンテナが存在しただけだった。その薬品のコンテナも市販されている薬しか入っておらず、緊急時に役立つかと言われれば首を横に振るほかない物ばかりだ。
ペニシリン類があればよかったんだがとぼやきながら陽子の元へと戻る。
「あ、おかえりなさい」
陽子は酸欠から回復したのか、缶詰のポタージュスープをどこから見つけてきたカセットコンロとフライパンで温めている最中であった。
「おう、ただいま。碌なもん見つからんかった」
サイハテは陽子の対面に体を下ろすと、大きく体を伸ばす。
「ふーん。まぁ、そんなものでしょうね。とりあえず、はい。サイハテの分」
あまり興味なさそうな様子の返事を聞き、苦い顔をしていたサイハテの前に金属製のマグカップが差し出される。中には湯気が立つ程度に温められたジャガイモのポタージュスープが入っている。
夏場と言えど、水中を泳いで冷えた体にはありがたい一品だ。
「おう、サンキュ」
それを受け取って、サイハテはスープを嚥下する。
冷えて動きを止めた内臓がじんわりと温かくなっていく感覚が非常に心地よい。
ホットなスープでほっとした表情を見せるサイハテを見て、口角を僅かに上げた陽子は自分の分のスープを吐息で冷ましながら、ゆっくりと啜る事にする。
「それで」
「おう?」
「これからどうするの?」
三口程スープを飲んだ時、陽子がゆっくりと口を開く。
「これからか」
対するサイハテは困ってしまった。
これからの事なんて分かりはしないのだ、語るならいくつもの可能性だけになってしまい、その可能性が外れた時に襲う落胆は結構クル、あまり目の前の少女を落ち込ませたりはしたくはないのだが……知ってると知らないでは結構な違いがあるだろう。
「そうさな、とりあえず川沿いを歩いて……どこに行こうか?」
「え、これからの方針決まってないの?」
「ああ、外の様子は病院の窓からちょこっと見た位だからな。歩きながら情報収集するのは確定なんだが……これからどうしたい?」
サイハテの言葉に、陽子は目を真ん丸にして驚いて見せた。
「どう……って、どうしよう?」
まさか自分に方針決定の権利があるとは、と思っていそうな表情だとサイハテは心の中で評する。事実、陽子は限定条件下では全く役に立たない少女だ。しかし、今は狭苦しい病院の中と言う訳でもなく、何をしようとも決まっている訳でもない。
要するに何をしようとも状況が悪くなる訳でもない。
「何かやりたいでもいいぜ」
「んー……お風呂に入りたいわ!」
陽子が突発的に出した考えはそれであった。
確かに夏場と言うこともあって暑いし、見た目は綺麗だが衛生的には微妙な水に入った。陽子の選択は中々にいいものを突いているとサイハテは判断する。
「ふむ、風呂か」
溺れた後なのに、水に恐怖を抱いていないのは好印象だ。
「だめ?」
「いや、いい選択だ。つまりは今晩の宿探しでもある訳だな。よし、無事な家屋を探して、当座の拠点にしよう」
そうと決まれば、サイハテの行動は早い。
スープを飲み干すと、膝を叩いて立ち上がる。
これからは探索を中心に行動を起こす方針となる、昼間しか行動できないから急ぐほかないのであろう。
サバイバル豆知識
サバイバルでは飲み水を確保する事が最優先です。
しかし、そこらにある川などはまずそのまま飲む事は出来ません。
パッと見て澄んでいるようでも様々な病原菌や寄生虫が生息しており、そのまま摂取するとありとあらゆる病気に罹って、貴方の冒険はそこで終わってしまいます。