クリスマス特別編完結できませんでした小話:髭
完結出来なかったので、お詫び話。
洗面台付属の鏡を見て、西条疾風は感心していた。
鏡に映る彼の姿は、いつもと違ってもっさりとした髭が生えており、サイハテはそんな髭を触りながら、遺跡で拾った用途のよくわからない薬品、髭生え薬の効果に関心しているのだ。
「見事に生えたものだな」
普段、無口な彼が独り言を漏らす位に、その効き目は絶大である。
昨日の晩に服用して、今朝方にはもっさりと髭が生えている位の効き目に、彼はただただ感嘆のため息を吐くだけであったが、いつまでも見とれている訳にはいかなかった。さっさと髭を剃って、与えられた部隊から上がってきた報告書に、目を通さなければならない。
しかし、剃刀を手に取って、髭に当てようとした所で、少々思いとどまる事案が産まれた。
(……そうだ。陽子に見せてみよう)
愉快な反応をしてくれるかも知れないし、若しかしたら、この髭面を気に入ってくれるかも知れない。
若い男にありがちな、至って普通のポジティブな意見を胸に抱きながら、彼は部屋を飛び出し、向かった先は、陽子がいつも詰めている司令部のオフィスだ。
爆撃や砲撃にも耐え得る館山要塞でも、最も深い場所である司令部。そこの一番安全な場所で、彼女は仕事をしている。
「閣下、本日の十七時には、放棄されていた港の改修工事が終わります」
無駄に臆病者の極致を使って、誰にも気づかれないまま、陽子が居る執務室の前にたどり着いたサイハテは、耳を澄ませて、重厚感のある扉から漏れ出る会話を聞いていた。
「ん、余った工兵隊はそのまま破壊された防衛ラインまで、送って頂戴」
「はっ、了解しました」
報告をしているのは、アルファナンバーズの演習データを用いて選抜した、近衛兵型のバイオニック・ソルジャーだろう。
アルファクランに配備されている一般歩兵から選りすぐられた、エリート的なバイオロボットではあるが、如何せん、AIの育ち具合は教育課程で個々別々なので、どうしても生産能力は低くなる。
(何せ、千分の一だものなぁ……)
もっと数が居たのなら、アルファナンバーズに代わるコマンド部隊としての運用を考えていたのだが、居るのは僅か百足らずの人員だけで、とてもではないが、損耗率の高い任務へ駆り出せない状況だった。
結局の所、コマンドの指揮を取れるのが、サイハテだけであるので、彼直下のIaSがその任務を遂行するしかないのだろう。
「では、そのように指示を出して参ります」
どうやら、近衛兵はここから去るようなので、サイハテも一時的に扉の前から退避する。
兵士が出ていったのを見計らって、彼は音も無く扉を開けると、そっと執務を続ける陽子の元へと歩み寄っていく。
するとだ。
「なぁに、サイハテ」
声をかけてもいないのに、彼女は忍ぶ彼に気が付いて、微笑みながら声をかけてきた。
「……気付いていたのか」
これには、サイハテも驚嘆する他ない。
本気で隠れた訳ではないのだが、優秀な兵士である近衛兵が気が付かずに、ただの少女であるはずの彼女が気が付いたのだから、驚きもする。
「昨日髭生え薬使ってたからね。悪戯しにくると思ってた」
机の上に頬杖を突いて、陽子はにっこりと笑う。
そんな笑みに、彼は行動パターンを読まれた恥ずかしさから、少しだけ罰が悪そうに頬を掻いた。
「成程、君は随分と俺に詳しいみたいだ。これはそろそろ、諜報員の役職を返上すべきだな」
長く一緒に暮らしていても、自分の行動原理を悟られるようでは、諜報員は失格である。そんな意味を込めつつ、自嘲する意味での冗談を飛ばすと、彼女はクスクスと笑う。
「あら、まだ諜報員のつもりだったの?」
そして、揶揄うような声色で、陽子は言葉を続け。
「そう言えば、解雇通知を出されていたな」
サイハテは冗談で返事をして、彼女がまたケラケラと笑う。
和やかな雰囲気が流れ、尋ねるのは今しかないと、彼は判断し、唐突に話題を変更する。
「ところで、だ」
もっさりと生えた髭に、鏡で見た時、結構似合っているのではないかと自画自賛したそれに触りながら、サイハテは尋ねた。
「どうだ?」
主語はない。
だが、その行動からは似合っているだろうとの言葉が、ひしひしと滲み出ていた。
無論、解る人間だけが解る、彼特有の癖ではある。
「似合ってないわよ」
が、ダメ。
そんな雰囲気や感情を理解しつつも、陽子はいつもの笑みを浮かべたまま、ばっさりと言い切った。
「……そうかそうか、似合って、ない?」
髭を触りながら、サイハテが固まるが、少女の追撃は止まらない。
「うん、似合ってないわ。はっきり言うと、ダサい」
「ダ、ダサ……?」
まるで力が抜けたように、膝を着く彼であったが、気付いているのかいないのか、陽子はダメな所をつらつらと宣う。
「あんたは確かに、顔はいいわよ? でもね、その顔の良さって、精悍な顔とか、気難しい顔している時だけなのよねぇ。今のあんたとか、鼻の下伸ばしている時って、ひっどいわ」
サイハテの胸中に、今のあんた、鼻の下を伸ばしていると言った言葉が、砲弾の破片よりも、鋭いナイフよりも深く深く突き刺さる。
「むしろ髭面のサイハテって、体格も相俟って、嫁さんも貰えない山男みたいな? そんな冴えないダサさがあるわねえ」
追撃の事実で、彼のダメージは更に加速した。
まるでボディブローを食らったかのように、着いていた膝と共に体が浮き上がってしまう。
壁にたたきつけられたサイハテは、止めてくれとでも言うように、小さく左右に首を振ったが、残念ながらそっぽを向いている彼女には気が付かれなかった。
「まぁ、新しい事にチャレンジするってのは悪くないけど、私はいつものかっこいいサイハテが好きね」
陽子が振り返ると同時に放ったトドメの一撃は、割と傷つきやすい彼の心を砕くのに、十分の威力を誇っていた。
彼女が最後に見たのは、すっかり肩を落として、よろけながら退室していく、サイハテの背中だけである。
「……ちょっと、サイハテ?」
声をかけても、聴こえていないのか、彼はそのままよろけながらどこかへと消えてしまった。
残された陽子は、頬に手を当てると、ある事実に気が付く。
「もしかして、あの髭、気に入っていたのかしら」
正解を導いた時には既に遅く、サイハテはどこかへと去ってしまっていた。
茫然自失しながら、要塞内の廊下を練り歩いている彼の姿を、研究室の窓越しに発見した少女が居る。
館山要塞の研究主任、ゆるふわ金髪ダークネス幼女のレアであった。
彼女は明らかに様子のおかしいサイハテを目撃し、研究が大詰めで忙しいのではあるが、放って置く訳にもいかないので、近くの警備兵に行って、研究部署備え付けのリフレッシュルームへと連れて来させる。
「似合って……ダセェ……四十代山男……冴えない……今の俺は、好きじゃない……」
連れてきたはいいものの、明らかにまともな精神状態ではない。
相当な精神的ショックを受けたのだろう、目は虚ろで、うわ言をブツブツと繰り返しては、更に落ち込むを繰り返している。
仕方がないので、少しばかりカウンセリングをする事にした。
「さいじょー、どーしたの?」
棒読みとも少し違う、抑揚がない声が耳に入ったのか、サイハテは死んだ目をレアに向けると、初めて気が付いたような反応をする。
「……ああ、レア。おはよう」
「おはよーって、もーそろそろ、おひるだよ?」
どうにも、彼は朝方からあんな様子だったらしい。
だが、彼女を返答を聞いているのかいないのか、彼は自分を指差すと、震える声で、尋ねてくる。
「俺の、髭。どう、思う?」
指差す先には、もっさりと生えた黒い髭があった。
もみあげに繋がった、口の周りを覆う程の見事な髭である。
ここでようやく、レアはサイハテの求めている事を理解し、彼に何があって、そうなったかを予測した。
「あー、うん、だいたい、さっした」
ちょっと似合うんじゃないかと、うきうきしながら陽子辺りに見せに行ったら、ざっくりと突かれたくない所を突かれて、要するに図星を言い当てられ、拗ねようと思った所に予想外の追撃が来て、それが致命傷で、こうなったのだろう。
と、付き合いの長さから予想した。
「……やはり、似合っていないか? ダサいのか? 俺は冴えないモテない嫁さん居ないの、四十代の山男なのか?」
「やまおとこに、なんのうらみが?」
「俺は石の礫とか、岩喰うとか、そんな携帯怪物を出してくるキャラじゃないんだ……」
話の要領は得られないが、言いたい事はなんとなく理解できるレアは、なんとなくではあるが、彼が求めている事を理解する。
「えーっと、うーんと……」
要するに、まぁまぁ似合っているとか、悪くないとかの褒め言葉が欲しいのだろう。
「ぼ、ぼくはすき、かなー?」
そして爆誕する女子小学生に気を使われる成人男性の図。
奇妙や珍妙と言うよりも、最早痛々しい絵面である。
「……本当か?」
そんな絵面であると言うのに、少しだけ目に光が戻ってくるサイハテもサイハテであった。
レアとしては、元憧れの英雄がこんな姿をしているのは忍びなく、ここで一気に畳み込んで、元気になって貰おうと画策する。
「うん! えーっと、なんか、えーっと……かんろく? とかでてきてる、よね! さんじゅーだいにみえる!」
必死に言葉を手繰り寄せている彼女には見えていないが、サイハテは再びダメージを受けていた。それは、出来立ての瘡蓋を剥がされ、傷を引っ掻かれるような痛みだった。
「それと、うんと、えっと……なんか、ないすみどる? ってかんじ!」
ないすみどる、その言葉が、彼の傷口に塩を振りかける。
それはもう、スタイリッシュに塩を振りかけてくる。
「おひげのさいじょーみてると、えっと……うーん……お、おひざにのっけて、えほんよんでもらうよーな、そんなあんしんかん? あるとおもーよ!」
追撃のお爺ちゃん宣言で、コショウが追加され、彼の心はフライパンでソテーになった。
「……もうお部屋帰って、うんこして寝る。ジョージジョージ」
サイハテはそう言い残すと、壁に張り付き、カサカサと這いながら排気ダクトの中へと消えていく。
まるで、夏場出てくるゴキブリのような動きに、褒めていたはずのレアはあんぐりと口を開けて、見送る事しか出来なかった。
彼が完全に見えなくなった後、正気に戻った彼女は、首を左右に振ると。
「さっちゅーざい、つくらなきゃ」
割と酷い事を口走っていた。
心ゆくまで、排気ダクトの中や、厨房を這いずり回ったサイハテは、少しだけ心の平穏を取り戻しながら、部屋への天井を這っていた。
その道中、突如として下、要するに廊下から声がかかる。
「父さん? 何をしているの?」
彼が廊下に目をやると、怪訝な表情でこちらを見上げる愛娘、風音が居た。
「もう疲れたからな、部屋に帰る。寝る。寝て忘れる」
憮然とした表情のまま、そう言い放つサイハテの顔を見つめると、彼女は深々とため息を吐いて、壁を蹴り飛ばす。
デザインドソルジャーの血を引いているだけあって、その脚力は頑丈なコンクリートを伝って、彼がしがみついている天井にまで、振動が及ばせる。
「ぐえっ」
故に、サイハテは落ちた。
「全く……みんな気味悪がっているから、そう言った奇行も程々にして欲しいよ」
床にひっくり返ったままの彼を見下ろし、風音は呆れたように宣う。
流石に、娘にまで迷惑をかけたのは、申し訳なかったのだろう。サイハテは、体を起こすと、幾分か平静を取り戻せたのか、後頭部を掻きながら謝った。
「ああ、すまない。ちょっと、ショックな事があってな。もう大丈夫だ」
部屋に帰る帰らないはともかく、ゴキブリスタイルのまま帰る事も無かろうと、歩き出そうとした瞬間、手を掴まれてしまう。
「ちょっと待て」
剣を振っていると言うのに、掴んだ彼女の手は、女性らしい細さと嫋やかさを持っている。
「ん? どうした」
振り向いた瞬間、風音の責めるような目を目撃してしまう。
「父さん。その髭は不潔だよ。わたし達は戦う人なのだから、普段から清潔に気を使わないと、皮膚病に……って、父さん!?」
不潔だよ。
その単語を聞いた瞬間、サイハテの心は大きな音を立てて、はじけ飛び、心の破片が派手に散らばって、一部が脳にまで達した瞬間、彼は走り出していた。
行動に意味なんかない、ただただ、今までに感じた事がない、言葉にできない感情が全身を駆け巡り、彼の足を動かしている。
「父さん!? どこへ行く!? 父さん!?」
追いすがる風音を振り切って。
「あれ? ジーク、どうした、走って……うごぁ!?」
道行くニックを吹き飛ばして、サイハテはどこまでも走っていく。
感情が突き動かすままに、彼は走って走って、そして、家出をした。
サイハテのメンタルが弱いって?
なら、想像してみましょう。
好きだと言った美少女中学生に「だっせぇ」と言われ、憧れられている美少女小学生に「老けてる」と言われ、目に入れても痛くない美少女愛娘に「汚い」と言われた男の心境を。




