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終末世界を変態が行く  作者: 亜細万
七章:風音と疾風
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クリスマス特別編完結できませんでした小話:髭

完結出来なかったので、お詫び話。

 洗面台付属の鏡を見て、西条疾風は感心していた。

 鏡に映る彼の姿は、いつもと違ってもっさりとした髭が生えており、サイハテはそんな髭を触りながら、遺跡で拾った用途のよくわからない薬品、髭生え薬の効果に関心しているのだ。


「見事に生えたものだな」


 普段、無口な彼が独り言を漏らす位に、その効き目は絶大である。

 昨日の晩に服用して、今朝方にはもっさりと髭が生えている位の効き目に、彼はただただ感嘆のため息を吐くだけであったが、いつまでも見とれている訳にはいかなかった。さっさと髭を剃って、与えられた部隊から上がってきた報告書に、目を通さなければならない。

 しかし、剃刀を手に取って、髭に当てようとした所で、少々思いとどまる事案が産まれた。


(……そうだ。陽子に見せてみよう)


 愉快な反応をしてくれるかも知れないし、若しかしたら、この髭面を気に入ってくれるかも知れない。

 若い男にありがちな、至って普通のポジティブな意見を胸に抱きながら、彼は部屋を飛び出し、向かった先は、陽子がいつも詰めている司令部のオフィスだ。

 爆撃や砲撃にも耐え得る館山要塞でも、最も深い場所である司令部。そこの一番安全な場所で、彼女は仕事をしている。


「閣下、本日の十七時には、放棄されていた港の改修工事が終わります」


 無駄に臆病者の極致を使って、誰にも気づかれないまま、陽子が居る執務室の前にたどり着いたサイハテは、耳を澄ませて、重厚感のある扉から漏れ出る会話を聞いていた。


「ん、余った工兵隊はそのまま破壊された防衛ラインまで、送って頂戴」

「はっ、了解しました」


 報告をしているのは、アルファナンバーズの演習データを用いて選抜した、近衛兵型のバイオニック・ソルジャーだろう。

 アルファクランに配備されている一般歩兵から選りすぐられた、エリート的なバイオロボットではあるが、如何せん、AIの育ち具合は教育課程で個々別々なので、どうしても生産能力は低くなる。


(何せ、千分の一だものなぁ……)


 もっと数が居たのなら、アルファナンバーズに代わるコマンド部隊としての運用を考えていたのだが、居るのは僅か百足らずの人員だけで、とてもではないが、損耗率の高い任務へ駆り出せない状況だった。

 結局の所、コマンドの指揮を取れるのが、サイハテだけであるので、彼直下のIaSがその任務を遂行するしかないのだろう。


「では、そのように指示を出して参ります」


 どうやら、近衛兵はここから去るようなので、サイハテも一時的に扉の前から退避する。

 兵士が出ていったのを見計らって、彼は音も無く扉を開けると、そっと執務を続ける陽子の元へと歩み寄っていく。

 するとだ。


「なぁに、サイハテ」


 声をかけてもいないのに、彼女は忍ぶ彼に気が付いて、微笑みながら声をかけてきた。


「……気付いていたのか」


 これには、サイハテも驚嘆する他ない。

 本気で隠れた訳ではないのだが、優秀な兵士である近衛兵が気が付かずに、ただの少女であるはずの彼女が気が付いたのだから、驚きもする。


「昨日髭生え薬使ってたからね。悪戯しにくると思ってた」


 机の上に頬杖を突いて、陽子はにっこりと笑う。

 そんな笑みに、彼は行動パターンを読まれた恥ずかしさから、少しだけ罰が悪そうに頬を掻いた。


「成程、君は随分と俺に詳しいみたいだ。これはそろそろ、諜報員の役職を返上すべきだな」


 長く一緒に暮らしていても、自分の行動原理を悟られるようでは、諜報員は失格である。そんな意味を込めつつ、自嘲する意味での冗談を飛ばすと、彼女はクスクスと笑う。


「あら、まだ諜報員のつもりだったの?」


 そして、揶揄うような声色で、陽子は言葉を続け。


「そう言えば、解雇通知を出されていたな」


 サイハテは冗談で返事をして、彼女がまたケラケラと笑う。

 和やかな雰囲気が流れ、尋ねるのは今しかないと、彼は判断し、唐突に話題を変更する。


「ところで、だ」


 もっさりと生えた髭に、鏡で見た時、結構似合っているのではないかと自画自賛したそれに触りながら、サイハテは尋ねた。


「どうだ?」


 主語はない。

 だが、その行動からは似合っているだろうとの言葉が、ひしひしと滲み出ていた。

 無論、解る人間だけが解る、彼特有の癖ではある。


「似合ってないわよ」


 が、ダメ。

 そんな雰囲気や感情を理解しつつも、陽子はいつもの笑みを浮かべたまま、ばっさりと言い切った。


「……そうかそうか、似合って、ない?」


 髭を触りながら、サイハテが固まるが、少女の追撃は止まらない。


「うん、似合ってないわ。はっきり言うと、ダサい」

「ダ、ダサ……?」


 まるで力が抜けたように、膝を着く彼であったが、気付いているのかいないのか、陽子はダメな所をつらつらと宣う。


「あんたは確かに、顔はいいわよ? でもね、その顔の良さって、精悍な顔とか、気難しい顔している時だけなのよねぇ。今のあんたとか、鼻の下伸ばしている時って、ひっどいわ」


 サイハテの胸中に、今のあんた、鼻の下を伸ばしていると言った言葉が、砲弾の破片よりも、鋭いナイフよりも深く深く突き刺さる。


「むしろ髭面のサイハテって、体格も相俟って、嫁さんも貰えない山男みたいな? そんな冴えないダサさがあるわねえ」


 追撃の事実で、彼のダメージは更に加速した。

 まるでボディブローを食らったかのように、着いていた膝と共に体が浮き上がってしまう。

 壁にたたきつけられたサイハテは、止めてくれとでも言うように、小さく左右に首を振ったが、残念ながらそっぽを向いている彼女には気が付かれなかった。


「まぁ、新しい事にチャレンジするってのは悪くないけど、私はいつものかっこいいサイハテが好きね」


 陽子が振り返ると同時に放ったトドメの一撃は、割と傷つきやすい彼の心を砕くのに、十分の威力を誇っていた。

 彼女が最後に見たのは、すっかり肩を落として、よろけながら退室していく、サイハテの背中だけである。


「……ちょっと、サイハテ?」


 声をかけても、聴こえていないのか、彼はそのままよろけながらどこかへと消えてしまった。

 残された陽子は、頬に手を当てると、ある事実に気が付く。


「もしかして、あの髭、気に入っていたのかしら」


 正解を導いた時には既に遅く、サイハテはどこかへと去ってしまっていた。






 茫然自失しながら、要塞内の廊下を練り歩いている彼の姿を、研究室の窓越しに発見した少女が居る。

 館山要塞の研究主任、ゆるふわ金髪ダークネス幼女のレアであった。

 彼女は明らかに様子のおかしいサイハテを目撃し、研究が大詰めで忙しいのではあるが、放って置く訳にもいかないので、近くの警備兵に行って、研究部署備え付けのリフレッシュルームへと連れて来させる。


「似合って……ダセェ……四十代山男……冴えない……今の俺は、好きじゃない……」


 連れてきたはいいものの、明らかにまともな精神状態ではない。

 相当な精神的ショックを受けたのだろう、目は虚ろで、うわ言をブツブツと繰り返しては、更に落ち込むを繰り返している。

 仕方がないので、少しばかりカウンセリングをする事にした。


「さいじょー、どーしたの?」


 棒読みとも少し違う、抑揚がない声が耳に入ったのか、サイハテは死んだ目をレアに向けると、初めて気が付いたような反応をする。


「……ああ、レア。おはよう」

「おはよーって、もーそろそろ、おひるだよ?」


 どうにも、彼は朝方からあんな様子だったらしい。

 だが、彼女を返答を聞いているのかいないのか、彼は自分を指差すと、震える声で、尋ねてくる。


「俺の、髭。どう、思う?」


 指差す先には、もっさりと生えた黒い髭があった。

 もみあげに繋がった、口の周りを覆う程の見事な髭である。

 ここでようやく、レアはサイハテの求めている事を理解し、彼に何があって、そうなったかを予測した。


「あー、うん、だいたい、さっした」


 ちょっと似合うんじゃないかと、うきうきしながら陽子辺りに見せに行ったら、ざっくりと突かれたくない所を突かれて、要するに図星を言い当てられ、拗ねようと思った所に予想外の追撃が来て、それが致命傷で、こうなったのだろう。

 と、付き合いの長さから予想した。


「……やはり、似合っていないか? ダサいのか? 俺は冴えないモテない嫁さん居ないの、四十代の山男なのか?」

「やまおとこに、なんのうらみが?」

「俺は石の礫とか、岩喰うとか、そんな携帯怪物を出してくるキャラじゃないんだ……」


 話の要領は得られないが、言いたい事はなんとなく理解できるレアは、なんとなくではあるが、彼が求めている事を理解する。


「えーっと、うーんと……」


 要するに、まぁまぁ似合っているとか、悪くないとかの褒め言葉が欲しいのだろう。


「ぼ、ぼくはすき、かなー?」


 そして爆誕する女子小学生に気を使われる成人男性の図。

 奇妙や珍妙と言うよりも、最早痛々しい絵面である。


「……本当か?」


 そんな絵面であると言うのに、少しだけ目に光が戻ってくるサイハテもサイハテであった。

 レアとしては、元憧れの英雄がこんな姿をしているのは忍びなく、ここで一気に畳み込んで、元気になって貰おうと画策する。


「うん! えーっと、なんか、えーっと……かんろく? とかでてきてる、よね! さんじゅーだいにみえる!」


 必死に言葉を手繰り寄せている彼女には見えていないが、サイハテは再びダメージを受けていた。それは、出来立ての瘡蓋を剥がされ、傷を引っ掻かれるような痛みだった。


「それと、うんと、えっと……なんか、ないすみどる? ってかんじ!」


 ないすみどる、その言葉が、彼の傷口に塩を振りかける。

 それはもう、スタイリッシュに塩を振りかけてくる。


「おひげのさいじょーみてると、えっと……うーん……お、おひざにのっけて、えほんよんでもらうよーな、そんなあんしんかん? あるとおもーよ!」


 追撃のお爺ちゃん宣言で、コショウが追加され、彼の心はフライパンでソテーになった。


「……もうお部屋帰って、うんこして寝る。ジョージジョージ」


 サイハテはそう言い残すと、壁に張り付き、カサカサと這いながら排気ダクトの中へと消えていく。

 まるで、夏場出てくるゴキブリのような動きに、褒めていたはずのレアはあんぐりと口を開けて、見送る事しか出来なかった。

 彼が完全に見えなくなった後、正気に戻った彼女は、首を左右に振ると。


「さっちゅーざい、つくらなきゃ」


 割と酷い事を口走っていた。




 心ゆくまで、排気ダクトの中や、厨房を這いずり回ったサイハテは、少しだけ心の平穏を取り戻しながら、部屋への天井を這っていた。

 その道中、突如として下、要するに廊下から声がかかる。


「父さん? 何をしているの?」


 彼が廊下に目をやると、怪訝な表情でこちらを見上げる愛娘、風音が居た。


「もう疲れたからな、部屋に帰る。寝る。寝て忘れる」


 憮然とした表情のまま、そう言い放つサイハテの顔を見つめると、彼女は深々とため息を吐いて、壁を蹴り飛ばす。

 デザインドソルジャーの血を引いているだけあって、その脚力は頑丈なコンクリートを伝って、彼がしがみついている天井にまで、振動が及ばせる。


「ぐえっ」


 故に、サイハテは落ちた。


「全く……みんな気味悪がっているから、そう言った奇行も程々にして欲しいよ」


 床にひっくり返ったままの彼を見下ろし、風音は呆れたように宣う。

 流石に、娘にまで迷惑をかけたのは、申し訳なかったのだろう。サイハテは、体を起こすと、幾分か平静を取り戻せたのか、後頭部を掻きながら謝った。


「ああ、すまない。ちょっと、ショックな事があってな。もう大丈夫だ」


 部屋に帰る帰らないはともかく、ゴキブリスタイルのまま帰る事も無かろうと、歩き出そうとした瞬間、手を掴まれてしまう。


「ちょっと待て」


 剣を振っていると言うのに、掴んだ彼女の手は、女性らしい細さと嫋やかさを持っている。


「ん? どうした」


 振り向いた瞬間、風音の責めるような目を目撃してしまう。


「父さん。その髭は不潔だよ。わたし達は戦う人なのだから、普段から清潔に気を使わないと、皮膚病に……って、父さん!?」


 不潔だよ。

 その単語を聞いた瞬間、サイハテの心は大きな音を立てて、はじけ飛び、心の破片が派手に散らばって、一部が脳にまで達した瞬間、彼は走り出していた。

 行動に意味なんかない、ただただ、今までに感じた事がない、言葉にできない感情が全身を駆け巡り、彼の足を動かしている。


「父さん!? どこへ行く!? 父さん!?」


 追いすがる風音を振り切って。


「あれ? ジーク、どうした、走って……うごぁ!?」


 道行くニックを吹き飛ばして、サイハテはどこまでも走っていく。

 感情が突き動かすままに、彼は走って走って、そして、家出をした。

サイハテのメンタルが弱いって?

なら、想像してみましょう。

好きだと言った美少女中学生に「だっせぇ」と言われ、憧れられている美少女小学生に「老けてる」と言われ、目に入れても痛くない美少女愛娘に「汚い」と言われた男の心境を。

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