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終末世界を変態が行く  作者: 亜細万
七章:風音と疾風
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クリスマス特別編:血濡れのキャロル1

「……パイプオルガンが欲しい?」


 館山要塞の城下町。

 そこにある甘味処で、サイハテは怪訝そうな声色で聞き返した。彼の目の前には、最近町に越してきた牧師が、どこか座り心地悪そうに座っている。

 それもそのはずで、彼は、挨拶を交わした程度のサイハテに向かって、パイプオルガンが欲しい等と宣ったのだった。


「はい、我が協会でもそろそろクリスマスですので、アドベントの後にミサをと……」


 アドベント、要するに断食の事だ。

 カトリック的には大事な行事なのだろうが、神を信じない彼にとっては、一般民衆の行うよくわからない行事程度の認識でしかなく、牧師の言う事にも渋い顔をする。

 基本的に兵隊思考であるサイハテには、食べれる時に食べないのは理解し難い事で、誰かの誕生日を祝う為に歌うのは、もっと理解し難い行為だった。


「それでパイプオルガンねぇ……」


 渋る理由は他にもある。

 新造できない物、する必要のない物は遺跡漁り(スカベンジ)でしか手に入らない。特に、大型の楽器類等はそのデカさ故に、分解して運ばねばならず、手間暇の割には得られる拾得物が少ないと、廃品回収業者(スカベンジャー)には不評だったのだ。


「はい、南雲様に相談してみた所、貴方なら……と」


 ニコニコと笑いながら、黒い肌の牧師は言った。

 人の善意を十割信じた、断られるとは思っていなさそうな笑顔で言われると、サイハテとしては頭を抱える他ない。

 流石に人前で頭を抱える訳にはいかないので、小さく項垂れるだけにしておく。


「勘弁してくれ……」


 思わずポツリと呟いた言葉は、聴こえていなかったようで、牧師は首を傾げているだけだ。だが、サイハテに今それを気にしている余裕はなかった。

 何故なら、一市民の要望を叶えると言う悪しき前例が今まさに産まれようとしているからだ。

 行政とは、人の集団を効率よく統治するだけのシステムであり、それは決して一般市民に都合のいいものであってはならない。


 もし、今回の件が後世に伝わった場合、法治国家である館山要塞は他の市民の願いも叶えてやらねばならなくなる。

 国家の前例と言うのはそう言う物であり、安易に作ってはならない物なのだ。

 さもなくば、国家と呼ばれる形のない生物は、自身のリソースたる資金を使い果たして、弱体化する事だろう。


 その先に待っているのは、他国家による侵略か、それとも形のない生物の腹で暮らす国民が飢えて死ぬかだ。

 それだけは、決して避けなくてはならない。


「……よし、牧師さん。こうしよう」


 故に、サイハテは柄でもない政治屋の真似事をしなければならなくなった。


「俺とあんたは、今日の夜であった事にする。たまたま飯屋で酒を飲んでいた俺と、飯を食ってたあんたが出会って、あんたの信仰に胸打たれた俺が、パイプオルガンを寄付する事にした。と言う設定で行こう」


 国家たる館山要塞政府が命じて解決したのではなく、時たま一個人として政府に所属する男が、善意で行動した結果にする。

 牧師は純朴な男なのだろう、自分がやった事がどれだけ危険な事かも理解せずに、頭の上に疑問符を浮かべていた。


「は、はぁ……私はそれで構いませんが……」


 今回産まれそうになった前例は、何も個人の願いを国家が叶えなくてはならない事だけではない。

 ヒステリックなモラル、宗教が政治に関わる前例をも産み出す所だったのだ。

 特に、一神教系列の政治介入は碌なことになった試しは無く、向かう先は腐敗と堕落の坩堝である。陽子が作った館山要塞を、ソドムとゴモラにする訳にはいかなかった。


「よし、話は決まりだな。実際に飯屋で会う必要はない、あんたはそのまま帰ってくれていい」


 席を立ち、応接室から去ろうとした所で、サイハテは言い忘れていた事を思い出し、踏み止まる。


「ああ、それと」


 顔を横に向けて、もう一度黒い牧師の顔を見つめた彼は、瞳から感情を消すと、ある事実を告げた。


「首相に直談判した事は、誰にも話すな。喋ったら……そうだな、あんたが選んだ迷える子羊を十人ばかり、神に捧げるとしよう」


 サイハテの宣言に、彼の黒い顔が更にどす黒くなるのが見えるが、言った本人は気にせず応接室から出ていってしまい、後には牧師だけが残される。

 彼は震える手で十字を切ると、口を閉じて要塞内から立ち去っていった。






 そして、サイハテはその足で陽子の執務室に向かう。


「少し、いいか?」


 扉をノックして、彼女の返事があった瞬間、部屋に乗り込んだ彼は、開口一番にそう尋ねた。


「うん? いいわよ。待ってて、今コーヒーを淹れるから」

「いや、結構だ」


 嬉しそうに微笑んだ陽子は、執務机から立ち上がろうとし、サイハテは手を挙げて、それを押し留める。

 怪訝そうな表情になった彼女は、大人しく椅子に座り直すと、じっと男の顔を見つめると、一言呟いた。


「いいならいいけど、何の用?」


 机の上には、各部から挙がって来た決算報告書やら、認可印待ちの書類が山のように並んでいる。

 その隣には、目を通して、サインなり印鑑なりを押した書類や、後日に使う議会答弁書の草案の山が、同じくらいの高さに積み上がっていた。

 物凄く忙しそうだと言うのは理解できたが、言わなくてはならない事がある。


「苦言を言いに来た」


 彼の口から離れた言葉に、陽子は目に見えてがっかりしたような様子だった。

 だが、言わなくてはならないのだから、サイハテも心を鬼にして、口を開く。


「まずは、忙しい中でも市民との交流を欠かさない事に、称賛の言葉を贈ろう。君はよくやっているよ」


 褒めてみると、彼女はきょとんとした表情でサイハテを見つめる。

 叱りに来たのではないのか、と陽子の特徴である猫のような目が語っていた。


「……君が良かれと思って、牧師の願いを聞いたのは俺も理解できる。だけどな」


 と、先程の事を報告し、その願いを叶える事でどんな未来が待っているのかを、はっきりと伝える。


「国家が一個人の願いを叶える、そんな前例が産まれてはならない。君が良かれと思ってやった事で、これれから先も、国家は個人の願いを叶え続けなくてはならなくなる」


 だがサイハテは多くを語らない。

 南雲陽子は賢い少女であるから、全てを語らずとも、その先に起きる事を理解してくれるからだ。


「君が善き人である事は、よく理解している。困っている人を見捨てない、優しい子である事もだ。だから、助けるなとは言わない。何か行動を起こす前に、一言だけでいい。俺かアルファの連中に相談してくれないか?」


 そして彼も、陽子の強みを理解していた。

 正しい事を憚る事無く正しいと叫ぶ、正しいと思う事を正しいと受け入れられる。

 それが南雲陽子と呼ばれる少女の強さであり、正義であり、行動規範であるから、それを取り上げたり、邪魔するような真似はしない。


「……そうね、迂闊だったわ」


 しっかりと正しい事であると理解させれば、彼女はすぐさまそれを受け入れた。


「迷惑かけたわね。ごめんね。後、ありがとう」


 陽子は苦言を言いに来た彼が、フォローしてくれた事まで見抜いて、素直に頭を下げ、礼まで口にする。


「いや、気にするな。知らない事は知らないのだから仕方ない」


 そして、サイハテも怒りに身を任せて怒鳴り散らすような、みっともない人間性を持っている訳ではなく、話はすんなりと終わってしまう。

 だが、素直な子にはご褒美をあげたくなるのが、真っ当な大人と言う物だ。


「よし、折角来たんだ。俺も仕事を手伝うよ」


 積んである書類の七割を奪い取ったサイハテは、そのまま陽子の執務を手伝うのだった。

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