十二話:思い出の廃墟
昨日の大雨は、次の日である今日の昼になると大分小降りになっていた。
とは言っても昨日と比べて、だ。
前が見えない位の大雨から、普通の雨に変わった位の雨がずーっと降り続いているのである。空はどこまでいけどもどんよりとした雨天であり、今日中に雨が止む事はあり得ないだろう。事実、上空の気流の流れも遅いようだった。
そんな雨の中、増水して濁った川の中からにゅっと足が伸びる。
シンクロナイズドスイミング、かつて地球で行われていたもっとも美しい水中競技のような動きで、変態が地上に姿を現したのだ。
ワンダラータウン自警団の装備……アラミド繊維の野戦服と、マガジンポーチが大量に付いた防弾ベストを身に纏い、手には減音器をつけたMP5サブマシンガンを持っている。変態は、胸元に括り付けた通信機のスイッチを入れて周波数を合わせると、咽頭マイクを押さえつけて、口を開く。
「こちらジーク、敵地に潜入した」
イヤホンとタコホーンを組み合わせた通信機、無論、廃材からレアが作り上げた防水の通信機だ。
「何してるのよ……」
同じく、川の中から上がってきた陽子が呆れたような視線をこちらに向けている。
流石に、陽子が荒れた川を泳ぐのは無理だったので、全裸にしてから紐で引っ張ってきたのである。
「お約束だろう! 全く、これだから全裸系中学生は!」
プンプンと擬音が出そうな感じで怒るサイハテに、少女は怒りの眼差しを向けている。
「好きで脱いでる訳じゃないわよ……!!」
サイハテの背嚢の中から、ビニール袋に包まれた衣服類と自分の装備を取り出して、陽子は着替え始めている。
溜まっているのか、なんなのか、色気に乏しい陽子の裸から思わず目を反らしてしまうサイハテ。
流石に、そろそろ女の一人や二人でも買わないと一杯一杯になりそうな感じだ。
『ふたりとも、ごくろーさま。そこからみえる、なんとうのたてものにむかってほしい』
通信機のイヤホンからは、レアの何時も通りな声が響いてきている。森の真ん中で、南東の建物なんぞ見えないのである。まぁ、とりあえず南東に進めばいいだろうとサイハテはサブマシンガンを構えながら前へと進むのだ。
「あ、ま、待ってよ!」
置き去りになりそうな陽子が、悲鳴じみた抗議を上げてから追いかけてくる。これから向かう先は、サイハテにとっても懐かしい場所だ。
「ねぇ、サイハテ。あんたが産まれた場所って、いったいどこなの?」
隣に並んだ少女が至極当然な質問をする。
「この先にあるのは産まれた場所じゃなくて、俺の育った場所だ」
レアが産まれた場所と言ったのは、サイハテには見当も付かない。
今、サイハテと陽子が向かっているのは孤児院だ。山奥の廃村を利用して作られた孤児院……その正体は身寄りもなく、家族もない子供達を集めて、スパイを育てる場所であったのだが……まだあそこに何かあると言うのだろうか。
「サイハテが調べてないとは考えられない場所ね」
陽子の言葉に頷いて返事をする。
書類も、機密データも全て漁った覚えがある。もうあそこにはサイハテが知るべき場所は残っていないはずなのだ。なのに、レアはここをピタリと指名した、まだ何かあると言うのなら……日本政府の業は深い物となるだろう。
ジャングルのような森を、サイハテと陽子は歩いて行く。
ジャングルを歩きなれているサイハテと違って、陽子は四苦八苦しながらの移動だ、常識では考えられない湿度と温度によって、彼女の体力は大いに奪われている。
水の中をサイハテが引っ張ってきたのだから、これでも大分マシな方なのだ。
「陽子、もう少しだけ頑張ってくれ。後10分もしない内に目的の場所には着くんだ」
「ええ、大丈夫よ……」
陽子に、塩を少量混ぜた水を渡してやりながら、二人はとにかく歩く。
大体一時間の行軍になるだろうか、それほど歩いた後でようやっと目的の廃村……サイハテが育った孤児院が見えてきた。
コンクリートで出来た一軒家の並んだ村……ただの市街地演習場だったそれが見えてくる。
その中央に存在するのが、孤児院だ。子供を育てるには無骨なコンクリートの建物……形的には学校が一番近いだろうか?
兵器を保管する棟が一棟、食糧庫が一つ、サイハテたちが暮らしていた宿舎は崩れて跡形もなくなっているが、座学を学んだ本棟はしっかりと残っていた。
「目標地点に付いた、支持を乞う」
無線機のスイッチを入れて、レアへと連絡を入れる。
『いんちょーしつに、いってほしい』
レアの言う院長室は本棟の地下にあるはずだ。
あの市街地演習場を抜けて、まずは孤児院の敷地内へと辿り着かないといけない。ちらりと隣の陽子を見ると猟銃に括り付けた四倍スコープを覗いている。
「……不味いわ。グールと、わけのわかんない生き物が闊歩してる。この距離じゃ致命傷を与えられないと思う」
陽子に言われた通りに、市街地を見てみると、豆粒のように見えるグールと、それよりも大きい……まるで熊のような奴が闊歩して歩き回っている。
距離にして700メートル、グールは、陽子なら一発で仕留めてくれるだろうが、あの熊みたいな奴は厳しいだろう。弾薬のパワーが足りない。
「接近しよう、400ならやれるだろう?」
無理矢理括り付けたサプレッサーで、陽子の猟銃は弾道が不安定になっているはずだが……それでも彼女ならなんとか出来るだろう。
「ええ、任せて」
スコープから目を離した陽子が、にっこりと笑って返事をする。
「君はあそこの丘から狙撃してくれ、俺が本棟までたどり着いたら、屋上から狙撃を開始する。その隙を縫って本棟まで来てほしい」
「わかったわ。あんたが本棟に行くまで援護すればいいのね」
「そう言う事だ」
そんな会話を交わし。
サイハテは市街地の入り口付近まで姿を隠しながら前進する。態々迂回して風下から接近した甲斐があったというものだ。敵はこちらの姿に気が付いちゃいない。
市街地の入り口付近にある茂み、そこに身を伏せながら、サイハテは陽子からの通信を待つ。
『ポジションについたわよ、いつでも狙撃できるわ』
「解っているとは思うが、俺の進路上の敵だけを始末してくれよ」
『わかったわ』
陽子の返答を聞き、サイハテはサブマシンガンを構えながら前進を開始する。
遮蔽物である建築物を盾にしつつ、角から先を窺うとグールが三体ばかり、好き勝手な方向を向きながら佇んでいるのが見える。
他に敵影は見られない。
喉のタコホーンに手を当てて、静かに言葉を紡ぐ。
「左の奴を一匹頼む」
『わかったわ』
後の二匹はこちらで処理をしよう。
左のグールが、頭蓋から脳漿やら膿やら血やらを飛び散らせて、倒れ臥す。グールはその物音に反応したのか、倒れたグールの方向を向いている。
しかし、奴らは仲間の死体を見る事なく、コンマ一秒程のラグで二匹揃って絶命する。サイハテのサプレッサー付MP5が火を噴いたのだ。人間相手ではないので、落ちた薬莢を回収する事はない。
(奴らは、物音に反応しているみたいだな。仲間が撃たれた小さな破裂音で気が付きやがった)
倒れる音ではなく、人体に穴が開いた小さく間抜けな音に反応したのだ。
グールの目は赤く光っているが……死体の眼孔には僅かな光さえも残っていない、もしかしたら奴らは目から光線を発射して、その反射で獲物の位置を探っているのではないだろうか。
(そんな事は後でレアに聞けばいい……今は俺の秘密とやらだ)
サイハテはある意味予想が着いていた。
単独潜入が得意なサイハテに陽子と言う狙撃主のバックアップをつけて、更には秘密を持ったレアなんて頭脳労働担当まで着いている。
(俺に俺の秘密を探らせて……一体全体、俺に何をさせたいんだ。日本政府は)
そして十中八九、陽子も何かしらの使命とやらを帯びているのだろう。多分、知らず内にそうなるように仕向けられている。
(気に入らないな、本当に……)
銃を構えると、サイハテは市街地の中を素早く、されど物音一つ、影一つ残さずに進んでいく。風より早く、林より静かにだ。




