三話:強行突破
可能性と強がった彼の呼気は弱々しく、声色に覇気がない。
悠長に迂回なんてしてしまえば、己の父は死んでしまう。しかし、道なりに進んで感染変異体の群れを強行突破できるとも思えなかった。
風音は数秒だけ思案すると、強い眼差しでサイハテを見つめ、決断する。
「森の中を進もう」
その言葉に、彼は表情で難色を示した。
かつては整備されていたであろう人工林だが、人の手を離れてから二百五十年も経過している。太陽を遮る程に成長した樹木によって、昼だと言うのに森の中は薄暗い。
豊かな植生があると言う事は、それを餌にする草食の感染変異体や原生動物がいる事だろう。そして、それらを狙う肉食の感染変異体も、間違いなく沢山いる。
サイハテは少女の目をじっと見つめると、何かを感じ取ったのだろう。
俯くように頷くと。
「ん、わかった」
あっさり命を預けてしまう。
何かを問う事も、尋ねる事すらなく、残り少ない命の灯をわかったの一言で賭けると決めたらしい。片手でサバトライフルを構えると、風音をちらりと見て、森を顎でしゃくる。
「先行、してくれ。援護、する」
そうは言うが、彼に戦闘出来る余力はない。
しかし、問答している訳にもいかないので、少女は小さく頷くと、サイハテの前に立つ。
「わかった。でも、無理はしないで欲しい」
父から預かった高周波ブレードを抜き放ち、スイッチ入れた。
金属原子を振動させる独特の機械音が響くと、原子運動によって生まれた熱が、その刀身を真っ赤に光らせる。
切れ味によって斬る武器ではなく、熱量によって溶断する武器な為、叩き付けるのが正しい使い方であった。
サイハテの歩調に合わせて、森の中へと入る。
目標地点まで僅か二百メートルの距離ではあるが、森全体から漂う気配を手繰れば、ここが人類を拒絶する荒野だと言うのが嫌でも理解できてしまう。
刀を構えた風音は見通しの悪い森林地帯を、ゆっくりと歩み始める。
一歩一歩進むたびに、周囲の気配は濃くなり、そして二人を見つめる視線は乗算の如く増えていく。
いつまで経っても、襲いかかってくる事は無い、しかし、怯えている訳でもなさそうだった。襲い掛かって来ないのは偏に、仲間の数が集まるのを待っているだけだろう。
その事実に行き当たった風音の頬に、一筋の汗が流れた。
「……ハヤテ、走れる?」
父の名を呼び、周囲に気を巡らす。
「少し、だけなら」
先程よりも顔色が悪くなった彼は、息も絶え絶えながら走れると言い切った。
強がりではなく、サイハテにとっての少し、この森を抜ける程度の距離ならば、走れるのだろう。何度も小さく頷いた少女は、強く前方の虚空を睨むと言い放つ。
「なら、わたしが道を拓く。そしたら……」
「走り、抜ければ、いいのだな。分かった」
意思の確認が終わった直後、今まで二人を取り巻いていた視線が消えてなくなる。
気配がなくなった訳ではなく、寧ろ、その気配は背筋に氷でも這わせたような、嫌で冷たい物、殺気へと変貌していた。
その瞬間、木々の上から、藪の中からと同時に、巨大な毛虫の大群が飛び跳ねながら姿を現す。
針金のような毛をふさふさと生やした毛虫は、ぎょろぎょろと動く血走った沢山の目玉と、際限なく涎を垂れ流す乱杭歯を持つ、奇妙な出で立ちをした怪物である。
毛虫の体に、そんなものを無理矢理括りつけたような、少しアンバランスな出で立ちに、サイハテは、少しだけ安堵の息を吐く。
「シャァァァァァァァァァッ!!」
気勢を吐き、飛びかかってきた毛虫群に斬り込んだ風音の背に、サイハテは力を振り絞りながら声を掛ける。
「走り! 抜けるぞ!」
声をかける間に、十匹の毛虫を切り捨てた少女は、刀身に付着して黒煙を上げる体液を振り払いながら、父の背を追いかけた。
この毛虫のような感染変異体は知能はそうでもないらしく、囲んで攻撃をしてきた割には、逃走ルートに待ち伏せを置いていなかったらしく、追いかけてくる毛虫を切り払うだけで、事が済んだ。
「……数が多い! 足も速い!!」
だが、風音の吐いた悪態の通り、問題はその数であった。
大型犬と見まがう程に巨大な毛虫ではあるが、この小さな森の中にどれだけの数が潜んでいたのか、二人の背後は毛虫の絨毯が時折飛び跳ねながら迫ってくる有様だ。
視界の片隅で、迷い込んでしまった一匹のグールが、毛虫の津波に飲み込まれて消えていくのが見える。
「もっと早く走れないか!?」
サイハテの隣に並びながら、激を飛ばすが、彼の速度が変わる事はない。
それに、こんな調子では、森から抜けても病院の中へまで追いかけてくる事は、簡単に予想できた。そうなってしまえば、病院の中に潜んでいるであろう感染変異体と、挟み撃ちになるのは、想像に難くない。
飛びかかってくる毛虫を切り払いながら、だんだんと開けてくる森の中を、二人は必死に駆け抜けるのだった。
森には毛虫がつきものですよね




