四十六話:彼の弱さ
「答えられないか? いいや、お前は口にしたくないだけだ」
傷口を抑えたまま、口を閉ざしたサイハテに背を向けると、懐から取り出した紙巻煙草を咥えて、子供にでも言い聞かせるかのように、彼は語る。
「じゃあ、僕が答えてあげよう。グラジオラス……いいや、西条風音は父親と同じ最後を遂げる。父親と同じように僕を憎み、僕に挑み、そして、敗れて、孤独なまま死ぬ。お前の様に、永遠の後悔を抱いて、無残に死ぬ」
安っぽいガスライターに火を灯し、ゆっくりと煙草の先を浸したノワールは、味わうかのように紫煙を吐き出して、項垂れたままの彼の傍に屈みこむ。
そして、煙草を咥えたままの唇をサイハテの耳元に寄せて、囁く。
「そうだ。お前は理解している。西条風音では、僕には勝てない。それどころか、僕に辿り着く事すら不可能だろう」
面構えが悪党ならば、声色すらも悪党。
それも、下種のような声色ではなく、艶があり、女を引き付けて止まない色っぽい男の声色だ。
「なぁ、ジーク。僕の兄弟よ。僕を殺した人間よ。かつて、僕の正義を打ち砕いた正義亡き男よ。どうかこの哀れな亡者に教えてくれないか」
すっと耳元から唇を離し、立ち上がった彼は両手を広げて、演劇のように、謳った。
「正義を持たないお前が! どうやって僕の正義を打ち砕けると言うのか!」
短くなった紙巻を吐き捨て、項垂れたままのサイハテを見下ろし、ノワールは叫ぶ。
「五百年前にお前は言ったよなぁ!? 僕の正義は間違っていると!! なぁ、答えろジーク!! 僕の正義はそんなにおかしいか? 僕達アルファナンバーズのような、人間ではない人間が……幸せになるべき人間が、幸せに暮らせる世界と言うのは、間違いなのか!?」
彼の正義は奇しくも、南雲陽子が抱いた正義と同じものだった。
愛する兄弟姉妹が、普通の人間のように、至って普通に暮らせる小さな幸せ。そんなものが存在する優しい世界を目指した、純粋な正義。だが、それは、最も敬愛した弟に打ち砕かれる。
そして、その打ち砕いた弟は今、彼の前で死にかけていた。
「さぁ、立てよジーク。そしてもう一度言ってみるがいい。あの時吐いた、あの言葉を!」
ノワールの内心、その強い感情を受けたサイハテは、顔を上げると、傷を抑えたまま緩やかに立ち上がり、辛そうに口を開く。
その表情は、傷によるものか、それとも、これからの兄弟を思ってか、五百年前と同じような表情で、言い放つ。
「貴様の正義は、間違っている」
陽子の正義に是といい、ノワールの正義には否と答える。
それは、酷い矛盾をはらんでいるようで、矛盾していない事なのだ。
返事を聞いたノワールは、酷く失望したような表情を作り、苦しそうにもう一度、問いかける。その答えで間違っていないのか、と。
「何が間違っていると言うんだ、ジーク。僕達には、生きていける場所を得る事すら許さないと、お前も言うのか?」
サイハテの傷口からは、もう激しい出血はない。
強く傷口を掴み、彼特有の異常な再生能力で無理矢理塞いだからだ。それでも、衝撃を受ければ傷は開く。すぐさま止血しなければ、命に関わる容態なのは変わらない。
小さく息を吐いたサイハテは、ガラス玉のような目でノワールを見据えると、緩やかに、それでも強い拒絶の意思を乗せて、言い放つ。
「居場所と言う物は、勝ち取る物じゃない。探すか、作る物だ。だから、お前は間違っている」
その言葉を聞くと、彼はがっくりと項垂れ、小さな声で呟く。
「……そうかよ」
そして、表を上げると、そこには先程のノワールはいなかった。
張り付けたような笑み、口角が引き攣ったように上げられ、無理矢理細められた目は避けた傷のように見える、冷たい笑みを浮かべ、彼は冷たく言い放つ。
「残念だ、ジーク。お前は理解してくれる、と思っていたんだがな」
そう言い放ち、ソバットの構えをつくるノワール。
「解り合えないのなら、仕方ない。娘共々、ここで死ね」
張り付けた笑みが剥がれ落ち、その下から現れたのは、感情も無く、先程のような遊びも、慈悲も消え失せた戦士の表情だ。
ここで確実に二人を仕留めておくつもりなのだろう。
こうなれば、風音が参戦しない理由はない。腰に結わえた剣を引き抜き、サイハテの隣に立とうとした所、彼に手で制止される。
「なんで!? 意地張っている場合じゃない!! わたしも戦う!」
制止の手で拳を作り、腰に持っていき、もう一方の手を前に突きだす、空手としてはオーソドックスな構えを見せた父は、静かな言葉で言った。
「それよりも、足を確保してきてくれ。車、バイク、人より早くて、二人乗り出来るのなら何でもいい」
「でも……!」
合理的な判断である。
サイハテが勝てても、ノワールが軍勢の集結を行っていない訳がなく、逃げる手段がなければ二人共殺させてしまうだろう。
だが、先程彼は敗れたのだ。もう一度戦って、勝てる可能性は低く、それならばと風音も食い下がる。
「一生のお願い、と言う奴だ。たった一度のお願い位、聞いてくれたってバチは当たらないだろう? 俺は君の親父なのだから」




