十話:酒場にて
今回から副題つけてみよう
まるで盆をひっくり返したような大雨、そんな雨の中をサイハテはマーセナリーネストへと出向いた。
体内時計では夜22時を回った所と言えるだろうか。
雨よけ代わりに纏ったローブからは止めどなく水滴が零れ落ちている、そんなサイハテの姿を見ても、誰も気に止める事はない。
一度だけ、ちらりと酒を飲んでいる傭兵達がこちらを見つめたが、ただそれだけ、一度でも見知った顔には、さしたる危機感などは抱かないのだろう。サイハテはカウンター席まで、足を止めずに真っ直ぐに進む。
「注文は?」
席に着く前に、酒場の親父が早くしろとでも言うように、口を開いた。
「麦酒を」
そんな事なれたものと、サイハテは気にする様子もなく。席に付きながら注文を口にする。
親父は鼻を鳴らすと、木製のジョッキに入れられた麦酒をすぐさま持ってくるのだ。
(泡立ちも色合いも悪い、かなり混ぜ物が多いな……)
パッと見、最悪の部類に入る麦酒である事が窺える。
こんなのをかつての日本で出したらすぐさま客足は遠のき、店には閑古鳥が鳴く事だろう。だが、この世界では有り得ない。
ちらりと酒場内を見渡してみると、美味そうに酒を飲んでいる輩は一人もいない。だが、みんなそれでも酒を呷っている……酔えればいいのだろう、アルコールの酩酊感は、安酒も高級なスコッチも変わらない。
(……この世界は、人間が生きるには辛すぎるのかもな)
現実から目を背ける為に、酒を飲み、酩酊に身を任せ、一時の極楽を味わう。
そうでもしなければ、この世界は辛すぎるのだろう……明らかに個人が対処できる範囲を超えた。圧倒的な個が、かつて同族が暮らしていた町を我が物顔で闊歩しているのだから、現実は受け入れがたい。
ぐびりと、不味そうな麦酒を呷ると、確かに不味い。
「おい、今日はいい薬が入っているぞ。お前さんはやらんのか?」
表情を変えずに、ちみちみと酒を呷っているサイハテに、酒場の親父が声をかけてくる。
薬と言うのは麻薬の事だろう、麻薬も使いようによっては役に立つ物も多いのだが……如何せん、デメリットがデカすぎると言うのが難点だった。
「いや、俺には目を背けたい事なんてないからな。薬は遠慮しておく」
「……そうか」
薬物の売買を断られた酒場の親父は、残念そうにつまみのメニューを渡してくる。
どれもこれも、10銭硬貨二枚で買える安物ばかりのつまみだ。中には、殺人スライムのぷよぷよ焼きなんて見た事もない食品が存在している。
日本人は昔からチャレンジャーである。その血が流れているサイハテも、このゲテモノ中のゲテモノメニュー群に挑戦したくなってきた。
「メートルピードの素揚げを頼む」
「お前さん、正気か?」
恐らく、ムカデなのだろうが、客に対してなんて口の利き方だろうか。それ以前に、正気を疑われるようなメニューをここに置かないでほしいものだ。
酒場の奥に引っ込んだ親父が数分後に、大皿に盛られた1メートル級のムカデフライを持ってきてくれた。足を折りたたみ、体を丸めて渦を巻いている事から、生きたまま揚げられたムカデだと言うことが良く分かる。
「この量を一人で食うとは……お前さん、本当に正気か?」
どうやら、チームで頼むメニューだったようで、正気を疑われたのはそっちだったらしい。
目の前に盛られた赤と青のだんだら模様のムカデ……どう見ても、列車百足の幼生です、本当にありがとうございました。
「なぁ、こいつって……」
「ああ、特A級生物、キロピードの幼生だ。地下鉄構内に住み着いている超巨大ムカデのな」
サイハテは、恐らく傾いた廃墟群で襲ってきた。あの非常識な百足の事だと当たりをつける。
「それが何故ここに?」
20mm機銃弾を弾き返す甲殻を持った化け物、その幼生が6円で食べられる罰ゲームのようなメニューになるとは考えられなかった。
「こいつらは幼生の内は大人しくてな、大人なら簡単に捕獲する事が出来る。狭い地下道などに住み付いとるから、捕まえたらここに持ってこい。1円で買い取ってやる」
「ああ、そうさせて貰うよ」
会話を楽しみつつ、目の前に盛られた巨大ムカデの姿焼きを見て、サイハテは食欲を減退させる。
百足は馬陸と違って、体表面に毒腺を持つ種類は少なく、サバイバル中の貴重なたんぱく質となりえる存在だ。頭さえ切り落としてしまえば、糞不味いが食べる事は可能だ。
あくまで、一応食べる事が出来ると言うだけで、基本的には食べ物ではないのである。繰り返す、食べる事が出来るだけだ、食べ物ではない。
確かに、昆虫食を食文化としている民族は多い。しかし、ムカデを食物として食べている民族などこの世に存在しな……。
(ああ、あった。中国だ……)
彼の国では、ムカデの素揚げは美食らしい。
と、言う訳で、サイハテもムカデの素揚げ(でかい)にチャレンジである。
(大丈夫だ、中華料理は美味かった。香辛料たっぷりで、舌の上で食材と油の舞踏会が繰り広げられる味だった。中華料理は美味かったんだ)
言い訳しつつ、まるまった百足に箸をつける。
「……おっも」
嫌になる重さだった。
揚げてある油も、非常に質の悪い物だろう、非常に臭い食品になっている。しかし、折角注文したのだから、食べきらないといけないだろう。
まずは、尻尾の所へと噛みついてみせた。
「………………………………」
舌の上へと、苦い汁が散らばる。
甲殻の食感はまるで劣化したプラスチックのようで、非常に粘りがあって脆いものだった。申し訳程度に振られた塩が、余計腹立たしい。
何はともあれ、サイハテはここにゲテモノを食べに来た訳ではないのだ。
表情を変えずにもぐもぐと百足を食べ続けていたサイハテは、尋ねたい事を口にする。
「なぁ、おやっさん。あんたサバトって連中を知っているか?」
苦い、とにかく苦い。
苦くて臭くて、食感は脆いのか固いのかわからなくて、時折ゴムのような柔らかい物を噛んでしまう。しかし、それはどうでもいい。
今はサバトだ。
「……サバトはな、5人の魔女に率いられた武装集団だ」
酒場の親父はサイハテの質問に目を一瞬だけ見開いた後、いつもの調子で情報を語ってくれる。
「日本全国に支部があり、食糧を生産する為の巨大農場を有している。その農場を維持する為に武力を使って、各地の人間を奴隷として攫っているらしいぞ」
追加の麦酒を注ぎながら、酒場の親父は吐き捨てるように物申す。
「討伐隊は出さないのか?」
温いビールを啜りつつ、ムカデをもぐもぐ。
ああ、どっちも不味い。
(陽子のごはん食べたい、口直しに陽子のごはん食べたい)
すっかり胃袋を掴まれていたサイハテは、心折れそうになりながらも、罰ゲームのがマシな食事を続けている。
「出せねぇよ。奴らは千葉にある支部だけでも4000人の歩兵と、50台の戦車、それに20機のヘリを持っていやがるんだからな」
「ふーん」
ムカデの足はまだマシな方だ。味が塩味だけで食べやすい、揚げ過ぎたフライドポテトのような食感だ。ポテトの風味ではなくてムカデの風味なのだが。
「それに、五人の魔女どもがヤバいんだ」
酒場の親父は、結構ノリノリで話してくれている。
「通称。美しき痛みペインローズ。夢幻の悪夢ナイトメアリリィ。見えぬ恐怖フィアーズガーベラ。蘇る傷リヴァイブメラルカ。憎悪する刃グラジオラス……この五人だ」
通称、と言うことは本名諸々は不詳なのだろう。
(即ち、奴らと戦った奴は生きちゃいないと言う証左でもあるのか)
ムカデが乗っていた皿の横に、代金である一円札七枚と十銭硬貨二枚を置いて、サイハテは立ち上がる。
「ごっそさん。有益な情報だった」
恐怖を知るものからの情報は当てにならない、人間とは脳内で相手を補正するものだからだ。情報を集めるならもっと別の人間に聞いた方が有益だろう。
五人の魔女より、4000人の歩兵や50台の戦車たちの方が余計に危険だと、サイハテは知っている。向こうから手を出してこなければ、どうする気も起きないのが現状だが……手を出してくるなら容赦はしない。
(逆に、サバトに取り入るって手もあるしな)
これからの人生は少しばかり面白くなりそうだと思いながらも、サイハテはあばら家までの帰路をのんびりとした足取りで急ぐのだった。
雨は、まだ止まない。
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