四十三話:父娘~おやこ~後編
「拒絶、拒絶……か」
風音は、父と呼ぶべき男の事を何も知らないと戦慄する。
彼女の知っているジークと呼ばれたかつての英雄は、どんな困難な任務であっても達成して、確実に生還する男と聞かされていた。
それ故に、無敵のヒーローであると、勝手に思っていたのだが、今の姿はどうだろう。
「……酷い怪我、だな」
彼の様子をマジマジと見て、一番最初に出た答えがそれであった。
潜入任務を想定して仕立てられたマッスルスーツは襤褸切れと化し、その襤褸切れの隙間からは、未だ治り切っていない傷が無数に確認できる。
常人ならば、命に関わる重傷だと言う事だけは、医学知識のない風音にも理解できた。
「大した怪我ではない。それより、君は俺に失望していないのか?」
だが、父と呼ぶべき男は、大した怪我ではないと言い切る。
今にも倒れそうな体を、肩で息をしながらなんとか堪えているような状況なのにだ。彼の口から出てきたのは、風音を気遣う言葉だった。
「失望も何も、わたしは、お前の事を何も知らない。だから、失望しようがないよ」
唇を尖らせながら、彼女は擁護の言葉を口にする。
親子である等と、出会わなければわからない事だった。
風音は父と名乗る彼を、ただ母を殺して孤独を与えた人間としか認識しておらず、千葉の街で会合し、その事実を突き付けられてからも、どこか納得できないでいる。
「……そうだ。そうだったな」
対する彼も、娘の事なんて何も知らないのだ。
何を好み、何を嫌うのか、コミュニケーションにおける初歩であるそんな事すら、二人は知らない。血の繋がりはあっても、父娘ではない。
歪過ぎる親子関係だった。
「ならば、改めて名乗ろう」
どこか納得したような素振りを見せた後、握り拳を胸に当てながら、彼は言う。
「俺は西条疾風。妻を殺し、お腹の中に居た君をも殺しかけた癖に、親父にしてくれと懇願しに来た、ただの馬鹿だ」
聞かなければよかった。
彼の独白に対して、風音はそんな感想を抱く。
聞けば聞く程、救いようの無さだけが際立って、その太い首を一太刀の下に切り捨てても、誰からも怒られないんじゃないかと思える位には、無様な言葉だ。
「……無様だな」
思わず、口に出してしまう程なのだから、しようがない。
「そうだ。俺は無様で、みっともない人間なんだ」
ならば、この孤独な世界から抜け出す為にも、彼を切って違う道を選ぶべきではないかと、思い始める。
父と呼ぶべき男が来た時の、あのワクワクはどこに行ったやら、今は失望感でいっぱいな風音は、腰に結わえた高周波ブレードに手を伸ばす。
そして刀を握ると、千葉での事を、ふと思い出した。
「待て……ならば、何故わたしを迎えに来た。等と妄言をほざく?」
彼の行動はどこか、繋がらない
迎えに来た、なんて言ってみた割には失望させて見せたり、千葉で切る権利がある、と言いながら親父だと名乗ったり、死にたいのか、それとも生きたいのか、風音にはさっぱり分からなかった。
「今の言動を聞けば、わたしに斬られたいとしか、聴こえない。だが、殺される為だけに、ここまで来るのか?」
その問いに、目の前の男は答えない。
ただ、柔らかそうに微笑んで、風音の事をじっと見つめるだけだ。
だから、少女は自分で答えに辿りつく
「いいや、来れる訳がない。死人に越えられる程、サバトは甘くない。強い意志が、そこにあったはずだ」
死にたいと思っている人間は、自分を大事にしなくなる。
男の姿はそれこそ、今にも死にそうな位にはズタボロであるが、出来る限りの処置を施して、延命しており、死を渇望する人間だとは、思えなかった。
何故なら、あの傷を放っておいても、一週間は生きれるからだ。すぐに死ぬのに、そんな事をする必要はなく、彼は無駄な事をするようには思えない。
「お前……! この期に及んで、わたしに選ばせるつもりか!?」
そして、彼女が聡明だからこそ、気づいてしまう。
父と名乗った男がやろうとしている事に、気づいてしまった。
「斬るか、共に行くか、わたしが選んだ選択に従う気なのか!? 碌に会った事もない小娘一人に、そんな襤褸切れになるまで戦って……? 我を通す為に来た訳ではないと!? 馬鹿か貴様は!!」
気づいてしまえば、単純な事だった。
彼、西条疾風は気付いていたのだろう。己の娘が、過去に囚われて、足踏みしている事に。その過去のおかげで、前に進めず、もがいている事をたった一度の会合で、察したのだ。
ならば、親として出来る事は何かと、彼は考えたのだろう。
その答えがこれであった。
命がけで会いに行き、親であるならば、子に対して行う、至極当然の事を行ったのだ。
迷った子供の筋道を指し示す。
それは、こんがらがってしまった道を、整理整頓だけして、さぁ好きな道を選んで、歩けばいいと子供の背中を押す行為だった。
たったそれだけの為に、彼は軍隊を打ち負かしてまで、やってきたのだ。
風音の足から、力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
父娘であるべきかどうかなんて、彼には関係なかったのだ。己が父であると知った上で、娘が迷っているのならば、親のやるべきことをやりに来た。
死にかけながら会いにきた娘に、罵られながら殺されようが、笑顔で手を取られようが、どちらを選ばれても、その娘は未来に向けて歩き出す事が出来る。
人生と言う長い道を歩かせる為だけに、彼は命を賭して、今、それが成った。
ここに辿り着いた時点で、西条疾風の目的は完遂されていたのだ。
「……言っただろう。ただの馬鹿だと」
腕を組んだ彼は、真意に気づいた風音から目を背けて、そんな事を嘯いた。
そして、真意を語り出す。
「下らない経験談にはなるが、復讐を果たしたからと言って、前に進める訳ではない」
涙でぼやける視界を彼に向けるが、表情は見えない。
当然だ、ぼやけているのだから。
「今更俺が君に斬られたところで、意味は産まれない。君の心は、十七年と言う歳月の中で、復讐に縛られ過ぎたからだ。あった事もない母の為に、復讐心を燃やすのは限度がある。初めから一人だった君に、孤独でない状態を想像するのにも、限度がある」
酷い言い草だ。
「君の復讐は、手段ではなく目的になっていたから、多分、あのままでは前に進めなかっただろう。あの子達が傍に居たら、それだけではないんだがな」
あの子達とは、人質にした二人組だろうか。
「だから、君の復讐を、どうでもいい物にしようと企んでいた。どうやら失敗したみたいだがな」
肩を竦めた事だけはわかった。
だから、それこそが我慢ならないと、風音は立ち上がり、バルコニーから飛び降りる。
「そうしたら、お前は! お前の死は!!」
詰め寄って、彼の胸倉を掴んで、怒鳴った。
まるで、別れ話がヒートアップした恋人のような光景だが、今そんな事はどうでもいい。
「父親面した間抜けが、娘を迎えに行ったが、情けなさの余りに見捨てられて、斬り捨てられる。だな」
それは、余りにも惨めな最後すぎる、我慢ならないと食って掛かる少女に、がっくんがっくんと揺さぶられながら、父となるべき男は口を開いた。
「他人にどう思われようが、どうでもいい。死人に名誉はいらないからな」
「……いるっ!! 絶対いる!!」
半分ムキになった風音に怒鳴られると、彼は困ったかのように笑って、最後の真意を口にする。
「名誉より、生きて欲しい人に何を残すか、だ」
面食らって、胸倉を離すと、男はよろめきながらも、少女の目をジッと見つめると、肩に手を置いて言い放つ。
「君の事だ。風音」
言葉と共に置かれた手は、装甲越しでも温もりを感じられたような気がした。
あれ、なんか主人公っぽくない?
あんた主人公でしたっけ?
と、作者が驚く事態に突入。




