八話
『どうして……どうして日本を裏切ったんだ!!』
しとしとと降る雨はまるで二人の心を現しているようで、ぽちゃりと落ちた雨粒はすぐさまに汚泥と交じり、元の清涼な姿を示す証拠は何もなく。突きつけた拳銃の照門から見える風景は、ひどく滲んでいた。
『俺は、俺は君を撃ちたくなんかなかったぞ……!』
トリガーを絞るはずの指先は、震えから氷のように固まり、真っ直ぐに突きつけられるべき銃口は、小刻みに震えている。
銃を突き付けられたリンファンは、華のように微笑むと西条へと回転式拳銃を突きつける。
『今更そんな事聞くの? 相変わらず疾風は憶病ね。体だけでっかくて、心はいつも子供のまま……国から命ぜられないと、一歩だって歩けない、情けのない男』
西条の大好きだった、優しい微笑み、まるで子を諭す母のようで、初恋を知った少女のような、美しい微笑みは、今、西条を傷つけるだけの笑顔と化していた。
『あたしを見つけた時に撃てばよかったのよ、まだあたしが裏切ってないとか、中国政府の意向に疑問を思っているとか、まさか、あんたへの愛からそっちに戻ってくると思ったの!? あははははははははははははは!! 傑作ね!!』
西条の瞳から、一筋の涙が流れ出る。
それは頬を伝い、顎に流れ、降りしきる雨粒の一つとなって汚泥の中へと落ちていく。
『黙れ……』
振り絞った。
『あたしが愛情で動くとでも? それも、ガキみたいな、夢見がちで、自分で何も出来ない。あんたへの愛情で、動くとでも思ってたの? フフッ、バカじゃないの』
雑音が酷い、目の前の憎たらしい女と、かつての愛らしい女との声が被る。
『黙れ……!』
過ぎ去りし思い出が、決心を鈍らせる。
『ほらほら、あんたの大好きな日本政府から命令が出ているんでしょ? 立花京子を殺せって、中国工作員のリンファンを殺せって! ほら、撃ちなさいよ。臆病者!』
あれだけ愛した女の記憶が、薄れていく。
『黙れっ!』
思い出の中の彼女と、今の彼女が交互に映し出される。
『あんたは誰かから命令されないと呼吸も出来ない臆病者なんだから、黙って命令に従っていればいいのよ。愛する女一人、まともに引き留められない癖に、一丁前に大人のフリなんかしてないで……あんたは命令通り、自分の意思も何もかもを無視して!! あたしを撃てばいいのよ!!』
彼女と彼女が、視界の中で重なる。
『黙ってくれ……!』
あれが彼女だと認めなくないのに、あれが彼女だと認めてしまっている臆病者が居る。
『さぁ、撃ちなさいよ!! 腰ぬけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』
彼女が、トリガーを引き絞り、シリンダーが回転を始める。
『黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』
西条は反射的に、訓練された通りに、命令通りに、体が動いてしまった。絞られるトリガー、自動拳銃から発せられる火薬の炸裂音と、回転式拳銃から発せられた撃鉄が虚空を叩く音が重なる。彼女が、過去の彼女と一緒に嬉しそうに微笑んだのが見えた。
『ばーか』
彼女の唇がそう動いて、9mm弾が彼女の額を穿ち、後方へと大きく弾き飛ばした。まるで子供に蹴飛ばされた空き缶のように、彼女の体は宙を舞って、容易く汚泥の中へと落ちる。赤い命の証で、汚泥を真っ赤に染めながら、彼女は沈黙する。
『あっ』
西条は膝をつく、両手に握った自動拳銃からは白煙が上がり、排出された薬莢が雨を焼く音だけが聞こえていた。
「ううっ……ぐすっ」
その様子を活字で見て、涙を流す陽子が居る。
上記の内容はぜーんぶ、小説の内容である。このシーンに至るまで、リンファンがどれだけサイハテを愛していたか、サイハテがリンファンにどれだけの信頼と愛情を注いでいたが綿密に描写されており、半ばちょっとした恋愛小説と化していたのはご愛嬌だ。
「非情よ、スパイの世界は非情なのよ……!」
何と言うか、陽子は感受性の高い子供である。
このシーンの直前、NIAと口論してまで、サイハテは命令を拒否しようとしていた。しかし、上の連中はサイハテに、日本人全員と彼女の命を天秤にかけさせた。
事実、NIAの作戦書を盗みだした彼女を処理しない限り、作戦は筒抜けであったと言えよう。
そしてリンファンの所属する共産党政府も、サイハテを始末させようとしていた。二人の年若いスパイは、お互いに苦悩し、悩み、答えの出ぬまま銃を向け合って、リンファンは自分を殺させることでサイハテに生きる道を残してあげたのだ。
少しでも愛する人に長く生きて欲しい、それがリンファンの選択であった。
「それ、えいがかして、だいひっとー」
レアが町の片隅にあるゴミ山から拾ってきたジャンクを弄りながら、そんな情報を教えてくれた。
「ええ、私も見てみたかったわぁ……」
レア曰く、サイハテがリンファンと共に駆け落ちするイフの恋愛小説までもが存在しているとの事だ、サイハテは、妄想が妄想を読んでかなり美化されているらしい。現存する数少ないサイハテの資料にある写真が、結構な男前だった事からの推察だろう。
小説内でのサイハテは一切変態行動を取る事がなく、今のサイハテより大分人間臭く、ドジで天然である。そこが人気の一端だろう。
「……サイハテ遅いわね」
本を折りたたむと、農園から分けて貰った害鳥の肉……フライングチキンの肉を手に取って、陽子はそう呟く。外は太陽が大分傾いて、夕陽となっている。
そろそろ夕飯の準備をしないと夕飯の時間が遅くなってしまうのだが……と陽子は眉尻を下げるのだ。
「ただもーん」
噂をすればなんとやら、立てつけの悪いドアを無理矢理に開きながら、サイハテが姿を現した。その姿は、今朝ここから出た時と変わっているのが見て取れる。
「おかえりなさい。なんだか、着ている装備が新しくなっているわね、それどうしたの?」
まるで新妻のように、サイハテを出迎えた陽子はちょっとした変化を効くついでに、サイハテの持つ武装を受け取って、彼のボディアーマーを脱がしにかかる。
なんだか今日に限って妙に優しい陽子に不信感を抱きつつ、部屋の隅でジャンクを弄っているレアを見た後で今日起こった出来事を説明するのだ。
・服は汚物の悪臭が酷いのと、爆発のお陰でボロボロになったので破棄した事。
・サバトと名乗る組織の末端と接触した事。
・新しい装備はその事を自警団に報告したら型落ちの中古装備を融通してくれた事。
・どうやら自分は町での情報収集を行った方がいいとの事。
こんな事などを簡潔で的確に伝えて見せた。
「あの爆発あんただったのね」
陽子の感想はこんなもんである。
自爆テロなんかは彼女の時代でもあったようで、狂信者集団の何かに巻き込まれたと判断したようだった。自警団の焦り様を見たサイハテとしては、そんな感じではないような気もするのだが……まぁ、平和な世界に産まれて、争いの為ではなく魅せる為に銃を握った少女の感性は、こんなものなのだろう。
そもそもサイハテとレアが殺伐とし過ぎているのだ。
「ああ、死ぬかと思った」
そしてこいつの感性も若干おかしいのだった。
まぁ、サイハテが居た世界と言うのは、内乱が起こった中国が起点となっている。物解らぬ幼子に、爆弾を持たせてこちらに突撃させてくるような連中が相手だったのだ。
(懐かしいな、「お兄さん、これおじさんがお兄さんに渡せってー」とか言って歩いてきた幼子が、突如爆発するんだもんな)
高性能爆薬から香る、独特の香りを嗅ぎ分けられなければ、死んでいたのである。ちなみに、人間に嗅ぎ分けられる香りではないのだが、その辺りは変態と言うことで納得していただきたい。
正直、中華内戦はサイハテにとってもトラウマばっかりだ。村人全員が殺されていて兵士にすり替わっていたりとか、内臓を除去され、かわりに爆弾を埋め込まれた一般市民が群れを成して襲ってきたりとか、指揮も取らずに国外へと逃走を図った共産党員とか、いろいろあった。
「で、レアは何を作っているんだ?」
まぁ、所詮過去は過去だと、サイハテは大昔なのに、ごく最近の思い出を振り払って、部屋の片隅で一生懸命作業しているレアに声をかける。
「せんりょくー」
答えは相変わらず簡潔だった。
Q.何を作っているんですか?
A.戦力です。
出来の悪い中学英語のテキストでももうちょっとマシな会話をするだろう。
「くわしくはなすと、RARE SCIENCE INDUSTRYせーのBATTROIDがあったから、しゅーりしてるー」
レアサイエンスインダストリー、日本語に訳すとレア科学重工株式会社と言った所だろうか。
「へぇ、君は会社を経営していたのか?」
「うん、にほんのこよーもんだいのかいけつにひとやくかってた。あきやまGROUPのこがいしゃだけど」
聞く限り、お父さんとお母さん辺りの親族が始めた会社で、子が子会社を経営しつつ開発者をやっていると言ったこんがらがった状況になっていたようだ。
微妙な表情をして、頬を掻くサイハテに、レアは得意げな表情を見せて、まだ膨らんでいない胸を張って見せる。
「ぼく、えらい」
「ああ、偉いな。いよっ! 社長ー!」
煽ててあげると、レアはとても嬉しそうに小躍りを始めた。
そんな微笑ましい姿から目を反らして、レアが修理していたバトロイド……日本語で書くと戦闘機械人をじっと見つめる。
見た事もない材質の骨格と、白い人工筋肉らしきものを所持している。胸の中心にはぽっかり穴が開いていて、恐らくここに発動機が嵌っていたのであろうが、誰かに抜き取られたのか、無残に千切られた配線を見せている。
胸は着いてないが、腰つきや括れから見て女性方の戦闘機械人であろうか。
腹部なんかには、けばけばしい色合いの大腸や小腸などの各種臓器が見え、驚くべき事に子宮まで備えている事が理解できた。色がエメラルドグリーンと言う事を除けば、女性の内臓器官そのままと言えるだろう。
「……こいつは、本当に機械なのか?」
サイハテの知っている機械と言えば、カーボンファイバーの配線とチタンの骨格、その他もろもろの大体が金属やプラスチックで出来た物だ。
少なくとも、触って柔らかいなんて事はない。
「MACHINEだよー。OPTICAL SIGNALと、じんこーせんいのしゅーしゅくでうごく、MACHINEなのはまちがいない」
それではもう、機械ではなくほぼ人間と言って相違ない。
この様子だと、CPUやハードディスクですら、サイハテの知っている物とは別物である可能性が高いだろう。
「最早人間なのか、機械なのか、わからないな」
理解する事を諦めたサイハテは、力なく首を左右に振る。
「にんげんだって、にたようなもの」
タンパク質で出来ているか、それ以外で出来ているかの差だと、レアは語る。彼女曰く、人間と言う種族を特別扱いするのはただの思い上がりなんだそうだ。
「かも知れないな」
否定もせず、肯定もせずに、サイハテは曖昧に笑うだけだった。
談笑している内に、夕食が出来たのか。陽子が食卓……と言う名の地べたに山盛りの焼き鳥が乗せられた皿を置いている所だった。
味付けはタレと塩の二種類に見える。どうやら、タレを自作したらしい……一応、病院から拝借してきた調味料の中には醤油や味醂などもあったが……中学生の女子にしては陽子の家事スキルは大分高いように思える。
何はともあれ、あの量ならサイハテが鱈腹食べても問題ないように思える。
久しぶりのまともな食事だ。三人で食卓に着くと、みんなで手を合わせて、食事を取った。
元アメリカ人と言う設定を思い出して、こんなん喋り方にしてみました。
そこ、ルー大柴ならぬ、ルー秋山とか言わない。




