二十七話:復讐者3
十代後半の少年には難しい問いであった。
家族が死んでから、彼は復讐を糧に生き長らえてきた。どんな恐ろしい敵に出会っても、それ以上に強く禍々しい敵と戦い、敗れた経験がクロノを生かしてきたのだから、余計に頼り切りになっている。
それは、彼も理解しているだろう。
だが、そんな彼も数年の間、相棒たるツクネと共に戦場を駆け、復讐の感情以外にも、懐かしく小さな感情を抱き始めていた。
遥か昔に置いてきた、そう信じていた小さな小さな愛の芽だ。
復讐とはまた違う、その甘美な感情に、クロノは知らずの内に甘えていたのだろう。
目の前に現実を突き付けられると容易く狼狽し、思考を放棄した。
彼は、残念ながら兵士ではない。その鍛え上げられた肉体と、曲芸を特化させた技の冴えは、驚嘆に値するが、兵士ではないのだ。
兵士ならば戦えと命令されれば、主義信条に反していても、解りました指揮官殿と返事をして戦うだろう。
だが、クロノは復讐を糧にして生きる、惨めな一般人だ。
憎悪と言う燃料が無ければ、戦えないのである。
だからこそ、その燃料に不純物を混ぜてやれば、容易く戦闘能力を喪失する。それが、彼の弱点であり、美点でもあるとサイハテは評価した。
狼狽する少年の問いに対し、しばらく感情のない瞳で見つめた後、ようやく彼は口を開いて、答えを口にする。
「そんな事、俺が知っている訳ないだろう」
どうすればいい、そんな疑問を真正面から切って捨てた。
お前の事なんだから、お前が理解しろと、冷たく突き放す一言に、クロノは項垂れる。
考え込んでいるようにも見えるが、サイハテには解る。これは何も考えておらず、ただ単に呆けているだけだと。
これではいつまで経っても、ここに留まっていそうな様子なので、彼はもう一言声を掛けてやる。
「自分の事位、自分で決めるがいい」
腕を組み、いつも通り不機嫌なのか、そんな顔立ちなのか、さっぱりわからないむっつりとした表情を向けながら、彼は言った。
縋るようなクロノの目を、真っ向から見返して、それ以上は口を開かない。
しばらく見つめ合っていただろうか。先に口を開いたのは少年だった。
「……復讐は止められねぇ」
言葉と共に彼は目を反らす。
返答を聞いたサイハテは、唐突にクロノから興味を無くすと、目を閉じて返事をした。
「そうか」
いつも通りの声色と態度だったが、彼の胸中には少年に対する失望の渦が産まれてしまう。
己と同じ選択を選んだ事に対する失望と、これから待っている未来を見据えての憐憫か、はたまた、これから己に訪れる未来を見据えたようなな失望か。
判別は出来ない程複雑な物だが、サイハテの答えは決まっていた。
「ならば、もう用はない。次に出会う機会があれば、それはどちらかが死ぬ運命だ」
若しかしたら、あったかも知れない未来を見せてくれると思っていたが、似た物同士であるのなら、訪れる未来も一緒なのだろうと、踵と帰して立ち去ろうとする。
しかし、唯一の入口である扉の前には、動こうとしないツクネが居た。
思わず、眉間に皺が寄るサイハテと、これからの事が解っていそうな少女の目線がかち合う。
「待てよ」
どうやってどかそうかと思案している彼の背に、失望させた男の声が届く。
この場で殺してやろうか、そんな意味を込めながら振り向くと、クロノは唇を吊り上げ、口を開いた。
「オレは、ツクネも諦めねぇ」
ガキの我儘。下らない理想論。
そう評しても過言ではない声色と、挑発的な表情の裏側に何かあるのを、サイハテは感じ取る。
「ほう、続けろ」
もう一度クロノに向き直り、その真意を語ってみせろと、同じように笑ってみせた。
「確かに、オレは弱ぇ。ツクネ無しじゃぁ、アンタにも届かねぇ。アンタの言う通り、このまま行ったらツクネが死ぬ。間違いねぇ、アンタは正しい」
だから、と悪戯を思い付いた子供のように、彼は笑う。
「アンタに協力して貰う」
予想もしていなかったのか、サイハテの目が丸くなる。
先程の凶悪そうな面構えからは、想像もできない程、優しそうな顔立ちになった彼を尻目に、クロノは語り続けた。
「絶対に勝てねぇ、オレの力が全く足りねぇ。それでツクネが死ぬなら、他所から力を持ってくればいいのよ。よくよく考えりゃぁ、オレが一対一で殺す必要も、止めを刺す必要もなかったんだ。アイツが死ねば、それでいいんだ」
手段にはこだわらない、結果が仇の死であればそれでいい。
復讐は前に進む為の手段ではなく、家族の為に打ち上げる弔いの花火なのだと、復讐者は高らかに語った。
「だから、アンタには何がなんでも協力して貰う。オレと、ツクネと、アンタで、アイツを追い詰めて、ぶっ殺す。それなら、絶対に負けねぇ」
ニィと口角を吊り上げて、笑うクロノと、話を聞いていたサイハテは希望をむざむざと見せつけられ笑う。
「ハッハッハッハッハッハ! 面白い冗談だ。何故、俺が協力しなくてはならん」
腕を組み、悪辣な笑みを形作ると、彼の希望を圧し折ろうと試みる。
最も、こんなことで折れる希望ではないと、理解していたのだが。
「協力せざるを得なくするんだよ。なぁジークさん。オレと取引しないか?」
そして、クロノはサイハテにとってのジョーカーを切る事にする。
たった一枚しかない切り札で、これが決まり手にならなければ、絶望するしかないのだが、どうせに他の手はないのだからと、遠慮なく使う事にしたらしい。
「構わんぞ。それを俺が買うとは限らんがね」
「いいや、絶対に買うね。買わざるを得ない」
自信満々のクロノを見て、彼は愉快そうに笑むと問う。
「なら聞こう。俺を買い叩ける商品とは?」
そんな物をお前が持っているのなら、見せてみろよと、挑発されて、その商品を恐れることなく見せびらかした。
「アンタが探していた、女の情報だ」
それを聞かされたサイハテに、動揺は見られない。
まるで、クロノがそれを掲示して来るのを予想していたかのように、堂々と構えていた。
「正確に言うならば、行き先を知っている人物だな。アンタも良く知ってる人間だと思う。これなら、アンタを買えるだろ?」
二ッと歯を見せて笑う彼に、大きく頷いたサイハテは、何度か肩を震わせて笑いを堪えると、組んでいた腕を解いて、返答をする。
「そうだな。その情報なら、俺を買える」
眼前に伸ばされた右手を見て、博打に勝った事を理解し、クロノは安堵の息を吐くとその手を取って、握手を交わす。
その後、サイハテの前に立つと商品を渡す為の行動を始めた。
「商談成立だ。着いて来てくれ、ジークさん。ついでだし、アンタの仕事も手伝うよ」
エビで鯛を釣るどころか、情報で変態を釣り上げた彼は機嫌が良さそうに、そう口にする。
肩を竦めたその変態は彼の後ろに続きながら、扉の前で胸を撫で下ろしていたツクネに視線をやり、クロノに言った。
「俺は西条。西条疾風だ。ジークは目立つから、やめてくれ」




